今年もよろしくお願いします。
よりによってお正月に、能登半島で大きな地震が起きた。
地震で被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
建物の多くが倒壊し津波などの被害のある土地に、しんしんと雪がふりつもるさまを見ると、被災なさった方々が本当にお気の毒。
もともと北陸はとても寒いところ。
建物が壊れ、停電したようなところで過ごさなければいけないなんで、どんなにしんどいことだろう。
TVで被災地の様子が映されると、本当にああ気の毒だと思う。
夜、酔っ払って道で寝ると死んでしまうような土地の災害はに、とてもつらい。
72時間ルールっていうけど、あんな厳しい気候の中で一晩生存することだって奇跡的だと思う。
なんてつらいことだろうか、と思う。
超高齢社会
さらにいうと、能登半島はとんでもなく高齢社会のようだ。
地震前の統計では能登北部の高齢化率は46.6%。
日本の田舎はどこでもそうだけど、能登はさらに交通の便も悪いし、僻地中の僻地とも言える。
限界集落だらけのようだ。
非常に言いづらい事ですが、今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います。地震は、今後も起ります。現在の日本の人口動態で、その全てを旧に復する事は出来ません。現実を見据えた対応をと思います https://t.co/1rVQ6hDk1N
— 米山 隆一 (@RyuichiYoneyama) 2024年1月7日
もと新潟県知事の米山さんがX(旧twitter)にこういうコメントをしてなんか各方面からぶっ叩かれていたが、まあ地方自治体の首長経験者として頭を悩ませた経験がいわしめているのだろう。
これに対して、どうすべきか、は僕はノーコメント。
米山氏の言い分もよくわかるし、被災して絶望を感じている人の「お気持ち」もよくわかる*1。
ただ、普段高齢者に仕事で接している自分の感想を言うと、
「仮にめちゃくちゃお金をかけて復興させても、元のコミュニティは戻らんだろうな」と思う。
また「集団移住したら、あっというまに自立していた人たちも要介護者の集団になってしまうだろうな」とも思う。
高齢者は変化への耐性が低い
限界集落でそれぞれに役割をもって生活している高齢の人たち。
その自分の生活のルーチンが確立できているからこそ、その生活がきる。
田舎の、インフラも整わない生活ではあるが、何十年も慣れ親しんでいるからこそ自活できるのだ。
もし被害を受けた家を同じように再建したところで、全く同じ設備にはできない。
たとえば、カチカチカチとハンドルを回して点火する、昔懐かしのガス湯沸かしの風呂とかの家も、中にはあったはずだ。
家も、木造の古民家のような家が多い。重い瓦葺き。密閉性の低い建屋。
古くからの石油ストーブを使っている家もあるだろう。
今の観点でみると、明らかに不便なのだ。
でもそれに慣れた人にとっては、それがデフォルトであるし、なんなら目をつぶっても操作できる。
でも再建するなら、普通の建売住宅に、オール電化で全く新しい、スイッチ一つでスイスイ動く家電、と、なるだろう。
だって、そんな昭和の家電、数を揃えることなんてできない。
昔ながらの家の作り方だと、とんでもなく金がかかるから。
仮に他人からみて「同じような感じ」にできても、当人にとっては全く同じものでないと結局使いこなせない。
高齢の方の多くは新しい家電を使いこなせないし、使うことにストレスも感じる。
適応できない人はかならずいる。
家の間取りがかわったり、家電が更新されると、80歳を超えたりすると、適応できない事例はよくある。
バリアだらけ、隙間風だらけの家でも、住み慣れていると暮らせる。
バリアフリーでオール電化の家を供給されても、使いこなせない。
で、そういう不適応の状態に置かれると、あっという間に認知症がすすんでゆくのである。
だから集団移住もなかなか難しい。
今まで自立できていた人も、新しい環境で同じように自立できる人は、高齢者ではかなり少ない。
でも、コミュニティを保って同じ場所で新しい家を建てても、超高齢の方から脱落してゆく。
全く同じ材質、什器、家電を再建したらいいかもしれないが、それは現実的に不可能だ。
なら、同じ土地に新しい建物をたてようが、七尾や金沢の集合住宅に移住させようが、自立できていた80代の40%くらいが、一年後には要介護2以上に落ちてしまう可能性が高いと思う。
人は、その場所・生活パターンも含めて「人」なのである。
新しい容れ物でゼロからやり直すには、ある程度の適応力が必要になってくる。
それが若さってものだ。
かなりの高齢者になってくると、そういうレジリエンスが失われる。
南海トラフ地震
残念ながら日本は災害の多い土地柄。
今後も南海トラフ地震も高い確率で起こるし、活火山の噴火もありうる。
今後も壊滅の危機に陥る限界集落はコンスタントに出現するはずだ。
その集落の再建を、どのような形で目指すか。
おそらく高齢化率・後期高齢化率、平均年齢などがある閾値を超えると、上述したように、どんなにコストをかけても
再建は難しいんじゃないかと思う。その見極めができないか。
例えば、医療の世界とかだと、FIM(運動能力の評価)とか認知症のスコアとかで評価して、
リカバーできる事前確率を推定するわけである。
災害後の立ち直りについても、集落ごとにデータを集積し、統計をとって、今後に役立てるべきなんだと思う。
できれば、ある程度 統計値から推定した事前確率から、再建できる町とそうでない町を峻別できればいいのだが。
あれ?………米山氏の主張に近くなってしまうんだな。
これって、残酷に思えるかもしれない。
けれども、フレイルが進み、どんなに努力してもADL向上が望めない高齢者に「頑張ってもとどおり歩けるようになりましょうね!」といって期待をもたせてリハビリを強要する方が残酷だったりするのだよ。
限界集落も同じで「…もうゆっくり休みなさい……安らかに…」という処方箋が正しい事例は必ずあると思う。
*1:「理」の話と「情」の話なんだとは思うのよ