半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

2020年度のまとめ

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2021年、島根

コロナイヤーの2020年。このブログ42本の記事を書いた。

2019年にはてなBlogに移管した当初はPVが増えたりに一喜一憂したものの、もう飽きてきたんすよね。
仕事の方でもまあまあ一波乱(人事的なやつっすよ)あり書く気にはならなかったのもある。

そんな中でマシなものには●つけました。

コロナ:

読み返してみると、未来予測はそう外れてないけど不安が先に立ってる。
臨場感はあります。
10年後に読めば微苦笑しているかもしれない。

 コロばぬさきの杖 - 半熟ドクターのブログ (2020年4月)
 コロナ 壊れる世界 - 半熟ドクターのブログ
 コロナ禍 手段と目的の履き違え - 半熟ドクターのブログ(自粛警察)
 敵なのはコロナそのものではなく変化なのかもしれない - 半熟ドクターのブログ(フレキシビリティ)
 コロナの幕間 - 半熟ドクターのブログ
みんなもっと『三密』に感謝した方がいい。 - 半熟ドクターのブログ

これは2021年4月時点でもあまり称賛されていないけど『三密』の発明ってかなりクレバー。日本は今や技術後進国であることは今回コロナで露呈したが日本の生活習慣は、まずまず再評価されたのでは。


 腐海に住むこと - 半熟ドクターのブログ
 コロナしぐさ その2 - 半熟ドクターのブログ
コロナ禍での生活の話。特に序盤の物資窮乏の話は今では懐かしくさえ感じる。

 コロナのゆくえ - 半熟ドクターのブログ
いまこそ外部化された倫理委員会の設置が求められる - 半熟ドクターのブログ

今第4波が起こっている大都市で問題提起されないのかな?
現場に重症治療のトリアージさせるのは著しくモチベーションを削ぐはずだ。
 コロナの恐怖 - 半熟ドクターのブログ
ユニバーサル・マスク - 半熟ドクターのブログ

2020年の一年を通じてマスクの価値が随分変わったことは語られずじまい。
当初はアメリカ仕込の感染症医も「マスクは意味ない」って言ってましたよね……

コロナ以外の医学的なやつ

 風邪の不思議 - 半熟ドクターのブログ(風邪ってどこから来るの)
 C型肝炎の思い出 - 半熟ドクターのブログ
 コロナ お酒とタバコ - 半熟ドクターのブログ
「とりあえずビール」の謎 - 半熟ドクターのブログ

私はアルコール診療しているマン。民俗学的な見地で「とりあえずビール」の謎にせまる。
コロナで孤立している人の依存症はだいたい悪化しました。
コロナによる中食化の折、減塩対策をついでにやってほしかった - 半熟ドクターのブログ

最近のカップ麺をみていると、トータル7g超の塩分のものが多い、うわー…と思って書いた。

社会のこと

 ポストコロナのMR業とは - 半熟ドクターのブログ
コロナ デフレかインフレか - 半熟ドクターのブログ

結局これはよくわからなかった。政府は金融緩和でマネーはジャブジャブ。経済不況の対策というより、大規模災害に対する対策に見える。同業間でも行動やリテラシーによる格差が如実に広がった。

ボーナスとは何か - 半熟ドクターのブログ
女子医でボーナスカットのニュースで医クラが大揺れした問題。
そもそもボーナスの起源、知らない人が多いですよね。

 リニアやめたら? - 半熟ドクターのブログ
なんでリニアやめないんだろう。そりゃやめられないでしょうけど。
 原爆の日 - 半熟ドクターのブログ
一つの区切り - 半熟ドクターのブログ
安倍政権の終焉に際して。今の自民政権のありようにはおもうところはあるけど、ではカウンターたる野党の的はずれなやり口をみていると、消去法で今の政局になるよなあ……と思う。
「新たな病床機能の再編支援について」 - 半熟ドクターのブログ
これも里程標として、覚えておくべきことですよ。数年後に医療再編はどう舵を切るのだろうか。
 M-1を観てマスターゲッティングの難しさを感じた。 - 半熟ドクターのブログ
 楽天のデザイン上のイケテナさは日本社会そのものか - 半熟ドクターのブログ
日本って統合、トップダウン苦手だよね。

死や老い、こころのこと

やっぱり看取りとかを真剣にやってるせいか、今の自分に最も興味があるのはこの辺の話。
まとめてよくわかった。
今『人生会議』をするのは難しい - 半熟ドクターのブログ
コロナ病棟Nsのツイッターとかみていると、ACPできてない弊害はめちゃくちゃでている。
ACPって、事前にやってないと後の祭りなのだ。
『ダメになった王国』 - 半熟ドクターのブログ
「こういう人いるいる」シリーズ。Facebookでの反響がやばかった笑。
死後の世界はあるのか その1 - 半熟ドクターのブログ
死後の世界 その2 - 半熟ドクターのブログ
「死後の世界」がない文明にはサステイナビリティがあるのだろうか……という疑問。
コロナはフレイルを招き、フレイルは顧客を長期的に毀損する - 半熟ドクターのブログ
これも、臨床で実感したこと。コロナは高齢者の健康余命を確実に削ったよ。
闇落ちレジリエンス、またはレジリエンスありすぎ症候群 - 半熟ドクターのブログ
「こういう人いるいる」シリーズ2。響かない人。
生殺与奪の権を他人に委ねちゃう人たち - 半熟ドクターのブログ
「こういう人いるいる」シリーズ3。

個人的なこと

 Intermission - 半熟ドクターのブログ
 誕生日 - 半熟ドクターのブログ


2021年度もよろしくおねがいします。
やっぱり文字数を減らさないと。
自分でみてもこの字数はキツい。
ここって自分の精神活動の排泄物なんすよね、結局。
アウトプットというと聞こえはいいが、ウンコですよウンコ。
精神的ウンコ。

新年度 コロナのワクチン

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うなだれる中年, 2021年。

おー!気がつくと新年度になって一週間経ってしまった。
子どもたちの春休みも終わり、ここから2021年度が始まる。ちゃんとしなくちゃ…

去年みたいに、昨年度の振り返りをしないとな……と思いつつ。
時間作ってまとめます。

ワクチン

コロナ、コロナ、コロナ(SARS-CoV-2、Covid-19)……
第三波は終わり、ワクチン普及を待っている状況なのに、大阪では爆発的な増加が止まらない。上げ止まってもいない。
うーん。東京はまだ増えていないが、大阪は来たか… 
大阪から当地までは結構近いし、なんなら近畿圏からうちにアルバイトに来てくれてる先生もいるわけで。
いやだなあ。

ちなみに、私のいる病院は、感染拠点病院でもないので、ワクチンはまだ配布待ちの段階。
来週には打てるみたいだけど。

それにしてもファイザーのワクチン、筋肉痛とか倦怠感とか発熱が半端ないらしいね。
けど、今回のワクチンはmRNAを体内に入れるという意味では、めちゃめちゃ普遍的なプラットフォームなわけで、今後様々な領域の治療が、このmRNAワクチンを介して行われることができるんじゃないかと思うのだけど、どれもこんな痛いんだったらいやだなあ…。と思う。

ワクチンの希望数の集計と分配については、ICTを駆使したスマートなものといきたいが、かなり泥臭い作業で行われているようで、いやはや関係機関の事務方お疲れ様です。
多分、太平洋戦争のときに南方方面に物資を供給する主計官くらい混沌と焦燥の作業だったに違いない。*1
表からみれば、自動販売機にみえるけど、裏から見たらおばちゃんがお金うけとってジュースを手でもって落としてる…みたいな感じだと思う。*2

透析患者のワクチン接種について

医療従事者のワクチン接種も先に述べたとおり、予定からだいぶ遅れている。が、まあ1〜2ヶ月の遅延でなんとかなるとは思う。*3
しかし、その後の高齢者・基礎疾患のある人に対するワクチン接種については、もう65歳以上一律に配布という状態のようだ。
ワクチンが速やかに潤沢に供給されるならそれでもいいだろうが、結構3ヶ月単位で遅延が生じるのではないかと思っているが、その際に、「基礎疾患」のある人については、優先配布とはならないのだろうか……。

というのは、当院は透析が大きな柱であり、透析患者さんというのは、コロナでの死亡率が高い。
大都市圏でも透析患者さんの感染は、医療提供体制のボトルネックになることが結構多かったときく。

透析患者さんは、

  • 週に三回集まって医療をうける
  • コロナ感染した場合の重症化・死亡率が高い
  • 患者全数が把握しやすい(患者リストはすぐに作れる)
  • 高齢者の全数にくらべると、遥かに患者全数は少ない(1%程度)

という特徴があるから、集団で先行接種を実施しやすいし、その恩恵も大きいことは明らかだ。
先日県の保険担当のワクチン担当とお話する機会があったが、当然透析医療機関の長としてそのことを告げたが、
事務処理的に難しい…というありがたいお言葉で、いなされてしまった。もちろん口頭である。*4
もちろん、上述したように、ギリギリの事務的リソースでやりくりしているから、基礎疾患の患者だけ優先配布のような煩雑な工程をはさむことは難しいんだろうなとは感じた。
ただ、熊本市では透析患者の優先接種が計画された、とも聞く。
県単位で事務処理能力の余裕と先見性など、色々な事情があるのだと思う。

患者団体の全腎協が十分アクティブな時代であれば、もっと早期に国に働きかけることができたんじゃないかとは思う。
多分現在の全腎協には、そういう過激さ、活発さはなく、穏健な患者団体であれば、あまり喧嘩もできないのではないか……と思う。
政治とのコネクションもかつてほどではないのかもしれない*5

ところで、透析患者さんのワクチン接種であるが、透析開始前に打つことができたら、その後3時間は臥床しているわけで、経過観察も容易だと思う。
けど、さすがに筋注して透析してヘパリン化するのは、内出血とかを助長するので、そういうわけにもいかないだろうという話になった。
でも別日に来てもらうのもなーと思う。

*1:個人的には、民主党政権化の「事業仕分け」にやり玉に挙げられた官僚、を付け加えれば、官僚受難ワースト3に入ることだろう…

*2:ラブホテルの自動会計機は、きっと機械じゃなくておばちゃんがやっているに違いないんだ。しらんけど。

*3:大都市はしらない

*4:透析の患者さん「だけ」を特別視するわけには、というお言葉もいただいた。確かに各専門学会からの提案をとりまとめたものが厚生労働省にはあった。重症化しやすい患者さんのカテゴライズは各学会ともすでに終了はしているようだ。ただし絶対的なマンパワー不足の中で、優先設定ができるかといえば、なかなか難しい、というのが実情のようだ。

*5:このあたりは僕もあまり詳しくないのでコメントできないが、地方支部をみる限りは高齢化が著しくアクティブとは言いがたいのは事実だ。現時点では透析関連団体の政治力はシルバー民主主義に負けている

生殺与奪の権を他人に委ねちゃう人たち

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コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
第三波、すくなくとも私の住んでる街では、一旦終息したようで。
大都市発のワイドショーなどのニュースを踏まえて市民は「自粛」する。

そこまで外食産業の栄えていない街で、東京並に自粛すると、そりゃ、終息するよな。
その分、外食産業はかなり厳しいんじゃないかと想像するが、競争原理が乏しいので案外なんとかなっているかもしれない。

鬼滅の刃

今や国民的漫画になった『鬼滅の刃』。
第一巻第一話に印象的なセリフがでてくる。

生殺与奪の権を他人に握らせるな!」

最初に読んだときは「なんて文語調というか、堅苦しい言い回しだな…」と思った。
こなれていないネームを書く人だな、なんて感想を持ったんだけど、最近考えを改めた。


考えてみれば冨岡義勇も「柱」という幹部クラスとはいえ、成人したかしないかという年齢の若者である。
いろいろな人生経験で酸いも甘いも噛み分けたような好々爺ではない。
つまりは、大学の学園紛争とかで、マルクス主義かぶれの青臭い学生などと一緒。
理想主義者であり、教条主義者でありがちな年齢なわけだ。

なおかつ彼らの所属する「鬼殺隊」は国家非公認の閉鎖的な暴力集団なのである。
いってみれば、オウム真理教の信者や愚連隊、アフリカの民族戦線の少年兵などと同じ。
口さがなく言ってしまえばある種のイデオロギーに洗脳された状態といえなくもない。

そんな若く理想に燃える人間が教条じみた咀嚼されていない漢語を発する。
いや、むしろリアルすぎるやろ……とさえ最近は思うようになった。

「長男だから我慢できた。次男だったら我慢できなかった」

とならんで、時代背景や登場人物の背景まで憑依する能力でもあるのか、作者の底しれぬ異能を感じる。なかなか描けるセリフじゃない。

生殺与奪の権

鬼滅の刃』では「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」という強いメッセージが冒頭から打ち出された。
中島みゆきの「宙船」にもある。

「お前が消えて喜ぶものにお前のオールを任せるな」

自己決定権を失ってはいかんのよ。

ところで、見渡してみると、「生殺与奪の権」を他人に握らせちゃっている人は結構いる。

* * *

気立てがよくて優しそうな男性が、まあまあ自己主張が激しそうな顔立ちのくっきりしたキツめの女性と結婚するパターンを想定してみよう。
あー、こりゃ尻に敷かれるな…と思っていたら、もう尻に敷かれるどころか、カマキリだったら頭からバリバリ食われていたに違いないような扱いを受けているような。

まあもともと覇気がある方ではない。
怠惰ではないから、仕事には勤勉に行くけれども、
プライベートは、すべてを家庭にささげ、月のお小遣いも1万とか、そういうレベルで。
基本的人権を奪われているんじゃない?と思うレベル。

夫婦感の会話を聴いていても、もうこれ、パワハラモラハラやん……なんならDVもしてるやん…
とぞっとするようなケースってある*1

夫婦間の決まりごとは、一対一の人間関係で取り交わされる、ある種の「条約」であるわけだ。
核家族化が進んだ現在、夫婦間の関係性は、ブラックボックスの中におかれ、他人には見えない。
どのような「条約」がかわされたのか、そしてその「条約」が誠実に守られているか、なんて、他人にはわからないのである。

ほとんどの家庭は、まあうまく行っているから、お互いに納得した関係性が保たれていると思う。
ただ、ごくわずかの家庭では、とんでもないことになっている。

明治日本が開国したときに結ばされたような片務的な「不平等条約」を結ばされてしまっているケース。
ひどい場合は、ヨーロッパが、ガラス玉とかガラクタなどの二束三文で原住民の広大な土地を取り上げる、みたいになっちゃっていることもある。

こういう「交渉」「条約」では、男女間の恋愛関係の経験はそれなりにものを言う。
数々の恋愛を経験したり、恋人に裏切られ辛酸をなめた経験は、こうした「交渉」ごとにおいて、タフ・ネゴシエーターにさせる。

その意味では、バツありシングルマザーという存在は、最強のタフ・ネゴシエーターであることを注意しておかなきゃいけない。
あまり恋愛においてキツい経験をしていない男性が、こういう女性と結婚してしまう場合、
それこそインカ皇帝アタワルパとスペインの征服者ピサロの出会い、みたいな惨劇の結果、男性は「養分」として生きることになる*2

* * *

しかし、案外当の男性は、まんざらでもないような場合もあるから人間関係というのは不思議なものである。
まあこれが、ジャズ・スタンダードでいう「Body And Soul」(身も心も)ってやつなのかな。
日本昔話的に言えば「尻子玉」を抜かれた状態なのかもしれない。

* * *

現代人の生き方は「自己決定権」をもち個人として生きることが求められる。
「自分の頭で考えよう」ってやつね。今の世の中はこれが主流。

ただまあ、徹底的に自分の頭で考えない、というライフスタイルも、場合によっては幸せかもしれない。
もちろん、相手の誠実さに依存するわけだけれど。

* * *

冒頭の「鬼滅の刃」に戻る。
冨岡義勇は炭治郎にあんな大見得きっているけど、お前こそ生殺与奪の権を産屋敷一族に完全に明け渡してんじゃん。
冷静に意地悪く思った。

明治大正時代というのはイデオロギーの時代であり、個人よりも組織の時代であったわけで。

生殺与奪の権を他人に委ねるな」というのは、その意味でいえば現代的なドグマであるわけで、現代に生きる読者に向けた作者の生の叫びでもあるのだろうか、とは思った。

*1:実際蓋を開けてみればまあまあのDVを受けていた例は目撃したことがある

*2:複数例目撃経験あり

楽天のデザイン上のイケテナさは日本社会そのものか

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コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)…
さすがに緊急事態宣言がでてるのもあり、首都圏の医療が逼迫しているというニュースも
あったりすると、会食をして感染するわけにもいかない。
一月はかなり外出が(さらに)減ってしまった。
患者さんに注意はしているけど自分も「ステイホームによる不活動」の弊に陥っているみたいだ。ミイラ取りがミイラになった。

この週末はなにもせずスイッチが切れたように寝て、起きて、なにもしなかった。
なにもしようと思わなかった。

一月、そういう意味では思索もできるはずなのに、ぼんやりとしていてあまりアウトプットにもならなかった。不思議なことに、ちょっと忙しいくらいの方がものを書いたりできる。

これは、ちょっとまずいんじゃないか。

楽天UIに怒る

ある尊敬すべきTwitterの知り合いが、ここ最近楽天市場でのユーザーインタフェース(UI)の酷さに苦言を呈していた。
ふるさと納税にしても、ワンストップ制度利用の可否くらいは統一しとけよ!とか。

いや、ごもっとも。
しかし、ちょっと新鮮な驚きがあった。
実は僕もその2年前くらいに「楽天経済圏」なるものに足を踏み入れ、今では楽天カード楽天証券楽天銀行。ホテルの予約は楽天トラベル(は前からだったけど)など気がつくと基本的なネットサービスのインフラが楽天になっている。
それまではAmazonで買い物をしていたが、去年から楽天市場で買うことが本当に増えた。*1

そりゃ確かに楽天のサービスを使い始めた初期の段階では楽天市場のUIに思うところがあった。
まるでスーパーの広告のチラシやな!とでも言いたくなるようなダサダサのサイトデザイン。
統一感のないお店ごとのシステム作り。
美しくないな、と最初は思っていた。
だけど割とすぐ順応してしまった。
最近はもうあかん、とも思わなくなっていた。
だから改めて憤ってる人をみて、当初の違和感を思い出したわけだ。

楽天UIの統一感のなさは、例えば東京の雑踏の看板の多い街並にみている。

e-コマースサイトの中ではダントツにダサい作りだと思うけど、
「モノを売るのに美しさなんて関係ありまへん!要は売ることや!」
みたいなナニワの商人的な「中の人」の声が聴こえてくるようだ。

要するに、現場というか、それぞれの商店の裁量権を優先させたんだろうなとは思う。
楽天市場の体裁の不統一は、それだけ「型に嵌めない」ことのあらわれであり、
その辺のユルさは、e-コマース黎明期には参入障壁を低くする効果があったとは思う。
だからe-コマースする気のない商店を楽天市場に引き込む効果はあったはずだ。

しかしなんだかんだいって楽天の「型に嵌めない」やり方はそのまま続いていてダサダサのデザインも変わらないままなのは、少しおかしくも思う。
少なくとも逆風にもなっていないようだ。
(近年「楽天離れ」が言われているが、これは、利用手数料というお金の問題であるようだし)

楽天市場」型の組織

例えばAmazonの場合は、Amazonが直接取り扱う部分のサイトデザインが良くも悪くもしっかりしている。
Amazonに出店している場合(マーケットプレイス)はAmazonのサイトデザインの範囲内で小売を行う形になり、自分の商店としての主張はそれほど大きくはできない(逆に言うとしなくても済む)
一方楽天市場には中心がない。文字通り「市場」の体裁なのかもしれない。
すべての店が並列に並んでいて、ヒエラルキーもない。

実は、日本的な組織って、むしろこの「楽天市場」に近いんじゃないか、という気がする。
霞が関だって、省庁の縦割り、省庁ごとに「一つの城」があって、戦略や人事など、それぞれの省庁で思い描いている未来像は異なる。
一応行政機構としては総理大臣を意思決定の頂点とするヒエラルキー構造をとっているけれども、そんなに簡単にはいかない。
せいぜいが、財務省(昔は大蔵省)からの予算配分の権限でそれぞれの省庁をコントロールしただけで、総理大臣だからといって、省庁を思うがままに操ることなんてできない。
それこそが日本的な意思決定のシステムなのだろうか。

高度経済成長時代は、そうした省庁がお互いに干渉せず競い合うことで、それぞれ発展し、うまくいったかもしれない。
ただ現在のように成熟市場となり問題が複雑化し省庁ごとの摺合せが必要になってくる。
そうすると今までのスタイルはうまくいかない。
建前は、内閣が意思決定権をもち、省庁を動かすということになっているけど、実際はそう単純でもない。
省庁を動かすための、Tipsというか、いろいろうまいことやらないと省庁は自分の思うようには動いてくれない。
政権交代によって官僚と政治家との交流が断ち切られると、政権交代した政治家にこのノウハウがない分、むしろ改革がすすまないというパラドックスはこのためだ。
内閣による省庁のガバナンスは安倍内閣以降かわったけれども、ではこれが恒久的な制度になったわけでもないだろう。

これって、日本的な組織には比較的よくみられる弊害の一つだと思う。
太平洋戦争での軍部も、結局、陸軍・海軍の間で戦略を統一することができなかったし、関東軍(日本の関東地方ではなく、旅順から満州を統括している地方部にすぎない)の暴走を、中央は止めることができなかった。

江戸時代や室町時代、つまり封建時代から脱することができていないのかもなあ、と思う。
よくも悪くもミドル階層(昔なら藩)の集合体で、序列をあえて明らかにしないやり方といいますか。
織田信長みたいな、明確なヒエラルキーと強力なトップダウンをやろうとすると、寿命を全うできないのが日本社会の常だから。

我々日本人は、自分たちが思っているほど、組織的な人間でもない。
「日本人は個性や自己主張がなく、自分の損得よりも全体の利害を優先させる」というふうに言われてきたけれど、正確にいうと、全体ではなくて、ミドル組織とでも言うべき顔の見渡せる中型組織を優先させるのではないか。
我々は「ムラ社会」の住人で、抽象的な「組織」のため、というよりは、自分の身の回りの人間が見渡せる「ムラ=部門」の利益を最優先させるようにできている。
確かに、個人の利益は優先しないかもしれないけど、もう少し俯瞰してみると、もっと大きな組織の全体の利益よりも、自分たちの仲間とも言える小さなセクションを優先することがよくある。

このようにして出来上がった日本型の組織は、水際だった統制行動を取ることが苦手だ。
中枢神経系を、持った動物というよりは、粘菌などのような群体のように振る舞う。
スピードに劣るかわりに、頭を叩き潰されても、活動を停止しないのが、この組織のいいところかもしれない。太平洋戦争でも現地の司令部が壊滅してからが、日本軍のゲリラの見せ所だったようだし。

医療においては

私は現在地域の医師会に所属しているわけだけれども、医師会もこういう「楽天市場的」な群体的な組織だ。
医療のレベルとしては、大病院が高度医療をにない、中小病院、そして無床のクリニックはそれほど高度ではない医療を担うようになっている。
だが、医師会の組織としては、地域で一番大きな病院、医療としては最も高度な機能を担う病院がトップで、その傘下に中小病院がある、というわけではなくて、医師会長は、自分が管轄する医療機関の大きなとは関係なく選出される。*2医療機関ごとに、権利は横並びだ。

コロナ禍のおり、いろいろな取りまとめを医師会で行ったりしているけれども、そういう医師会のガバナンスなど、全然強くはないのである。
それぞれの病院や診療所にお願いをして望ましい方向に誘導するしかない。

緊急事態宣言で、首相の言も「お願い」に過ぎない、と鼻白むコメントも多かったけど、これもしょうがないよなあ…と思う。

* * *

もともとの性向か、それとも戦争に負けてからなのか、トップダウンによる強力な意思決定で、全員一致で国を動かす、ということが極めて難しい、ということを我々はもっと知っておくべきだろうと思う。

まあ欧米諸外国でも、今回のコロナは「民主主義の敗北」、つまり独裁政権による強権的な行動制限がなく、個人の自由を忖度するような状態では、対応できないよね、みたいなことを言っているから、これは日本特有の問題でもないのかもしれないけれど。

*1:とはいえ電子書籍についてはKindleで買っていて、これをKOBOに切り替えるつもりはさすがにない。けどそれ以外はほとんど楽天になった。ふるさと納税楽天だ。

*2:これには医師会はむしろ大きな病院よりも個人のクリニックの権利団体から発生している経緯にもよると思われる

コロナによる中食化の折、減塩対策をついでにやってほしかった

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2020, 津山

コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
感染者数の増加が止まらない。
病院や感染対応は、線形にしか増やせないけど、感染者の増加は指数関数的に増える。
ひとことでいえば、指数関数的な増加の恐ろしさを今我々は味わっている。

首都圏では、緊急事態宣言。
我々の住んでいる地方でも、ステージ4であったり、病床の逼迫が続いており、余談を許さない。

ワクチンが出回る2月、3月が、一つの節目だと思う。
できればそこまでは耐えしのびたいところだが、飲食業界からは悲痛な声が聴こえてくる。
youtu.be

今回は、一度目の緊急事態宣言のようには飲食店は自粛しないだろう。
いや、無理もない話で、しない、というよりはできない。
生き残っている飲食店も、2020年の間にストックを吐き出していて、自粛しようにももうその余力がない状況だと思われる。

国からの支援なんて、しれたもの。
複数店舗を経営しているけど大手FCじゃないところは、本当今胃がちぎれるような思いをしているはずだ。

我が地元は、もともとあまりはっきりした繁華街というものがない街で、もともと繁華もしてもいなかった。
が「寂れ方には底がない」という事実を知った。恐ろしい……
高齢化率もそこそこだし、みな、リスク回避行動はきちんととれている、という点ではむしろ喜ばしいのかもしれないけれど、飲食店にとってはかなり厳しそうだ。

テイクアウトの功罪

最初の緊急事態宣言のときはテイクアウトを推奨する流れがあった。
が、今回は通常営業をそのままテイクアウトにスライドする店は少ない。
店内飲食の感染防御を徹底して営業を続けたり、一部テイクアウトに切り替えたり、と、対策は多様化している。

テイクアウトと店内飲食のビジネスモデルは全然違う。
店内で飲食を提供する店が恒久的にテイクアウトを行う場合、儲けにもならないことが前回はっきりしたからだと思う。

店内飲食が、単行本を1500円で売っているものだとすれば、テイクアウトは、150円でその本のよりぬき部分だけを売っているようなものだ。
店を腐らせないために、仕事をまわすためにやっていたようなもので、儲けを考えるとばかばかしくてやってられないはずだ。

飲食店の競争というのは、他業種に比べると相当熾烈だ。
売りになる看板商品は、手を抜けない。つまり原価率も下げられない。
テイクアウトの場合、そういうお店の看板商品だけを抽出しているから、ちっともお店にとってメリットがないわけだ。
*1

今は、惣菜を買って自宅で食事する「中食化」にコンビニなどの小売店も対策を立ててきているため、前回の緊急事態宣言のスキームを継続させた飲食店はなかなか厳しいと思う。
テイクアウトではそもそもしのげない。
そこを主戦場とするテイクアウト専門店の出現*2もしくはコンビニ惣菜の充実化など、むしろレッドオーシャンになってしまった。

「ステイホーム」との戦略化としては悪いことではない。
ただ、一つだけ残念なことがある。
私は腎臓疾患や肝疾患診療をしているのだが、こういう患者さんにとっては食事の減塩が要諦なのである。
自宅での食事が増えることは、勤労世代のこうした患者さんにとってはいいことだったはずなのに、新規参入した「中食」の塩分摂取量は、むしろ外食のそれに引っ張られて、かなり味が濃いことだ。

塩分

以前に「塩の効用」というのを書きました。
hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
ちなみに今回Blog内サーチしたら、2007年にも同じ論旨で書いてたりする。

日本人の平均塩分摂取は12g-13g。おそらくこれは平均の誤謬で、外食を繰り返す人は 15g/日くらいだろうし、基本外食をしない人は 6-8g/日なのではないかと思われる。根拠は省きますが、診療をしており、外でご飯食べない主婦の作ったご飯に、現役時代外食をしていた夫が「味が薄い」というパターンが実に多いから。

食事の塩分の濃さは慣れの問題なので、高塩分食に慣れている場合は、低塩分食を「味が薄く=まずく」感じる。

同じような食事を提供された場合に、他よりもほんのちょっと塩分濃度を上げると*3「味が濃く」つまり魅力的に感じる。
このメカニズムとチキンレースの果てに、日本の外食産業ではは、じわりじわりと塩分濃度は上昇気味。
WHOの提唱する減塩推奨に逆らって、塩分摂取量は下がる気配は乏しい。

本当に外食の塩分量は増えているのか?
実は明確なエビデンスはないのである。(自分の実感とか体験に限られている)
少なくとも塩分摂取量が下がった証拠も、明確に上がった証拠はみつからなかった。
(特定の飲食店の攻撃になるかだろうか?過去のレシピ本や食品の成分表示などを遡って論文化すれば、栄養科や家政科の学生の卒論にちょうどいいテーマだとは思っている)

インスタントラーメン業界の塩分量

参考までに、最近の即席麺業界を見てみると、
マルちゃん正麺や、明星チャルメラなどの袋麺が、だいたい一食400Kcal台で5.5g〜6gくらいの塩分量である。
(具体的には 麺に含まれる塩分2g前後、スープが3-4g程度という内訳になる)
袋麺については、この塩分6gラインは、まずまず死守されている。
最近日清のCMで目につくでた「濃厚!これ絶対うまいやつ!」シリーズも、塩分は6g以内におさめていた。*4

ところが、カップ麺になってくると話がかわってくる。
カップヌードルはやや小型のカップなので、塩分4.9g 350Kcal だが、最も歴史が古いこれをリファレンスと考えよう。
最近でているカップ麺はどれも、塩分量が凄まじく多い。 6gの不文律を超えて、 7g台に至るものが結構ある。

スーパーでざっと見て、一番多いのに 7.9gというのがあった。ほぼ8g!*5
さすがにこれを3食食う人はいないとは思うけれど、もしそうすれば 24g。
昔の長野県などでは、漬物たべまくってこれくらいの塩分摂取はあったらしい。
そういう場合40台とか50台で脳卒中になっちゃう人も出てくる。
減塩政策で、そういう極端な高塩分食はなくなったはずだが、外食文化が「中食」という形で家庭に入ってくれば、むしろ日本人の塩分摂取自体はじわっとあがるのではないか、と危惧している。*6

できれば、コロナ「Stay Home」のときからの外食産業の「中食」への攻勢の中で、減塩に留意するような政策がとれたらよかったのに…と思うが
まあ無理だよな。厚生労働省がコロナでてんやわんやだったわけだし、そんな余力もあるわけないし。
また、非常事態でアドレナリンが出まくっているような時には、高塩分食が好まれるような気もするし。

まあ、高塩分食がもとで、攻撃性が若干増えて、家庭内がギスギスしたり、なんてこともあるかもしれない。

低塩分で、まったり行きたいものだが、実は僕自身も、例えば当直中前後は自覚的に高塩分にしてテンションをあげてゆくタイプ。
絶対からだに悪いと思う。

*1:テイクアウト専門でやる場合は、割とクールなコスト計算のもとで採算性を出している。だから、テイクアウト専門の支店を出すというのは、戦略としては正しい。両方やると虻蜂とらずになってしまう

*2:我が街でもテイクアウトのデリが目につくようになった

*3:あまり明確塩分が多いものは塩辛く感じてしまう

*4:もっとも、これには少しトリックがあって、このシリーズは、324Kcal とサイズは少し少ないが、塩分は5.9g。おそらく袋麺は単身世帯よりも、ファミリー層をターゲットにしているために、健康に留意する層に嫌われないために一食あたりの塩分を6g以内に収めるという鉄則があるのだと推測する

*5:もちろんスープを残せば8g摂取することはないが、何も考えずスープ飲み干す人もいるわけだから、おそろしい…

*6:インスタントラーメンの塩分については一度まとめてみようと思う。面白そうなので。

コロナの恐怖

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2020, 津山

コロナ、コロナ、コロナ…(Covid-19, SARS-CoV-2)
ひょええ〜っ。
ついに全国的な流行の中で、自分の周りにもコロナがやってきた。

地方の中核都市に住んでいる分には、今まではコロナといっても、どことなく別の国の出来事のような感じだった。
が、今月の初旬には、自分の住んでいる街でもクラスター感染が再び生じた。
今度は地域内の病院でクラスター感染が発生したのである。

感染者は一気に桁が増え、高齢者の感染者の対応で、基幹病院も、病床を一気に埋める事態になった。
消防局でもコロナの感染がでたりもした。学校、保育園、会社、介護施設、ぽつりぽつりとコロナ陽性がでる。

ちなみに広島市内もまた結構なクラスタ感染があちこちででているらしく、現在広島県はかなりHotなところになっている。

実際、実際に知っている友人のコロナなどは、Facebookなどでうかがい知るばかりであったが、
今回の地域内の流行は、だいぶ距離がせばまった。
今までは「友人の友人」「知人の友人」がコロナだ、みたいな話だったのが、友人や知人そのものがコロナになる事例がじわっと増えた。
県をまたいで通っている娘(中学生)の学校の先生にも数人陽性者がでて、クラスタ感染となったらしい。
だいぶ、コロナとの距離が近づいてきた……
怖いね。

まあ、東京や大阪などの大都市に住んでいる友人のレベルにやっとなった、ということだ。
ただし、この地域は基幹病院が多くはなく規模も小さい。
だから地域内コロナ感染の流行で、拠点病院の収容能力の限界を越えるのも早いだろうと思う。

おそろしいな。医療崩壊が現実に近づきつつある。*1

年末年始

とはいえ、年末年始は静かなものでした。
もともと例年、年末年始は旅行などはいかずに、毎日仕事場にいって小さなトラブルを解決する「妖精さん」のような仕事をしている。*2
(こういうのは勤務医の先生に役割をふると、デューティが発生するし、ちょっとの時間ではあるが嫌なものである。自分でやるのが一番ラクなのだ)
個人的には、初詣にいくのをやめたことが、一番気持ちが楽だったな。
なんだかんだいって人混みは疲れる。
お祓いとかしてもらったり、破魔矢を買い替えたりなんやかや。
今年それをしないことで、随分心が静かでいられることに気づいた。

hanjukudoctor.hatenablog.com
(お祓いについては、以前こんなことを書いたことがある。もう10年にもなるのか…)

人生に必須なものなど、多分ない。
コロナで、人間活動の多くを阻害されたために、多分に厭世的になっているからかもしれない。


ただ、必須なもの、必要じゃないもので、ほとんどの人の人生は回っている。
僕だってそうだ。
医療というのは尊いものだ、と思いたい気もする。
自分がやっている仕事を心底くだらないものと思って続けることはできない。
でも、人の死亡率は所詮100%。破れほぐれた布を繕うような仕事に過ぎない…と思う時もある。

どこかで帳尻をあわせ、無駄をやらないと、経済はおそらく停滞してしまう。

おりしも、首都圏では「非常事態宣言」を出すという状況までなった。
飲食店が感染拡大に寄与しているということで、飲食業界を狙い撃ちにした政策になりそうだ。
もう2020年を生き抜く時点で、多くの店は、ストックを吐き出してしまっている。
ここで月単位の自粛が本当にできるのかどうか、わからない。
国にも、余力はそこまでない。休業補償が十分にできるのだろうか。

一番問題なのは、どこまで頑張り、耐え抜けばいいのか、出口がはっきりしていないことだ。

ただただ、無常を感じる一年の始まりだ。
あ、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。
(そらぞらしい)

半熟三昧:

2020年買ってよかったもの【モノ編】 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
2020年買って良かったもの【書籍編】 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
一年のまとめを書くのは結構楽しいですね笑。2020年は割に本を読んだつもりでしたが、そうでもありませんでした。

*1:まあしかし、今私の住んでいる人口40万前後の都市で毎日10-15人の感染症患者がでている程度なんて、生ぬるいのかもしれない。例えばドイツとかだと、同じ人口規模だと、一日に800人とかの感染者だ。ひょ、ひょええ〜〜〜。

*2:フィーはでない。経営者だから。

M-1を観てマスターゲッティングの難しさを感じた。

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2020, 津山

コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
いや大変やわ!
このブログ書くのもはばかられるような地元の状態でした。
まあまあ大きな病院でのクラスタ感染が連発し、感染症拠点病院の病床利用率は50%を越える勢い。
何しろ大都市圏に比べて、当地は医療提供体制が脆弱。もうひと押しで、患者はさばききれなくなる。
これで、介護施設での大規模クラスタが発生したら、もうアウトのところまで来ている。

私も地方医師会員の一人として対策会議の動向を見守り、時に自分にできるタスクをこなしたり、一方、徐々に増える発熱患者に対しての診療を行っていますけど、かなり剣呑な状況。前回のブログに書いたようなトリアージを行わなければいけない状況はぜひぜひ避けたいところです……

2020年M-1

仕事納めになってから、録画していたM-1を今更ながら観ていました。
今年は低調であったという意見もありましたが、いやいや面白い面白い。去年のミルクボーイの「システム漫才」の圧倒的勝利という構図ではなかったためかもしれませんけれども、多士済々なんじゃないですかね。ミルクボーイのシンデレラストーリーが、参加者に火をつけた感あった。

まあ僕みたいな素人が何をいっても二番煎じにしかならないわけなんで、感想とか書くのはやめときます。

気になったのは「アキナ」と「錦鯉」だった。

アキナの敗因

アキナは「気がある地元の女友達を楽屋につれてくる」というネタだった。
下馬評でも高評価だったのだが、結果はいまひとつ。審査員の講評でも「うまいのに…、順番かな?」みたいな感想だった。
しかし、一人サンドイッチマン富澤が「ちょっとオジサンには『好きな女子』という設定がハマらなかった…というところはありますよね」
というコメントを発していたが、これが真相を突いていると思った。

多分アキナは劇場で勢いもあり、笑いをとっているし、関西で実力がある芸人であるのは間違いない。
おそらくアキナは、そういう普段の主戦場でのリアクションを見て、決勝に持ってくるネタを選んだんだと思う。
ただ、劇場にいる同年代の芸人や、自分からそれを見に来ている熱心なファンというのは、年代も近いし、ライフステージも近い。
楽屋ネタ、芸人と芸人の近くの恋愛模様みたいなシチュエーションは身近に感じられるネタで、きっと劇場では、M-1以上にウケるのだと思う。
ただ、M-1の視聴者には、普段劇場で相手している観客にみられる均質さがない。
TV番組、しかもゴールデンタイムでの全国放送である。もう少し雑多で多様な集団である。

対象となる聴衆の特性の違いに注意を払わずに劇場向けにチューンナップされたネタをそのまま出してしまったことがアキナの低評価の原因だったのだろうと僕は思った。

ターゲットの範囲と笑いの強度はトレードオフの関係にある

ターゲットを広げることと、より共感度の深い「刺さる笑い」は、トレードオフの関係になる。
聴衆が多様であればあるほど、全員に刺さる笑いを作ることは難しい。

マーケティングの話でいうと、マスマーケット向けの商品とニッチな市場では競争力の原理が全く異なってくる。
アキナは、劇場という環境の中で研鑽をつみ、あえてターゲットの幅が狭いところで競争力を磨いた。したがって劇場の観客には強い競争優位性をもっている(下馬評の高さはそのためだと思う)。
しかし、M-1は、ある種のマスマーケットである。
そしてニッチな市場での競争優位性は、マスマーケットで通用するとは限らない。そこにはマスにウケるための若干のチューンナップが必要だったのだと思う。

まあそういう意味で「アキナ」は、普段相手にしている聴衆が透けて見えるコンビだった。

錦鯉の「ヨゴレ感」

「錦鯉」もそういう匂いがあった。
「錦鯉」はなんと私よりも歳上の49歳のボケ、モト冬樹と死神を足して2で割ったような風貌。
人生の澱を色濃く漂わせていて、無邪気に笑えない重さ(それは痛々しさにもつながる)があった。
ネタも「パチンコ」が題材だった。普段ターゲットにしている聴衆のバックグラウンドがうっすら透けて見える。
要するに関西言葉でいう「ヨゴレ」感があった。「お茶の間にだしたらあかん」感があったね。
いや、結構面白かったんだけど、彼らも、このニッチな場での圧倒的な競争優位を、マスターゲットに引き写す余裕もないがための違和感で、それが得点に反映されていたと思う。

かといって、はじめから全国放送向けの聴衆相手にウケるお笑いをイチから作ることもできない。
まずはお笑いの「強度」が先だ。その後、ターゲットを広げてゆく。
初めはターゲット層を絞ったエッジの効いた笑いを練り上げて、それをTV向けに、全年齢向けにうまく投射してゆくというのが、過去数多のお笑い芸人のたどった道である。
はじめからマスターゲッティングを相手にした場合、やはりお笑いとしての強度が弱くなってしまうのかもしれない。
んー、たとえば、森脇健児とか、中山秀征という名前が思いつきますね……。
そういう意味では、ダウンタウンとか千鳥とか、すごいですよね。あらゆる層をターゲットにしつつ、笑いの強度も確保しているわけで。

というわけでガチガチの医療系の記事ばっかり書いてましたけど、今年最後はタイミングもはずしたM-1の感想という、いかにも薄ぼんやりしたエントリで締めくくります。一年間ありがとうございました。
ちょっと12月は停滞していたので、もうちょっとがんばります。