半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

原爆の日

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2020の初夏の広島

コロナ、コロナ、コロナ(COVID-19, SARS-CoV-2)……
吉村知事、やらかしてしもうたなあ。
考えてみれば、3月・4月の非常事態宣言直前以来、目立った医療系の「デマ」はなかった。
久々感はあるね。*1
それはともかく、思った以上にコロナウイルス治療開発は進んでいない印象だが(その割に重症化率はじりじりと下がっている)、ワクチンについては各社がしのぎを削っている。ただ、ワクチンが本当に有効なのかどうかはわからない。
どうもコロナは予想を裏切るからね。*2

* * *

8月6日は広島に原爆が投下された日、いわゆる原爆の日だった。
以前にこのブログの前身になるウェブサイトでも書いたが、私は広島県人で、中高大学と関西に出ていた。
広島ではこの日はとりわけ厳粛な日であり、真面目に戦争と平和について考えるのが当然だった。関西では、そこまでの謹厳さはなく、不見識な同級生が原爆について茶化すような発言などに驚いたものだ。(広島にも不見識な人間はいるが原爆を茶化す言動は、まずない。親戚を辿っていくと、被曝した人の一人や二人は居るのが当たり前。他人事ではないからだ)

そういう薫陶を受けて育ったので、基本的に頭でっかちで文化相対主義的な私も、原爆(もう少し広げて核兵器)についてだけは文句なしに反対だ。
(では原発はどうか…というと、それほどアレルギーはない。原子力潜水艦についても容認派だ。)

* * *

ただ、被曝都市広島の、平和発信運動が、将来も続けられるかどうか。
そもそも日本にとっは最後の戦争は太平洋戦争だけれど、その後世界大戦こそないものの世界は紛争で混沌としている。
ともすれば、いつ第三次世界大戦が起こるかもわからない(振り返ってみれば、今起こっている局地紛争が数年後の大戦の引き金になる、なんてことは十分ありえる)情勢でさえある。
その中で先の大戦の記憶が、紛争下の世界に、訴求力を持ち得るかどうか。

時間は距離だ。
時も地層のように堆積し、古い地層は、現代と隔たりがある。
75年の距離は感情移入を阻む。*3
(その意味で、ここ最近「この世界の片隅に」という名作は、あのころの広島との距離を縮めてくれた気がする。)

被爆者の団体も次々解散している。
あと30年もすれば、原爆をくぐり抜けた第一世代の方々はいなくなる。

被曝の語り部も、二世・三世だけではく、当事者とは関係ない若い人が語り部になったりもしているらしい。
伝聞を伝える、ある意味『被爆の琵琶法師』のような存在ということか。

しかしそれが、今の世界情勢のなかで、どれだけの共振力を持ちうるか。

無辜の市民がとてつもない災厄に襲われるという点では原爆は普遍性を持ちうるとは思う。
ただ、現在の世界秩序に反対している運動家からは、広島原爆は、アメリカに反抗して殲滅されてしまった(そして自らの主義主張を曲げアメリカに屈服してしまった)過去の事例ということである。
原爆を落とした側のアメリカは今日も『あやまちを繰り返している』。
では、我々が学んだ教訓は「アメリカには逆らわない方がいい」なのか?

その辺りのモヤモヤは、時代によって、結構かわる。
原水禁運動や、冷戦下の中での資本主義陣営の反対勢力的な要素は時間経過に従って洗浄されてしまった。
その意味では、時間による作用も、悪いものばかりではない。

ジャズブログ:

かなり久しぶりに更新したジャズブログ。以前に書きっぱなしだったシリーズがかなり残っていることに、いまさらながら気が付いた。
今までのコンテンツも、読みやすくすることはできそうだ。

*1:オルベスコの尻すぼみを考えれば、みんなイソジンに飛びつきはしなかったんだろうじゃないかと思う。まるで1910年のハレーすい星大接近の時のタイヤチューブがバカ売れした時のようだ

*2:ワクチン一番乗りに成功した場合のプレミアムは計り知れない。一方、コロナウイルスの感染様式のほとんどは自然免疫であるという説もあり、ワクチンがAdversiveに働く可能性も否定はできないだろう。

*3:ジャズなどという、古い地層の音楽をやっているお前が何を言うかと自問する。ただ、50-60年代というのは70年代生まれの僕とはギリギリ地続きである。それより昔のSP盤の世界には僕は距離を感じる。また今の若者は同じジャズでも自分たちと地続きの世代に親しみを感じているようだ。

『ダメになった王国』

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あつはなつい。2020年。

コロナ、コロナ、コロナ……(COVID-19, SARS-CoV-2)。
コロナウイルス、じわじわ感染拡大してますね。これで第二波なんてない、というのはちょっとどうかと思うなあ…
COVID-19、自分では診療してないのであくまで仄聞だが、病態は非常に興味深いね。特に重症例。

コロナウイルス属って人間界にありふれたウイルスなのに、今までほとんど研究対象になってない。
死ぬ病気でもなかったから、興味本位で研究しても予算もつかなかったのだろうけれど。

だから今回のコロナ禍、アカデミアを擬人化すると「今まで勉強していなかった分野が試験に出た!」みたいな感じなんじゃないかな。
コロナは人間界の盲点を突いた。

今回のSARS-CoV-2ウイルスの研究を通じて、旧型コロナウイルスの研究も進むんじゃないかと思う。
例えばコロナウイルスの感染が、膠原病とか、もっと予想もつかない疾患の発症トリガーになっていた……とか発見されても驚かない。
何しろ、今までろくに調べていなかったのだから。
答え合わせは数年後かなあ。

* * *

当院は80床の中小病院。
基幹病院に比べて高度な診療をしているわけではないが、介護的な観点、社会的な観点で難問を抱えた患者さんはむしろ多い。*1
その場合、入院中の診療もさることながら、問題は退院してから。どうやって安定した在宅生活を維持できるか、に知恵を絞る必要がある。
このミッションの場合、主役は医師ではなく、社会福祉士(MSW、ソーシャルワーカー)だ。

何人も見ていると、難問自体はいくつかのパターンに集約されるのだが、そういう一つのパターンに『ダメになった王国の王様(または女王様)』というものがある。

ダメになった王国

昔、自営業だったり中小企業の社長であったり、一国一城の主人だった人。
家族の中で家長だった人。
自分で意思決定して、他の人を指図していたような人。
つまりは自分の築いた王国の中で、『王様』(もしくは女王様)として振舞っているような人。

こういう人の中には、プライドが高くて、他の人に指図されることを極端によしとしなかったような人。
「わしは聞いてない」とかいって、他の人の発案を潰せるような人。
他人の助言も、他の人の言うことに従うのは沽券に関わるのか、一旦は退けて、少し時間が経ってからあくまで自分で発案したかのように言い出すような人さえいる。
とにかくイニシアチブを握っていないと気が済まない。
そういう人が世間にはいる。

こういう人が、認知症になったり、大病を患ったりすると、どうなるか。

こういう人は、自分の判断力が衰えても、自分の決定権=王権を手放さないのである。
家族の言うことも聞かないし、医療者のいうことも聞かない。*2
何十年も「王様」して振舞っている人には妙な全能感がある。
自分の体がよくならないのも、自分の体のためであると見なさず、よくならないのは医療者が怠慢か無能力である、と決めつけたりすることもある。余力があればドクターショッピングを行い、元気がない場合は、医療者の言うことを聞かなかったり、へんな代替医療に走ったりもする(要するに、自分の都合のいい意見をいう人に巡り会うまで「チェンジ」を続けるわけだ。リテラシーなどはとうに失われているか、もともと無かったりする)

こういう人。
家族がいる方の場合は、本人は家族の無限大の助力を当然に要求し、感謝もしない。
 家族は、あごで使われていて、気の毒だったりする。
もしくは、もう家族に見放されて、独りであったりする人もいる。
王国を失っても、王様然と振る舞う人は、いる。
自分の能力のほとんどを、いかに人心を操作して自分の望むように動かすかにだけ注力して、自分で何かをする能力を全く涵養してこなかった人は、どんなに窮地に陥っても、人に命令することしかできない。

そういう人が、いるのである。
自分では何もせず、他責的な人にとっては、老いの坂そのものが試練だ。
 我々の所にくる時点で、多くは落魄している。
ただ、その人の周りに従者然として存在している。
逃げ遅れた「いい人」が。*3

* * *

ちなみに「駄目になった王国」というのは、村上春樹の掌編にそのもの『駄目になった王国』(『カンガルー日和』に収録)から名付けた。
私はソーシャルワーカーの分野を系統的に学習していない。
だから、こういう人に対して『駄目になった王国の王様』という名前をとりあえずつけたけれども、この現象には、正式にはどのような名前が付いているんだろうか。もしよければ、ご教示いただければと思う。

解決策は難しいのだが、なるべく本人を傷つけずに現状を追認してもらうしかない。
ただ、どうしたって、現状と認知の歪みがある場合は、本人の自意識を引き摺り下ろす作業にはなる。
自分で降りてくれたらいいのだけれど、たとえ幻想であっても王冠というものはやすやすと脱ぐことは難しいものだ。

ダメになった王国には悲劇がある。
僕たちにできるのは、ダメになる前の王国で、王様然と振る舞う人に、そういう末路を見せて、今の傲岸な態度を改めてもらうことくらいだ。

*1:透析の基幹施設でもあるのだが、透析の患者さんはこれまた社会的な問題を複数抱えていることが多い。おまけに当院はもの忘れ外来もあったり、アルコール依存症の治療もしていたり…問題が大きい患者群が当院のターゲットである

*2:内弁慶で、医者の言うことにはその場では逆らわないが、自分の領地=家庭などでは好きに振舞っていたり、という複合技もある

*3:今風の言葉で言えば、こういう『王様』はテイカー、こう言う人に付き従っている人はギバーの典型なのかもしれない。ギバーでも、金持ちになれないタイプのギバーね。

ポストコロナのMR業とは

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2013, 金沢

コロナウイルス(Covid-19, SARS-CoV-2)第二波、まったなしですね……
住んでいる福山市でもクラブイベントの出席者に感染者が発生したりしました。
クラスター感染!
濃厚接触患者は200人以上ということで、国からクラスタ対策班にもきてもらい、のべ200人くらいにPCRを施行。
幸い、現時点では思ったよりも感染者は少なく重症者もいないようで、一安心ではあるけれども、さすがに警戒体制とはなった。
感染者は若い人が多く、コンビニ店員や飲食店員など、感染のハブになりうる人が感染している。
Go To トラベルキャンペーンも始めることだし、この先どうなることやら……
*1

* * *

MRさんの面談

製薬会社のMR(メディカル・リプリゼンタティブ。まあ営業みたいなもの)の対面も、コロナ以降完全になくなっていたのだが、
最近は、テレワークのデバイスを使ったチャット形式での面談の要請があって、2、3受けてみた。

今の所、あまり感触はよくない。

会社によって使うアプリが違う

 社内規定によるのだろうが、会社によってMicrosoft TeamsとかWebexとか指定してくる遠隔会議ツールが違う。(Zoomはさすがに少ないが、一社だけあった)。当然こちらの方で、それでけアプリをインストールしないといけない。三つ目くらいになると、だんだん「なんでこんな、やらなあかんの?」とか思ってくる。
 そして、これは完全にこちらの問題なのだが、診察室に置いてある病院のPCは低スペックで、音がとにかく割れる。
 使用環境が悪いと、面談時間の満足度はやはり落ちてしまう。
 MRの接遇の基本としては「医師を不快にさせない」なのだろうけど、現状は今までのMRのありようのスタイルにそぐわない気がする。

すっぽかしのリスク

 面談時間は、外来や病棟のICの合間にやっている。
 もちろんアポイントは取っているのだが、アポイント通りの時間にならないことはよくある。
 それは医療が、スケジュール通りにいかないからだ。
 少し早めに始まったり、初診とか、外来の患者さんが入院になるなどで予定外の仕事が発生すれば、逆にどえらく遅れたりもする。
 あまりにひどく遅れそうだったりする場合は一声かけて後日アポにするが、30分くらいならMRさんは待つことが多い。

 ところが、ひどく忙しい日、連絡もなくMRさんの遠隔面談をすっぽかしていたことに、翌日になって気づいた。
 いつもは「実際に待っているMRさんの姿」がリマインダになっていたのだと、その時に気づいた。

プレゼンの時間

 MRさんのプレゼンは、普段からiPadなどのタブレット端末を用いて自社のパワーポイントを見ながら解説する、というスタイルが多い。
 テレ面談も基本的には同じだ。
 だが、PCを通した場合、丁寧なMRの面談のものいいが、冗長に感じられてしまうのだ。
 説明動画とかで冗長な場合、1.5倍とか速度をあげられるけど、対面だとそういうわけにもいかない。

 多分いままで対面の場合、話が長いと「それで?」とか「結論は?」とか次を促していたり、もしくはこちらの顔を読んで、MRさんがプレゼンを端折ったりしていたんでしょう。テレ面談だと、その辺の機微が伝わりにくいらしく、説明にイライラさせられることが多かった。

 MRさんは医師に対して「医師を不快にさせない」よう「過剰に丁寧」に接遇するスタイルが身についている。
 しかしそれがテレワークのような率直なコミュニケーションツールに本質的に馴染まないのではないかと思うのだ。
 ICTはダイレクトなコミュニケーションの方が馴染むんだと思う。ただ、そういうスタイルは、今までのMRさんの行動様式と真逆である。

先がない

 MRの対面は「情報提供」という名目で行われている。
 が、その実、ある程度医師と面識を得て、地域の講演会に来てもらうきっかけを作ったり「その先」が目的になっている。
 もちろん、情報提供そのものの大事なミッションではあるのだけれど、でも情報提供だけが目的であれば、もっとストレートな媒体はあるはずなのである。やはりMRの面談には、別の目的があるのだ。
 MRの面談はぶっちゃけ「ドア・オープナー」たま。ナンパテクでいう、道を訊くふりをして話しかけるきっかけにするやつ。もしくは「今度飲みに行きませんか?」といって口説くきっかけにするやつ。

 しかし、対面の面談にしろテレ面談にしろ「ドア・オープナー」の目的である肝心な講演会がないわけだ。そりゃ面談も身が入らないというか、ちょっと別のものになってしまうのだろうなと思う。

* * *

以前からMRさんは情報の中間流通業者としての存在だと論じてきた。
hanjukudoctor.hatenablog.com

これはコロナとか関係ない時に書いたものだが、コロナによって、全国規模の講演会も学会も封じこめられてしまった。

情報の流れを切るわけにはいかないのでICTを駆使してWeb上で学会発表、シンポジウムを開催することになる。実際そうなっている。
製薬会社主催の講演会もウェブベースで開催されているが、製薬会社別のWebsiteに誘導会員登録させるやり方は、なんとかならないだろうかね。もう一度いいますけど。

いずれにしろWebフォーラムが主体となるのであれば、地域に配置していたMRは、本質的に不要となる。
今よりもWeb面談に特化した専属のMRがコールセンター的な役割を担うのかもしれない。
僕たちにしても「この薬使ったことないけど教えて」とすぐ教えてもらえるなら、その方がありがたい。

* * *

MR側からみると、今のこの現状はかなり憂慮すべき環境であると思うが、例えば、弊院の先生方としては「いやーMRさんの面談がなくなって快適ですわー」という感想をもらっている。当院はベテランの先生が多く、例えば臨床研究とも無縁で新薬に対する興味も低いというのもあるから、基幹病院ではもうちょっとMRは求められているとは思うが、これも現場の声の一つであると思う。

*1:個人的な行動としては、ジャズの場に行きジャムセッションは続けていますが、むしろ外食の危険が無視できないほど高くなったと思う。自宅の食事か、コンビニ食を余儀なくされた。

リニアやめたら?

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2020, 広島

コロナ、コロナ、コロナ……(Covid-19, SARS-CoV-2)
第二波!!来た!意外に早かった!

もちろん現時点では重症者はあまり多くない、という情報は、少し心強いけれど、重症者は多分遅れて増えてくるので、今の時点で少ないから大丈夫とは言えない。地方にもじわっと浸透してきて、全国的に再流行する雰囲気だ。
しかも、豪雨災害…*1

こんな中、Go To キャンペーン……ということだが、さすがに医療機関の我々としても大都市への出張は禁止せざるを得ないな。
あれ、本当にやるんだろうか。

僕も2020年中には多分東京には行けないと思っている。
それに、今までは東京に行って聴いていた経営セミナーとかそういう講演会とかも、Zoom とかを使ったものに変わってきていて、東京に行かなくてもなんとかなるのだ。ますます行く理由はなくなった。
正直、東京出張は、講演会が終わってから東京の『夜の街』を飯食いにいったり、飲みに行ったり、ライブ見に行ったり楽器持ってセッションに参加したりの「余禄」の部分も大きかったので、東京に行けないのは結構つらいんだけど。

* * *

ところで、今の体たらくをみていると、はっきり言えるのは、リニアいらんよな…ってこと。
静岡県が反対しているとかいう以前に、リニアそのものの必要度は大幅に下がってしまったのは明白だろう。
JRの旅客客も激減し、航空業界も大打撃でもあるのだが、数年後に、旅客数がV字回復をして、さらに需要が増える、とはちょっと考えにくい。
もちろん多忙なビジネス環境の中で移動速度が速くなることは正義だが、遠隔カンファレンスなどのゼロ時間にはかなわない。
まだそんなに作っていないんだったら、この際リニアやめときません?
まあそういうわけにもいかないんでしょうけど…

リニアモーターカー自体は僕らの子供の頃から未来の高速鉄道としてもてはやされていたけど、どうやら人口がこれから急減して需要はしりすぼみになる。おそらく2040年頃にはそんなに東京大阪間の大量輸送なんかいらなくなるんじゃないか…とは、ということはみな薄々感づいていた。
だからこそ急いで急いで2027年の開通予定だったわけだが、今回のコロナで旅客・鉄道の需要がゼロリセットされ、多分元の状態に戻るとしても3年くらいはかかるだろう(遠隔会議などで元の状態に戻らない可能性も十分ある)。旅客需要のピークが3年後ろ倒しになるとピークが消失してしまう可能性が高いんじゃないかと思う。
そうなってくると『リニアいらない感』は誰の目にも明らかで、地獄の公共事業になるのではないかと思う。
やめるなら早いうちがいい。今なら3年後にやめるより傷は浅いはずだ。

* * *

製薬会社のMR(まあ営業みたいなもの)の対面も、コロナ以降完全になくなっていたのだが、最近は、テレワークのデバイスを使ったチャット形式での面談の要請があって、2、3受けてみたのだ。いろいろ感じるところがあったのだが、この感想はまた今度。

*1:悪い予想通り遠隔地から応援にきた保健師がコロナ感染だったという泣きっ面に蜂みたいなニュースもあった

ボーナスとは何か

biz-journal.jp

コロナで、大なり小なり医療機関はダメージを受けているけれども、そんな中東京女子医大ではボーナスゼロの状態になり、看護師400人が退職するとかしないとか、それに対して経営陣は「足りなければ補充するしかない」と言ってさらに火に油を注いだとか注がないとか。

Twitterの医クラでも
・そんな現場の医療職を大事にしないような病院は潰れてしまえ! という意見もあったし、
・いや、ボーナスって業績連動なの知らないの?こんだけ赤字で、ボーナスが普通にもらえるなんて考える方がおかしいんじゃない?
という、どちらかというと経営側の視点の意見もあったりして、色々かまびすしい。
正直、ポジション・トークであるような気もする。*1

実際のところ、ボーナスはいわゆる「基本給」とかと違って、法的根拠はない。
ものすごく業績が悪くて赤字の場合、ボーナスをゼロにしても、法に触れないのは事実だ。*2
(一方基本給を勝手に下げることは、禁止されている)
そもそも給与規定というのは会社と労働者の間で交わされる一種の労働契約だが、ボーナス(賞与)については、規定がないことがほとんどだ。もちろん暗黙の了解や、社内のルールはあるはずだが、法的根拠まではない。
だから業績が悪い場合にはカットされることもありうるものではあるのだ。

ただ、一方、労働者の側では、ボーナスは暗黙の了解で、1ヶ月か2ヶ月か、それとも3〜4ヶ月か支給が当たり前と考えられている。
これも事実だ。
伝統的な日本企業では「ボーナス」は給与の一部に組み込まれているも同然で、もちろん業績で上下はするものの、まあ基本的にはでるものと思われている。

どっちが本当なんだろう?

* * *

「日本 呪縛の構図」というちょっと前に話題になった本には、こうある。

世界史に詳しい方は「ドッヂ・ライン」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。
第二次世界大戦後、GHQ経済顧問のジョセフ・ドッジ(デトロイト銀行頭取)は通貨供給量を絞り、インフレを安定させる政策をとった。当時アメリカは極東における防共の砦として日本を使うかわりに、さまざまな経済支援や在日米軍の駐留(当時の日本にとっては軍事費の負担なしに防衛する意味で経済効果は大きかった)などで日本を支援したが、アメリカから日本への資金流入アメリカの財政を圧迫していたことも事実で、財政安定策は表向きの理由だが、米国政府にとっては自国益優先もあった。
通貨供給を絞り緊縮財政におちいり、インフレは抑制され物価は安定したが、産業界としては、深刻な資金不足におち入り失業や倒産が相次いだ(いわゆるドッジ・不況)。

 ここできわめて重要な役割を果たしたのが、池田勇人のような人々の創意工夫だった。彼らは財政金融システムの監督方針を通じて、日本の大手輸出企業が海外市場制覇のために必要な資金を辛抱強く捻出できるようにした。そのために、日本独特の構造的特徴を持つ金融システムを集中的に利用できるような融資調達のメカニズムを構築したのだ。
 これらの政策の多くは戦時中の資金調達方法を応用したものだった。*3一般家庭の貯蓄を預金受け入れ金融機関に預けることを強く奨励し、それらの機関に政府の発行する金融商品を購入させるという手法もその一つだ。
 国民に貯蓄を奨励するためにありとあらゆる手段が講じられた。一般世帯が子供の学費を払い、老後資金を蓄え、その上住宅を購入したければ家計を事細かに管理して定期的に貯金するしかなかった。
 一般的な企業では給与のほぼ三分の一が年に二度のボーナスとして支給されたが、これによって各家庭の主婦は給与の三分の二で家計をやりくりする方法を強制的に学ばされた。ボーナスシーズンには銀行や郵便局から宣伝や広告が殺到して国民にボーナスを貯金するように勧誘した。(『日本 呪縛の構図』第5章 高度経済成長を支えた諸制度 より)

月割りで月給がでていてもそこからまとまった額を貯蓄することは難しいが、ボーナスとしてまとまったお金がでていれば、それを貯蓄するというのはさほど難しい話ではない。
要するに、国民の給与を銀行に還流し、それを資金調達の財源として使うというスキームを誰かが考えた。日本のボーナスのシステムは、そのために作られたわけだ。
ただし、巧妙にそのシステムがつくられたので、ルールの背景はあまり知られていないし、今では裏の意味もみな知らずに制度だけが残っている。

企業の業績がいい時だけ、ご褒美に賞与として支給する。
表向きはそうなっている。法律的にもそうだ。ボーナスに法的根拠はない。
でも、実は、想定年収の 三分の一か四分の一を、年二回の賞与として支給という形で最初からデザインされている。
ドッジ不況」の時に誰かがそうすることを企み、だいたい年収の25~30%はボーナスという形に変えて支給することにした。*4
そして、もう何十年もそういう「暗黙の了解」で世の中は回っている。

「ボーナスが全額カット」と言われると、あたかも当然最初から与えられた権利を、奪われたように感じるのはそのせいだ。

* * *

実は戦後こっそりと作られたシステムを、あたかも所与のものであるかのように錯覚しているものはよくある。
僕は団塊ジュニア世代で、僕らが子供の頃は「日本人は勤勉で、貯蓄を当たり前のようにする民族だ」みたいになんか刷り込まれていたけれども、なんのことはない、戦後に作られた比較的新しい慣習にすぎない。
終身雇用だってそうだ。

* * *

今回のボーナスカットについてどうこうは思わない。これくらい業績が悪ければ「聖域」とも言える部分もカットせざるを得ないだろう。
経営者の当然の権利、とも思わないし築き上げてきた組織に大きなヒビが入ることも承知の苦渋の選択であることは想像に難くない。左手を切断するか、それとも右手を切断するか、みたいな究極の選択なのだろうとは思う。まあだからこれだけ看護師が離職するのだろう。

ただまあ、議論の中心となっている「ボーナス」の歴史について、意外にみんな知らないみたいなので紹介してみた。
これもまた、戦後の遺産だ。

うちでも、そういう事実を踏まえて、ボーナスの分は全部本給与に含めて、ボーナスという制度やめる?という提案をしたこともあったが、しかし、みんな制度を変えることにはすごく抵抗を示すもので、うまくいかなかった。
考えてみれば、貯蓄を生み出せるボーナス制度は、そう悪いものではない。
ただ、このスキームの弊害は、そうやって得られた種銭を、深く考えずに「銀行に全部預ける」という習慣が日本人に根付いてしまったことだ。日本人が個人の投資後進国になってしまった原因でもあるだろう。本当は、ボーナスで出た原資を個人投資に全部まわす、というのが、2020年のマネー・リテラシー的には正解なのだろうけど。

あ、あと「日本 呪縛の構図」はとてもいい本なので一読することをオススメします。

その他のBlogの更新:

もう一年の半分がすぎたなんて信じられないね。6/30はハーフタイムの日らしいですよ。
コロナで増えたZoomの講演会とリアルの用事ががちにぶつかって、出かけないといけないのにZoomで家に縛り付けられる…みたいなのが増えています。なんじゃそりゃ本末転倒やん。

*1:それに、ボーナスは色々我慢してきた最後の砦であり、単に一度のカットだけではやめたりしないだろう、というのも真実ではあろうとは思う。でも過去5年くらいも赤字だが、ボーナスはしっかり出ていた、というのも事実ではある。

*2:そもそもボーナスがカットされる方が会社がつぶれるよりマシだろ、という考えになる

*3:要するに、国民総動員体制で、民間人の持っている財産や貴金属を拠出させたやり方と似ている

*4:それは住宅や車を買うなど個人のまとまった消費のためにも合理的ではあった。だから給与所得者も反対しなかったのだろう。

今『人生会議』をするのは難しい

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2020, 広島
コロナウイルス(COVID-19, SARS-CoV-2)は、不気味なことにじわじわと増えるが爆発的流行にはならない。

このまま落ち着いてくれればいいが、まあそうもいかないだろう。
第二波にそなえて、厚生労働省のコロナのアプリも発表された。*1

原則多くの人がこのアプリを入れて適切に対応すれば、リスク管理がより柔軟なものになるのではないかとは思う。
まあ、やってみなければわからない。
ただ、感染者が県で数十人という非大都市地域では、コロナ感染地域第一号が判明した家は、近所づきあいの問題から、その地域にいられなくなって引っ越した人々もいるとかいないとかいう噂があるのは事実だ。

* * *

一旦は感染が収束したので、医療機関に入院していたCOVID-19の患者さんたち、おおかた退院できたみたいだ。
大都市はしらないけどね。
やっとわかってきた事実としては、コロナ感染の重症者の治療経過には、生き死にに関わらずかなり時間がかかることだ。
高度医療を提供するHCU/ICUというベッドは、それほど多く準備されているわけではない。
例えば救命救急センターとかでは多発外傷とかすごく難しい内科疾患であるとかそういう人を、こういう集中治療室で初療し、ある程度治療の目処がつくと、一般病床にうつる。疾患にもよるけれどもICUに連続して治療を受ける日数は数日、というのが原則だ。

ところが、コロナでは重症者はなかなかよくならない。とにかく時間がかかる。
ECMOも人工呼吸器も、数日で勝負がつかないようなのだ。
1〜2ヶ月HCU/ICUを占有しかねない。

これって、例えば普通の飲食店のトイレ。普通の店のトイレって1個か2個しかないことが多いけど、それでまあ普通は問題なく回っている。
でも、もしそこに、二時間完全にトイレを占有して出てこない人がいたらどうなるか?
他の人はそんなに長時間トイレを使いたいわけではないが、一人そういう人がいるだけで、漏らしちゃう人がでてくるかもしれない。

コロナによって起こる「医療崩壊」ってこういうことだ。
こうならないためには重症化への進展を防ぐ薬剤の開発が必要だが、それ以前の時点でも、ある一定期間が経ち、回復見込みのない人に対する治療の撤退が許されるなら、医療崩壊はしないだろう*2

この辺りは、本当に命の選別というか、いわゆるトロッコ問題(トロリー問題ともいう)なので、非常にデリケートな話だ。

* * *

ACP

そういう話になると、当然、アドバンスド・ケア・プランニングの話になる。
https://www.spmed.jp/14_kankei/opinion_pdf/02_op/opi_R0205.pdf
この札幌医師会の先生のオピニオンは非常に実際的な話で、僕も当初こう考えた。

しかし、実際に外来で話をしてみると、これは、今コロナという差し迫った死への恐怖があると、ACPにかなりバイアスがかかることがわかった。
80歳〜90歳の「あー僕はもう十分生きたから、これ以上しんどいことはいいよ」とかいう人は、これは延命しない、というACPの意思表示で、これは全く問題がない。
問題は、65歳から75歳くらいの方々。これくらいの方々は自分が高齢者であるという自覚は、かなり乏しい。
もしくは日常的に老いを糊塗しようとする努力でなんとか若さを保っているからか、高齢者扱いに対して微妙な反応を示す人は結構いる。

そういうくらいの年齢の人に、ACPをうながしても、はっきりいって「前熟考期」。
なんだかんだいって決断しない。なんならクレームを入れてきた人もいる。

で、今回コロナのこともありACPもうちょっとしっかりとろうかなと思ったけど、これって、遺産を狙っている若い世代が「お父さん、遺言状書いてくれませんか?」みたいな感じになってしまうのだ。
実際、「これ、延命しないって書いたら、コロナにかかっても集中治療とかしてくれないんでしょ?」と
 そのものずばりのことを呟く人もいた。

ACPによる意思表示と、トリアージは全く別の事象として語る必要があるのではないかと思う。
65歳以上のすべての高齢者がACPを意思表示をすませていて、それにそって粛々と集中治療をすべき人をピックアップ、というのは多分無理だろう。あくまで、基礎疾患の有無や年齢、要介護度など、濃厚治療に対する反応性の可否から、生還人数が最大化されるようにクールに治療対象者を選ぶべきだと思う。
できれば、治療チームと、トリアージチームはわけて、高度医療を実際に行う医療スタッフには感情的なストレスが起こらないような仕組みが必要だ。

ただ、専門家会議に対する政府・官邸の扱いをみる限り、そんな美しい役割分担は望むべくもないのかもしれない。
いずれにしろ、外来で今までACPを説明していた僕は、コロナ禍が始まって、むしろ説明をやめざるを得ないな…と嘆息している。

*1:これも一部メディアにはクソミソに叩かれもしているけど、これ以上の解決ってないよ、と思う。コロナ感染者へのバッシングが起こるのはリアルな我々が村人根性だからだ

*2:今はそこはやってないんですよね?

コロナしぐさ その2

随分前、非常事態宣言がでる直前に、「コロナしぐさ」というのを書いた。
hanjukudoctor.hatenablog.com

これ、意外に芯食ってたんじゃないか?と思う。
ここから、非常事態宣言が出て、解除されて今にいたるわけだが、今から振り返っても、そんなに間違ったことは書いていないと思う。

それで、昨日のエントリである。
hanjukudoctor.hatenablog.com

本来これは「コロナしぐさ」に引き続いて書くつもりだったんだが、今ひとつ考えがまとまらなかったので、こんな遅くになってしまった。

ただ、感染への未知の恐怖が極期であったこととマスクの入手困難のピーク時であったため、マスクについてはやや過剰すぎたかもしれない。
今はもうちょっと条件が緩和されていて、ディスポ(使い捨て)のサージカルマスクは今では潤沢に入手できる。
しかし布マスクの場合は持ち歩かなければいけない。
ポケットにいれるとウイルスが表裏満遍なく付いてしまう。やはりマスクケースは必要だと思う。

わたしの場合

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携帯コロナグッズセット

というわけで、コロナがらみで、持ち歩くものが増えたし忘れるといろいろまずいので、コロナグッズをまとめている。
意外と細かいじゃないかと思われるかもしれないが、むしろわたしは超ズボラなのでこうしておかないとえらいことになってしまうのだ。

  • ケース(右上)

ケースはなんてもいい。わたしは無印良品のナイロンポーチがサイズ的にちょうどよかったです。

  • ハンカチ(左上)

もし出先で手を洗った時にペーパータオルがない場合(しばしばある)安全に手を拭くため。
一度使うと汚染される可能性があるので、複数枚入れておくのがいいだろう。(使ったものはポーチから出して帰宅すると洗濯機に放り込む。次のを補充する)

  • マスクケース

これも無印良品のお片面クリアケース。
もし出先で忘れたらどうしよう…ということで予備のマスク入れ。
これは3月だったので使いさし(この後捨てました)マスクケース内部はエタノールを入れて乾かしてクリアランスしています。
布マスクだと、ちょっと入らないかもしれない。マスクケースはもう少し改善の余地がある。スマホが入る大きさのジップロックでもいいかも。

ウエットティッシュも一時期品薄でしたね。今はコンビニで買えるから、持ち歩かなくても大丈夫かも。

  • その他(右下)

 手指衛生。アルコールスプレー。これは職場の支給品を流用していますが、百均のスプレーボトルでいい。
 ハンドクリーム。3月から4月は消毒用アルコールで手が荒れまくっていたから。
 個人的にはバルクオムのハンドクリームがオススメ。(チューブの材質がアルミじゃなければもっといいのに)
 小さいチューブはステロイド。荒れた部分が限界を超えて痒み地獄が発生すると付けています。

こういうセットを作って「これでアスファルトジャングル東京への出張も大丈夫だぜ!」と
思っていましたが、肝心な出張がないんだな(笑)

オフタイムも感染防御をきっちりするというのは正直かなりストレスだ。
だが、防御する道具もないのに防御するのはストレス以前に恐怖でしかない。
できることはやって、正しくコロナをおそれよう。

ちなみにジャズブログでのコロナ対策、もご参考に。
jazz-zammai.hatenablog.jp
jazz-zammai.hatenablog.jp