
最近、漫画をよく買う。
……いや、昔に比べて最近、漫画の発行点数って多すぎません?
そして、売れたジャンルはとことんこすられる。
見渡してみると、異世界転生とか、異世界チートとか、死に戻り公爵夫人とか、悪役令嬢とか、引退したおっさん冒険者なんとか……。
もうなんか色々な設定が順列組み合わせで、数限りない漫画が延々と生産されている。
一応弁護しておきた。
こうした作品群、どれも、平均すると昔の漫画よりも絵柄もコマ割りも読みやすく、よくできているとは思う。
だから当世の漫画家さんたちは、昔より総じてレベルが高い。
しかし、その結果(、かなんなのか)どの作品もやたら長い。
10巻、20巻、30巻……*1。
さっさと打ち切られるものもある(「〇〇先生の次回作にご期待ください!」)が、結果として面白いものは得てして長く、面白くないものは短めであることが多い。
でも、本来はそうじゃない。
作品の面白さと、作品の長短は、本来は独立した因子のはずだ。
作品の面白さと作品の長短
本来は、面白い短編もあれば、つまらない長編もあるはず。
短いからこそ面白い作品もあるし、長い時間をかけなければ描けない物語もある。
今の状況を生み出したのは出版業の淘汰圧のためだ。
売れない作品は終わらせる。
売れる作品は終わらせない。
売れる作品を終わらせることに対しては強烈なディスインセンティブが働く。
ドラゴンボールと鬼滅の刃
『ドラゴンボール』がいい例だ。
亀仙人が「もうちっとだけ続くんじゃ」と言ったのは、ピッコロ大魔王(の生まれ変わりマジュニア)を倒したあたり(17巻)だったと思う。
それから実際には、サイヤ人が来て、フリーザが来て、人造人間セルが来て、魔人ブウが来て、42巻まで続いた。
あれほど売れるタイトルは簡単には終わらせられなかった。
作者個人の一存では終わらせられない巨大なビジネスになっていたのだろう。
結果としてドラゴンボールは鳥山明という天才がバーンアウトするまで続くことになった。
それを思うと『鬼滅の刃』ってすごいと思う。
『ドラゴンボール』級のヒットであり同様の力学が働いたはずだ。
それなのに、淡々とストーリーを進めて、大きくブレさせることなく完結し、世界観を広げる余地を残さず、物語世界を閉じた。
並の胆力ではないと思う。
それは、あの世界を作者がいかに愛していたかの証だろう、と思う。
……けど、無理矢理引き伸ばされた作品の作者だって、並々ならぬ愛情を持ってるはずだ。
愛情の多寡というよりは、令和は良くも悪くもクリエイターの意向が尊重される時代だからかもしれない。
世界を作る才能と、物語をしまう才能
最近の漫画に、まず重要なのは「面白い設定」「世界観と登場人物」を作ることのように思える。
登場人物を動かす世界=空間をまず作る。
あとはキャラクターを増やし、敵を増やし、イベントを増やしていけばいい。
作品世界が十分魅力的なら、物語は勝手に花開いてゆくのだ。
巻数は増え、シリーズは続き、スピンオフという形で、一度作った世界観を何度でも商品化できる。
これはこれで、すばらしい才能だと思う。
ただ現代は「世界を作る能力」に経済的なインセンティブが集中しすぎてやしないだろうか、と思う。
一方、ストーリーを作り、それを適切な終局へと導き、きちんと結末をつける能力は、あまり評価されてない気がする。
本来ストーリー(プロット)はディテールを削ぎ落とした状態で作られうるものだが、現代はまず世界ありきであるように思う。
そして、適切な長さでストーリーを終わらせる能力、に関しては、経済的なインセンティブが働かない。
物語に結末をつけるのは、ひとつの独立した技術
伏線を回収すればいいというだけでもない。
どこまで説明し、どこを語らずに残すか。
登場人物をどこまで成長させ、どの瞬間に読者と別れさせるか。まだ続けられる物語を終わりにする決断。
これは、世界観を作る才能とはまた別の才能だと思う。
終わらない物語に慣れてしまった私たち
問題は、読者の側にもある。
面白い作品が終わると、我々は寂しくなる。
もっと読みたい。
あのキャラクターのその後を知りたい。
別のエピソードも描いてほしい。
そして、出版社がそれに応えてくれる。
ところが、そういう作品ばかりを消費していると、起承転結に無駄がなく、すっきりと完結した作品に対して、逆に物足りなさを感じるようになるのかも。
僕自身、そういうところがある。
「もう終わってしまうのか!」と。
本来、物語というものには終わりがあるもの。
終わりがあるからこそ、登場人物の行動には意味が生まれる。
取り返しのつかない出来事があり、二度と戻れない時間がある。不可逆に変化、というわけだ。
しかし、商業的には、取り返しのつかない出来事よりも、いつでも元に戻せる世界の方が都合がいい。
主人公が成長しきるよりも、次々と新しい敵が現れる方がいい。
世界の謎が解明されるよりも、さらに大きな謎が出現する方がいい。
いわば、物語が「結末へ向かうもの」から「継続すること自体が目的のもの」に変わってゆく。
結末を失った物語の行方
これは漫画だけの話ではない。
映画の続編、ドラマのシリーズ化、ゲームの追加コンテンツ。
成功したコンテンツは、できるだけ終わらせずに利用し続ける方が経済合理性にかなっている。
今後、生成AIによって物語の生産コストが下がれば、この傾向はさらに強まるかもしれない。
人気のある世界観とキャラクターさえあれば、新しいエピソードはいくらでも作れる。
そうなると、最後に残る希少な才能は何だろう。
それこそが「物語を終わらせる能力」ではないか。
ただし、その能力に対して、現代ではお金を払う仕組みがない。
売れる作品を終わらせることは、売上を自ら止めることを意味するから。
物語を見事に完結させたことに対する報酬は、続編を作り続けた場合の利益をなかなか上回らない。
だから終わらせる技術は磨かれにくくなる。
作り手も、受け手も、終わらない物語に慣れてゆく。
しかし人生には必ず終わりがある。
だからこそ、そもそも人間は物語に結末を求めてきたのではなかったか。
物語を始める才能と、物語を終わらせる才能
今の時代、前者ばかりが経済的に評価され、後者はむしろ損な役回りになっている。
そのうち我々は、面白い物語を作ることはできても、よい物語を終わらせることができなくなるのかもしれない。
そして、それは文化的に何か損失を生むのではないか。
ビジネスの世界では、風呂敷を「広げるひと」「畳む人」みたいに言って、「畳み人」がもてはやされたような文脈があったが、
文芸の世界においては、そこらへんはまだなのかもしれない。
*1:ここ最近は本・漫画類はKindleで買っていたのだが、あまりにもそういうので占拠されたもんだから、マンガサイトとかに一時期逃げたものの、結局コンテンツをどっちの媒体で読んでいるかがめんどくさいので、結局Kindleに一本化






