半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

ファブルは俺達の手に余る

2026年、石鎚山(愛媛)
6月に入り、診療報酬改定。
うちは中小病院なので、目立った恩恵はなく、新しい加算を粛々と取ってゆくのみ。
嘆息。

AIの使い方

最近読んだけんすうさんのnote。
kensuu.com
深く同意しました。最近自分も同じような経験があったんです。

私とAIとの関わり

数年前に生成AI黎明期から*1にこういうブログを書くときのサポートをAIにさせたりしていたんです。
hanjukudoctor.hatenablog.com

確かに最初はAIすごいな、と思った。
慣れてきたら、だんだんラクをして、
まず箇条書きのメモから本文テキスト生成をAIにさせて、できた仮完成テキストを私が足し引き(引きの方が多い)して、文章を完成させる。
みたいな感じにしていたんです。
AIを頼れる部下にしてたんです。*2
しかしこの方式でテキストを作っても、あんまりいい読み味にはならないことに気づきました。

AIの文章は減点法で評価したら100点なんですけど、それだけ。
頭に残るものが少ない。
仕事とかで使う原稿とかは全然それでいいんですけど(コラ)、
自分が書いたものを世間に出す目的だと、そんなの、数多ある文字情報のゴミを増やすだけだよな、と思ったりしてました。

アフィリエイト目的のなページって、文章は一見しっかりしてるのに得るものが何もないテキストが山ほどあります。ある時期から、この手のページはAIを使ってると思われる感じになりました。読んでも一層得られる情報がない。
そういうのを見るにつけ、ゴミを増やすわけにはいかん、とか思ったりするわけ。

なのでけんすうさんのnoteを読む前から、
自分のAIの使い方は変えてました。

AIに上司の役をさせるわけです。やっぱり。
編集者というか、デスクというか、そういう役を。

とりあえずテキストを書くのは私。
出来上がったら、テキストをAIに見てもらう。
「論理的におかしくない?」
「もっと伝わるような話し方にできますか?」
みたいに、お伺いを立てる。

そうすると、
「うーん、ここは少し論旨が弱いですね」
「やや不正確です。わたしならxxxx〜という一文を入れます」
「この表現だと敵を作りかねないです」
みたいなアドバイスくれるんですよね。

上司部下を転倒させることで、むしろ文章の完成度は上がったように思います。

しかし、もうこれ、人間の創作活動としてはだいぶやばいことになってるんじゃないか?
と思う。
勝ちか負けかでいうと、負け。

文章力なくても、文書けるよ、これ。
もちろん提示された選択肢の選択やAIへのプロンプトも含めると文章力で成果物の出来は左右されるとは思うけど、まあそれは好みや自己満足に過ぎないとも言える。AI使えば、アホでも少なくとも怒られない程度の文章は書ける。

テキストの読み手もAI

そもそも文章はもう時代遅れだなと痛感してます。
2000字以上のものは読んでもらえないです。
アクセス数は年々減ってる。

同じ情報であれば皆youtube動画を見る時代。
長いテキストを読む文化は、ほぼ消失途上にあるなーと痛感しています。

この辺りは、この本を読むと理解しやすいような。

僕自身はテキスト書きのマネタイズの努力を放棄しているから(本業で稼ぐから)なんとも思いませんが、収入源として本気でやってる人はクリエイションの主軸をyoutubeやtiktokなどの動画生成に移すよな、と思う。

むしろAIが読者

ただ、こうやってしこしこ書いてるテキスト、むしろAIが読んでくれてるみたいなんですよね。
狭い分野についてさらに深掘りしたくてAIに検索をかけたりすると、なんか見たことあるような情報…あ、これ俺が書いたやつだわ、みたいなことはしばしば起こります。

だから、最近はAIに一次情報を提供する意義があるならそれでいいや、と思ってます。

ホモサピなんかもう知らん!
ってすねちゃったりして。

おそるべしFable。

この数年で、AIもどんどん進化してて、賢くなっていることを実感してます。
今や東大を首席で入学できるらしい。

私はnoteでジャズのこと書いてるんだけど、時々割と難しいテーマ書こうと、資料を集めたり、論旨を整理して書きかけのテーマはいくつかあるんですよね。
そういう論考系の場合AIを壁打ちにしたりするわけなんですけども。

たとえば、

  • 80年台のヤンキー漫画、『ビーパップハイスクール』はジャズ文化とどのような関係があるのか?とか、
  • 日本でのジャズの流行はクレオール文化の観点から考えると理解しやすいのではないか?

とか、そんな感じのすぐには答えが出ないテーマについて書こうと思ってるわけ。

最近、久しぶりにclaudeを開けると、話題のFableが使えるようになったから、こういう難しい話を振ってみた。
そしたら他のAIに比べて格段に深い答えが返ってきました。びびった。
そのあとアメリカ様の思惑でFable使えなくなったので、本当に運良く使えてラッキーでした。

しかし正直、この得られた答えを元に記事を書いたとしても、ほとんどの読み手のリテラシーのキャパを超えてるからバズらんな、と思った。

その意味ではファブル(本当はフェイブルだと思いますが、漫画『ファブル』好きなもんで……)級の賢さは、もう俺たちの手にはおえない。
…とタイトルで呟いたわけです。

AGIはともかく、AIはマス層の知性を遥かに凌駕する領域に達しているとは実感した。

こんな世の中で、今の若者は勉強する気になるんだろうか?
少なくとも座学や思惟の領域では、AIにはどうしても勝てそうにない。
……ま、physical AIが出現するまでは実験や物作りの領域の需要は消えないか。


*1:chat-GPT 4でしたっけ

*2:ちなみに仕事(医療)においては比較的早期からAIを導入しています

選挙雑感-勝ちは本当に勝ちか

2026, 山口

2026年衆議院議員選挙が終わった。
蓋を開けると、自民党の歴史的勝利。
単独で300議席超え、衆議院の3分の2以上を占める「スーパー多数」に至った。
とりあえず選挙に携わった皆様お疲れ様でした。
軽音の先輩である高市首相、権力基盤が盤石化できて、ここからが本領発揮というところでしょう。

この勝ちは本当に「勝ち」か

中国の故事に「人生万事塞翁が馬」という言葉があります。ある出来事が一見すると幸運に見えても後の不幸につながることもあるし、逆に不運に見える出来事が、後に幸運へと転じることもある。

人生の出来事は、短いスパンでは簡単に評価できない、という含意をもつ言葉です。

今回の選挙結果はそれだよ。

自民党

自民党は、あまりにも勝ちすぎました。
勝ちすぎると何が起きるか。
まず、言い訳ができない。
これまでは「野党の足並みが揃った」「情勢が厳しかった」「一部の政策が誤解された」など、敗因や停滞の外部要因を結果が伴わない言い訳ができたが、今後は結果が出なければ、その責任をすべて自分たちで引き受ける立場。そして経済も国内情勢も、相当うまくやってもそんなに成果はあがりにくいハードモードです。
さらに巨大与党は内部に緊張を孕みます。
派閥の主導権、路線の違い、次のリーダーをめぐる思惑。外に敵がいない組織ほど内側は割れやすい。今回の「勝ち」は、次の選挙や次の政権運営において、むしろ重たい足枷になる可能性もあります。塞翁が馬、です。
それにここまでの盤石な権力基盤だから敵対勢力は仕掛ける暗殺や失脚のインセンティブも高くなる。

公明党

一方で、公明党立憲民主党

今回両党は事実上の協力関係を築き、「政権交代」を正面から狙い、そして敗れました。
問題はその負け方です。
立憲民主党側は全滅に近い打撃を受けた一方、公明党議席を大きく減らさず(むしろ増えた)党としての党勢は維持した格好。
これから見ると、公明党は選挙に勝ち、立憲民主党は負けた、とは言える。

ただしこれも塞翁が馬。
公明党は確かに議席は守ったという意味では勝ったけど、本来は政権交代であり、最大のカードを切ったのに勝てなかった。議員減はなかったけど、それはあくまで結果論。
負けは負けなんです。
そして、全面衝突で壊滅したけどその被害が10:0になるように振る舞った党(選挙はゼロサムゲームですから、壊滅した立憲からは被害を押し付けられたように見えます)と次は誰が共闘したがるでしょうか。
もし今回、もっと痛みを分かち合うような契約にしていたら、次も共闘する目はあったかもしれない。しかし「負けたが壊れなかった」結果は次の一手を難しくしており、いずれ手詰まりに向かう可能性も十分あるでしょう。ま、今回は公明が狡猾というよりは立憲がバカすぎたということなんでしょうけど。
狡猾に見られてしまうことは、中長期的には損をすると思う。

液状化した票

今回の選挙で印象的だったのは、組織票の意味が相対的に薄れてきたことです。自民党との連立を解消し、立憲と組む。創価学会と連合岩盤の支持層のある団体ですから、かつての政治のあり方で言えばかなりの脅威になってもおかしくはなかった。
しかし蓋をあければあんな体たらくでした。

出口調査では、特定の支持母体に依存しない層、特に若年層や無党派層での自民党支持が目立ちました。かつてのように「この団体が動いたから勝った」という説明が、成立しにくくなっています。

むしろ今回の高市政権で浮かび上がってきたのがナラティブ(物語)の力でしょうか。
誰が批判したか、誰が失言したかよりも、「この政権は何をやろうとしているのか」「実行できそうなのか」というストーリーが重視されたように見えます。当初、高市さんは「高市を承認するのか、しないのか」みたいな言い方をしており、いわゆる憲政のあり方になれた旧来人からは冷ややかな視線を浴びていたのですが、これが今有権者に刺さる、という確信があって仕掛けたのだろうな、と思う。

ネガティヴへの忌避感

ネガティブな言動への忌避は想像以上に強く、有権者は批判よりも実行力を選びました。
これも明確でした。

筋を通したゆうこく連合が議席を取れなかったのは、顔が怒ってるからです。昔は「憂国」で票が取れたけど、今は怒ってるだけで、多分ダメ。
また、れいわ新撰組がダメで、チームみらいが躍進したのもそのためでしょう。
批判、他責的な言動はまとめてゴミ箱に捨てられた感があります。この辺りは2010年代から2020年代に向けて、一般国民の常識が徐々にこうなっていたのを、*1読んでいた人、読みきれなかった人で明暗が別れたような気がします。

今後どうなるのか

少なくとも今回の選挙は高市総理を歴史に名が残る存在にさせたことは間違いないし、政治は後戻りできない次の時代に強制的に進まされた感はあります。
世の中と政界の間の乖離があらわになったので、次の選挙ではアプローチが変わるでしょうし、その勝者は常に自民党であるとはかぎらないとは思います。
多分SNS分析と選挙戦略でアメリカの会社とか使ったりくらいはしてるでしょうけど、こういうのはコモディティ化するわけで。

それにしても国際政治は混迷の度を深めていきます。一年後世界情勢がどうなっているか、全く予想もつきません。面白い時代ではありますね。

*1:岡田斗司夫がいみじくも「ホワイト社会」と呼んでます

訪問診療のAI文字起こし時代に必要なのは「落語的しゃべり」かもしれない

2026年, 佐賀

衆議院解散。冬の選挙かー。
しかし私が在住している選挙区は、保守王国なので番狂せはおこりにくいのです。
いや、前回あんなこと書いたけど、今回何十年ぶりかの診療報酬プラス改定+補正予算
医療従事者としては高市政権には足向けて寝られへんで。

とはいえ、情報がすべて有権者に明かされていないところに、若干のフラストレーションを感じます。
多分今の時期に解散をうつのだって、僕たちが知り得ないいろんな事情があってのことだろうし、きっとそれはあからさまにアピールできないことなんでしょうけど。

医療の効率化

医療DXと言われて久しい昨今ですが、先進的な医療機関では容赦なく効率化は進んでいます。*1
DX、効率化の第一歩としてはAIによる自動文字起こし(文書入力の省力化)が当たり前になりつつあります。
この辺は一般のビジネス現場と変わらないと思う。*2

診療記録を自動で作ってくれるのは便利ですが、実際に使ってみると、精度を決めるのはAI性能より「話し方」に左右される。早口、曖昧な主語、省略だらけの会話、滑舌の悪さがあると、文字認識がうまくいかないこともしばしば。

そもそも文字起こしに対応するためには、文字起こしに適した喋り方にアジャストする必要がある。
文字起こしを前提にしゃべる必要がある。

「じゃあそれで」「いつものやつ」「前と同じで」といった省略表現は、人間同士では通じても、AIには難しい。
逆に「今日は食欲が落ちている」「夜間の呼吸が少し苦しい」「昨日から足のむくみが強い」と、主語と状態を明示して話すと、記録の質は一気に上がったりするわけです。

じゃあ、その理想、というのを追求した果ては
………実は、落語の喋りになるんじゃないか?

ちょっとやってみましょう。

……しかしなんだね。今日は天気がいいやね。2月っていうのに、日がさしているところは、もう春みたいじゃないか。
そうこう言っている間に、本日の二軒目、山田さんちにつきました。
アパートの206号だね。
おや猫だ。
やだねえ、お前にあげるちゅ〜るなんて無いよ!
  え?看護師さん、もってる?
  じゃあ往診の帰りにあげとくれよ。今はだめだよ。
……階段を上がって右に曲がって、ほら206号だ。
おい、山田のご隠居! お邪魔するよ。
今日はあったかいけど、腰はどうだい?
ちょいと食が細いみあいだね。配食の弁当、半分も食べられてないじゃないか。

熱は……出てない、36.7度。血圧はどうかい……132の74、脈も78だね。
拍はきれいに打ってる。
呼吸は落ち着いてるね。……あ?そう?夜は少し息苦しいんだね。歩くと息がきれるかい?
足のむくみは……っと。
昨日よりちょいと強いね。右は靴下のゴム跡が目立つね。
ちょっと音を聞かせてもらうよ……肺は澄んでる、ラ音もないね。心臓も雑音なし。
……薬は……ちゃんと飲めてる。利尿薬も飲んでるね。

……うん。わかった。大きくはかわりないみたいだね。今日は無理せず現状維持で様子をみましょう。
食事量がもう一段落ちるとか、むくみが強いなら、すぐ連絡くださいよ。
また、ご家族を呼んでおいてくれないかい?今後のことも話しておかなきゃなんねえなあ。

カルテ記事
S) 食欲はやや乏しい。夜は息苦しい
O) BT 36.7℃ BP 132/74mmHg 78bpm 整 Raleなし、心雑音なし
 下腿浮腫あり 服薬良好
A) 心不全あるも増悪なさそう
P) 現状で経過観察

てな感じでしょうか。いま、落語っぽい感じに、ずいぶん寄せて想定してみました。

文字起こしがない時代の往診は第三者にむけて話しているわけではないので、そんなにしゃべらないはず。余計なことは言わない。
実際にこんな感じで実況しながらぶつぶつ歩いていたら、完全にやばいやつ。
でも「誰もいないのに、誰かに向けて喋っている」というのが文字起こしの正しいモードですから。

落語は、登場人物の会話や状況、会話や行動のすべてが聴衆に対して言葉で構造化されているわけです。一人芝居でパントマイムもあるけど、誰が何をして、何が起きて、どう感じたかが、言語だけで伝わる設計になっている。
これが文字起こしAIにとっては、非常に伝わりやすい。

AI時代の診療コミュニケーションは、機械に合わせるというより、「構造化された日本語」に戻ることかもしれません。
効率化の先にあるのは無機質な会話ではなく、むしろ語りの技術の復権

プライマリ・ケア連合学会では、「落研」や落語家による初等教育のセッションなんか設けたら盛り上がるんじゃないだろうか。

訪問診療は、医療と物語が交差する現場です。
ナラティブに磨きをかけることをつきつめてゆくと、日本の伝統芸能である落語や講談師みたいなスキルを21世紀に活かせるのかもしれないなー、と思ったりした。
知らんけど。

*1:その一方、未だ紙カルテの医療機関も一定数いるわけで、その辺の乖離でも商売が成り立っているのはすごいなーと思ったりします

*2:私はまだプラウドには心理的抵抗があるのですが

まさか部活の先輩が総理大臣になるとは

windowsじゃないですよ。2025, 札幌

高市早苗さんが総理大臣になった。

えらいこった。

いや、関係ない話なんですけどね。
誰が自民党総裁・総理大臣になろうが、そりゃ日本の大枠の流れが変わる点では影響はあるけど、僕個人にはほぼ関わりのない話ですやんか。

ただ、私は神戸大学で、ジャズとかやってて、学生時代は軽音学部ジャズに属していた。

……そう、高市早苗さんは、軽音の先輩なのである。

どう受け止めていいのかわからぬ

このニュース、自分の中でどう咀嚼すべきか、
自民党の総裁選で見事な逆転勝利をおさめた時から決めかねていた。

実際、雲行きも順風満帆とはいえず「ほんまに総理になれるんかいな…」と危惧していた。
「おめでとう!」的なコメントを発する気にもなれず、ドキドキしていたわけである。

とりあえず総理大臣が確定して、本当に安堵しました。おめでとうございます!!!

しかし、そもそも軽音学部ってところは、学業を疎かにして音楽を享楽的に営むロクでもないところで、そもそも政治・経済には全く縁遠いわけである。
私は1993年入学だが、奇しくも高市先輩は衆議院議員初当選の年である。しかし軽音でそんなニュース一度も聞いたことなかった。
もちろん面識もない。
私のようなモブキャラなど。

その程度の関係性で、今更何が言えよう。
ただ、国際情勢は乱世もいいところ、ただただこの難しい局面での国政。
お身体に気をつけて全ういただければと思う。

ちなみに神戸大学出身の総理

ちなみに「軽音の先輩」は属性が近過ぎて未だ受け止めきれてないのだが、少し主語を広げ「神戸大学出身の総理」という切り口ならどうだろう。
「母校から総理」だと、わりと素直に「わーすげえ。おめでとう」って思えるかも。

なので調べてみると、高市さんよりも前に神戸大学から総理になった人が一人だけいた。

……「宇野総理」。
そう、3ヶ月もたなかった『指3本で退陣』の人。*1

高市さんが自民党総裁に選出された時に、ここまで調べて「こらあかんわ。神戸大学出身、ゲンが悪すぎるかも」と思った。
こんな縁起の悪いこと、よういわんわ……と思っていた。
のでとりあえず総理になってよかった!

……あー、しかし医療費削減4兆円とか主導してる維新と組んだし、俺らの業界終わったかも。
おめでとうございます(白目)!

*1:厳密にいうと宇野さんはかつての神戸商業大に入学し、学徒出陣で卒業はしていないらしいのだが

51歳

2025, 高知県三嶺

や、気がつくと誕生日でした。
51歳になるみたいです。

人生の舵取り

やー、もうわかんない。人生計画。
自分自身よりも世の中の動きがカオスすぎて、この先どうなるのか全然読めないですね。

病院経営は構造的にこの先も厳しい。
とはいえ、それなりに社会に必要とされる業務でもあり地域貢献もしてるからやめるわけにもいかない。しかし変化が急すぎて制度ビジネスなのに制度が対応できてないわけでね……

その狂騒を面白く見つめる自分もいますが、世界の変化が大き過ぎるのか、それとも自分のフレキシビリティーが落ちているのか、結果的に時代変化が自分の許容範囲をじわじわと超えつつある。

なるほど、これが老いというものかね。

音楽活動:

コロナ前後、基本的に自発的なバンド活動はやめてた時期もありました。*1今は地元で細々と少人数のバンド、倉敷で大体毎月やるカルテットのバンドに参加してます。
昔のことを思うと細々たるものですが、他の人が持ってくる曲、セッションではやらない曲は、自分なりのセットリストを更新するよい機会です。
その他単発の演奏はぼちぼちありますが、おそらく今の可処分時間だと、これ以上は難しいのかな……
お誘いがあっても断ってると基本的に誘いはなくなるもんです。そして今の自分は平日の40%、土日の60%くらいはなんらかの用事が入っちゃってるから。

セッションに行きがちなのも、そういう事情を加味してのことです。
以前からですが、「地方ジャズ界探訪ユパ様」という感じで、一人で地方都市のジャムセッションに参加しています。
米子・津山・岩国・広島・大分・高松・神戸・水戸・徳島・東京。
松山・高知・姫路・出雲・鳥取は最近ご無沙汰。山口・岐阜・三重・名古屋のセッションまた参加してみたいですね。

演奏については、多分ここ数年、ちょっとずつ上手くなってる実感はあります。ただ、相対的に自分の技量の限界も見えて、うまい人とやった時、不全感を痛感することも増えました*2
がんばっても伸び悩んで、限界も見えている。
しかしそれは自分が頑張らない理由にはならん。
しかし凹むよね。

ピアノも続けてます。
弾いてるだけに前よりもうまくなったけど(以下同)。
とはいえセッションだけでなくピアノで参加したライブもありましたので、少しずつ進歩しているのではないかと思いたい。
ピアノうまくなりてえ。
しかし、うまくなるための練習はしてねえ。「モテたい」といいながらモテるための努力を一切しない独身男子、みたいな感じですな。

ウォーキング

歩くのも相変わらず続けてます。
とりあえず昨年11月は京都ウルトラウォーキング102km完歩しました。

京都ウルトラの軌跡

イベントには参加しないのですが、一人ウォークをコツコツと頑張り、大阪から下関まで自分の歩いた軌跡を繋げることができました。

2025年10月現在 YAMAPの軌跡

また深夜山手線一周したんですが、翌週に同じことしてたyoutuberが殺されてたのにはびっくりしましたが。

山手線一周

現在、西国街道コンプリートにむけて鋭意努力中です*3また10月は小豆島ウルトラウォーク100kmにチャレンジ予定。

しかし最近5万歩/日がなかなか越えられなくなって来ました。夏の暑い時はかなり平均歩数も下がって、歩行距離もじわじわ減りつつあります。

そして最近はめっちゃ運動しても痩せなくなってきました。おやつ食べるからでしょうね。

山も、多少惰性感出てきましたが続けています。
大きな山としては、大山・那岐山・毛無山・由布岳・赤星山、西赤石山三嶺。あとはひたすら低の山。

やればやるほどフィジカルってすごくなるわけでないみたいです。今の運動なりの限界点に達してるっぽい。
さらにブレイクスルーを目指すというと新しいことをしなきゃいけないけど、したとて、フィジカルの厳然たる年齢限界というのは存在する。やんなっちゃうな。

忙しいのきらい

医師会とか様々な所属団体の会合とか、地域での講演会の用事とか、リアルなスケジュールが徐々に増えてきたのも、心苦しいところです。
コロナ禍ってそういうの全部ぶっ飛ばしてたから、あれはあれでよかったなーと懐かしくさえ思う。

時間がね、ないんですよ。
やりたいことはいっぱいあるけど、やりたくないことがいっぱいある。

でも自分に求められている仕事ってあります。
僕のようなとるに足らない人間にも。
日々そのバランスに悩みながら、やりたいことの時間を捻出しています。

僕は自分自身の舞台裏は全部見えてるから、そんな大層なもんでもないというのは知ってるけど、他者から見ると色々すげーやつ、みたいに思われるのは少しおかしい。
まあしかし本だけは無茶苦茶読むからかな。

やりたいこと/今やってないこと

やりたいこともたくさんあるんだよなー。
2025年現在しなくなったこと。ほとんどしないこと。できなかったこと。今後したいこと。
順不同で列挙します。
数年後振り返って答え合わせにする。

  • トレラン
  • カラオケスナックに行く
  • 学会発表
  • 行きつけのバーを作る(酒飲まないけど)
  • ブログをきちんと更新
  • カラオケに定期的に行く
  • 飲み会(グルーミング的な)
  • ポップス系のオープンマイクに参加する
  • ビッグバンド
  • 山の家(およびソロキャン)
  • フェリーとか乗って島に行く
  • 海外旅行(パスポート切れてるけど)
  • VR
  • ドローン/ドローン免許
  • プラ模制作
  • 作曲
  • トロンボーンもしくはピアノを先生に習う

前向きに生きてこうとは思いますが、しかし人生こんな感じかなーみたいなのも見えてきたよね。
反省として、プライベートの自分は独りを貫きすぎる。
仕事の立場上はアカレンジャーではあるけれども、いよいよアカレンジャれなくなってきた。

多分、これはこれで人生の後半戦で望ましくない伏線回収になるような気がする……

*1:リーダーバンドは集客や宣伝、もろもろのバンドマネジメントとかめっちゃ大変なんすよ

*2:そして打ちのめされる人のほとんどは歳下です

*3:あと40km弱

地方講演会の末路

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うさぎが逃げてる、みたいな雲。2025, 岡山
<いや、とにかく暑いですね。暑い暑い。

私は地方の病院経営者でありつつも、いまだに基幹病院で専門外来とかもやっていて、市の医師会の理事とかもやっているから、交友関係が広いと勝手に勘違いされている*1らしく、なんか「地方の顔役」と勝手思われているのか、製薬会社のMRさんが、地方の講演会の企画を持ち込んでくることがしばしばある。
全く「プライマリ・ケア連合学会」的な観点ではNGの態度だ。……プライマリケア連合学会の先生ごめんなさいね。地方の講演会なんて多分5年後には絶滅していると思うからご容赦ください。

そんな僕の卑近な悩みは、「ハイブリッド型の講演会の開始時間。正解はいつやねん」
だ。

製薬会社主催講演会

かつて製薬会社が主催する医師向け講演会は、全国のあちこちで頻繁に開かれていた。
地方の医師にとって、最新の知見を得る「インプットの場」でもあったし、症例などの発表を通じて「アウトプットの場」でもあった。また座長やちょっとした症例発表などのタスクを若手医師に割り振ることで、彼らのプレゼンの経験の場でもあった。医療コミュニティの学びと交流の場でもあると同時に全国学会の地方予選練習試合のようなものだった。

ところがコロナ禍をきっかけに、対面の講演会はほとんど消失する。
その代わりZoomやm3といったインフラを利用したオンラインのブロードキャストが一気に普及した。
また全国学会の単位なども現地に行かなくても取得できるようになった。

自宅や病院から気軽に参加できるのはとても便利で、移動の負担もなくなったのはありがたいことだが、その一方「医師同士が顔を合わせて交流する場」も失われてしまったのも事実。

対面であれば紹介した患者さんのその後のこととか、診療の感想を話し合うこともできるし*2、活字にできないような情報のやりとりもできる。そこにはそれなりの意義もあったように思う。

ただ、コロナ禍も終了し*3、ソーシャル・ディスタンスも無くなった現在も、講演会などはオンラインで開催されることが多い。まあ、製薬会社の地方担当も、息絶え絶えながらしぶとくこの情勢変化に対し、対面もしくはハイブリッドの講演会を復活させようとはしている。

そこで困るのが開始時間なのだ。
昔の対面の講演会は仕事を終えて、現地に参加するためか、19時30分開始というのが定番だった。
しかしオンラインだと、移動時間は要らないため、その時間では遅すぎると感じられることが多い。
働き方改革で、残業も少なくなってきたので、最近は18時や18時30分スタートのオンライン講演会が増えている印象。
働き方や生活リズムの多様化に合わせた最適化なのだと思う。

そうすると、ハイブリッド形式の講演会は何時に始めるのが一番いいのだろうか?
正直まだ正解がわからない。

実は私自身も、製薬会社から「講演会をやりませんか?」と持ち込まれる立場で、いつ開催するのが良いのか頭を悩ませています。聴く分には早い方がいい。19:30はもはや遅すぎる。しかし、現地参加だと、19:00はちょっと早すぎることもある。

ま、正直なところ、「5年後には地方の講演会なんてないよな」と、思うから、
どうでもいいっちゃあどうでもいいんだけどね。

単なる情報提供だけでなく若手の育成や地域の医師同士のつながり、情報共有は、今後も必要だとは思うのだけれども、それが先発薬メーカーの主導で行われていたかつてのありようは、今後おそらく変わらざるをえないと思う。
しかし、どうしたら新たな形はまだ見えない。
どうしたらいいんだろう。医師会員限定のスナックでも作ったらいいんだろうか?
スポーツバーみたいに医師向けコンテンツを流す。食事は近在の一般向け飲食店を使う。
医師講演会のあり方は、これからの医療コミュニティにとって大きな課題なのだと感じています。

*1:酒も飲まないからディープな会食付き合いもないし、そもそもコミュ障なんだよね

*2:オフラインのいいところは、結果がよくない事例についても共有しやすいこと。

*3:コロナは全然終了はしていないが、社会的な観点で

空調服の未来


空調ファンのついた服、みなさん、持ってますか?

空調服の歴史

空調服、初出は1998年。市ヶ谷弘司氏が株式会社空調服を設立し、世界初の空調ファン付き作業服を商品化したらしい。建築現場や製造現場において使用されるも、当初はバッテリーの問題からあまり普及せず。
リチウムイオン電池の高性能化でじわじわ普及。
2022年ごろからワークマンが空調ファン付きベストを大規模に売り出す(ワークマンは空調ファンそのものは2019年から発売)。
2022ごろ、空調ファンの認知度が一気に高まったように思う。

また、2024年アウトドアブランドのMont-Bellが空調ファンの服を売り出したのも個人的には一つの転機だったと思う。
アウトドアの基本コンセプトは「機械に頼らず自分の肉体で自然に立ち向かう」なので、そのMont-Bellが空調ファンというテック丸出しのデバイスを発売したことは、個人的には「おおモンベル、お前もか」とカエサルばりにつぶやいてしまうエポックメイキングだった。

もちろん、アウトドアのギアはたとえばゴアテックスやチタンとか、テクノロジーの最先端素材をふんだんに使ってて、素朴さとは無縁ではある。だが、あくまで人体の動きが主で、科学動力についてはあまり推奨しない。だからこそ、モンベルの意思決定は興味深かったし、脱作業服、という点で意義はあったと思う。
2025年、いくつかのスポーツブランドで空調ファンベストがぼちぼち発売されているようだ。

今後

温暖化は残念ながら収束しそうにもないので、空調ファンは今後一般のアパレルにもとりいれられていくだろう。おそらく今年の6月から2025年6月1日から、職場における熱中症対策が義務化されたのも対策を加速させるのではないかと思う。

普通の人が普通に街中で着る服で、空調ファンのついた服がそろそろ出るかと思ったが、残念ながら2025年春夏は見送りのようだ。空調ファンはコモディティ化しつつはあるが、まだ「作業服」の範疇をでておらず、2025年現在、まだ「オシャレ」な空調服はない。
しかし、いずれ、一般服まで空調ファンは普及するはずだ。

パリ協定、カーボンニュートラルも踏まえると、広大な空間を冷却するのは、今後一部の人口稠密地帯のみに限られる可能性はある。
しかし、もはや薄着にも限界はある。

ファストファッションブランド、一般のアパレルメーカー、そしておそらくいずれはハイブランドも空調ファンのついた服を出してくるのではないかと思う。
僕は来年が楽しみだ。来年はそういうのがでてくるんじゃないかなー。
知らんけど。

洗練化

さて、こっから先は完全に妄想の未来予想なんですけれども。

空調ファン服が、「作業服」から「普通の服」へ浸透してゆけば、当然デザインとしての洗練化を伴うはずだ。
今の、いかにも「作業着然とした空調服」から「おしゃれ着」への変換が起こるなら、服の中の気流にもより留意されるだろうし、ファンもデザインに優れ、目立たないデザインに進化してゆくだろう。
気流そのものも、より繊細で的をしぼってコントロールする形になるんじゃないか。

今の、作動中にはダウンジャケットのように膨らむ外観ではなく、はためいているが、シルエットは大きく変わらないように作り込みがされてゆくに違いない(あるいは、その逆でスカートなど終端が過剰に風でひらひらさせるデザイン効果を強調するような服も出現するかもしれない)

「Intra-Garment Aerodynamics」(衣服内流体力学)のような学問ジャンルができるのではないかと思う。

扇風機からクーラーへ

ただ「空調ファン」は、基本、扇風機だ。
体表面の汗による気加熱を利用して体温を下げるというメカニズムだが、高湿度の状況においては必ずしも有効ではないし、真夏日の屋外作業について、常に40℃を超える環境には、この方式では限界がある。

考えたくないが、2030年ごろには、真夏は40℃を越すのが当たり前になるかもしれない。

現在でも、最近はペルチェ素子を利用して温度を下げるメカニズムも併用されているが、最終的には、遮蔽性の高いボディスーツによって、内外の気温差を作り出すような、真の「空調服」も台頭してくる可能性もあると思う。

これはもはや防護服に近い。
そう、漫画「惑わない星」のように。

漫画「惑わない星」より(石川雅志)

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いずれにしろ2030年代に入って、かつての我々の、夏の光景、タンクトップなどの薄着を着ている映像を、その時代の若者にとって「うわっ…はずかしww。ほぼ裸じゃんww」と受け止められるのかもしれない。
ビーチボーイズ」とか。