半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

物語をしまう能力

2026, 広島県

最近、漫画をよく買う。
……いや、昔に比べて最近、漫画の発行点数って多すぎません?

そして、売れたジャンルはとことんこすられる。
見渡してみると、異世界転生とか、異世界チートとか、死に戻り公爵夫人とか、悪役令嬢とか、引退したおっさん冒険者なんとか……。
 もうなんか色々な設定が順列組み合わせで、数限りない漫画が延々と生産されている。

一応弁護しておきた。
こうした作品群、どれも、平均すると昔の漫画よりも絵柄もコマ割りも読みやすく、よくできているとは思う。
だから当世の漫画家さんたちは、昔より総じてレベルが高い。

しかし、その結果(、かなんなのか)どの作品もやたら長い。
10巻、20巻、30巻……*1。
さっさと打ち切られるものもある(「〇〇先生の次回作にご期待ください!」)が、結果として面白いものは得てして長く、面白くないものは短めであることが多い。

でも、本来はそうじゃない。
作品の面白さと、作品の長短は、本来は独立した因子のはずだ。

作品の面白さと作品の長短

本来は、面白い短編もあれば、つまらない長編もあるはず。
短いからこそ面白い作品もあるし、長い時間をかけなければ描けない物語もある。

今の状況を生み出したのは出版業の淘汰圧のためだ。
売れない作品は終わらせる。
売れる作品は終わらせない。
売れる作品を終わらせることに対しては強烈なディスインセンティブが働く。

ドラゴンボールと鬼滅の刃

『ドラゴンボール』がいい例だ。
亀仙人が「もうちっとだけ続くんじゃ」と言ったのは、ピッコロ大魔王(の生まれ変わりマジュニア)を倒したあたり(17巻)だったと思う。
それから実際には、サイヤ人が来て、フリーザが来て、人造人間セルが来て、魔人ブウが来て、42巻まで続いた。

あれほど売れるタイトルは簡単には終わらせられなかった。
作者個人の一存では終わらせられない巨大なビジネスになっていたのだろう。
結果としてドラゴンボールは鳥山明という天才がバーンアウトするまで続くことになった。

それを思うと『鬼滅の刃』ってすごいと思う。
『ドラゴンボール』級のヒットであり同様の力学が働いたはずだ。
それなのに、淡々とストーリーを進めて、大きくブレさせることなく完結し、世界観を広げる余地を残さず、物語世界を閉じた。
並の胆力ではないと思う。

それは、あの世界を作者がいかに愛していたかの証だろう、と思う。
……けど、無理矢理引き伸ばされた作品の作者だって、並々ならぬ愛情を持ってるはずだ。
愛情の多寡というよりは、令和は良くも悪くもクリエイターの意向が尊重される時代だからかもしれない。

世界を作る才能と、物語をしまう才能

最近の漫画に、まず重要なのは「面白い設定」「世界観と登場人物」を作ることのように思える。

登場人物を動かす世界=空間をまず作る。
あとはキャラクターを増やし、敵を増やし、イベントを増やしていけばいい。
作品世界が十分魅力的なら、物語は勝手に花開いてゆくのだ。

巻数は増え、シリーズは続き、スピンオフという形で、一度作った世界観を何度でも商品化できる。
これはこれで、すばらしい才能だと思う。

ただ現代は「世界を作る能力」に経済的なインセンティブが集中しすぎてやしないだろうか、と思う。

一方、ストーリーを作り、それを適切な終局へと導き、きちんと結末をつける能力は、あまり評価されてない気がする。
本来ストーリー(プロット)はディテールを削ぎ落とした状態で作られうるものだが、現代はまず世界ありきであるように思う。

そして、適切な長さでストーリーを終わらせる能力、に関しては、経済的なインセンティブが働かない。

物語に結末をつけるのは、ひとつの独立した技術

伏線を回収すればいいというだけでもない。
どこまで説明し、どこを語らずに残すか。
登場人物をどこまで成長させ、どの瞬間に読者と別れさせるか。まだ続けられる物語を終わりにする決断。
これは、世界観を作る才能とはまた別の才能だと思う。

終わらない物語に慣れてしまった私たち

問題は、読者の側にもある。
面白い作品が終わると、我々は寂しくなる。
もっと読みたい。
あのキャラクターのその後を知りたい。
別のエピソードも描いてほしい。
そして、出版社がそれに応えてくれる。

ところが、そういう作品ばかりを消費していると、起承転結に無駄がなく、すっきりと完結した作品に対して、逆に物足りなさを感じるようになるのかも。

僕自身、そういうところがある。
「もう終わってしまうのか!」と。

本来、物語というものには終わりがあるもの。
終わりがあるからこそ、登場人物の行動には意味が生まれる。
取り返しのつかない出来事があり、二度と戻れない時間がある。不可逆に変化、というわけだ。

しかし、商業的には、取り返しのつかない出来事よりも、いつでも元に戻せる世界の方が都合がいい。

主人公が成長しきるよりも、次々と新しい敵が現れる方がいい。
世界の謎が解明されるよりも、さらに大きな謎が出現する方がいい。
いわば、物語が「結末へ向かうもの」から「継続すること自体が目的のもの」に変わってゆく。

結末を失った物語の行方

これは漫画だけの話ではない。
映画の続編、ドラマのシリーズ化、ゲームの追加コンテンツ。
成功したコンテンツは、できるだけ終わらせずに利用し続ける方が経済合理性にかなっている。

今後、生成AIによって物語の生産コストが下がれば、この傾向はさらに強まるかもしれない。
人気のある世界観とキャラクターさえあれば、新しいエピソードはいくらでも作れる。

そうなると、最後に残る希少な才能は何だろう。
それこそが「物語を終わらせる能力」ではないか。

ただし、その能力に対して、現代ではお金を払う仕組みがない。
売れる作品を終わらせることは、売上を自ら止めることを意味するから。

物語を見事に完結させたことに対する報酬は、続編を作り続けた場合の利益をなかなか上回らない。
だから終わらせる技術は磨かれにくくなる。

作り手も、受け手も、終わらない物語に慣れてゆく。

しかし人生には必ず終わりがある。
だからこそ、そもそも人間は物語に結末を求めてきたのではなかったか。

物語を始める才能と、物語を終わらせる才能

今の時代、前者ばかりが経済的に評価され、後者はむしろ損な役回りになっている。
そのうち我々は、面白い物語を作ることはできても、よい物語を終わらせることができなくなるのかもしれない。
そして、それは文化的に何か損失を生むのではないか。

ビジネスの世界では、風呂敷を「広げるひと」「畳む人」みたいに言って、「畳み人」がもてはやされたような文脈があったが、
文芸の世界においては、そこらへんはまだなのかもしれない。

halfboileddoc.hatenablog.com

*1:ここ最近は本・漫画類はKindleで買っていたのだが、あまりにもそういうので占拠されたもんだから、マンガサイトとかに一時期逃げたものの、結局コンテンツをどっちの媒体で読んでいるかがめんどくさいので、結局Kindleに一本化

レンリア、と言ってみたい


最近の僕はスマホやPCの画面を見る時間が減った代わりにPodcastを聴きながら散歩する時間が増えた。
雑誌やテレビから、カルチャーのインプット源がPodcastに変わった感がある。
そうするとしばしば耳から新しい言葉が飛び込んでくるのである。

そのひとつに「恋リア」がある。

恋愛リアリティショー、略して「恋リア」。
古くは『あいのり』や『テラスハウス』、近年で言えば『バチェラー・ジャパン』など、限られた空間に集められた男女が繰り広げる恋愛の駆け引きやドラマをショー化したコンテンツ。

それを恋リアって言うんだ。
……ふーん。

使ってみたいが

新しい単語を知ると使ってみたくなるよね。
けど、自分の回りで、その機会はなさそう。
家庭や職場で会話する人たちに恋リアの視聴者はいなさそうに思える(僕の周りはシニアが多いのだ)し、そもそも僕自身、恋リアまったく観ていないし。
気がつくと若い世代と話す機会が減ってるよな……

そう考えているうちに、ひとつの疑問が浮かんだ。

「そもそも、今の20代や30代にとって、恋愛リアリティショーの世界って『リアル』なの?」

マッチングアプリの時代

自分の知人や世間の様子からうかがうに、当世の恋愛の主流は圧倒的にマッチングアプリのようだ。

むしろ、職場や地域のコミュニティ、かつてのサークルのような「狭い人間関係の中で友人から恋愛に発展する」プロセスは、セクハラや不同意性交罪のリスクが高いものとして敬遠されがちな風潮だ。

「オフィスラブ」は「なんか気持ち悪い」と受け止められるし、上場企業の幹部以上の存在にとっては社員との恋愛は不適切行為として失職するリスクさえある。

そう考えると、恋リアが提示する「閉ざされたコミュニティの中での三角関係」や「逃げ場のない狭い空間での感情のぶつかり合い」は、
もはや現実では絶滅危惧種のようなものなのかも。

リアリティと冠しながら、そこに描かれているのは、すでに失われつつある様式美。

だとすれば、あの狭い空間で繰り広げられる恋愛模様が許容され、リアリティを持って受け取られるのは……学生だけか?

大人の男女のドラマではあるもののありながら、メインターゲットは、教室という狭いコミュニティの中で生きている学生たちなのかもしれない。

でもないらしい

……と締めくくろうと思ったが、そう単純でもないらしい。

実際の恋リアの視聴者層は、マッチングアプリ世代である20代から30代の社会人たちなんだって。

そうなのか……
いや?ちょっと待って『あいの里』?
35歳から60歳の恋愛リアリティーショー?
もー!わからん!!笑
教えて!詳しい人!

……しかし考えてみれば、本や映画・ドラマにしたって、私は一貫して恋愛に関するコンテンツとは無縁だったりする。
そんな自分が、より純度の高い恋愛コンテンツを楽しめるもんなんだろうか……

52歳


9月末、52歳になりました。

52歳の誕生日に際して、特に節目感もない。
淡々と誕生日を迎えました。
九月生まれなので、本当は先週だったけど、淡々と迎えすぎて、ここへの書き込みはだいぶ遅れてしまった。

老いを感じる

端的に肉体も精神も、老いを感じます。

もはや目はよく見えず、言葉を発すれば言い淀み、記憶は不確か。
腹一杯飯食えばお腹を壊すし、雨が降れば肩や腰が痛む。
半日も経てば身体から嫌な加齢臭を発し、パッキンが劣化していて尿道や肛門がたまにヤバいです。
嗚呼。

この歳になったら、もはやストレートな後悔も、嘘っぽい気がする。

もちろん人生の選択肢は果たしてこれでよかったんだろうかと思いつつも、しかし今更そんなこと言うてもな、とも思う。
人生って意外に難しいぜ。

ともあれ、仕事、音楽、ウォーキング。
いずれも中途半端ではあるが、いずれも諦めずに続けている。
いっぱい枝がある人間に特有の「やりきらない感じ」みなさん共感していただけますでしょうか。

仕事

経営は不調です。時流を味方につけていない感じがある(10年前はそうではなかった)。
とはいえ責任を取ってうっちゃるほどまずいわけでもない。Bクラスの野球チームの監督みたい。

強烈なビジョンも示せていないので、一つの方向に組織を引っ張れてもない。
ま、職員に対して昔のように方向づけも難しい時代でもあります。多様性……難しい時代です(多くは語らない)。

医師としての仕事は変わり映えはありませんが、AIを診療でどこまで使えるか、生産性向上だけでなく医師としてのコアさえAIに売り渡して方針決定レベルまでAIを使えんじゃね?と思う昨今。
内科医不要論。ただ、組織内では医師間の足並みを揃える必要があるように思う。AIを使う人、使わない人の差がありすぎる。

音楽に関して

二つのレギュラーバンドと時々参加するバンドやユニットを細々と続けています。
ピアノはちょっとずつできることが増えた。
トロンボーンは筋力に相当する演奏力は落ちていますが、音の選び方とか吹き方とかはちょっと上手くなった(主観)。
関わっていただいている皆様には感謝しかないです。また、音楽に関するnoteとかもそれなりに好評頂いてるみたいなので、これはこれでありがたいっすね。

第三の趣味:登山とウォーキング。

最近はこっちを精力的にしているかも。
そのため、体力だけは40代より今の方がましです。

今年は意図的に中四国の割と有名な山をピークハントしていて、中四国の県内最高峰はクリア。
また憧れの高尾山も楽しませていただきました。
ロングウォークは今年は二つ参加して完歩。
noteでウルトラウォークのコーナーも開始して、それなりに好評です。
大会はともかく単独のロング散歩をメインに放浪したいなと思ってます。

その他

最近は家事手伝いレベル0です。
読書体力(読書筋力)が落ちました。
アウトプットもやや落ちている気がします。
飲み会・会食はめっきり減りました。
カラオケも行ってないなあ。
これは持病の副鼻腔炎が悪いのも関係しています。今度手術するの。


限界がはっきり感じる見える年代になりました。
関わって頂いている周りの皆さんに支えられていることがわかる年齢でもあります。
昔はもっとイキってたなーと思いますが、今後も淡々とクレイジーなことを楽しんでやっていきたいなと思います。
腐らずやります。
みなさんいつもありがとう。

答え合わせ

ちなみに去年の誕生日にはやりたいことを列挙したが…

  • トレラン×
  • カラオケスナックに行く×
  • 学会発表△(座長はした)
  • 行きつけのバーを作る×(酒飲まないけど)
  • ブログをきちんと更新×
  • カラオケに定期的に行く×
  • 飲み会(グルーミング的な) ほぼ×
  • ポップス系のオープンマイクに参加する×
  • ビッグバンド×
  • 山の家(およびソロキャン)×
  • フェリーとか乗って島に行く⚪︎
  • 海外旅行(パスポート切れてるけど)×
  • VR×
  • ドローン/ドローン免許×
  • プラ模制作×
  • 作曲⚪︎
  • トロンボーンもしくはピアノを先生に習う×

ああ…ちょっとやりたいことの棚卸しします。
すんません…

介護脱毛には包茎手術と同じ匂いがする。

2026年, 広島県

介護脱毛という言葉

最近、「介護脱毛」という言葉をよく聞く。

将来自分が介護されるようになった時のために、あらかじめVIO脱毛をしておこう、という考えだ。

排泄介助がしやすいとか、清潔を保ちやすいとか、介護者の負担を減らせるとか……

まあ、言いたいことはわかる。
が、引っかかる。

実際、陰部に毛が少ない方がケアしやすい場面はあるだろうけど。

「介護される時に人に迷惑をかけないように脱毛しよう。」は一理あるが、
そもそも「介護されないように頑張ろう」の方が先じゃない?
介護という業務を「人に迷惑をかける」という言葉で総括するべきではないが、人に迷惑かけたくない、と強く思うなら、毛よりもそもそも要介護を避けた方がよっぽどいい。介助の手間の中で毛があることの不都合って、ごく一部分に過ぎない*1

例えば高度肥満の人なら、脱毛するより5kgでも10kgでも痩せた方が、将来介護する人はずっと助かる。
タバコ吸ってる人も、脱毛より禁煙した方が、そもそも要介護になる原因となる脳卒中や血管疾患のリスクを減らせるだろう。

もちろん病気は自己責任ではないし、健康に気を付けていても加齢により結局介護が必要になってしまうだろうけどね。
でも、なんかズレてんだよなー、って思う。

あの頃見た広告に似ている

この介護脱毛の話、
「この空気、どこかで見たことがある。」
そう思っていたら、ようやく思い出した。
包茎手術だ。

昔、駅の広告や雑誌には包茎手術の広告が本当に多かった。

「女性に嫌われます。」
「不潔です。」
「将来困ります。」

自分に自信がない童貞の若い男子はああいう広告に実に弱い。

広告も、まあ上手に不安を煽るのである。
よく分からないまま、「もしかして自分も……」と不安になった人は少なくないだろう。

もちろん本当に医学的な治療が必要な人はいるけど、必要かどうか微妙な人の背中も、広告は上手に押していた。

共通点は「誰かのため」

介護脱毛と包茎手術の宣伝に似た匂いはなんだろうか。

  • 友達同士でもあまりあけすけに語らない秘匿された領域の話であること(情報が分断されている)
  • 不要不急の需要 であること(でも不要不急と思わせるところにマーケティングの巧みさがある)
  • 本当は利己的な理由なのに、利他的な理由を建前として上手に提示してくれること

利他的な理由というのは、背中を押してくれやすい。
介護脱毛なら、介護してくれる人のため。
包茎手術なら、パートナーのため、衛生のため。
本人の欲求より「周囲に迷惑をかけないため」という大義名分が与えられる。
よくできてる。

行動経済学という学問が発明されるよりずっと前に、Kudge(背中を押す)という言葉を知悉したマーケティングがある。

市場は歳を取る

昭和から平成にかけて不安をあおられていたのは若年男性だった。
どちらかというと消費者としては経験の浅い弱者だ。

ところが介護脱毛の主なターゲットは中高年女性。
戦後の消費社会の中で百戦錬磨の経験を積んだ彼女らが、同じ手法にまんまと引っかかるんだ……

……面白いなあ。

と他人事のように考えていたら、
最近は介護脱毛と同様に「介護包茎手術」なるものまであるらしい。

……さすがにこれは美容業界のマーケティングに踊らされすぎてはいないか?

ヘルスケアの観点で言えば、高齢者のアンダーヘアの有無、包皮の有無など、ほぼ日々の生活の質(QOL)に関係ない。

高齢になれば、すべてのことに泰然自若、どうでも良くなるもんだと思っていた。
包茎への含羞なんて性活動期の過剰な自意識あってこそのものだと思っていたのだけども。

ま、美容業界も消費を喚起するのに手練手管を弄しているということなんだろう。
自己改変に躊躇いのない若者に比べて、中高年はやはり一歩遅れているが、興味はある。
そういう人たちに「都合のいい言い訳」を用意してくれたのが、介護脱毛なのかもしれない。

*1:そもそも高齢者の陰毛は多くの場合コシがなくなっていて、あまり気にならない

ファブルは俺達の手に余る

2026年、石鎚山(愛媛)
6月に入り、診療報酬改定。
うちは中小病院なので、目立った恩恵はなく、新しい加算を粛々と取ってゆくのみ。
嘆息。

AIの使い方

最近読んだけんすうさんのnote。
kensuu.com
深く同意しました。最近自分も同じような経験があったんです。

私とAIとの関わり

数年前に生成AI黎明期から*1にこういうブログを書くときのサポートをAIにさせたりしていたんです。
hanjukudoctor.hatenablog.com

確かに最初はAIすごいな、と思った。
慣れてきたら、だんだんラクをして、
まず箇条書きのメモから本文テキスト生成をAIにさせて、できた仮完成テキストを私が足し引き(引きの方が多い)して、文章を完成させる。
みたいな感じにしていたんです。
AIを頼れる部下にしてたんです。*2
しかしこの方式でテキストを作っても、あんまりいい読み味にはならないことに気づきました。

AIの文章は減点法で評価したら100点なんですけど、それだけ。
頭に残るものが少ない。
仕事とかで使う原稿とかは全然それでいいんですけど(コラ)、
自分が書いたものを世間に出す目的だと、そんなの、数多ある文字情報のゴミを増やすだけだよな、と思ったりしてました。

アフィリエイト目的のなページって、文章は一見しっかりしてるのに得るものが何もないテキストが山ほどあります。ある時期から、この手のページはAIを使ってると思われる感じになりました。読んでも一層得られる情報がない。
そういうのを見るにつけ、ゴミを増やすわけにはいかん、とか思ったりするわけ。

なのでけんすうさんのnoteを読む前から、
自分のAIの使い方は変えてました。

AIに上司の役をさせるわけです。やっぱり。
編集者というか、デスクというか、そういう役を。

とりあえずテキストを書くのは私。
出来上がったら、テキストをAIに見てもらう。
「論理的におかしくない?」
「もっと伝わるような話し方にできますか?」
みたいに、お伺いを立てる。

そうすると、
「うーん、ここは少し論旨が弱いですね」
「やや不正確です。わたしならxxxx〜という一文を入れます」
「この表現だと敵を作りかねないです」
みたいなアドバイスくれるんですよね。

上司部下を転倒させることで、むしろ文章の完成度は上がったように思います。

しかし、もうこれ、人間の創作活動としてはだいぶやばいことになってるんじゃないか?
と思う。
勝ちか負けかでいうと、負け。

文章力なくても、文書けるよ、これ。
もちろん提示された選択肢の選択やAIへのプロンプトも含めると文章力で成果物の出来は左右されるとは思うけど、まあそれは好みや自己満足に過ぎないとも言える。AI使えば、アホでも少なくとも怒られない程度の文章は書ける。

テキストの読み手もAI

そもそも文章はもう時代遅れだなと痛感してます。
2000字以上のものは読んでもらえないです。
アクセス数は年々減ってる。

同じ情報であれば皆youtube動画を見る時代。
長いテキストを読む文化は、ほぼ消失途上にあるなーと痛感しています。

この辺りは、この本を読むと理解しやすいような。

僕自身はテキスト書きのマネタイズの努力を放棄しているから(本業で稼ぐから)なんとも思いませんが、収入源として本気でやってる人はクリエイションの主軸をyoutubeやtiktokなどの動画生成に移すよな、と思う。

むしろAIが読者

ただ、こうやってしこしこ書いてるテキスト、むしろAIが読んでくれてるみたいなんですよね。
狭い分野についてさらに深掘りしたくてAIに検索をかけたりすると、なんか見たことあるような情報…あ、これ俺が書いたやつだわ、みたいなことはしばしば起こります。

だから、最近はAIに一次情報を提供する意義があるならそれでいいや、と思ってます。

ホモサピなんかもう知らん!
ってすねちゃったりして。

おそるべしFable。

この数年で、AIもどんどん進化してて、賢くなっていることを実感してます。
今や東大を首席で入学できるらしい。

私はnoteでジャズのこと書いてるんだけど、時々割と難しいテーマ書こうと、資料を集めたり、論旨を整理して書きかけのテーマはいくつかあるんですよね。
そういう論考系の場合AIを壁打ちにしたりするわけなんですけども。

たとえば、

  • 80年台のヤンキー漫画、『ビーパップハイスクール』はジャズ文化とどのような関係があるのか?とか、
  • 日本でのジャズの流行はクレオール文化の観点から考えると理解しやすいのではないか?

とか、そんな感じのすぐには答えが出ないテーマについて書こうと思ってるわけ。

最近、久しぶりにclaudeを開けると、話題のFableが使えるようになったから、こういう難しい話を振ってみた。
そしたら他のAIに比べて格段に深い答えが返ってきました。びびった。
そのあとアメリカ様の思惑でFable使えなくなったので、本当に運良く使えてラッキーでした。

しかし正直、この得られた答えを元に記事を書いたとしても、ほとんどの読み手のリテラシーのキャパを超えてるからバズらんな、と思った。

その意味ではファブル(本当はフェイブルだと思いますが、漫画『ファブル』好きなもんで……)級の賢さは、もう俺たちの手にはおえない。
…とタイトルで呟いたわけです。

AGIはともかく、AIはマス層の知性を遥かに凌駕する領域に達しているとは実感した。

こんな世の中で、今の若者は勉強する気になるんだろうか?
少なくとも座学や思惟の領域では、AIにはどうしても勝てそうにない。
……ま、physical AIが出現するまでは実験や物作りの領域の需要は消えないか。


*1:chat-GPT 4でしたっけ

*2:ちなみに仕事(医療)においては比較的早期からAIを導入しています

選挙雑感-勝ちは本当に勝ちか

2026, 山口

2026年衆議院議員選挙が終わった。
蓋を開けると、自民党の歴史的勝利。
単独で300議席超え、衆議院の3分の2以上を占める「スーパー多数」に至った。
とりあえず選挙に携わった皆様お疲れ様でした。
軽音の先輩である高市首相、権力基盤が盤石化できて、ここからが本領発揮というところでしょう。

この勝ちは本当に「勝ち」か

中国の故事に「人生万事塞翁が馬」という言葉があります。ある出来事が一見すると幸運に見えても後の不幸につながることもあるし、逆に不運に見える出来事が、後に幸運へと転じることもある。

人生の出来事は、短いスパンでは簡単に評価できない、という含意をもつ言葉です。

今回の選挙結果はそれだよ。

自民党

自民党は、あまりにも勝ちすぎました。
勝ちすぎると何が起きるか。
まず、言い訳ができない。
これまでは「野党の足並みが揃った」「情勢が厳しかった」「一部の政策が誤解された」など、敗因や停滞の外部要因を結果が伴わない言い訳ができたが、今後は結果が出なければ、その責任をすべて自分たちで引き受ける立場。そして経済も国内情勢も、相当うまくやってもそんなに成果はあがりにくいハードモードです。
さらに巨大与党は内部に緊張を孕みます。
派閥の主導権、路線の違い、次のリーダーをめぐる思惑。外に敵がいない組織ほど内側は割れやすい。今回の「勝ち」は、次の選挙や次の政権運営において、むしろ重たい足枷になる可能性もあります。塞翁が馬、です。
それにここまでの盤石な権力基盤だから敵対勢力は仕掛ける暗殺や失脚のインセンティブも高くなる。

公明党

一方で、公明党と立憲民主党。

今回両党は事実上の協力関係を築き、「政権交代」を正面から狙い、そして敗れました。
問題はその負け方です。
立憲民主党側は全滅に近い打撃を受けた一方、公明党は議席を大きく減らさず(むしろ増えた)党としての党勢は維持した格好。
これから見ると、公明党は選挙に勝ち、立憲民主党は負けた、とは言える。

ただしこれも塞翁が馬。
公明党は確かに議席は守ったという意味では勝ったけど、本来は政権交代であり、最大のカードを切ったのに勝てなかった。議員減はなかったけど、それはあくまで結果論。
負けは負けなんです。
そして、全面衝突で壊滅したけどその被害が10:0になるように振る舞った党(選挙はゼロサムゲームですから、壊滅した立憲からは被害を押し付けられたように見えます)と次は誰が共闘したがるでしょうか。
もし今回、もっと痛みを分かち合うような契約にしていたら、次も共闘する目はあったかもしれない。しかし「負けたが壊れなかった」結果は次の一手を難しくしており、いずれ手詰まりに向かう可能性も十分あるでしょう。ま、今回は公明が狡猾というよりは立憲がバカすぎたということなんでしょうけど。
狡猾に見られてしまうことは、中長期的には損をすると思う。

液状化した票

今回の選挙で印象的だったのは、組織票の意味が相対的に薄れてきたことです。自民党との連立を解消し、立憲と組む。創価学会と連合岩盤の支持層のある団体ですから、かつての政治のあり方で言えばかなりの脅威になってもおかしくはなかった。
しかし蓋をあければあんな体たらくでした。

出口調査では、特定の支持母体に依存しない層、特に若年層や無党派層での自民党支持が目立ちました。かつてのように「この団体が動いたから勝った」という説明が、成立しにくくなっています。

むしろ今回の高市政権で浮かび上がってきたのがナラティブ(物語)の力でしょうか。
誰が批判したか、誰が失言したかよりも、「この政権は何をやろうとしているのか」「実行できそうなのか」というストーリーが重視されたように見えます。当初、高市さんは「高市を承認するのか、しないのか」みたいな言い方をしており、いわゆる憲政のあり方になれた旧来人からは冷ややかな視線を浴びていたのですが、これが今有権者に刺さる、という確信があって仕掛けたのだろうな、と思う。

ネガティヴへの忌避感

ネガティブな言動への忌避は想像以上に強く、有権者は批判よりも実行力を選びました。
これも明確でした。

筋を通したゆうこく連合が議席を取れなかったのは、顔が怒ってるからです。昔は「憂国」で票が取れたけど、今は怒ってるだけで、多分ダメ。
また、れいわ新撰組がダメで、チームみらいが躍進したのもそのためでしょう。
批判、他責的な言動はまとめてゴミ箱に捨てられた感があります。この辺りは2010年代から2020年代に向けて、一般国民の常識が徐々にこうなっていたのを、*1読んでいた人、読みきれなかった人で明暗が別れたような気がします。

今後どうなるのか

少なくとも今回の選挙は高市総理を歴史に名が残る存在にさせたことは間違いないし、政治は後戻りできない次の時代に強制的に進まされた感はあります。
世の中と政界の間の乖離があらわになったので、次の選挙ではアプローチが変わるでしょうし、その勝者は常に自民党であるとはかぎらないとは思います。
多分SNS分析と選挙戦略でアメリカの会社とか使ったりくらいはしてるでしょうけど、こういうのはコモディティ化するわけで。

それにしても国際政治は混迷の度を深めていきます。一年後世界情勢がどうなっているか、全く予想もつきません。面白い時代ではありますね。

*1:岡田斗司夫がいみじくも「ホワイト社会」と呼んでます

訪問診療のAI文字起こし時代に必要なのは「落語的しゃべり」かもしれない

2026年, 佐賀

衆議院解散。冬の選挙かー。
しかし私が在住している選挙区は、保守王国なので番狂せはおこりにくいのです。
いや、前回あんなこと書いたけど、今回何十年ぶりかの診療報酬プラス改定+補正予算。
医療従事者としては高市政権には足向けて寝られへんで。

とはいえ、情報がすべて有権者に明かされていないところに、若干のフラストレーションを感じます。
多分今の時期に解散をうつのだって、僕たちが知り得ないいろんな事情があってのことだろうし、きっとそれはあからさまにアピールできないことなんでしょうけど。

医療の効率化

医療DXと言われて久しい昨今ですが、先進的な医療機関では容赦なく効率化は進んでいます。*1
DX、効率化の第一歩としてはAIによる自動文字起こし(文書入力の省力化)が当たり前になりつつあります。
この辺は一般のビジネス現場と変わらないと思う。*2

診療記録を自動で作ってくれるのは便利ですが、実際に使ってみると、精度を決めるのはAI性能より「話し方」に左右される。早口、曖昧な主語、省略だらけの会話、滑舌の悪さがあると、文字認識がうまくいかないこともしばしば。

そもそも文字起こしに対応するためには、文字起こしに適した喋り方にアジャストする必要がある。
文字起こしを前提にしゃべる必要がある。

「じゃあそれで」「いつものやつ」「前と同じで」といった省略表現は、人間同士では通じても、AIには難しい。
逆に「今日は食欲が落ちている」「夜間の呼吸が少し苦しい」「昨日から足のむくみが強い」と、主語と状態を明示して話すと、記録の質は一気に上がったりするわけです。

じゃあ、その理想、というのを追求した果ては
………実は、落語の喋りになるんじゃないか?

ちょっとやってみましょう。

……しかしなんだね。今日は天気がいいやね。2月っていうのに、日がさしているところは、もう春みたいじゃないか。
そうこう言っている間に、本日の二軒目、山田さんちにつきました。
アパートの206号だね。
おや猫だ。
やだねえ、お前にあげるちゅ〜るなんて無いよ!
  え?看護師さん、もってる?
  じゃあ往診の帰りにあげとくれよ。今はだめだよ。
……階段を上がって右に曲がって、ほら206号だ。
おい、山田のご隠居! お邪魔するよ。
今日はあったかいけど、腰はどうだい?
ちょいと食が細いみあいだね。配食の弁当、半分も食べられてないじゃないか。

熱は……出てない、36.7度。血圧はどうかい……132の74、脈も78だね。
拍はきれいに打ってる。
呼吸は落ち着いてるね。……あ?そう?夜は少し息苦しいんだね。歩くと息がきれるかい?
足のむくみは……っと。
昨日よりちょいと強いね。右は靴下のゴム跡が目立つね。
ちょっと音を聞かせてもらうよ……肺は澄んでる、ラ音もないね。心臓も雑音なし。
……薬は……ちゃんと飲めてる。利尿薬も飲んでるね。

……うん。わかった。大きくはかわりないみたいだね。今日は無理せず現状維持で様子をみましょう。
食事量がもう一段落ちるとか、むくみが強いなら、すぐ連絡くださいよ。
また、ご家族を呼んでおいてくれないかい?今後のことも話しておかなきゃなんねえなあ。

カルテ記事
S) 食欲はやや乏しい。夜は息苦しい
O) BT 36.7℃ BP 132/74mmHg 78bpm 整 Raleなし、心雑音なし
 下腿浮腫あり 服薬良好
A) 心不全あるも増悪なさそう
P) 現状で経過観察

てな感じでしょうか。いま、落語っぽい感じに、ずいぶん寄せて想定してみました。

文字起こしがない時代の往診は第三者にむけて話しているわけではないので、そんなにしゃべらないはず。余計なことは言わない。
実際にこんな感じで実況しながらぶつぶつ歩いていたら、完全にやばいやつ。
でも「誰もいないのに、誰かに向けて喋っている」というのが文字起こしの正しいモードですから。

落語は、登場人物の会話や状況、会話や行動のすべてが聴衆に対して言葉で構造化されているわけです。一人芝居でパントマイムもあるけど、誰が何をして、何が起きて、どう感じたかが、言語だけで伝わる設計になっている。
これが文字起こしAIにとっては、非常に伝わりやすい。

AI時代の診療コミュニケーションは、機械に合わせるというより、「構造化された日本語」に戻ることかもしれません。
効率化の先にあるのは無機質な会話ではなく、むしろ語りの技術の復権。

プライマリ・ケア連合学会では、「落研」や落語家による初等教育のセッションなんか設けたら盛り上がるんじゃないだろうか。

訪問診療は、医療と物語が交差する現場です。
ナラティブに磨きをかけることをつきつめてゆくと、日本の伝統芸能である落語や講談師みたいなスキルを21世紀に活かせるのかもしれないなー、と思ったりした。
知らんけど。

*1:その一方、未だ紙カルテの医療機関も一定数いるわけで、その辺の乖離でも商売が成り立っているのはすごいなーと思ったりします

*2:私はまだプラウドには心理的抵抗があるのですが