半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

100kmウォーク 考察編

初めて参加する人に向けて

前回は旅程をダラダラ書き連ねてみた。
読むだけでも長々しく恐縮だが、読むことで100kmウォークの冗長さを追体験していただきたかったからである(強弁)。

今回は100kmウォーク体験を総括してみようと思う。
とはいえ私など、参加も二回目、今回初めてウルトラウォーキングに成功した程度のウルトラウォーク界のひよっこである。

ウルトラウォーク勢は全国に数千人いると思われるが、その廃ウォーク勢の人たちは、日々スタイルの洗練に余念がないはずだ。
ただ、そういうベテランのアドバイスは、「ちょっとやってみたい」勢には響かないかもしれない。
だから初心者の私の体験とふりかえりを書いておく。
初めてエントリーする人向けには参考にしてみてください。

前回も書いたが、大きな休憩もとらず100キロを一気に歩くウルトラウォークスタイルは、生理的でもない。
かなり特殊なスタイルであり、だからこその危険な魅力に満ち満ちているのだとは思う。

靴:

100kmウォークの要諦は、半分以上靴にあるといっても過言ではない。
20-30kmを歩いても足の皮膚へのトラブルはあまり起きない。(むしろその時点でトラブルが起きるなら靴が根本的に合っていない可能性が高い)
しかし50kmを超えると皮膚へのトラブルが生じ始める。つまり靴内のトラブルはウルトラウォークならではの現象であると言えるわけだ。
対策の基本原則は、

  • 足をドライに保つ。蒸れた部分は水膨れやマメになりやすいから
  • 靴と足の接触圧の強い部分は皮膚が痛み、水膨れになる
  • 反対に隙間がありあそびの強い部分では皮膚が繰り返し摩擦され水膨れの原因になる。
  • 靴底は柔らかいものをおすすめする

とにかく、靴はフィットしていればトラブルのリスクを間違いなく下げると思う。
私は9月は普段履いているHOKA Bondai 8で参加した。
これはやや母趾球のあたりがゆったりしてて靴内にあそびがあるために皮膚が水膨れでベロリと剥がれてしまった。
それを反省しHOKA Skyflowを試してちょっと良さそうだったので11月はそれで参加。
これは割に足の形にあっており、テーピングも併用し、水膨れは最小限で済んだ。

既成のスニーカーが足と完璧にフィットすることはあまり期待できない*1
圧が高い場所、低い場所の濃淡はどうしても存在するはずだ。

50kmを超えると皮膚のトラブルが出現すると先ほど述べたが、20-30kmでも、前兆というか、圧が強い部分の軽い痛みや発赤は生じる。その場所は要注意な箇所。
その部位をマークしてテーピングを行うべき。
テーピングの方法はWeb上にたくさん載っているのでぜひ調べてみてほしい。
とにかく、自分の足の皮膚に関する解像度を上げることだ。

私は厚底で有名なHOKAを通常も愛用しており、これはウルトラに向いていると思う。*2
100km歩くのは足底のアーチに相当の負荷をかけるので、底の硬いシューズはアーチの痛みでギブアップする可能性もあるかもしれない。

これもウォーカー勢の常識だが、足をむらさないためには、5本指ソックスがよいらしい。
私は9月はイトイエックスの和紙製5本指ソックスを用いた。確かにドライに保てるメリットを感じたが、繊維がやや硬く、摩擦が生じるとむしろデメリットが大きい(私は足裏の水膨れにつながった)。11月はInjinjiのウールの5本指ソックスにした。
これはインナーソックスでその上に普通の薄手のソックスを履いて二重ソックスにするスタイルになる。
今回雨が降ったが、二重ソックスなのが良かった。表は濡れつつも奥のソックスは少しましな状態であったから。ただ、蒸れやすい夏場は逆の結果になる可能性はある。

Gore-Texの靴は意外におすすめできないと思う。雨濡れは避けられるが、靴中の足の蒸れが問題となる。
Gore-Texは確かに透湿性はあるが、そうはいっても水が外に排出するまではどうしても蒸れる。
そのほんのりした蒸れは足の皮膚を柔らかくするのには十分で、水膨れの元凶になると思う。
レインカバーも同様の理由でおすすめできなさそうだ(蒸れはゴアよりもさらにひどいはず)

雨降り対策は、1: 替えの靴下はしっかりもっておくこと、2: とにかく内部をドライに保つことが必要。
だが、僕にはまだ定見がない。できれば雨の日は棄権したい、とさえ思っている*3

服:

9月は酷暑だった。反対に11月は秋で冷えが予想された。

9月は、昼間は熱中症対策で、短パン・半ズボン、夜はコンプレッションタイツと上には薄手のウィンドブレーカーだった。
暑さ対策としては成功したとは思うが短パンの時に股擦れを起こしてしまった。ので短パンの下に短いタイツを仕込むべきだったと思う。あとは氷水をコンビニで購入しては飲む/ぶっかけるの繰り返しが奏功したように思う。

11月は、反対に寒さ対策。
アクティブインサレーション+ベースレイヤー。
に加えてGore-Texのレインウェア(Arc'teryx Norvan)とサーマルウェア(Arc'teryx Atom Hoody)を用意した。
雨が降った時はレインウェアで防ぎ、エイドで寒い時はAtomを羽織る。また夜の一番寒い時期はレインウェアの下にAtom Hoodyを着て対応した。
下半身は North Faceのパンツと、下はCX-Wのコンプレッションタイツ。

服に関しては登山とかのレイヤリングの技法を応用できる。
暑い時は夏山登山、寒い時期は秋山登山に準じて用意すればいい。
ただ、トレランや登山に比べると自分の身体からの発熱はやや少なく、岩稜帯にくらべると風は強くない。ビバークする可能性もない。
だから思い切って一段階弱めて荷物を減らすのも有効なはずだ(山と同程度に万全にすると、装備は少し重くなる)。

ザック:

山歩きとかウォーキングでUL思想に触れていたので、携行品についてはある程度迷いなく準備できた。
9月にはあれもこれもと不安を打ち消すべく準備しすぎて、荷物が重くなりすぎて自滅した。
Arc'teryx Norvanで準備したのだが、荷物が入りきらなかったので、押し入れに眠っていたホグロフスの15Literを引っ張り出して使ったのだが、これはボトルの取り回しが悪く失敗だった。
その反省を生かし秋はPaagoWorksのRush 20literを用意して、これはとてもよかった。
ウェストポーチは用いないがKAMPARAのサコッシュを、カラビナでウェスト側に吊るして使用した。

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唯一失敗したのは、トレッキングポール。
ヘリテージのめちゃ軽いポールを持って行ったんだけど、正直一本でよかったと思う。
しかしおまけにゴールで忘れて帰る始末。
ポールは一本でいい。

食べ物:

コンビニが多い街中では、食べ物をたくさん持ち歩く必要はない。
とはいえ、ハンガーノックは時に出現しうる。
塩味系と甘み系の補給は最低限持っていけばいい。
トレラン用のジェルもマグネシウム補給(こむらがえりにいい)に持っておこう。
あと、キレートレモンのむくみは、長時間歩行の時の手のむくみにかなり効く感じである。
コンビニで入手できる行動食としては、グミがいい。
まあコンビニには炭水化物は豊富に売っている。

筋力とマインド:

百里の道は九十九里を半ばとすべし」という言葉がある。
これは極端だが、全行程を100kmとすると、75kmを半分、くらいに思っておいた方がいいかもしれない。
後半は前半にくらべてやはりきついと感じた。

もしかしたら、経験を積めばだんだん、疲労の点での中間地点がだんだん補正されるのかもしれない。
最初は75kmが半分、くらいの疲労感が、60km地点を半分と感じるようになる。
 実測と同じく50kmを半分と感じて淡々と歩けるようになったら上級者なのかもしれない。

練習の必要性:

前述の靴のフィット具合をみるためにまずは30km程度歩いてみることをお勧めする。
30km歩けたら100km歩ける、と廃ウォーク勢にアドバイスいただいた。
確かにそうかもしれないから、30kmくらいは事前に歩くことをすすめる。
もちろん40-50km歩いてもいいし、ファストウォークで10km歩くとか、練習はするにこしたことはない。

眠気。

ゾンビ問題である。
どうしても夜半から明け方に眠気は訪れうる。
カフェイン飲料やカフェインタブレットなども推奨されるが、ダメな時はだめだ。
ゾンビのように速度を落として朦朧と歩き続けるか、それとも路傍で仮眠をとるかは個人のスタイルだと思う。
どっちにしろ「身体に悪い」と思える瞬間。
 いずれにしろ眠気をどういなすかも、この競技の独自のポイントだとは思う。

ペース

11月の完歩の時は基本的には巡航速度5kmと漠然と見積もり、多くの区間では時速5km弱を維持できたが、
結果的には25時間22分。平均時速としてはならして4km程度。

休憩の時間や、疲れや眠気で速度が落ちる区間はかならずある。
ので時速4kmで休みなし、という雑なシミュレーションだと結構厳しいと思う。練習をするなら時速4.5km、5km、可能であれば6kmで歩いて巡航速度を慣らすのがよいかもしれない。

意義

結局のところ、ウルトラウォークはどうなんだろう。
身体にいいか悪いかでいうと、多分ちょっと悪い。
夜を徹して歩くというのは正気の沙汰ではない。それにこれだけの長時間運動を続けていると、筋肉の自己消化が始まるらしく、筋肉量も減ってしまうそうだ*4
また、多くの人が痛みを和らげるために解熱鎮痛剤を使うらしい。それもだいぶ身体に悪い気がする。*5

一方、ゴールした時の達成感、脳内麻薬、自己肯定感などは、多分他にはかえがたいもの。
なかなか普通の生活では味わえない体験ではある。興味があれば、軽い気持ちで応募してみるといかがでしょうか。

ウォーキングのイベントは案外多い。
まずは地元のイベントや、普段何でもなく車で移動する道を歩いてみるのはいかがでしょうか。

*1:もし完璧に合えば、それは文字通りシンデレラフィットと言うべきだろう

*2:実際に使用者は多かった

*3:今回は棄権のタイミングを逃した

*4:ただ、遅筋は鍛えられるようで、体幹のねばりみたいなものはおそらくロングウォークで磨かれる可能性がある

*5:筋障害などの腎機能障害に加えてNSAIDsは、内科的にはかなりいけない感じがする

100kmウォーキング。

11/23-24は第三回京都ウルトラウォーク103kmに参加していました。

ウルトラウォークは、異常なイベントです。
健脚の昔の人も、基本的には一日に40kmくらいで宿に泊まるわけです。そして翌朝また歩く。ロングトレイルとかもそうです。
しかしウルトラウォーキングは一気に歩くスタイルなんです。制限時間24時間とか28時間とかで。いやー、すごいですね…
でも恐ろしいことにまあまあ流行ってるんですよ。

今回私は二回目の参加。
9/14-15はしまなみ海道ウルトラウォーキングに参加したんですが酷暑や股ずれや靴擦れもろもろで75km地点で無念リタイヤ。
今回はリベンジマッチの気持ちで参加したわけです。
一応103kmの旅程を紹介してみます。
まず、コースはこれ。

ウルトラウォーキングのコース

すごいよね。でもこれ前回よりも10km弱縮めたらしいよ。

スタートから第一エイドまで。

スタート地点にて。

長岡京細川氏明智光秀ゆかりの勝龍寺城集合。
とりあえず私は初心者なので、参加者がみんなすごい人に見えます。受付をして開会式を待つ。

スタート。
最初はダマというかダンゴというか、集団の中をゆっくり進む。長岡天満宮前を右折し北上。
前後に参加者がたくさんいる状態で、なんとなくグループ参加の人たちのおしゃべりを聞きながら歩く。
少し上りになり竹の小径をぬける。京都らしいいい雰囲気。
そこを抜け東進すると再開発されたイオンモール併設の桂川駅。そこから少しいくと第一エイド。
ここまではまだまだ元気。

第二エイドまで:

第一エイドではおにぎり二個。まだまだ混雑している。コンビニのトイレも行列していたので、出発して、そこから少し離れたスーパーのトイレを使用させてもらった。

そのあとは淡々と桂川街道を独り北上する。
ここらへんはあまり記憶にない。podcastのコテンラジオをお供に黙々と。
桂川の南岸に至ると、京奈和自転車道
ひろびろとした河川敷を車の心配なく歩けるのはありがたい。河川敷を遡上し、嵐山に到着。
渡月橋は行列。すごい混雑。
一年を通して最も人出が多い季節。

店もたくさんある。けど、なんとなく心理的な余裕がなく、スルー、スルー。
うろうろする余裕はまだ僕にはない。
橋を渡って今度は北岸をしばし歩く。少し登りになり、亀山頂上展望台。

展望台

疲れに登りはしんどい…と思いつつ、雨が降りだした。
徐々に雨足が強くなり、Gore-Texのレインウェアを着込む。
折り返し地点の愛宕念仏寺まではとにかく人が多く、まごまごしながらもなんとなく到着。
この辺りは携帯の接続なのか、google mapが反応せず難儀した。
そこからはひたすら東進。広沢池をこえると、第二エイドのコンビニ。この時点で16時。

第三エイドまで:

第二エイドは手で食べられる串なしみたらし団子。雨が降っていて休むところがない…テントの隅っこを使う。
エイドを過ぎて雨がさらに強くなる。
この辺から本格的に集団がばらけ始める。雨は止みそうもない。
仁和寺二王門、龍安寺立命館金閣寺北山通り。
鞍馬街道を北上する。もう日もとっぷり暮れて寒い。

ここから鞍馬までは四〜五人の集団に加わる。
レインポンチョを着た慣れた様子の女性が、ロスの少なそうな歩行で淡々と時速5km弱で巡航しており、
その方についていく格好となった。
無言で数人が同じ速度で歩く。自然発生した隊列で淡々と歩く。暗黙の了解で時々引っ張る人が交代する。
山間部の暗い自動車道。市原からさらに道の斜度が上がる。しかし雨はやまない。

第三エイドに着くと19:30。雨はやまない。カップラーメンをすする。塩味と暖かさがありがたい。

第四エイドまで:

第三エイドで確認するとソックスはやや濡れている状況。
だが、鞍馬の薬王峠。不整地の坂で、おまけに雨。どれだけ濡れるかわからないので、靴下を替えるのはその後にする。
とはいえ僕は山には慣れているので、まずまず楽しい息抜きだった。
単独でナイトハイクには躊躇う程度の道だが、何人も通り過ぎるので、なんとなくライトで道が示せるので迷いにくい。
先ほどの集団とは離れてしまい、単独行に。

むしろそのあとの舗装路で雨の方が身体に沁みてつらかった。
静原から市原、二軒茶屋、宝が池から白川通りを南下する。
指定コンビニにて一息つくと流石に雨は小雨になった。
ここら辺は一人で淡々と歩くことになった。
そしてアップルウォッチのバッテリーがついに切れてしまう。
アダプターでこまめに充電するが、あまり回復しない。

雨の道はつらい

ウルトラウオーキングは、マラソンのような駆け引きやデッドヒートは乏しい。
ぼくより早いペースの人はアクシデントがない限り落ちてくることもない。逆に遅い人が盛り返すこともない。
したがってビッグバンの膨張宇宙論のように、お互いの距離はどんどん離れてしまう。

指定コンビニから西進。京大、同志社の前を抜けて、京都御苑にいたる。
真夜中の御苑。だだっ広い都大路には誰もいない。それにしても先が遠い…
蛤御門を抜けてちょっと北に進み、西進し一条戻り橋。今度は南下して二条城の前を通る。
ここから御池通りを東進。二条通から平安神宮岡崎公園の前を通り、第四エイド。午前2時の丑三つどきである。

第五エイドまで:

第四エイドではお茶漬け。暖かい食べ物は冷えた身体にはありがたい。
雨足が弱まったせいか、足の濡れはマシになっていた。
今回は靴のあたりも少なく、靴擦れも水脹れによる痛みもない。
 しばらくはこの靴下でこのままいっちゃおうと思う。

永観堂南禅寺の近くは表示が少なく戸惑った。同道していた人の導きで迷わずすんだ。
真夜中の寺社地区をうろうろする属性もバラバラな一行。GANTZみたいだと思う。

華頂道を通り、八坂神社の前を通り過ぎ、ひたすらに東大路通りを南下する。
丑三つ時。勝林寺、東福寺あたりで便意が襲ってくるが、しばらくコンビニのないゾーン。
脂汗を流しつつセブンイレブンまで辿り着くもその店はトイレは夜間不能
幸いも500m先のセブンイレブンはトイレあいており危機一髪であった。
セブンイレブン伏見稲荷木橋店さん、本当にありがとう。

この辺のくだりはうんこのおかげで流石に眠気ゼロ。
しかし伏見稲荷を抜け墨染駅から東進するダラダラ坂の墨染通りで眠気が襲ってくる。
あちこちの路傍で座ったまま仮眠をとるウォーカー達。
眠気は足取りを重くする。ゾンビタイムである。
坂を登り切り伏見桃山城の構内で、犬を散歩していたおじさんに話しかけられて目が覚めた。
「なんかやってるの?」「どこまでいくの?」「ひぇー大変だねえ…」
「僕の後も疲れ切ってゾンビみたいな人が次々きますよ(笑)」目が覚めた。会話って大事。
この辺で夜が開け始める。
3-4回参加しているウルトラに魅せられし単独行のおじさんと同道しさせてもらう。
色々話しながら、伏見桃山の街中、酒どころ、三十石船乗り場、商店街を抜け、京都外環状線をひたすら東へ。
天気は良くなったが、ここから第五エイドまでがひたすら遠く感じた。
気ばかり焦って前に進んでいる気がしない。もうすぐエイド?醍醐寺
高速を潜って?その先?新幹線?と地図を見ながらまだかまだかと焦れて消耗してしまった。
もちろんこれはいい加減疲れている自分の心の弱さからで、淡々と歩いていればこんな気持ちにもならないはずなのに。
第五エイドにようやく着いて心底ホッとする。

ゴールまで:

第五エイドではあんぱんとコーンスープ。この時点で9時半。
ここからはあと少し。山道を越え大津に至る9km。
古道の峠というからどんな道かと思ったが、単に斜度の多い普通の道だった。100mほど登るが、こういう道は慣れている。
小関越えから三井寺の近くを通り琵琶湖疏水の横を通り過ぎて琵琶湖畔をすすみ、大津なぎさ公園のゴールへ。
最後あろうことかまた雨が降ってきた。
とことん雨に祟られた大会だったが、無事に完歩できてよかったと思う。
ゴールは11時半。25時間22分でした。

おじさんと喜びを分かち合うが、最後らへんで判明したのは、おじさんはほぼ同い年でした。
だいぶ人生の先輩だと思ってた。

完歩の写真。ほぼ無表情。

半世紀。

2024年, 向島

自民党総裁選、苦節5回目の石破茂氏が決選投票で総裁に選出された。
前回のエントリではまとまりのない私観を書いたが、今回の自民党総裁戦については、我々には見えないさまざまなベクトルが渦巻いた複雑系であるように思われた。結果は完全に僕の予想外。書いたことも芯を食ってないなと思う。
恥ずかしいぜ。

石破内閣をどう受け止めるのかは難しいところ。
石破氏はポピュリズム政治家とも言えないし*1、かといって主義主張が明確でもない。打ち出しているメッセージが明快なわけでもない。
支持を失いつつある自民党の大いなる焦りが消去法で彼を選択した印象がある。

いずれにしろ、自民党が安倍さん没後、裏金問題で、安倍政治の継承を断たれメッセージとして弱化した中で、今まで政権の継続性をリセットする感、つまりが自民党支持基盤の脆弱さゆえに選出された割には、解散前に組閣したメンバーは、「お仲間感」の強い選出のように思われ、それは強い権力基盤を持ちえない中で矛盾してはしないか、とモヤモヤはする。
そして解散。どうなりますかね。

誕生日御礼

9/28日に誕生日をむかえ50歳になった。
50歳…クラクラしますね。
四捨五入したら100ですやんか。

ここ最近の自分のキーワードは「パッとしない」。

ウォーキング:

去年特筆すべきは、山歩き、ウォーキングだろう。
ふとしたきっかけで登山に触れ色々試行錯誤の結果、やたらめったら歩くマンと化している。
1日平均歩数は15000-16000歩くらい。だいたい月300kmを超える程度である。

ただ、何度か登山をしてはみたが、どうやら、私はクライミングに躊躇するタイプ。
多分プチ高所恐怖症だと思う。
なので低山のハイキングが楽しく*2低山縦走が面白さを見出している。
そしてロングウォークが楽しいことに気づいた。
 色々自分でプロジェクトを作っている。

  • 中国自然歩道というトレイルを歩く。広島県岡山県は半分くらいはクリアした。
  • 一駅ジョギング。仕事が終わって電車で1駅から3駅分くらいをジョギング。ある程度の遠くになると夜ちょろっととはいかず昼間にがっつりウォーキング&ジョギングになっている。今のところ、西は岩国駅、東は姫路駅まで。
  • 西国街道ウォーキング。旧山陽道西国街道の旧道を歩く、上述の駅ジョグとも一部重複している。今のところ京都〜下関までの全行程の2割程度。

そんなウォーキング熱の中、9月にはしまなみ海道ウルトラウォーキング102kmに参加した。残念ながら75km地点でリタイヤしましたが*3楽しかったので、11月には京都ウルトラウォーキングに参加してみようかなと思っている。

GPS歩行記録はYAMAPで管理しています。
歩いた軌跡はこんな感じ。

2024年9月時点での軌跡

ただ耐久力とかそういうのを含めると自分の人生の中でもっとも身体はキレている。
生きてきた中で最もたくさん水を飲み、最も汗をかいた一年だった。
そして最も公共交通機関(バス・ローカル線)に乗った一年だった。

音楽:

(自分はジャズトロンボーンと、ちょろっとピアノ演奏を趣味としているのだが)この一年は淡々としている気がする。
定期的なバンドはすこし。
あとはポロポロとふってわいた話を受けたりセッションに参加したりが中心だった。
とても積極的に活動しているとは言えない。
これは、自分の興味の主が「歩くこと」になったから仕方ない。
ただ、淡々と練習は続けていて、トロンボーンも、ピアノも自由に弾ける程度が拡大した。
トロンボニストとしては、楽器の吹奏能力自体は年々劣化しているが「自分の頭の中で鳴っている音」をクリアにアウトプットすることを目的にアクを掬っているような感じ。
ただ一段階上のプレイヤーになるには、アクを掬うだけではだめで雑味が増えるのを厭わず「旨味」を増やす必要がありそう。
最近はコンテンポラリーの音源を聴くことが増えてきたので、そういうフレージングに取り組んでみようと思う。

仕事:

医療法人の理事長を継承して、気がつくと8年も経ってしまった。
医師会とかの仕事やその他の団体の仕事もちょろちょろと続けている。
が、自分的な評価では、ぱっとしないなあ、と思う。

自院について言えば医師の平均年齢は下がった。が、そのため自分自身の臨床への関与が少し減りました。
院内の全部門について、知悉しているとは言えない状況になっているし、自分自身が斬り込んでいくことが少し減った。
一昨年〜昨年のバーンアウトからまだ完調とはいえないと思う。
流れる日々をぼんやりと追いかけていることが多い日々です。
これではいかんよなあ……と思う。

あとコロナ禍の中でぼんやり過ごしていると、学会の専門医単位とかヤバくなってたので、学会単位取得でバタバタしました。
そんな中で、医師としての自分、知識のアップデートを怠ってるかも!と思いました。
コンスタントに勉強する仕組みをビルトインしたいと思う。

まとめ:

50歳のリアルとして、あまりパッとしないなと自分でも思う。
二人の子供も高校生。
「家族」というくくりでみると、もはや私は主人公ではなく、インフラ設定係に過ぎない。
そりゃパッとしないわな。

これがミッドライフクライシスを超えた茫漠の人生行路なのかしらん。
ぼんやりとそこら辺をウロウロして、それで楽しい自分。
変な奴だよな。

少し気になるのは、独りの行動が有意に増えたこと。
赤レンジャー感が、ますます無くなった。
経営者って、多くの人と交流して関わってなんぼじゃないかと思うのだけれども、
向いてないわ…と思うし、行動面でもそれを隠さなくなってしまった。

ただ、老年期って孤独がデフォだって言うし、まあそんなものかもしれない。
なんか初老らしくブツブツ一人で言うてますわ。

*1:ポピュリズム政治家としてはルックスの点で大衆受けが悪すぎる。まあ、口さがなくいえばシルバー民主主義・農村尊重主義ポピュリズムかもしれない

*2:ただし夏は虫や蜘蛛の巣がひどいので夏は高山へも行った

*3:リタイヤの理由は靴擦れと股ずれ

個人の時代。派閥解消は本当に手放しにいいことなのか?

2024, 広島県愛媛県のあいだ

久しぶりの更新。この前久しぶりに屋外用のサングラス作った時に検眼したら、視力がめっちゃ落ちていて愕然としました。

自民党総裁

広島県出身の岸田総理は次の総裁には不出馬ということで、自民党総裁戦が激戦・混戦であるようだ。
それにしても候補が九人ということ。
これは、いいことなんだろうか、悪いことなんだろうか。

そもそも、派閥の解消は昭和から令和に向けての「進化」と考えるべき?

今の時代の僕らは、正直、昭和の「派閥」的な政治形態が苦手だ。
集合し、オルグし、仲間内で合意を形成することに時間をかけることは、氷河期世代以降の我々はどうも苦手。
今どこの会社組織でも、そのような強固な組織のあり方というのは、やんわりと敬遠される。
僕も、そういう時代精神を受けてか、もともとの性質かはわからないが、集い・群れて、帰属意識を高める集団行動がとても苦手だ。
これは世代を問わず全国的な傾向で、そのためPTAとか町内会とかそういう全国の組織という組織は加入率不足で組織戦術が取れなくなっている。

現代は個人の独立性が称揚される時代であると言える。というか、僕たちの世代は「個人」にフォーカスをあてたやり方しかできない。

だから、今の時代に合わせると、派閥のあり方は早晩立ち行かなくなる。
派閥ではないありように、ほっとしている自分というのもいるのだけれども、本当に派閥の政治っていけないことなのか?

今の僕らのあり方って僕も「ラク」だとは思っているよ。でも楽なものはいい、っていうのが正しいわけではないだろう。
だからだめなんじゃないの?と思うこともある。

もう少しいうと、個人が表にでてくる業種や働き方には今の時代があっているとは思うけど、やはり重厚長大な産業とかがそうだけど、堅牢な組織構造の中で重厚な意思決定を行うスタイルには、過度な個人尊重主義がいいかはわからない。
今の世代の我々には明らかに向いていないし、それが日本の産業競争力を削いでいる可能性もあるかもしれない。

年功序列は確かに今や無意味なのかもしれない。
けど、有象無象のやりたい人がどんどん湧いてくる状況って、本当にいいことなんだろうか?
派閥による政治は、能力よりもその派閥に所属していた経歴が重要視されるから、どうしても年功序列的な要素は強くなる。団体の中で「兄貴」的な振る舞いができる人は有利だが、問題はその人が必ずしもリーダーシップを持っているとは限らないのが派閥政治の欠点かもしれない。
ただ、それでも、派閥という中で、最低限のセレクションはされているはず。
派閥がなかったら、派閥でフィルタリングされていた人物が候補者に名乗りを上げ、たまたま大衆訴求力を持っていたら選ばれちゃったりもする。
今回のような総裁戦のありかたは、組織人としての振る舞いができない人、スタンドプレーしがちな人、政治家としての実力よりもメディアでのコメントであるとかメディア上での虚像を作る人が、選ばれやすく有利かもしれない*1

スタンドプレーが上手い人、ポピュリズム的な政治家に任せて、政治はうまくいくんだろうか?

会社組織においてもそうだったりする。誰がみても上司・部下に信頼されている人間と、言うことはもっともだけど直接接している上司・部下からは信頼されていない人ってよくいる。
その区別は選挙という形では限りなかなか難しいよな、と思う。

自民党としては、今回の総裁戦ではあえて「透明性」を重視し、今の時代の我々のありように合わせて派閥の中での意思決定をやめた。
それは内閣の支持率が低く、国民のコンセンサスがなんとなく得られていない今の状況の中での最善手であるんだろうなとは理解できる。

選挙は、有権者が選ぶもの。
だから有権者にすりよる姿勢はまちがっていない。

おそらく問題は有権者である僕らのありようかもしれない。
ま、現代人として当たり前ではある僕らの心性。これって本当にいい状態なのかな、ということ。
共同体への帰属意識も低く、権利意識は高いが共同体に対する貢献も強制されない我々。
寄付なども諸外国に比べて低く、社会人になってからの研鑽・勉強も諸外国に比べて圧倒的に低い。
そのくせ他責思考。

政治がよくならないのは、本当に政治家のせいなんだろうか。
割れ鍋に綴じ蓋なんじゃなかろうか、と思う。

ま、総裁戦の場合は有権者自民党員に限られるから一般の選挙とは違う。
けど、自民党員を批判したいわけではなく、むしろ病根の本質は「浮動層」においてなお深い。

「政治」となると自動的に他責思考をとって恥じない有権者のありようが、政治を本質的に腐らせているのじゃないか。

ま、それを至極簡単にいうと、「宮沢賢治の『どんぐりとやまねこ』だね」ということになる。
いや、ならんか。

*1:同じことは立憲民主党にもいえた

「住み慣れた家で暮らす」在宅医療のイメージは……

2024, 岡山県

2024年、障害・医療・介護の診療報酬改定。
トリプル改定が目前に迫っている。
現在短冊が出揃ったがなかなか厳しい内容である。
……が「まあ妥当かな」とも思える。
正確にいうと「厳しい……けど、しゃあないな…国に金がないんだし」という感じだ。
特に国保社保ともに、保険者組合にお金がないんだな…と痛感する。
金はないが、需要は増える。
そりゃ厳しいわけだ。(医療者を)生かさず殺さずでやってくしかないでしょう。

うちは82床で一般37床、地ケア45床で運営しているのだけれど、これだとDPC対応の急性期一般が厳しくなった。今回月90件の入院がDPCの要件に加えられるけれど、これはうちの規模だとギリギリ。月間でいま当院は110件くらい入院を受け入れているが、地ケア直入、短期滞在のものも含まれているので、月90を捻出するのは難しい。
 幸い、急遽降ってわいたかのように新設された「地域包括医療病棟入院料」というのに移行するよな…という感じである。*1

在宅医療

地域医療構想でも療養病棟から在宅医療への転換が言われて、実際療養病棟のうまみをどんどん削っているおかげで、多くの地域では療養病床は減少に転じている。
だいたい厚生労働省(と財務省)の目論見通りだけど、減少は予定していた分には届かない。

まあ、地域では、供給が減ったおかげで、療養病棟はどこも満床で転院させにくい。
いきおい在宅に戻る人たちが増えている。
とはいえ「在宅」は結構イメージと違うことを実感する。

在宅

在宅医療、在宅往診。
「住み慣れた家で最期まで暮らす。」とかいいますけれど。

そういう世間の「在宅」イメージの例が、たとえば海老蔵さんの妻、小林奈央さん。
乳がんで闘病し、最期は緩和ケアうけつつ自宅で亡くなられた。34歳だった。
あの時は、日本中が涙したし気の毒だと思ったが、最期まで幼い子供と一緒に生活するメリットという意味で、在宅医療のよさのアピールだったなあと思う。

住み慣れて、長年暮らしてて勝手がわかっている自宅で暮らす。
確かに魅力的なこと。
これをサポートするために、在宅往診・訪問看護・ヘルパーサービス、訪問リハビリなどの各種サービスが存在し、そういうサービスを付帯させて自宅での生活を続ける。
それでも終日介護が必要な状態となり、自宅で暮らすことが難しくなると「仕方なく」介護施設にうつって生活をする。

これが、なんとなく介護の流れである。
(ちなみに介護施設も「病院」ではないので「在宅」である)

ただ、ここ10年20年の可処分所得の減少が、この定型の流れを変えている。

施設に入れない

はっきり言うと施設は高い。
介護サービスがついて、個室で。風呂介助とかもついて、食事もついて。
となると普通のアパートより高くなるのは当然だ。
安くても月に10万〜15万はかかる。
それで東横インレベル。もっといい暮らしとなるともっと高くなる。
もちろん非課税世帯や生活保護世帯には各種の減免措置はあるが、生活保護の医療費がほぼ無料…というふうには補填されない。

医療に関しては生活保護費は割と最強カードであるが、介護部門に関しては、けっこうしょっぱい。
年金も貯蓄も個人差がかなり大きい。
払える人は払えるけど、払えない人は払えない。

統計値によると、50代の単身世帯で金融資産保有額は平均値が1048万円、中央値が53万円らしいよ。
もし君が僕と同世代のアラフィフで、独身だとしよう。
自分の老後計画だってままならんじゃないの。
そんな中、ご両親が倒れました…なんて電話かかってきたって、施設のお金なんて出せないし。

金がなかったら介護施設に入れない、というケースはすごく増えている。
お金がないから、在宅で暮らしていても各種介護サービスも十分に使用できない。

最近は、積極的な理由で自宅で暮らす、ではなく施設にいく十分なお金がないから自宅、の人が増えた。
そうなると、
住み慣れた自宅>施設 ではなくて、
施設 >>自宅 という感じになる。

都市部の集合住宅の単身世帯の高齢者。
そういう経済状況だったら自宅も綺麗で整然としてはいない。
認知症になり、ゴミ屋敷みたいな耐震不適格の木造住宅で暮らす。
トイレに行けないから、部屋の一角を排泄スペースにしていて床が腐っていたり、みたいなこともしょっちゅうだ。

そういう消極的理由での「在宅」をサポートするのは、なかなかつらい。
シンプルにいって、金があったら状況は改善するけど.…
訪問看護や往診はなかなかきつい。

火の鳥「生命編」より

昔「火の鳥」生命編に、サイボーグ手術の成れの果てのおばあちゃんが出てきたの覚えているだろうか?クローン人間のハンティングの対象になった青居部長が逃げ込んだアパート。
最後はゴキブリが口に入って死んでしまったけれど、
僕が考える孤独な老人の在宅医療のイメージの原風景はあれだな。*2

いずれ「在宅往診」の大半が、ライフログモニタのついたベッドで過ごす要介護4〜5の単身高齢者を巡回し、生命反応がなくなれば機械的に看取りにゆく、形になっていくと思う。
多死社会、病院から在宅へ、ってそういうことだよ。
昭和20年代と違うのは、圧倒的に単身世帯が増えたことだ。

在宅訪問にはセンシングのモニターが一覧になっていて、
「あ、No. 102の方、亡くなったみたいだわ、汁が出ないうちに確認しにいこうか」
みたいに、淡々と在宅孤独死を処理してゆくようなディストピアが、おそらく僕らの頃は当たり前になる。

ちなみにこの調子で人口は減り続けるのだから、
僕が死ぬ頃には、たとえ金があっても、同じく最後は在宅で孤独に死ぬしかなくなるだろう。

まあ、マトリックスにでていた「コクーン」のような下の世話や入浴までもベッド上で自動洗浄できるような機械が出現していたらいいなと期待している。

*1:まだ細かい詰めがでていないけれど、中小規模のDPC病院の「逃げ道」として用意されたのは明白。今回はそこそこの点数にして誘導してくれると思いたい。まあこれはきっと「孔明の罠」で数年後には雪隠詰めになっているんだろう

*2:あれはジュネという小さい子が一緒に暮らしていただけまだマシだと思ったが

歩くようになってアウトプット欲が激減してしまった

2024, 岡山

近況でもふれている通り、最近の私は「なんか歩く人」になっている。
プライベートな時間のほとんどを、低山を歩いたり、舗装道路を歩いたり走ったりしています。

これ漠然と「体力づくり」という言葉でひとくくりにしていますが、高齢医療を行なっていると移動能力の有無が長寿の決め手やな、ということを痛感するわけです。
歩けるか、普段から歩く習慣があるかどうかが、60代以降の健康維持に予想以上に大きな影響があることを実感します。
まずは自らが歩く能力を強化してみようというのが発端でした。

昨年の夏ごろから歩く量を激増させ1日の平均歩数は10000歩を超えました。
また土日にまとめて歩くのも増えてきました。1日に20km〜40km弱歩けるようになりました。

最近も近在の低山のハイキングコースや国道県道を歩きまくってます。
YAMAPでみられる過去の軌跡の軌跡を意図的に拡大する個人的な遊びをしています。居住地のエリアの昔は車でいっていたところはだいたい軌跡で繋がってる状態になりつつあります。

2024現在の歩いた軌跡

こんな感じ。
JRの山陽本線沿いのジョギングとかもしていて、現在 三原は本郷から岡山市庭瀬駅まで。
これをすすめて広島県岡山県は横断したいと思う。
また中国自然歩道の踏破にも取り組んでいます。
www.yamatomichi.com
 この記事は九州自然歩道のハイク記事ですが、こういうのが中国地方にもあるわけです。

こういう独りジョグ&ハイクをしていて、そのために生活がかなりかわった。

メリット

メリットは大きいと思う。

痩せる

さすがに1日平均15000歩は月間でいうと300km近く歩く計算になる*1
さらに週末は3万歩とか4万歩とか歩いていると、さすがに痩せだした。
歩きを強化しはじめて現在6-7kgくらい痩せた。
一切食事制限などしていないのにだ。
明らかに足とかの筋肉量も増えており、自分史上一番身体はキレているはずだ。*2

衣食住のレベルが下がっても満足度が落ちない

炎天下の中観光地でもない僻地を何時間も歩く。
蜘蛛の巣だらけの低山の藪の中を歩くことは基本的に不快だ。
疲労感もはげしい。

だからこそヘトヘト・ヘロヘロになって飲む水は、今までに飲んだどんな飲み物よりもうまい。
疲労困憊で食べると、なんでもうまい。
歩き終わって駅のベンチで休む。ただの木の固いベンチも、天国のように感じられる。
家に帰って寝ると、どんなに不眠でも泥のように眠ることができる。眠剤など全く不要。

もともと私はグルメでもないし食べ物の好みもうるさくないのだが、こういう生活で、衣食住へのこだわりがさらに無くなった。
何を食べ・着・どこにいても、以前より快適に思えるようになった。
これは本当にすばらしいこと。
「満足のゆく人生とは」とか「収入に見合ったすばらしい生活とは何か」みたいなのが馬鹿らしくなる。
沢山歩いて疲労のあげくにガブガブ飲む水が、世界で一番うまいのだ。
すげえ生きている感じがする。
自己肯定感が爆上がりするので、色々迷っている諸兄は、とりあえずへとへとになるまで歩いてみたらどうだ
*3

生活習慣病が改善

いわゆるオーバーカロリーによる脂肪肝や、妙に高かった脂質や尿酸などは、ハードなウォーキングで完全に正常値になった。
血圧は薬をのんでいるが、安定している。

ただし、変化は変化だ。デメリットもいくらかあるように思う。

デメリット

アラフィフ男性のファッション問題

上述の通り痩せたんですよ。シュッとした。
となるとオシャレしたくなるじゃないですか。
…とおもって、従前から読んでた物欲系雑誌とか、MBチャンネルとか、イケオジコーデとかそういうサイトとか動画とかも見るけども、今は完全に興味がアウトドアに特化しちゃってるんですよね。
化繊ばっかりで、オーセンティックな服に興味が湧かない。

もちろんアウトドアなりに小綺麗にはしたくていわゆる「モンベルおじさん」はアレなのでArc'teryxにかなり肩入れしてみました。統一感あってオシャレかもしれんけど服そのものは、まあいうたら体育教師のジャージです。
……これ、オシャレなん?
少なくとも雑誌とかのおすすめの着こなしとはかけ離れつつあるわけ。

隠者気質に磨きがかかりそう

結局登山にしろジョギングにしろ、行動には個人のありようが反映される。
結局自分は単独行動が好きだなあ……と痛感。
「みんなで」ジョギングとか登山という方向性にはなかなか食指がうごかない。
平日の夜も土日も「どこに行こう……」と考えていて(当然単独行動)会食とか、趣味(ジャズ演奏)の集まりに顔を出すのをどんどん減らしている昨今。
時間は有限ですからね。
アウトドアだけど、人間関係的にはほぼ引きこもりです。

経営者は人と関わりをもってなんぼだと思うんです。
が、どうも、自分のこの性質、個人としての心身の健康にはいいけど経営者としては不健全なんじゃないか?この趣味を5年10年続けると中長期的にはどう影響するか気にかかる。

アウトプットしなくなった

最大の問題がこれ。
30kmとか歩いて、帰宅する。飯食うて風呂入ってぐうぐうねる。
爽快なんです。
そうすると、本よんでその感想とか書いたりとか、アウトプットの気概が、びっくりするほどなくなった。
本はそこそこ読んでますがアウトプットが億劫になった。
「ま、どうでもいいか」

歩いている時って、いろいろ考えるんですけどね。
歩き終わってシャワーざーっと浴び、排水溝に流れる水と一緒に自分の中の屈託もざざーっと流れていってしまう。
「まあいいか敢えて主張しなくても」みたいになっちゃう。
これ、きっとある種のマインドフルネスなんでしょう。
自分のあり方がこんな行動変容でここまで変わるのか、と感慨深くもあるんですけど。

* * *

考えてみると、自分は小学校の時に、大休憩になれば校庭に飛び出してゆく少年を横目に、
本を読んでいるタイプだった。
運動は苦手で、本が好きだったんですが、ではそういう泥んこ小学生の友情は、羨ましかった。
休憩時間に独りで本を読むというのは、孤独と向き合うことでもあった。
今になって、そういうインドアの自分から、外遊びの少年の側にスイッチしているわけです。

(でも生来の孤独感は消えないですけどね)

校庭で力一杯遊んでいるようなやつは、ちゃあちゃあ言わない。
そういうキャラ変の、当然の帰結なのかしら。

では、このグダグダ言ってる僕の25年くらいは、いったいなんだったんだろう?

*1:一歩70cm x 15000 x 30=315km

*2:ただし上半身はほとんど何のワークアウトもしていないので、ベストボディ的な観点からはややアンバランスかもしれない

*3:そもそも歩き出すきっかけには仕事上の悩みとかもあり、「精神的苦痛に比べれば肉体的苦痛だなんて…」と唱えながら歩いていたら、とんでもない距離をあるくようになって、「どんだけ精神的苦痛あんねん笑」なのがきっかけだったのだ

能登半島の再建は可能か

2024年、裏山

今年もよろしくお願いします。

よりによってお正月に、能登半島で大きな地震が起きた。
地震で被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

建物の多くが倒壊し津波などの被害のある土地に、しんしんと雪がふりつもるさまを見ると、被災なさった方々が本当にお気の毒。
もともと北陸はとても寒いところ。
建物が壊れ、停電したようなところで過ごさなければいけないなんで、どんなにしんどいことだろう。
TVで被災地の様子が映されると、本当にああ気の毒だと思う。

夜、酔っ払って道で寝ると死んでしまうような土地の災害はに、とてもつらい。
72時間ルールっていうけど、あんな厳しい気候の中で一晩生存することだって奇跡的だと思う。

なんてつらいことだろうか、と思う。

超高齢社会

さらにいうと、能登半島はとんでもなく高齢社会のようだ。
地震前の統計では能登北部の高齢化率は46.6%。
日本の田舎はどこでもそうだけど、能登はさらに交通の便も悪いし、僻地中の僻地とも言える。
限界集落だらけのようだ。

もと新潟県知事の米山さんがX(旧twitter)にこういうコメントをしてなんか各方面からぶっ叩かれていたが、まあ地方自治体の首長経験者として頭を悩ませた経験がいわしめているのだろう。

これに対して、どうすべきか、は僕はノーコメント。
米山氏の言い分もよくわかるし、被災して絶望を感じている人の「お気持ち」もよくわかる*1

ただ、普段高齢者に仕事で接している自分の感想を言うと、
「仮にめちゃくちゃお金をかけて復興させても、元のコミュニティは戻らんだろうな」と思う。
また「集団移住したら、あっというまに自立していた人たちも要介護者の集団になってしまうだろうな」とも思う。

高齢者は変化への耐性が低い

限界集落でそれぞれに役割をもって生活している高齢の人たち。
その自分の生活のルーチンが確立できているからこそ、その生活がきる。
田舎の、インフラも整わない生活ではあるが、何十年も慣れ親しんでいるからこそ自活できるのだ。

もし被害を受けた家を同じように再建したところで、全く同じ設備にはできない。

たとえば、カチカチカチとハンドルを回して点火する、昔懐かしのガス湯沸かしの風呂とかの家も、中にはあったはずだ。
家も、木造の古民家のような家が多い。重い瓦葺き。密閉性の低い建屋。
古くからの石油ストーブを使っている家もあるだろう。

今の観点でみると、明らかに不便なのだ。
でもそれに慣れた人にとっては、それがデフォルトであるし、なんなら目をつぶっても操作できる。

でも再建するなら、普通の建売住宅に、オール電化で全く新しい、スイッチ一つでスイスイ動く家電、と、なるだろう。
だって、そんな昭和の家電、数を揃えることなんてできない。
昔ながらの家の作り方だと、とんでもなく金がかかるから。
仮に他人からみて「同じような感じ」にできても、当人にとっては全く同じものでないと結局使いこなせない。

高齢の方の多くは新しい家電を使いこなせないし、使うことにストレスも感じる。
適応できない人はかならずいる。

家の間取りがかわったり、家電が更新されると、80歳を超えたりすると、適応できない事例はよくある。

バリアだらけ、隙間風だらけの家でも、住み慣れていると暮らせる。
バリアフリーオール電化の家を供給されても、使いこなせない。
で、そういう不適応の状態に置かれると、あっという間に認知症がすすんでゆくのである。

だから集団移住もなかなか難しい。
今まで自立できていた人も、新しい環境で同じように自立できる人は、高齢者ではかなり少ない。
でも、コミュニティを保って同じ場所で新しい家を建てても、超高齢の方から脱落してゆく。

全く同じ材質、什器、家電を再建したらいいかもしれないが、それは現実的に不可能だ。
なら、同じ土地に新しい建物をたてようが、七尾や金沢の集合住宅に移住させようが、自立できていた80代の40%くらいが、一年後には要介護2以上に落ちてしまう可能性が高いと思う。

人は、その場所・生活パターンも含めて「人」なのである。
新しい容れ物でゼロからやり直すには、ある程度の適応力が必要になってくる。
それが若さってものだ。
かなりの高齢者になってくると、そういうレジリエンスが失われる。

南海トラフ地震

残念ながら日本は災害の多い土地柄。
今後も南海トラフ地震も高い確率で起こるし、活火山の噴火もありうる。
今後も壊滅の危機に陥る限界集落はコンスタントに出現するはずだ。

その集落の再建を、どのような形で目指すか。
おそらく高齢化率・後期高齢化率、平均年齢などがある閾値を超えると、上述したように、どんなにコストをかけても
再建は難しいんじゃないかと思う。その見極めができないか。

例えば、医療の世界とかだと、FIM(運動能力の評価)とか認知症のスコアとかで評価して、
リカバーできる事前確率を推定するわけである。
災害後の立ち直りについても、集落ごとにデータを集積し、統計をとって、今後に役立てるべきなんだと思う。

できれば、ある程度 統計値から推定した事前確率から、再建できる町とそうでない町を峻別できればいいのだが。
あれ?………米山氏の主張に近くなってしまうんだな。

これって、残酷に思えるかもしれない。
けれども、フレイルが進み、どんなに努力してもADL向上が望めない高齢者に「頑張ってもとどおり歩けるようになりましょうね!」といって期待をもたせてリハビリを強要する方が残酷だったりするのだよ。

限界集落も同じで「…もうゆっくり休みなさい……安らかに…」という処方箋が正しい事例は必ずあると思う。

*1:「理」の話と「情」の話なんだとは思うのよ