半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

楽天のデザイン上のイケテナさは日本社会そのものか

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コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)…
さすがに緊急事態宣言がでてるのもあり、首都圏の医療が逼迫しているというニュースも
あったりすると、会食をして感染するわけにもいかない。
一月はかなり外出が(さらに)減ってしまった。
患者さんに注意はしているけど自分も「ステイホームによる不活動」の弊に陥っているみたいだ。ミイラ取りがミイラになった。

この週末はなにもせずスイッチが切れたように寝て、起きて、なにもしなかった。
なにもしようと思わなかった。

一月、そういう意味では思索もできるはずなのに、ぼんやりとしていてあまりアウトプットにもならなかった。不思議なことに、ちょっと忙しいくらいの方がものを書いたりできる。

これは、ちょっとまずいんじゃないか。

楽天UIに怒る

ある尊敬すべきTwitterの知り合いが、ここ最近楽天市場でのユーザーインタフェース(UI)の酷さに苦言を呈していた。
ふるさと納税にしても、ワンストップ制度利用の可否くらいは統一しとけよ!とか。

いや、ごもっとも。
しかし、ちょっと新鮮な驚きがあった。
実は僕もその2年前くらいに「楽天経済圏」なるものに足を踏み入れ、今では楽天カード楽天証券楽天銀行。ホテルの予約は楽天トラベル(は前からだったけど)など気がつくと基本的なネットサービスのインフラが楽天になっている。
それまではAmazonで買い物をしていたが、去年から楽天市場で買うことが本当に増えた。*1

そりゃ確かに楽天のサービスを使い始めた初期の段階では楽天市場のUIに思うところがあった。
まるでスーパーの広告のチラシやな!とでも言いたくなるようなダサダサのサイトデザイン。
統一感のないお店ごとのシステム作り。
美しくないな、と最初は思っていた。
だけど割とすぐ順応してしまった。
最近はもうあかん、とも思わなくなっていた。
だから改めて憤ってる人をみて、当初の違和感を思い出したわけだ。

楽天UIの統一感のなさは、例えば東京の雑踏の看板の多い街並にみている。

e-コマースサイトの中ではダントツにダサい作りだと思うけど、
「モノを売るのに美しさなんて関係ありまへん!要は売ることや!」
みたいなナニワの商人的な「中の人」の声が聴こえてくるようだ。

要するに、現場というか、それぞれの商店の裁量権を優先させたんだろうなとは思う。
楽天市場の体裁の不統一は、それだけ「型に嵌めない」ことのあらわれであり、
その辺のユルさは、e-コマース黎明期には参入障壁を低くする効果があったとは思う。
だからe-コマースする気のない商店を楽天市場に引き込む効果はあったはずだ。

しかしなんだかんだいって楽天の「型に嵌めない」やり方はそのまま続いていてダサダサのデザインも変わらないままなのは、少しおかしくも思う。
少なくとも逆風にもなっていないようだ。
(近年「楽天離れ」が言われているが、これは、利用手数料というお金の問題であるようだし)

楽天市場」型の組織

例えばAmazonの場合は、Amazonが直接取り扱う部分のサイトデザインが良くも悪くもしっかりしている。
Amazonに出店している場合(マーケットプレイス)はAmazonのサイトデザインの範囲内で小売を行う形になり、自分の商店としての主張はそれほど大きくはできない(逆に言うとしなくても済む)
一方楽天市場には中心がない。文字通り「市場」の体裁なのかもしれない。
すべての店が並列に並んでいて、ヒエラルキーもない。

実は、日本的な組織って、むしろこの「楽天市場」に近いんじゃないか、という気がする。
霞が関だって、省庁の縦割り、省庁ごとに「一つの城」があって、戦略や人事など、それぞれの省庁で思い描いている未来像は異なる。
一応行政機構としては総理大臣を意思決定の頂点とするヒエラルキー構造をとっているけれども、そんなに簡単にはいかない。
せいぜいが、財務省(昔は大蔵省)からの予算配分の権限でそれぞれの省庁をコントロールしただけで、総理大臣だからといって、省庁を思うがままに操ることなんてできない。
それこそが日本的な意思決定のシステムなのだろうか。

高度経済成長時代は、そうした省庁がお互いに干渉せず競い合うことで、それぞれ発展し、うまくいったかもしれない。
ただ現在のように成熟市場となり問題が複雑化し省庁ごとの摺合せが必要になってくる。
そうすると今までのスタイルはうまくいかない。
建前は、内閣が意思決定権をもち、省庁を動かすということになっているけど、実際はそう単純でもない。
省庁を動かすための、Tipsというか、いろいろうまいことやらないと省庁は自分の思うようには動いてくれない。
政権交代によって官僚と政治家との交流が断ち切られると、政権交代した政治家にこのノウハウがない分、むしろ改革がすすまないというパラドックスはこのためだ。
内閣による省庁のガバナンスは安倍内閣以降かわったけれども、ではこれが恒久的な制度になったわけでもないだろう。

これって、日本的な組織には比較的よくみられる弊害の一つだと思う。
太平洋戦争での軍部も、結局、陸軍・海軍の間で戦略を統一することができなかったし、関東軍(日本の関東地方ではなく、旅順から満州を統括している地方部にすぎない)の暴走を、中央は止めることができなかった。

江戸時代や室町時代、つまり封建時代から脱することができていないのかもなあ、と思う。
よくも悪くもミドル階層(昔なら藩)の集合体で、序列をあえて明らかにしないやり方といいますか。
織田信長みたいな、明確なヒエラルキーと強力なトップダウンをやろうとすると、寿命を全うできないのが日本社会の常だから。

我々日本人は、自分たちが思っているほど、組織的な人間でもない。
「日本人は個性や自己主張がなく、自分の損得よりも全体の利害を優先させる」というふうに言われてきたけれど、正確にいうと、全体ではなくて、ミドル組織とでも言うべき顔の見渡せる中型組織を優先させるのではないか。
我々は「ムラ社会」の住人で、抽象的な「組織」のため、というよりは、自分の身の回りの人間が見渡せる「ムラ=部門」の利益を最優先させるようにできている。
確かに、個人の利益は優先しないかもしれないけど、もう少し俯瞰してみると、もっと大きな組織の全体の利益よりも、自分たちの仲間とも言える小さなセクションを優先することがよくある。

このようにして出来上がった日本型の組織は、水際だった統制行動を取ることが苦手だ。
中枢神経系を、持った動物というよりは、粘菌などのような群体のように振る舞う。
スピードに劣るかわりに、頭を叩き潰されても、活動を停止しないのが、この組織のいいところかもしれない。太平洋戦争でも現地の司令部が壊滅してからが、日本軍のゲリラの見せ所だったようだし。

医療においては

私は現在地域の医師会に所属しているわけだけれども、医師会もこういう「楽天市場的」な群体的な組織だ。
医療のレベルとしては、大病院が高度医療をにない、中小病院、そして無床のクリニックはそれほど高度ではない医療を担うようになっている。
だが、医師会の組織としては、地域で一番大きな病院、医療としては最も高度な機能を担う病院がトップで、その傘下に中小病院がある、というわけではなくて、医師会長は、自分が管轄する医療機関の大きなとは関係なく選出される。*2医療機関ごとに、権利は横並びだ。

コロナ禍のおり、いろいろな取りまとめを医師会で行ったりしているけれども、そういう医師会のガバナンスなど、全然強くはないのである。
それぞれの病院や診療所にお願いをして望ましい方向に誘導するしかない。

緊急事態宣言で、首相の言も「お願い」に過ぎない、と鼻白むコメントも多かったけど、これもしょうがないよなあ…と思う。

* * *

もともとの性向か、それとも戦争に負けてからなのか、トップダウンによる強力な意思決定で、全員一致で国を動かす、ということが極めて難しい、ということを我々はもっと知っておくべきだろうと思う。

まあ欧米諸外国でも、今回のコロナは「民主主義の敗北」、つまり独裁政権による強権的な行動制限がなく、個人の自由を忖度するような状態では、対応できないよね、みたいなことを言っているから、これは日本特有の問題でもないのかもしれないけれど。

*1:とはいえ電子書籍についてはKindleで買っていて、これをKOBOに切り替えるつもりはさすがにない。けどそれ以外はほとんど楽天になった。ふるさと納税楽天だ。

*2:これには医師会はむしろ大きな病院よりも個人のクリニックの権利団体から発生している経緯にもよると思われる

コロナによる中食化の折、減塩対策をついでにやってほしかった

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2020, 津山

コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
感染者数の増加が止まらない。
病院や感染対応は、線形にしか増やせないけど、感染者の増加は指数関数的に増える。
ひとことでいえば、指数関数的な増加の恐ろしさを今我々は味わっている。

首都圏では、緊急事態宣言。
我々の住んでいる地方でも、ステージ4であったり、病床の逼迫が続いており、余談を許さない。

ワクチンが出回る2月、3月が、一つの節目だと思う。
できればそこまでは耐えしのびたいところだが、飲食業界からは悲痛な声が聴こえてくる。
youtu.be

今回は、一度目の緊急事態宣言のようには飲食店は自粛しないだろう。
いや、無理もない話で、しない、というよりはできない。
生き残っている飲食店も、2020年の間にストックを吐き出していて、自粛しようにももうその余力がない状況だと思われる。

国からの支援なんて、しれたもの。
複数店舗を経営しているけど大手FCじゃないところは、本当今胃がちぎれるような思いをしているはずだ。

我が地元は、もともとあまりはっきりした繁華街というものがない街で、もともと繁華もしてもいなかった。
が「寂れ方には底がない」という事実を知った。恐ろしい……
高齢化率もそこそこだし、みな、リスク回避行動はきちんととれている、という点ではむしろ喜ばしいのかもしれないけれど、飲食店にとってはかなり厳しそうだ。

テイクアウトの功罪

最初の緊急事態宣言のときはテイクアウトを推奨する流れがあった。
が、今回は通常営業をそのままテイクアウトにスライドする店は少ない。
店内飲食の感染防御を徹底して営業を続けたり、一部テイクアウトに切り替えたり、と、対策は多様化している。

テイクアウトと店内飲食のビジネスモデルは全然違う。
店内で飲食を提供する店が恒久的にテイクアウトを行う場合、儲けにもならないことが前回はっきりしたからだと思う。

店内飲食が、単行本を1500円で売っているものだとすれば、テイクアウトは、150円でその本のよりぬき部分だけを売っているようなものだ。
店を腐らせないために、仕事をまわすためにやっていたようなもので、儲けを考えるとばかばかしくてやってられないはずだ。

飲食店の競争というのは、他業種に比べると相当熾烈だ。
売りになる看板商品は、手を抜けない。つまり原価率も下げられない。
テイクアウトの場合、そういうお店の看板商品だけを抽出しているから、ちっともお店にとってメリットがないわけだ。
*1

今は、惣菜を買って自宅で食事する「中食化」にコンビニなどの小売店も対策を立ててきているため、前回の緊急事態宣言のスキームを継続させた飲食店はなかなか厳しいと思う。
テイクアウトではそもそもしのげない。
そこを主戦場とするテイクアウト専門店の出現*2もしくはコンビニ惣菜の充実化など、むしろレッドオーシャンになってしまった。

「ステイホーム」との戦略化としては悪いことではない。
ただ、一つだけ残念なことがある。
私は腎臓疾患や肝疾患診療をしているのだが、こういう患者さんにとっては食事の減塩が要諦なのである。
自宅での食事が増えることは、勤労世代のこうした患者さんにとってはいいことだったはずなのに、新規参入した「中食」の塩分摂取量は、むしろ外食のそれに引っ張られて、かなり味が濃いことだ。

塩分

以前に「塩の効用」というのを書きました。
hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
ちなみに今回Blog内サーチしたら、2007年にも同じ論旨で書いてたりする。

日本人の平均塩分摂取は12g-13g。おそらくこれは平均の誤謬で、外食を繰り返す人は 15g/日くらいだろうし、基本外食をしない人は 6-8g/日なのではないかと思われる。根拠は省きますが、診療をしており、外でご飯食べない主婦の作ったご飯に、現役時代外食をしていた夫が「味が薄い」というパターンが実に多いから。

食事の塩分の濃さは慣れの問題なので、高塩分食に慣れている場合は、低塩分食を「味が薄く=まずく」感じる。

同じような食事を提供された場合に、他よりもほんのちょっと塩分濃度を上げると*3「味が濃く」つまり魅力的に感じる。
このメカニズムとチキンレースの果てに、日本の外食産業ではは、じわりじわりと塩分濃度は上昇気味。
WHOの提唱する減塩推奨に逆らって、塩分摂取量は下がる気配は乏しい。

本当に外食の塩分量は増えているのか?
実は明確なエビデンスはないのである。(自分の実感とか体験に限られている)
少なくとも塩分摂取量が下がった証拠も、明確に上がった証拠はみつからなかった。
(特定の飲食店の攻撃になるかだろうか?過去のレシピ本や食品の成分表示などを遡って論文化すれば、栄養科や家政科の学生の卒論にちょうどいいテーマだとは思っている)

インスタントラーメン業界の塩分量

参考までに、最近の即席麺業界を見てみると、
マルちゃん正麺や、明星チャルメラなどの袋麺が、だいたい一食400Kcal台で5.5g〜6gくらいの塩分量である。
(具体的には 麺に含まれる塩分2g前後、スープが3-4g程度という内訳になる)
袋麺については、この塩分6gラインは、まずまず死守されている。
最近日清のCMで目につくでた「濃厚!これ絶対うまいやつ!」シリーズも、塩分は6g以内におさめていた。*4

ところが、カップ麺になってくると話がかわってくる。
カップヌードルはやや小型のカップなので、塩分4.9g 350Kcal だが、最も歴史が古いこれをリファレンスと考えよう。
最近でているカップ麺はどれも、塩分量が凄まじく多い。 6gの不文律を超えて、 7g台に至るものが結構ある。

スーパーでざっと見て、一番多いのに 7.9gというのがあった。ほぼ8g!*5
さすがにこれを3食食う人はいないとは思うけれど、もしそうすれば 24g。
昔の長野県などでは、漬物たべまくってこれくらいの塩分摂取はあったらしい。
そういう場合40台とか50台で脳卒中になっちゃう人も出てくる。
減塩政策で、そういう極端な高塩分食はなくなったはずだが、外食文化が「中食」という形で家庭に入ってくれば、むしろ日本人の塩分摂取自体はじわっとあがるのではないか、と危惧している。*6

できれば、コロナ「Stay Home」のときからの外食産業の「中食」への攻勢の中で、減塩に留意するような政策がとれたらよかったのに…と思うが
まあ無理だよな。厚生労働省がコロナでてんやわんやだったわけだし、そんな余力もあるわけないし。
また、非常事態でアドレナリンが出まくっているような時には、高塩分食が好まれるような気もするし。

まあ、高塩分食がもとで、攻撃性が若干増えて、家庭内がギスギスしたり、なんてこともあるかもしれない。

低塩分で、まったり行きたいものだが、実は僕自身も、例えば当直中前後は自覚的に高塩分にしてテンションをあげてゆくタイプ。
絶対からだに悪いと思う。

*1:テイクアウト専門でやる場合は、割とクールなコスト計算のもとで採算性を出している。だから、テイクアウト専門の支店を出すというのは、戦略としては正しい。両方やると虻蜂とらずになってしまう

*2:我が街でもテイクアウトのデリが目につくようになった

*3:あまり明確塩分が多いものは塩辛く感じてしまう

*4:もっとも、これには少しトリックがあって、このシリーズは、324Kcal とサイズは少し少ないが、塩分は5.9g。おそらく袋麺は単身世帯よりも、ファミリー層をターゲットにしているために、健康に留意する層に嫌われないために一食あたりの塩分を6g以内に収めるという鉄則があるのだと推測する

*5:もちろんスープを残せば8g摂取することはないが、何も考えずスープ飲み干す人もいるわけだから、おそろしい…

*6:インスタントラーメンの塩分については一度まとめてみようと思う。面白そうなので。

コロナの恐怖

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2020, 津山

コロナ、コロナ、コロナ…(Covid-19, SARS-CoV-2)
ひょええ〜っ。
ついに全国的な流行の中で、自分の周りにもコロナがやってきた。

地方の中核都市に住んでいる分には、今まではコロナといっても、どことなく別の国の出来事のような感じだった。
が、今月の初旬には、自分の住んでいる街でもクラスター感染が再び生じた。
今度は地域内の病院でクラスター感染が発生したのである。

感染者は一気に桁が増え、高齢者の感染者の対応で、基幹病院も、病床を一気に埋める事態になった。
消防局でもコロナの感染がでたりもした。学校、保育園、会社、介護施設、ぽつりぽつりとコロナ陽性がでる。

ちなみに広島市内もまた結構なクラスタ感染があちこちででているらしく、現在広島県はかなりHotなところになっている。

実際、実際に知っている友人のコロナなどは、Facebookなどでうかがい知るばかりであったが、
今回の地域内の流行は、だいぶ距離がせばまった。
今までは「友人の友人」「知人の友人」がコロナだ、みたいな話だったのが、友人や知人そのものがコロナになる事例がじわっと増えた。
県をまたいで通っている娘(中学生)の学校の先生にも数人陽性者がでて、クラスタ感染となったらしい。
だいぶ、コロナとの距離が近づいてきた……
怖いね。

まあ、東京や大阪などの大都市に住んでいる友人のレベルにやっとなった、ということだ。
ただし、この地域は基幹病院が多くはなく規模も小さい。
だから地域内コロナ感染の流行で、拠点病院の収容能力の限界を越えるのも早いだろうと思う。

おそろしいな。医療崩壊が現実に近づきつつある。*1

年末年始

とはいえ、年末年始は静かなものでした。
もともと例年、年末年始は旅行などはいかずに、毎日仕事場にいって小さなトラブルを解決する「妖精さん」のような仕事をしている。*2
(こういうのは勤務医の先生に役割をふると、デューティが発生するし、ちょっとの時間ではあるが嫌なものである。自分でやるのが一番ラクなのだ)
個人的には、初詣にいくのをやめたことが、一番気持ちが楽だったな。
なんだかんだいって人混みは疲れる。
お祓いとかしてもらったり、破魔矢を買い替えたりなんやかや。
今年それをしないことで、随分心が静かでいられることに気づいた。

hanjukudoctor.hatenablog.com
(お祓いについては、以前こんなことを書いたことがある。もう10年にもなるのか…)

人生に必須なものなど、多分ない。
コロナで、人間活動の多くを阻害されたために、多分に厭世的になっているからかもしれない。


ただ、必須なもの、必要じゃないもので、ほとんどの人の人生は回っている。
僕だってそうだ。
医療というのは尊いものだ、と思いたい気もする。
自分がやっている仕事を心底くだらないものと思って続けることはできない。
でも、人の死亡率は所詮100%。破れほぐれた布を繕うような仕事に過ぎない…と思う時もある。

どこかで帳尻をあわせ、無駄をやらないと、経済はおそらく停滞してしまう。

おりしも、首都圏では「非常事態宣言」を出すという状況までなった。
飲食店が感染拡大に寄与しているということで、飲食業界を狙い撃ちにした政策になりそうだ。
もう2020年を生き抜く時点で、多くの店は、ストックを吐き出してしまっている。
ここで月単位の自粛が本当にできるのかどうか、わからない。
国にも、余力はそこまでない。休業補償が十分にできるのだろうか。

一番問題なのは、どこまで頑張り、耐え抜けばいいのか、出口がはっきりしていないことだ。

ただただ、無常を感じる一年の始まりだ。
あ、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。
(そらぞらしい)

半熟三昧:

2020年買ってよかったもの【モノ編】 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
2020年買って良かったもの【書籍編】 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
一年のまとめを書くのは結構楽しいですね笑。2020年は割に本を読んだつもりでしたが、そうでもありませんでした。

*1:まあしかし、今私の住んでいる人口40万前後の都市で毎日10-15人の感染症患者がでている程度なんて、生ぬるいのかもしれない。例えばドイツとかだと、同じ人口規模だと、一日に800人とかの感染者だ。ひょ、ひょええ〜〜〜。

*2:フィーはでない。経営者だから。

M-1を観てマスターゲッティングの難しさを感じた。

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2020, 津山

コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
いや大変やわ!
このブログ書くのもはばかられるような地元の状態でした。
まあまあ大きな病院でのクラスタ感染が連発し、感染症拠点病院の病床利用率は50%を越える勢い。
何しろ大都市圏に比べて、当地は医療提供体制が脆弱。もうひと押しで、患者はさばききれなくなる。
これで、介護施設での大規模クラスタが発生したら、もうアウトのところまで来ている。

私も地方医師会員の一人として対策会議の動向を見守り、時に自分にできるタスクをこなしたり、一方、徐々に増える発熱患者に対しての診療を行っていますけど、かなり剣呑な状況。前回のブログに書いたようなトリアージを行わなければいけない状況はぜひぜひ避けたいところです……

2020年M-1

仕事納めになってから、録画していたM-1を今更ながら観ていました。
今年は低調であったという意見もありましたが、いやいや面白い面白い。去年のミルクボーイの「システム漫才」の圧倒的勝利という構図ではなかったためかもしれませんけれども、多士済々なんじゃないですかね。ミルクボーイのシンデレラストーリーが、参加者に火をつけた感あった。

まあ僕みたいな素人が何をいっても二番煎じにしかならないわけなんで、感想とか書くのはやめときます。

気になったのは「アキナ」と「錦鯉」だった。

アキナの敗因

アキナは「気がある地元の女友達を楽屋につれてくる」というネタだった。
下馬評でも高評価だったのだが、結果はいまひとつ。審査員の講評でも「うまいのに…、順番かな?」みたいな感想だった。
しかし、一人サンドイッチマン富澤が「ちょっとオジサンには『好きな女子』という設定がハマらなかった…というところはありますよね」
というコメントを発していたが、これが真相を突いていると思った。

多分アキナは劇場で勢いもあり、笑いをとっているし、関西で実力がある芸人であるのは間違いない。
おそらくアキナは、そういう普段の主戦場でのリアクションを見て、決勝に持ってくるネタを選んだんだと思う。
ただ、劇場にいる同年代の芸人や、自分からそれを見に来ている熱心なファンというのは、年代も近いし、ライフステージも近い。
楽屋ネタ、芸人と芸人の近くの恋愛模様みたいなシチュエーションは身近に感じられるネタで、きっと劇場では、M-1以上にウケるのだと思う。
ただ、M-1の視聴者には、普段劇場で相手している観客にみられる均質さがない。
TV番組、しかもゴールデンタイムでの全国放送である。もう少し雑多で多様な集団である。

対象となる聴衆の特性の違いに注意を払わずに劇場向けにチューンナップされたネタをそのまま出してしまったことがアキナの低評価の原因だったのだろうと僕は思った。

ターゲットの範囲と笑いの強度はトレードオフの関係にある

ターゲットを広げることと、より共感度の深い「刺さる笑い」は、トレードオフの関係になる。
聴衆が多様であればあるほど、全員に刺さる笑いを作ることは難しい。

マーケティングの話でいうと、マスマーケット向けの商品とニッチな市場では競争力の原理が全く異なってくる。
アキナは、劇場という環境の中で研鑽をつみ、あえてターゲットの幅が狭いところで競争力を磨いた。したがって劇場の観客には強い競争優位性をもっている(下馬評の高さはそのためだと思う)。
しかし、M-1は、ある種のマスマーケットである。
そしてニッチな市場での競争優位性は、マスマーケットで通用するとは限らない。そこにはマスにウケるための若干のチューンナップが必要だったのだと思う。

まあそういう意味で「アキナ」は、普段相手にしている聴衆が透けて見えるコンビだった。

錦鯉の「ヨゴレ感」

「錦鯉」もそういう匂いがあった。
「錦鯉」はなんと私よりも歳上の49歳のボケ、モト冬樹と死神を足して2で割ったような風貌。
人生の澱を色濃く漂わせていて、無邪気に笑えない重さ(それは痛々しさにもつながる)があった。
ネタも「パチンコ」が題材だった。普段ターゲットにしている聴衆のバックグラウンドがうっすら透けて見える。
要するに関西言葉でいう「ヨゴレ」感があった。「お茶の間にだしたらあかん」感があったね。
いや、結構面白かったんだけど、彼らも、このニッチな場での圧倒的な競争優位を、マスターゲットに引き写す余裕もないがための違和感で、それが得点に反映されていたと思う。

かといって、はじめから全国放送向けの聴衆相手にウケるお笑いをイチから作ることもできない。
まずはお笑いの「強度」が先だ。その後、ターゲットを広げてゆく。
初めはターゲット層を絞ったエッジの効いた笑いを練り上げて、それをTV向けに、全年齢向けにうまく投射してゆくというのが、過去数多のお笑い芸人のたどった道である。
はじめからマスターゲッティングを相手にした場合、やはりお笑いとしての強度が弱くなってしまうのかもしれない。
んー、たとえば、森脇健児とか、中山秀征という名前が思いつきますね……。
そういう意味では、ダウンタウンとか千鳥とか、すごいですよね。あらゆる層をターゲットにしつつ、笑いの強度も確保しているわけで。

というわけでガチガチの医療系の記事ばっかり書いてましたけど、今年最後はタイミングもはずしたM-1の感想という、いかにも薄ぼんやりしたエントリで締めくくります。一年間ありがとうございました。
ちょっと12月は停滞していたので、もうちょっとがんばります。

いまこそ外部化された倫理委員会の設置が求められる

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2020, 東広島の寒い空

コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……いや、やばいっすね。

北海道、大阪、多分いずれ東京も、医療提供がじわりと逼迫している。
大阪は特にやばそうな感じはするね。医クラの同志諸君は大丈夫だろうか。

逼迫した医療提供体制

ただ、こうした現状は歴史的経緯を振り返ると無理もない。
1990年代くらいから現在の超高齢社会は予想されていた。医療費だけではなく、介護・年金など社会保障に関する国費の負担は当然問題視されていた。
そういえばその頃には「医療亡国論」という言葉もあった。*1

だから、21世紀に入ってから医療費そのものはずっと増大しているのも確かだが、需要の増大に比してかなり上げ幅を切り詰めて今に至っている。
高度経済成長期に発展した地域の医療体制を、うまく組み替えて、時には薄めて伸ばして、現在の体制を維持してきたのが実情だ。

そこには当然現場の奮闘もあった。
昔に比べて、医療従事者は給料は下がり、仕事が増えている。
患者の要求度も増しているなか頑張っている*2
だが、厚生労働省の施策も、かなりうまく取り仕切っていたと思う。うまい、というか、せこいというか、不公平にならないようにバランスをとりつつ、全員がちょっとずつ貧乏になるように、かなりうまくマネジメントをしていた。

もちろん、そういう仕事は、必要ではあるのだが、気の毒なことに感謝もされない。
蛮族の数は増えるのに、砦は損耗し兵士の士気はさがり予算が減る一方……ローマ衰退期の将軍のような心境だろうな。
誰からも悪口を言われる仕事ではあるが、誰かがやらないと、簡単に崩壊してしまう。

* * *

いずれにしろ、現在の医療提供体制は、薄めて薄めてのばしてのばしてなんとかやってきたようなものだ。
BMPをJPGにするような間引きが、その裏側にはある。
それで現在の医療は成り立っている。
病院の利益率が平均して1〜2%というのは、そうなるように巧妙に価格を切り下げ切り下げやってきたからなのだ。
その意味では効率化を極限まで進めて、今の日本の医療がある。


ところが、効率化と冗長化トレードオフの関係にあるわけだ。

ギリギリで保つような状況でやってきた医療体制にコロナのような全く想定外の災害がやってきたら、うまく回る余剰などないのだ。
冗長化された部分など、30年前にはあったが今の日本の医療にはどこにもない。

現場の裁量は、現場を疲弊させる

ということで、現場、医療が逼迫するのは、ギリギリで回しているから仕方がない。
ある種数十年の経緯の必然だからね。
では、こんな逼迫した状態を、現場でなんとかしろ、というのはなかなか難しい。

このまま行けば、需要(治さなきゃいけない人)と供給(確保できるベッド)のバランスが破綻する日はかならず来る。
要するに、治療したいけれど治療に割くリソースがない、という状況。
おそらく一部の地域についてはもう顕在化しつつある。
hanjukudoctor.hatenablog.com
四月に同じようなことを書いているけれども、では「誰を治療すべきか?」という選択を現場にさせるのは、現場にとって酷だ。

ただでさえ、重症のコロナ患者は致死率も高い。誠実に診療しても救えない命もある。
普通に診療していても無力感を感じてもおかしくないのだ。

その上に、助ける人、助けられなくて「見殺し」にする人、それを現場に選べと?
現場で治療をしている人が、その選択の責任を負うのか?

トリアージまでさせるということは、その責任を持つ、ということだ。
たとえ法的に責任を問われなくても、まともな医療者なら道義的責任は感じて当たり前だ。
一人の人間が耐えうる精神的な限界を超えてもおかしくない。その苦しみは死ぬまで続くのだ。

平時は、現場の裁量権はできるだけ大きい方がいい。
その方が現場が働きやすいからだ。
ただ、今回のような異常事態で「トロッコ問題」のような選択をしなければいけない場合は、現場にそのストレスを負わせるべきではないと、私は思う。

「倫理委員会」という名の下のトリアージ

現場の精神的負担を減らすための理想は、現場はあくまで「来た球を打つ」という体制で、粛々と仕事をする形にした方がよい。
そのためには、治療現場の「供給の限界点」をきっちり設定し、それを決して超えないようにしないといけない。

では、その供給を超えて需要が発生した場合はどうするか?
そこは、何らかの上位構造によるマネジメントの出番だ。

誰がそれを担うのか?
ある種、究極のトリアージである。
カンビュセスの籤といってもいいかもしれない。

このトリアージは、どうしたって恨まれる。
あとで問題視もされる。
痛みを伴う、つらい仕事だ。

そこに、医療を全くわかっていない人が担うのは問題だと思う。現場に近い声は正しく咀嚼できないといけない。
しかし地方自治体の首長…まではいかないかもしれないが、ある程度の裁量権を持った政治的な立場の人間が加わることも絶対に必要だと思う。

個人に権限を集中すると、おそらく平時に戻った時に、その人は職業生命を失いかねない。
職業倫理に誠実な人も、これに関わると、残りの人生、迷み苦しみながら過ごすことにもなるだろう(だから現場には担わせたくないのだ)。

現場の診療に従事していないトリアージ専門の医療者の集団を策定するのが、もっとも穏当なのではないかと思われる。
地域の医師会の数人、基幹病院の幹部クラス数人、保険所長、自治体長、あたりを構成員に入れ、地域の「倫理委員会」というものを構成すればどうか。その委員会で、地域の医療提供体制とベッドの状況をみながら、集中治療を行うべき候補を選定するわけだ。

苦しみを伴う作業であるが、だからこそ、現場からそれを引き離して欲しいと思う。
そういうのがないと、多分、すべては現場に押し付けられ、現場が消耗し疲弊し、奉仕精神に満ちた医療者の心を傷つけるだろうから。

というのは、旧日本軍にもみられた、日本型マネジメントの宿痾だからだ。

アメリカ軍とかは、まあ資源が十分にあるというのもあるが、基本的に継続性を重視して十分な休養をとらせる。
日本人は兵站を重視しないというか、戦局を一時的なものと捉えて、継続して戦える体制を作るのに慣れていない。
そして、先の大戦で得られたその教訓も、現在の会社組織においても活かせていない。

だから、このままいくと、歴史的教養もないトップ*3が、戦意高揚だけして兵站を軽視した作戦を展開するだろう。
現場の将兵=医療従事者は英霊と化すという未来がうっすら見える。
だから、それをコントロールする「倫理委員会」が必要なのだ。

「倫理委員会」の外部化には大きなメリットがある

あえてこのトリアージを行う外部団体を「倫理委員会」と呼称したのは、こういう倫理委員会が医療機関に依らず地域に設置に永続的に設置されることが必要ではないかと個人的には思っているからだ。
もしそういう倫理委員会があるとさまざまなメリットがある。

個々の医療機関には、例えば臨床研究や治験の承認機関としての「倫理委員会」が設置されているのが普通だ。
が、近年、意思決定支援などを行うことが増え、病院の内部で倫理的な問題を取り扱うことが非常に増えている。
この部分は、ここ数年注目されてきており、当院でも、自院内の倫理委員会に、治療方針などを諮ることが非常に増えている。
(逆にいうと、一医師と一患者の関係性だけで決められないことが、とても増えているのだ。去年だったか、透析の福生事件というのもあったが、ああいう、簡単に意思決定できないことがとても増えている)

病院であれば、多職種そろっているが、例えば診療所であれば、意思決定を院内で円滑に行うというのは結構難しい。
現行の体制で、そういう意思決定支援を外部に諮る仕組みもない。
けど、そういう事例が今後も増えてくる。
倫理的なイシューについて(そんなに大岡裁きのようにクリアでなくても)共有する仕組みが、今後もあったらいいと思う。

問題はそれに関わる予算だよな…
今回の「極限状況」で各地域に「倫理委員会」のようなものの枠組みができると、戦後はその枠組みを少しスライドさせて使っていくことは可能なんじゃないかと思う。

*1:皮肉なことに、医療は亡国ではなく、基幹産業のように考えるべき、という考えもでてきている。ただ医療費が増大すれば国際収支は赤字に傾くのは確かだ。

*2:しかしこれは他業種も似たり寄ったりではあるので、医療従事者が「俺たちは大変なんだ!」と訴えても、今ひとつ響かない。みんな余裕がないのだ。

*3:誰とは言わないが、Y知事には、そういうインテリゲンチャの素養は極めて乏しいように思われる

「新たな病床機能の再編支援について」

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2020 衆楽園(津山)

コロナで日本中がてんやわんやしている最中、実はこんな提案が厚生労働省からでていた。
あまりブログやSNSでも話題になっていなかったが、募集はもう終わったので掲載してもいいだろう。

<新たな病床機能の再編支援について>
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000683711.pdf

読んでいただければいいが、病床削減をすると、その分お金だしますよ!というめっちゃ明け透けな提案だ。
一ベッドあたり、100万〜200万。
あとは病院間の統合によるベッド数削減や、債務整理などに関しても補助がでるという計画で、地域の病床再編を支援するという提案だった。

高橋泰先生が「今後の日本の医療は撤退戦だ、信長が浅井朝倉連合軍と戦った時のようだ。すなわち金ヶ崎の戦い=「金が先」」なんて言っていたけれど、大筋はそういう考え方に沿っていると思う。今後病院の数は減らしていかざるをえないし、集約化は必須の流れだ。
hanjukudoctor.hatenablog.com


実際人口減少地域では、どんなに経営努力をしたって病床はなかなか埋まりにくくなっているのは事実。
10年後はさらにひどいことになる。
どうせ使っていない病床であれば、今こうやって返上して、コロナで毀損したキャッシュフローに当てても…と考える医療機関はあってもおかしくないだろう。*1

今回の計画の予算は約80億円。
一ベッドあたり 100~200万円(稼働率によって違うらしい。えげつない)てことは4000-8000ベッドくらいをまずは削減対象にするってことか。総ベッド数は一般88万、すべて合わせて150万床弱なので 0.5%くらいの量だ。
まずは観測気球として、地域のお手並拝見、ということなのだろう。
この提案に対する手上げの様子をみて、来年度以降も同様の政策を決定してゆくものと思われる。

コロナ下で、「医療体制の逼迫」という中での提案というのが、ややイメージが悪いが、そもそもこういう休眠病床は、今逼迫している高度急性期もしくはアクティブな急性期とは性格の異なる病床で、コロナ患者を受け入れる能力を有していないことが多い。*2
なのでこの部分を整理・削減してゆくことと、コロナで病床が逼迫していることとは、矛盾しない。
こういう経営効率の悪いところを切り捨て、需要のある方にリソースを分配していく方が、おそらく国全体の利益にはなるだろう。

ただし、地域格差や地域偏在などについては、悪化するのは間違いない。

それにしても、往時は、ベッドは病院同士で競り合ったり、これよりは高額なお金で売買していた時代が、嘘のようだ。
時代の流れを慨嘆するね…
大体一ベッドに患者さんを一日入院させていると、療養型であったとしても2万、地域包括ケアであれば3〜4万、急性期病棟であれば6万くらいの医業収入になる。病床利用率率を低めに(例えば60%)見積もったとしても、一年で2万x365x60%=438万は収入になるのだ。
それを返上して100-200万?一時的なお金だぜ?まあふざけた話にも聞こえる。
が、病院というのは旅館業などと同じく、固定費の多く、利益率の低い業種である。平均の利益率1-2%くらいなのだ。
まあ返上を考えているようなところでは万年赤字に違いないから一ベッドあたり得られる「利益」の数十倍の現ナマを掴ませてくれる……と考えることもできる。そう思うと、この提案は「ケリ」をつけるのにはいい提案なのかもしれない。
葬式代くらいにはなるやろ…という感じだ。

それにしても病棟返上は、縮小均衡そのもので、未来のない話だ。
ただ、地域事情に未来がないのだからしょうがないのかもしれない。


半熟三昧:

『皇帝たちの中国史』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
気がつくと、12月ですね。はー……
12月は例年あまり調子がよくないのですが、今年はなおのこと。

*1:実際まあまあの応募が地域によってはあったらしい。10月に発表されて、締め切りは11月末…理事会も社員総会も経る方針決定だろうに、みんなまずまずのスピード感だと思った

*2:こういうやや低機能の病床を、軽傷者のコロナ収容に当てられるのであれば、医療逼迫とはならないのだが、なかなかそうはならない。それぞれが民間病院であり、号令のもと、診療のあり方を強制できないからね。本当は、ホテルに収容するよりは、最低限の医療監視体制は備わっているので、そういう形で国民の福祉に貢献できていれば、このような存廃を問われる事態にはならなかっただろう

コロナはフレイルを招き、フレイルは顧客を長期的に毀損する

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2020, 福山

コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
第三波が、地域によってはシャレにならない事態を引き起こしつつあるようだ。
当地域は、第三波らしい波もまだ来ていないのだけれど、もしこの地にクラスター感染が多数発生し、重症患者がある程度出現しても、医療のキャパが低いから、あっという間に詰んでしまう。
その意味では、他の地域で起こっていることを、固唾をのんで見守っているのが現状だ。

外食もなかなかできないね。
歓送迎会とかそういうのが迫っているんですけどね…

クライアントの高齢者の方々:

私は地域密着型の中小病院と透析施設を擁する医療法人にいるのだが、我々の顧客は、透析患者さんであったり、近在の地域の方々だったり。
病院に通院・入院する人の常として高齢者が主力だ。

我々の使命は、クライアントである患者集団を、できるだけ健康で長持ちさせてゆくことだ。
コホートの損耗をできるだけ避けて、温存させる。ハザードレシオを高値に保ち、生存曲線を高止まりにする。
抽象的にいえばこういうことだが、もうちょっとわかりやすい感じで言おう。

大きな味噌玉のようなものを、お湯の中に入れて、できるだけ揺らさないようにして、溶け出て目減りしないようにして運んでゆく。
慎重に運べば、大きな味噌玉であろうし、揺らしたり雑に扱えば、味噌玉は溶けてなくなってしまう。

転倒後のリハビリであったり、誤嚥性肺炎の治療をしても、すべての人が助かるわけではない。
老いには逆らえない。寿命としかいえない顛末はあるけれども、質の良い医療を提供し、しっかりリハビリをして元気に退院する場合もある。後者が少しでも増えると、味噌玉の減りは抑えられる。

きちんと診療し丁寧な外来診療などで疾病を未然に防いでいれば、その見返りとして自分たちの顧客は減らず、良好な経営状態を保つことができる。その意味でいえば、顧客と我々医療従事者は互恵性がある共犯関係にあるわけだ。

2030年、2040年にむけてこれから地域の高齢者がどんどん減っていく。
自院の勢力範囲の味噌玉=クライアント集団にできるだけ質の高い医療を提供し損耗を抑えることが、地域密着型の病院の基本戦略なのである。*1

ところが、コロナによって、高齢者の方々は、少なからず、日常の生活を変えることを余儀なくされた。
『緊急事態宣言』の時は、みな外出を控えてテレビに張り付いて、いたずらに恐怖を煽り立てるワイドショーをみていた。不要不急な外出は控えましょうと言われ愚直に従い、朝晩の郊外の散歩などさえ控える人は沢山いた。
結果、歩ける人が、ちょっと歩けなくなったりして、要介護度が増えた。
介護施設の多くが面会不可となったのも大きい。家族の面会が減ると外的刺激も減ってしまう。精神衛生上もよくない。
認知症が通常よりも進行したよな…と慨嘆する事例はいくつか目にした。
もちろん、きちんと体を動かしていた人もいたが、むしろ少数派だった。

結果的に、どのくらいのインパクトがあったのかはまだわからない。
重要なのは、総体としてみて、我々が2030年くらいまで大事に大事に目減りを抑えて引き継いでいかなきゃいけない原資である味噌玉は、この2020年で、例年以上に溶け出してしまった、ということだ。
溶け出した味噌玉は、絶対に戻ってこない。

多くの医療機関での単年度の経営の悪化は、これは算出できると思う。
ただ、この顧客の健康状態に対する影響というのは算出が難しい。ストックの毀損なのだが、普段このストック自体はあまりとらえられていないからだ*2

シビアなことをいうと、地域の医療需要と介護需要のピークの再計算が必要ではあると思う。
需要予測カーブは、大幅に下方修正して考える必要があるのかもしれない。
2040年に事業をやめようかと思っていたのが、2035の時点で損益分岐点を割り込むようになっていた、とかだとシャレにもならない。

フレイル

しかし、高齢者のフレイルが大問題だ、など「上から目線」で語ったりしているけれど、
サルコペニアとかロコモティブシンドロームなどの身体的フレイルは高齢者に特有の弱点であろうが、
こと、社会的なフレイル=ソーシャル・フレイルに関しては、我々世代の方が現時点でさえよっぽど高齢者のそれより脆弱だ。

社会的なネットワークからはみだし、友達もおらず、一緒にご飯を食べにいく友人もおらず、休日も特にやることのない人は、沢山いる。
仕事に行っている時以外では、ほとんども口もきかない、とか、そういう人も沢山いる。

高齢者の心配なんかしてる場合なんかじゃない。
さらにいうと、現役世代の「経済的フレイル」(ファイナンシャル・フレイル)は数段深刻でもある。
数十年後に見える地獄のことはあんまり考えたくない。

*1:一方、顧客を抱え込まず、地域の診療所や介護施設・病院から重症患者を送り込まれてくる基幹病院ではフロー型のビジネスモデルになるので戦略は全く異なってくる。

*2:年齢調整人口と要介護度の比率という統計データの年次推移があれば、ある程度目に見える形にできるかもしれない