半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

「住み慣れた家で暮らす」在宅医療のイメージは……

2024, 岡山県

2024年、障害・医療・介護の診療報酬改定。
トリプル改定が目前に迫っている。
現在短冊が出揃ったがなかなか厳しい内容である。
……が「まあ妥当かな」とも思える。
正確にいうと「厳しい……けど、しゃあないな…国に金がないんだし」という感じだ。
特に国保社保ともに、保険者組合にお金がないんだな…と痛感する。
金はないが、需要は増える。
そりゃ厳しいわけだ。(医療者を)生かさず殺さずでやってくしかないでしょう。

うちは82床で一般37床、地ケア45床で運営しているのだけれど、これだとDPC対応の急性期一般が厳しくなった。今回月90件の入院がDPCの要件に加えられるけれど、これはうちの規模だとギリギリ。月間でいま当院は110件くらい入院を受け入れているが、地ケア直入、短期滞在のものも含まれているので、月90を捻出するのは難しい。
 幸い、急遽降ってわいたかのように新設された「地域包括医療病棟入院料」というのに移行するよな…という感じである。*1

在宅医療

地域医療構想でも療養病棟から在宅医療への転換が言われて、実際療養病棟のうまみをどんどん削っているおかげで、多くの地域では療養病床は減少に転じている。
だいたい厚生労働省(と財務省)の目論見通りだけど、減少は予定していた分には届かない。

まあ、地域では、供給が減ったおかげで、療養病棟はどこも満床で転院させにくい。
いきおい在宅に戻る人たちが増えている。
とはいえ「在宅」は結構イメージと違うことを実感する。

在宅

在宅医療、在宅往診。
「住み慣れた家で最期まで暮らす。」とかいいますけれど。

そういう世間の「在宅」イメージの例が、たとえば海老蔵さんの妻、小林奈央さん。
乳がんで闘病し、最期は緩和ケアうけつつ自宅で亡くなられた。34歳だった。
あの時は、日本中が涙したし気の毒だと思ったが、最期まで幼い子供と一緒に生活するメリットという意味で、在宅医療のよさのアピールだったなあと思う。

住み慣れて、長年暮らしてて勝手がわかっている自宅で暮らす。
確かに魅力的なこと。
これをサポートするために、在宅往診・訪問看護・ヘルパーサービス、訪問リハビリなどの各種サービスが存在し、そういうサービスを付帯させて自宅での生活を続ける。
それでも終日介護が必要な状態となり、自宅で暮らすことが難しくなると「仕方なく」介護施設にうつって生活をする。

これが、なんとなく介護の流れである。
(ちなみに介護施設も「病院」ではないので「在宅」である)

ただ、ここ10年20年の可処分所得の減少が、この定型の流れを変えている。

施設に入れない

はっきり言うと施設は高い。
介護サービスがついて、個室で。風呂介助とかもついて、食事もついて。
となると普通のアパートより高くなるのは当然だ。
安くても月に10万〜15万はかかる。
それで東横インレベル。もっといい暮らしとなるともっと高くなる。
もちろん非課税世帯や生活保護世帯には各種の減免措置はあるが、生活保護の医療費がほぼ無料…というふうには補填されない。

医療に関しては生活保護費は割と最強カードであるが、介護部門に関しては、けっこうしょっぱい。
年金も貯蓄も個人差がかなり大きい。
払える人は払えるけど、払えない人は払えない。

統計値によると、50代の単身世帯で金融資産保有額は平均値が1048万円、中央値が53万円らしいよ。
もし君が僕と同世代のアラフィフで、独身だとしよう。
自分の老後計画だってままならんじゃないの。
そんな中、ご両親が倒れました…なんて電話かかってきたって、施設のお金なんて出せないし。

金がなかったら介護施設に入れない、というケースはすごく増えている。
お金がないから、在宅で暮らしていても各種介護サービスも十分に使用できない。

最近は、積極的な理由で自宅で暮らす、ではなく施設にいく十分なお金がないから自宅、の人が増えた。
そうなると、
住み慣れた自宅>施設 ではなくて、
施設 >>自宅 という感じになる。

都市部の集合住宅の単身世帯の高齢者。
そういう経済状況だったら自宅も綺麗で整然としてはいない。
認知症になり、ゴミ屋敷みたいな耐震不適格の木造住宅で暮らす。
トイレに行けないから、部屋の一角を排泄スペースにしていて床が腐っていたり、みたいなこともしょっちゅうだ。

そういう消極的理由での「在宅」をサポートするのは、なかなかつらい。
シンプルにいって、金があったら状況は改善するけど.…
訪問看護や往診はなかなかきつい。

火の鳥「生命編」より

昔「火の鳥」生命編に、サイボーグ手術の成れの果てのおばあちゃんが出てきたの覚えているだろうか?クローン人間のハンティングの対象になった青居部長が逃げ込んだアパート。
最後はゴキブリが口に入って死んでしまったけれど、
僕が考える孤独な老人の在宅医療のイメージの原風景はあれだな。*2

いずれ「在宅往診」の大半が、ライフログモニタのついたベッドで過ごす要介護4〜5の単身高齢者を巡回し、生命反応がなくなれば機械的に看取りにゆく、形になっていくと思う。
多死社会、病院から在宅へ、ってそういうことだよ。
昭和20年代と違うのは、圧倒的に単身世帯が増えたことだ。

在宅訪問にはセンシングのモニターが一覧になっていて、
「あ、No. 102の方、亡くなったみたいだわ、汁が出ないうちに確認しにいこうか」
みたいに、淡々と在宅孤独死を処理してゆくようなディストピアが、おそらく僕らの頃は当たり前になる。

ちなみにこの調子で人口は減り続けるのだから、
僕が死ぬ頃には、たとえ金があっても、同じく最後は在宅で孤独に死ぬしかなくなるだろう。

まあ、マトリックスにでていた「コクーン」のような下の世話や入浴までもベッド上で自動洗浄できるような機械が出現していたらいいなと期待している。

*1:まだ細かい詰めがでていないけれど、中小規模のDPC病院の「逃げ道」として用意されたのは明白。今回はそこそこの点数にして誘導してくれると思いたい。まあこれはきっと「孔明の罠」で数年後には雪隠詰めになっているんだろう

*2:あれはジュネという小さい子が一緒に暮らしていただけまだマシだと思ったが