コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
第三波が、地域によってはシャレにならない事態を引き起こしつつあるようだ。
当地域は、第三波らしい波もまだ来ていないのだけれど、もしこの地にクラスター感染が多数発生し、重症患者がある程度出現しても、医療のキャパが低いから、あっという間に詰んでしまう。
その意味では、他の地域で起こっていることを、固唾をのんで見守っているのが現状だ。
外食もなかなかできないね。
歓送迎会とかそういうのが迫っているんですけどね…
クライアントの高齢者の方々:
私は地域密着型の中小病院と透析施設を擁する医療法人にいるのだが、我々の顧客は、透析患者さんであったり、近在の地域の方々だったり。
病院に通院・入院する人の常として高齢者が主力だ。
我々の使命は、クライアントである患者集団を、できるだけ健康で長持ちさせてゆくことだ。
コホートの損耗をできるだけ避けて、温存させる。ハザードレシオを高値に保ち、生存曲線を高止まりにする。
抽象的にいえばこういうことだが、もうちょっとわかりやすい感じで言おう。
大きな味噌玉のようなものを、お湯の中に入れて、できるだけ揺らさないようにして、溶け出て目減りしないようにして運んでゆく。
慎重に運べば、大きな味噌玉であろうし、揺らしたり雑に扱えば、味噌玉は溶けてなくなってしまう。
転倒後のリハビリであったり、誤嚥性肺炎の治療をしても、すべての人が助かるわけではない。
老いには逆らえない。寿命としかいえない顛末はあるけれども、質の良い医療を提供し、しっかりリハビリをして元気に退院する場合もある。後者が少しでも増えると、味噌玉の減りは抑えられる。
きちんと診療し丁寧な外来診療などで疾病を未然に防いでいれば、その見返りとして自分たちの顧客は減らず、良好な経営状態を保つことができる。その意味でいえば、顧客と我々医療従事者は互恵性がある共犯関係にあるわけだ。
2030年、2040年にむけてこれから地域の高齢者がどんどん減っていく。
自院の勢力範囲の味噌玉=クライアント集団にできるだけ質の高い医療を提供し損耗を抑えることが、地域密着型の病院の基本戦略なのである。*1
ところが、コロナによって、高齢者の方々は、少なからず、日常の生活を変えることを余儀なくされた。
『緊急事態宣言』の時は、みな外出を控えてテレビに張り付いて、いたずらに恐怖を煽り立てるワイドショーをみていた。不要不急な外出は控えましょうと言われ愚直に従い、朝晩の郊外の散歩などさえ控える人は沢山いた。
結果、歩ける人が、ちょっと歩けなくなったりして、要介護度が増えた。
介護施設の多くが面会不可となったのも大きい。家族の面会が減ると外的刺激も減ってしまう。精神衛生上もよくない。
認知症が通常よりも進行したよな…と慨嘆する事例はいくつか目にした。
もちろん、きちんと体を動かしていた人もいたが、むしろ少数派だった。
結果的に、どのくらいのインパクトがあったのかはまだわからない。
重要なのは、総体としてみて、我々が2030年くらいまで大事に大事に目減りを抑えて引き継いでいかなきゃいけない原資である味噌玉は、この2020年で、例年以上に溶け出してしまった、ということだ。
溶け出した味噌玉は、絶対に戻ってこない。
多くの医療機関での単年度の経営の悪化は、これは算出できると思う。
ただ、この顧客の健康状態に対する影響というのは算出が難しい。ストックの毀損なのだが、普段このストック自体はあまりとらえられていないからだ*2
シビアなことをいうと、地域の医療需要と介護需要のピークの再計算が必要ではあると思う。
需要予測カーブは、大幅に下方修正して考える必要があるのかもしれない。
2040年に事業をやめようかと思っていたのが、2035の時点で損益分岐点を割り込むようになっていた、とかだとシャレにもならない。
フレイル
しかし、高齢者のフレイルが大問題だ、など「上から目線」で語ったりしているけれど、
サルコペニアとかロコモティブシンドロームなどの身体的フレイルは高齢者に特有の弱点であろうが、
こと、社会的なフレイル=ソーシャル・フレイルに関しては、我々世代の方が現時点でさえよっぽど高齢者のそれより脆弱だ。
社会的なネットワークからはみだし、友達もおらず、一緒にご飯を食べにいく友人もおらず、休日も特にやることのない人は、沢山いる。
仕事に行っている時以外では、ほとんども口もきかない、とか、そういう人も沢山いる。
高齢者の心配なんかしてる場合なんかじゃない。
さらにいうと、現役世代の「経済的フレイル」(ファイナンシャル・フレイル)は数段深刻でもある。
数十年後に見える地獄のことはあんまり考えたくない。