半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

禁酒・禁煙の年齢制限は思ったより早い

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これ、どこだっけ…
ええと、Blogより優先すべき原稿がありましてね。
それがなかなか筆がすすまず。
そうすると、ブログかけなくなる。気がつくと二週間あけてしまいました。
(ちなみに、その原稿も結局書けてません。)

* * *

私は内科です。
消化器・肝臓内科が一応専門ですけど、今ではプライマリというかなんでも診てます。
多くは生活習慣病ですが、専門領域のからみもあり、アルコール性肝炎、そこからアルコール依存も診るようになりました。

hanjukudoctor.hatenablog.com
(以前に書きましたが、久里浜病院に研修にも行き、結果アルコール依存の方の診療はさらに増えてます)

アルコール依存症の診療の基本は「SBIRTS」です。

  • S: Screening アルコール依存の程度をスクリーニングし重症度を判定
  • BI: Brief Intervention : 比較的軽く、「節酒」でいい方は 外来で簡易介入し、アルコールの量を減らします
  • RT: Referral to Treatment : 「断酒」が必要な依存症の方は、専門医療機関に紹介
  • S : Self-help Group :アルコール断酒会への参加を促します

プライマリ・ケアや、今では学生講義にもあるんじゃないかと思いますが、比較的新しい言葉なので、同年代や年上の先生には、この言葉を知らない方も結構おられる*1

アルコール依存の大きな問題は、実際医療機関にかかってる人は10%くらいしかいないこと。
とにかく、病院に来ない。来ても、すぐこなくなる。
はぐれメタルなみに、すぐいなくなっちゃう。
なので、どう診療するか以前に、どうやって受診してもらうか、が第一歩。

そのためには医療側は「酒飲んじゃダメだろ」なんて、怒っちゃいかんのです。誘拐犯からの電話を受ける担当みたいに、とにかくつなぐ、切らせない。逆探知はないけど。
でも、今までの内科(特に肝臓内科!)は、依存患者に対し、怒ったり叱ったりよくしていました。
怒らずに一緒に対策を考えることで、患者さんとの距離はぐっと近づきます。*2

しかし重度の「依存症」の方は、精神科による専門のチーム治療、閉鎖病棟で行われるアルコール断酒プログラム(ARP:アルコール リハビリテーション プログラム)がやっぱり必要です。そういう人には、外来で診てゆく段階で、精神科に紹介になります。
やっぱりアルコール依存症の治療の本丸は精神科。内科で、外来で、できることは限られている。
ただ受診の最初のステップとしてはそれなりに重要な役を担っているわけですよ。

というわけで、内科医はSBIRTSを踏まえて行動すればいい。
重症例の振分けと軽症の治療。
軽い方や、本人が精神科受診に抵抗がある時期には、自分とこで診る。*3
重症例は精神科と連携を取って、精神科に任せる。
まあそういう風に線引きをしていたわけです。

* * *

ところが。
精神科に紹介するけれど、そのまま突っ返される例が結構あるんですよね。
ARP(アルコール断酒プログラム)は、認知行動療法の一つなわけですが、自分の状態を理解し、それなりに判断力を有し、認知行動療法のアプローチに対してアクションが起こせる人でないと、結果的にうまくいきません。
「もう側頭葉が完全に萎縮しているんで無理です」なんて治療不適ということでけっこう突っ返される。外科紹介するけどインオペ(手術適応なし)みたいな感じで。

コルサコフ症候群」という病名もありますがアルコール依存症の経過長い方の多くは、深く考えられず、その場しのぎの思考に終始したり、認知機能もかなり落ちたりしています。
そりゃあ断酒プログラムなんて、まあ……無理。*4
ついでにいうと、アルコールの身体障害が強い、例えば非代償性肝硬変の方も診てくれません。

そもそも断酒プログラムも切り札でもなんでもなくて、一年後の断酒完遂率も30%程度にすぎませんが、エントリーの時点で、かなり人を選ぶのは事実です。
精神科領域も、マンパワー全然足りないしね。

俺たち、途方にくれる。


結果的に、70歳以降の依存症患者の治療成績は、かーなり悪いです。そもそもチャレンジする必要条件に達しない。

というわけで精神科は取ってくれないから(治療施設の差はあるでしょう。不幸なことに当院の地域ではあまり診てくれません)SBIRTSの精神にのっとり、うちの外来で診てますが、悲惨な末路にはしばしば遭遇し、心折れます。

* * *

ちなみに禁煙外来も年齢については同様です。
初期認知症の方で禁煙外来にくる人はしばしばいます(おそらく、家族の要望か、手術などを控えどうしても禁煙しないといけない状況なんでしょう)。
ただ認知機能が低下し、フレキシビリティの落ちた方は、生活を積極的に変えることなんてできない。チャンピックスはそれなりに効きますが、成績は悪いです。

* * *

50歳、60歳で「もうちょっと歳取ったら、酒もタバコもやめよう」なんて思っている人結構いますが、実は有効に禁酒・禁煙できるリミットは思っているよりずっと早いです。

70歳くらいだと、相当成功率は低い。
すでに辞める能力を失っている人結構います。

禁煙・禁酒に年齢による限界なんてもんがある、ってことさえ、みんな知らないんですよね。
外来で言うとみんな絶句してます。

高齢の方は、もうその場合、盛大に認知症が進み、弱るのを待って介護施設に入るしかありません。
それなら強制的にお酒・タバコから遠ざけることができる。*5
それまではお酒もタバコも、やめたくてもやめられない。そこまでの間に、タバコなら火の不始末のリスク、お酒なら酒気帯び運転のリスクがかなりあります。
今でもぼちぼち出ていますが、多分今後5年か10年くらいは団塊の世代老人によるこれらの事故はコンスタントにあるでしょう。家族にとっては悪夢でしかないですが、現状ではうまい解決法はないと思います。みんな困ってる。

* * *

この「手遅れ」感は、本人の見積もりの甘さと現実のシビアさという点で、少し歳の行った女性の婚活の心理に大いに重なるところがあります。
と、書くと、該当する方々は気分を害されると思いますが、35歳の未婚女性が5年以内に結婚する率は20%程度。これは恋人のいるいないに限らずなので、婚活中の方は成功率はさらに低いはずです。
でも、70歳以上の禁酒・禁煙成功率は、まあそれ以下っつーことですよ。

*1:特に問題飲酒患者に多く接するはずの肝臓内科の先生でも、こういう診療フレームを知らない方も多いです。

*2:その態度が本当に患者さんのためになっているかといわれるとよくわかりません。ただ受診しない人は概して悲惨なので、まあ役に立ってるんだとは思いたい

*3:幸い、うちは80床クラスの中小病院ですが、公認心理師が四人います。しかも優秀です。精神科はいませんが、物忘れ外来があるからなのですが、アルコール依存の治療にも大きく貢献してくれています

*4:若い方でもアルコールで完全に脳がぶっ壊れ、失見当識というか、もはや時間の概念がかなり失われている人もいます。精神科?行かないですねぇ…行ってくれないです。

*5:あるいは、もう禁酒・断酒を諦めて、少量だけでもお酒のんでもいいグループホーム「アルコールワンダーランド」でもやろうかな、と思う時もあります。人生の最末期に、断酒による苦しみを与える意味があるのか、と思う時もあるのです。

「商売人」の時代

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レミングの群ではありませんよ
この前、田中泰延さんの、ツイートが話題になっていた。

おっしゃる通りだと思う。
プロフェッショナルの技術と矜持はかくあるべしという主張には、僕も同感だ。
それにSNSでの中途半端なアマチュアのプロモーションが横溢した結果、対価なしにプロに依頼をしてなんとも思わない人達に苦々しく思うのも共感する。

例えば私の趣味である音楽の世界でも、堂々たるプロはSNSの宣伝はそれほど盛んにはしない。プロアマの境界の人たちがむしろSNSを積極的に使ってるのは事実だ。

もちろんSNSでの宣伝を揶揄しているわけではない(私もSNSを使っているし)。
ただ、SNSでの宣伝のうまさとプロとしての実力は比例しない。SNSは玉石混交だ。
中にはSNSでは自己アピールがうまいけれど、プロフェッショナルの要件を満たさない人も混じっている。

ただ、これは、世代感覚の違いもあるだろう。
どこかでゲームのルールがかわったためだと思う。

* * *

スペシャリストの業界の理想は実力が適正に評価され、適材適所性が担保されていることだ。
実力を積み上げれば、お声がかかり、影響力の強いポジションに移動してゆく。
そういう状況なら自分のリソースを専門技術の向上だけに注力できる。

80年代くらいまでの日本では、すべての職種において、スペシャリストはそれなりに公平な能力主義が許されていたように思う。
もちろん学閥や、大都市偏在など、多少の不公平さ、不平等はあったかもしれない。だが、おおむね平等なスタートラインに立てた*1
社会も経済も成長途上で、新たなポジションが次々と生まれていたから、あまり不公平感はなかった。再挑戦もそれなりにあったし。

ところが90年代。バブル崩壊
加えて就職氷河期
ここで、多くの業界でパイは縮小に向かう。
専門職のマーケットが飽和し新規参入が途端に難しくなった。

勝ち残るためには、今までのように実力を磨くだけではなく、実力を適切に(または適切以上に)アピールすることがプロフェッショナルの要件に加わった。
こういう事態と並行しITの進化、BlogやSNSが普及した以降の世代では発信力がことさら有用になった。

でもそれは「プロ」のポジションに参入するために、自己アピールができないと椅子にも座れない、という時代だからだ。
これは苛烈な大量動員戦争なのだ。働き方改革なんて言ってコアな業務時間は制限され、一見優しくなったように見えるけど、それ以外の時間を自己研鑽やプロモーションなどにブッ込まないと、戦争には勝てないことを皆知るべきだ。その行動の差で大きな差がついている。

* * *

まあ、そんな形で、好むと好まざると、新世代のプロフェッショナル*2たちは自己アピール力というか「売り出す力」が求められている。

こういう力は、前世代ではどちらかというと忌避されていた。
格好の言葉がある。
「ほら、あの人は『商売人』だからさ」

画家や音楽家でも、実力や作品の力以上に、アピールがうまい人は昔からいた。
医者、歯科医、美容師、庭師、お稽古事の先生……どの業界でもそうだ。
そういう人は昔は同業者の間では上述の言葉で評された。
そういう人は「真のプロフェッショナル」ではなく一段下に見る風潮はあったし今もある。
田中氏のTweetに共感するのもそういう部分だろう。

ただ、今や「商売人」じゃないと、舞台にすら上げてもらえなくなっている時代ではあるのだ。
商売人は、ネゴシエーションが上手だから、タダで仕事を発注する輩はやんわりと敬遠し傷つきもしない。
が、非商売人にはこうしたネゴそのものが煩わしいし、ネゴしないことがプロの証とさえ思っている。
* * *

ただ、世界の進歩は専門技能の優位性をどんどん失わしめる方に向かっている。
IOTの進化は、多くの専門技能の意義を無力化しつつある。
例えば、内科医の私で言えば、内科医の本分である診断学や病態の専門知識はAI診断が本格運用されると強みを失う。
診断学を頭の中に納めた老練の内科医よりも、コンピュータの操作がうまい研修医の方が正確な診断にたどりつく可能性が高いし、さらに言えば医者である必要でさえなくなるかもしれない。
知的活動の最高峰とされた囲碁や将棋の棋士が、コンピュータに勝てないのだ。無理はない。
ホワイトカラーの業務のほとんどが外部委託が可能な規模に圧縮されつつある。

外科医など、頭脳ではなく、手指の動作に根ざした領域はもう少し優位が保たれるだろうが、これについても時間の問題だ。オートメーションの解像度は年々上がっているから。

* * *

では、人間に残された仕事は何か?
というと「商売人」の部分ではないか。
かつてホリエモンが「何年も修行して寿司職人になるなんて、馬鹿らしい」発言で物議をかもしたが、
専門技能のコモディティ化はもう何年も前からで今後も進み、極大化する。
専門技術に注力する前に、こうした時代の流れを踏まえて人生設計する必要はある。
ホリエモンの言説はその文脈でみるとわかりやすい。

会社の中で、経理とか、総務・庶務などのホワイトカラーは、今後いらなくなる。
でも「社長」は最後まで不要にはならない。
逆にいうとクリエイターと「社長」以外は今後いらなくなる可能性が高い。

hanjukudoctor.hatenablog.com
少子高齢化、人口減少はもはや避けられない。
しかし、未来には、今当たり前の職が、ない可能性もある、というか間違いなく、ない。
だから、少子高齢化を食い止めた方がむしろ地獄なのでは?と思うこともある。

北欧でさえも社会の持続性が危ぶまれる水域にまで出生率がさがったという事実は、来るべき未来は人口を要しない社会だとみな暗黙知で感じているのではないかと最近は思っている。

日本の中小企業の数は380万。
もし未来の世界にクリエイターと社長しか職がないのだとすれば。
扶養家族・フリーランスの数も含めて、日本の最適人口は1000-2000万人くらいなのかもしれない。

今の日本が向かっているのはそういう方向だ。
だから人口が縮小することそのものは問題はない。
問題は、老後世代を養うためには一つ若い世代の収入をあてにする必要があることだけだ。

*1:もちろん、女性は昔はこの当然の権利を付与されていなかった。今は男女の差別という意味ではむしろ公平ではあると思う

*2:厳密にはマーケットの飽和した業種に限られるが

パワハラ防止法 どうする?

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2020年 鞆の浦
あんまりニュースにもなっていないし、騒がれてもいないけど、来年度からパワハラ防止法が施行される。
corporate.vbest.jp

パワハラ防止法(厚生労働省の資料)
https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000527867.pdf

施行時期は未だはっきりしていないけれども、大企業においては2020年6月らしい。
もう待ったなしだ。

実際の業務に落とし込むのに、パワハラの定義や線引きなど、現場においては数々の「?」がとびかいつつのだろうと思う。
だが、数年経つと、当たり前のことになるのかなあと思う。男女雇用機会均等法のように。

しかしその歴史の立会人になるのは、人事担当および経営者としては、ストレスでしかないと思う。
文化の変遷に伴う摩擦の処理は、本当に消耗することだからだ。

医療とか介護の現場は、もっと複雑だ。
例えば、うちの職場は、まずまず男尊女卑的な考えは薄い。
年功序列的な考え方も、それほど強くはない。
職域同士のヒエラルキーも比較的緩やかではある(とはいえ、公平に言えば、基幹病院レベル程度だとは思う。ただ、中小病院および無床診療所の多くは、医師とそれ以外の階級差はかなり大きいことが普通だ)。*1
ところが、顧客のほとんどは、過去の世代の住人だ。
すなわちセクハラ、パワハラ、なんなら暴力も当たり前にあった時代。
女は男の言うことには逆らうな、年上の言うことに年下が逆らうなんて言語道断、なんてえ価値観。

結果として、医療現場においては、例えば男女、例えば年少と年長、などについて、さまざまな考え方が飛び交っている。
大正昭和のレベルから、平成から令和。日本人の考え方も随分変わったものだ。
企業としては、令和の考え方を基準にしたフラットでフランクな組織を作りたいが、もっとも尊重すべき顧客が、大正昭和のレベルに止まり、偏狭な自らの価値観に基づいた考え方をこちらにも強要しようとすることがある*2
そういう齟齬のもとでは、数々の悲劇が生じる。
せっかく働きやすい環境づくりに腐心しても、若いやる気のある職員が心無い高齢者の言動に心を折られたりすることもある。

* * *
halfboileddoc.hatenablog.com

私は、映画『八甲田山』が大好きで、DVD、Blu-Rayも持っていて自宅で時々みなおす。
あれは「軍隊もの」というカテゴリーというか「中間管理職悲哀物語」みたいなもので、
バカな上官にあっちいけこっちいけと指図される神田大尉(北大路欣也)の苦悩と愚かなトップの戦略で自滅する集団というのがストーリーの根幹となっている。指令系統の明確化とブレない戦略が大事、というマネジメントに関する物語なのだ。

ただ、現代の若者にあれをみせても、あんまりピンとこないみたいだ。

映画は1978年。劇中の舞台は1902年。
観劇していた当時昭和の社会人にとっては、この『八甲田山』の世界のありようは実際の会社組織と地続きなものだった。
パワハラというか、上官の命令は絶対で、当時の仕事のあり方も、そんなに変わらなかった。だから映画『八甲田山』は、ある種、実際の社会の縮図のようなリアリティは十分にあった。
ただ明治の軍隊では、上官の命令は絶対である上に、間違った上官の命令に従い、そのまま死んでしまっても文句は言えない。昭和の社会では、さすがに殺されることはなく、まあ辞める自由は残されてはいただろう*3
観客のサラリーマンにとっては、映画の舞台は、今と地続きではあるけれど、そのまま命を簡単に奪われうる。その酷薄さは観劇に足る非日常だったのだろう。
しかしあれから50年たった現代人にとって、劇中の明治の社会も、昭和の社会も、今のそれとはあまりに違いすぎて、もはや共感さえも得られにくくなり、ただの寓話めいたものとしか消費できない。
明治は言うにおよばず、昭和も遠くなりにけり。

* * *

昨年、一昨年では、昭和世代では、体罰と年長服従の象徴であった大学の運動部やプロスポーツ業界でさえも、パワハラという言葉にの名の下に数々の服従・盲従を強いる行為が明るみに出され断罪された。

確かに世の中は変わりつつあるのだろう。
ただ、世の中すべて開明的な人物ばかりではない。階級を登ってゆく人間の中には、階級意識に人一倍敏感で、その差を最大限に利用し、言動を最適化するような人間はいる。発揚型人格
の方は感情をコントロールできない、なんてこともよくある。

でも、とっさの一言で一生を棒に振る、なんてことが起こるのも、つらい。
昨今のITを駆使して、例えば、FitBitみたいな体活動計みたいなバンドは作れないか。
名付けて「パワハラ防止計」。
しゃべっている内容をすべて録音し、自然言語処理し、パワハラに該当しそうな暴言や侮辱語を発すると、バイブレーターで通知する。なんなら電流を流してもいい。なんならアナルパールに電流を流す仕様でもいい(笑)。

こういうのを付けて、不用意な言動を発する瞬間、または兆しがあれば警告を発して止めることができればいいんじゃないかと思う。

「どうしてこんな簡単なことができないんだ!!
  お前なんか死………はうううぅ!、いや、なんでもない……」*4

というか、自分の会話をすべて文字起こしして、統計処理や言語解析して、喋り方の論理性や抑揚、滑舌などをスコアリングするバンドは、10年後とかには実用化されているような気がする。隠キャ、発達障害の方などは、そういう補完技術があれば、普通の会話をきちんとすることができるだろう。

*1:以前はそうではなかったし、むしろブラック企業っぽい風土さえあった。

*2:なんとなれば彼らは尊重されるべき「年長者」であり、なおかつ尊重されるべき「顧客」でもあるわけだからね。

*3:過労死や不慮の事故死、自殺はありえるだろうが、しかし軍隊だと上官の命令で死ぬのは当たり前、昭和の平和社会ではさすがに、死ねという命令にはならない

*4:というかこの提案そのものがパワハラ的でもあるし、セクハラでもある。自家撞着じゃねえか

ドローン銃は多分やむにやまれず使うことになるだろう

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2019年, 遥照山

暖冬であるとはいえ、さすがに一月は寒いですね。

* * *

hanjukudoctor.hatenablog.com

人口減少社会では田舎のインフラは更新されず荒れ果ててゆくであろう、と以前に書きました。

僕たちの住んでいるこの社会の衰亡は少し寂しくもある。
が、人の活動の間隙をぬって草木が生い茂ってゆく様は美しくもある。
熱帯諸国の砂漠化に比べれば、なんて恵まれていることか。

ただ「自然礼賛」なんて、都会もんの甘い考え。
平成狸合戦ぽんぽこ』は昭和から平成にかけての話であって、令和の今では状況は全く逆のようで。
野生動物は保護するどころか増えすぎて獣害がコントロールできなくなりつつある。

* * *

担当している患者さんに、狩猟が趣味で猟友会にも入っている人がいる。*1
その人曰く、
「いや、もう全然追いつかないんですよ。
 そろそろ僕らもギブアップしそうです」

もう最近は野生動物が増えすぎて、どんどん来る依頼をさばききれないらしい。
というのは狩猟者も近年激減かつ高齢化もしているから。

過疎地の高齢化により耕作放棄地はどんどん増えている。
結果的に、イノシシ・サル・シカ、クマなどの野生動物は激増。
こうした野生動物は当然食べ物を求めて人里に降りて畑を荒らす。

今までは獣害は、人の住む地域や畑に野生動物が侵入してくれば、山へわけいって狩りをし駆除していた。
人が、野生の世界に攻め込んでいたわけだ。
しかしそろそろ攻守が逆転しそうな勢いらしい。

なにしろ狩り手はどんどん減るし高齢化している。
相手はどんどん数が増えている。
地方中核都市に近いエリアでさえこれだ。
山間部はもう、のっぴきならないところまで来ている。

* * *

耕地に電気柵などを作り動物を防ぐのも一つの考え方だ。
が、この前述べたように道路などのインフラでさえ荒れるに任せているような現状。
そんななか耕作地や居住地の周囲を野生動物が入れないように新たに柵で囲むなんて、絵空事だ。

では どうするか。
自動化するしかないではないか。

表に出れば倫理的な問題もあるのであまり報道されないようだが、実は世界の紛争地では、ドローンを用いた自動攻撃、迎撃システムは実用化されているらしい。
アシモフの「ロボット三原則」にも違反している*2からドローンそのものに銃火器をとりつけ、殺傷能力を持たせるというのは、アメリカにおいても議論をよぶ話題のようだ。*3

しかし空を飛ぶタイプのドローンに銃をつけ、AIに対人回避装置をつけて運用すれば、害獣の駆除は、かなり低コストで賄える。
飛行タイプのドローンでなければ、ボストンダイナミクスが作っているような、犬みたいなロボットに銃をつけてもいい。
そうしたドローンに耕作地や居住地を警備させるなら、24時間稼働も可能だし、比較的コストもかからない。
電気柵のように広範なエリアに敷設する必要なく、境界部に配置すればすむ。
なんなら遺体を回収することができれば、食肉の資源にもなる。

色々考えるけど、これ以外にコストがかからないいい解決策を思いつかない。

そもそも、戦後日本では原則として国内での銃は認められていない。
にも関わらず、それでは現実的に野生動物に対応できないので、猟銃免許という逃げ道がある。
今までの猟銃免許+猟友会で守ってきた枠組みが崩壊するのであれば、新たな防衛体制を超法規的に作るしかないではないか。

だから2025年までには、日本でもドローンを用いた野生動物の狩猟装置が配置されるんじゃないかと思っている。*4

 日本では、当然対人の射撃を回避されるように設定されるだろう。あくまで害獣駆除目的だから。
 だが、ヤクザなどの反社会勢力が農産物を盗みに来る事例はかなり多い。
 場所によっては、対人殺傷射撃モードをオンにして運用する地域もでてきて論議を呼ぶ、なんてことも起こりそうだ。

*1:ちなみにですが、猟銃免許の医師の診断書にはいつも悩まされる。責任持てへんって…

*2:そもそもロボット三原則はSFの世界の話であって、我々の住んでいる世界線ではロボット三原則というヒューマニズムは適用されなかったらしい

*3:ハッキングされる可能性もあるからね

*4:最初は威嚇装置のみかもしれないが

『日本婚外子協会』設立を

www3.nhk.or.jp

まあ、そうなんですけれどね。
日本の将来を予測する少子化推計には、まあまあ少子化対策がうまくいった場合、普通の場合、うまくいかなかった場合みたいにシナリオ別にはなっているけれども、別に今回の報道は、出生数がこのシナリオの低位シナリオを下回った、という訳ではないらしい。
(私も専門家ではないので、報道資料をぱっとみただけで把握はできないのだ)
しかしいずれにしろ、内閣府でシミュレーションされている未来予想からは大幅にはずれてはいないようで、この数字にニュースバリューは本当にあるのか疑問だが、年始の報告に対しこういうコメントには、そりゃあなるか……と思う。

予想通りだからといってハッピーというわけでもない。
「地獄への特急列車、今順調に三途の川駅に着きました」って感じだものね。

https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/meeting/taikou_4th/k_1/pdf/s3.pdf
内閣府の資料。これを見る限り、90万人を割り込むのは、まあ既定路線ではあるように思われる。

hanjukudoctor.hatenablog.com
以前にこういうのを書いた。

婚外子が社会に認められるようになれば、もう少し出生率が増えるんじゃないか?
しかし現実は週刊文春を代表とするようなマスメディアは、社会の非寛容化をますます進めており、ただでさえ絶滅に瀕している日本の性行動にさらにトドメをさしているのではないか。

という話でした。
では、どうしたらいいか。
社会規範を変えることはなかなか難しいし、政策誘導もできない。

例えば「日本婚外子協会」という少子化担当大臣の監督下の外郭団体を作ってみたらどうだろう。
現在の日本では不倫、婚外子に対するバッシングが少なくないが、もう、政策として婚外子への差別はあかん、ということを公言しちゃうのである。
むしろ婚外子は国を救う宝なんだよ。と。

具体策としては、

などだ。
もちろん、婚外子に関連しうるマスコミ報道に対しては愚直に声明文を出す。
つまり『文春砲』が炸裂するたびに「いやいや、こういう恋愛が、少子高齢化に貢献する可能性もあるんですから、これでバッシングすること自体は婚外子協会としては反対しまーす!」といちいち反論のコメントを出すのだ。
スキャンダル報道があれば、当人は世の中すべてが自分の敵にでもなったように心細いと思うが、それを緩和できるくらいの効果はあるだろう。政府筋が応援するんだぜ。

文春砲がなぜ恐怖の的かといえば、あとでじわりと効いてくるのは、契約している企業CMが手を引いたりするからなのだが、婚外子協会ではこういったタレントのスキャンダルにもタレントに寄り添い、支援・対応してゆく。

それぞれの事案ごとにフォローアップし、例えば、企業のCM契約がどうなったかというのも数値化し、不倫騒動の前後でCM契約を引き上げる企業には、「婚外子協会」から抗議文を送りつける。
もう少し事例が集積すれば、文春砲が発せられた瞬間に、事務所と連携をとりあって、提携先企業へ釘をさすような文書を送ってもいいかもしれない。
なんなら、婚外子協会から、AC(公共広告機構)へ紹介して、逸失したCM出演料の代わりに補填することさえも検討しよう。
婚外子協会の会長は、人脈が広く、怒らせたらめんどくさそうな著名人を起用する。

もちろん、文春砲のすべてに対応するわけではない。
これは「婚外子協会」なのであるから、例えばLGBTの方の恋愛が暴露されたり、SMバーでご乱行みたいなやつは、出産に繋がらないわけなので、支援しない。40歳以上の女性のスキャンダルに対しても、支援はしない。
あくまで、少子高齢化に貢献できそうな性行動を支援する。

こんな協会作ったらええんちゃうの?

なんて僕は酒の席でよく冗談めいて、いうのだけれど。
それくらいやらないと、日本の婚外子蔑視の社会意識って変わらないんじゃないか。
というか、ここ数年さらに非寛容化している風潮を、せめてもとにもどせたら、それでいい。

* * *

ただ、もともと婚姻制度もフリーでオープン。なおかつ育児先進国でもある北欧のフィンランドでも近年立ち枯れるように出生率が激減している。
制度を洗練させたからといって少子化が改善されるわけでもないようだ。


その他のBlogの更新:

ジャズブログ:

セッションのバランシングとマネジメント: - 半熟ドクターのジャズブログ
セッションにおける意識と振る舞い方に関する一考察。ちょっと長くなりすぎました。

年賀状の意味と今後

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2020年、仙酔島
:
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

hanjukudoctor.hatenablog.com

以前に書いたことがありますが、最近は正月らしさをあまり味わったことがない。
年末年始は、アルバイトの非常勤の先生で病院の日当直を回しているが、
バイトの先生に休みの間の入院のことをすべて責任をもって指示してもらうのは酷だと思っているので*1、1日1度は病院に来て回診や指示を出す。必要ならICもする。ま「つなぎ役」みたいなことを数年来やっている。

そういうわけで、お正月はどこにもいけない。
どこにもいけないが、家族で近場の観光地を回ったりはした。
空いた時間にはピアノを弾く。*2
ただ、Blogとか、書かなきゃいけない原稿とか、仕上げなければいけないプレゼンのパワーポイントなどはビタイチすすまなかった。

なんだ、しっかりネジを緩めているじゃないか。
まあまあの休日だったと思う。

* * *

正月といえば年賀状。
ここ最近はSNSなどをみていても「紙の年賀状はやめました」というお便りをぽつりぽつりみるようになった。

ちなみに私はといえば、ダメ人間なので、「年賀状やめました」以前に、始めたことさえない。
基本、返さない。
家庭を持つようになってから年賀状は家族全体の案件となったので、今では妻が自動的に返してはいるけれども、年賀状自体にあまり意味を見出したことはない。アクティブな友人関係はSNSで事足りるし。

ただ、それは私は今壮年期で、仕事もプライベートもまあまあ華やかで忙しくしていて、どちらかというと人間関係を把握しきれていないからゆえにそう感じるのであって、もし自分に「余生」なるものがあったりしたら、年賀状というものにはまた別の意味があるのではないかと思う。

そういう意味では、年賀状を出す習慣は「年金」のようなものだ。
筆まめな人は、年賀状でのやりとりを毎年続けているが、これは積立金のようなもの。
老後まで続けていれば、思いもかけない、心の交流になったり、ひょっとしたら文通だけではなく会いに行ったりするような関係になったりするのかもしれない。
僕なんかは年賀状なんて一切出さないから、積み立てた友人関係がない。
仕事や音楽の友人関係なんかは顔をださなくなったら終わりだ。
年金未納の高齢者と同じく、大きな欠落を抱えて孤独な老後を生きることになるだろう。

そう、年賀状は個人の人間関係=「社会資本」の年金の積み立てなのだ。

* * *

ところが、さすがに一世紀近く続いたこの年賀状のあり方も、ITが導入された社会の変化の中で運用が難しくなったように思える。
紙の手紙・葉書を出す習慣が、勤労世代以下では失われつつある。
出す方も受け取る方も、紙に書いて意思を伝えるという行動様式に慣れていないからだ。
ラブレターだって、今はLINEなどのSNSで出される。
今では、かろうじて、年末の「年賀状」という風習だけが、最後の砦だ。

そして、それも徐々に失われつつある。世代間の断絶はあるけど。
* * *

実は、年賀状という風習は、古代から綿々と続く風習ではない。
昔は近所に、年賀の挨拶回りをすることが習慣であった。会えない遠方の友人に、対面の挨拶の代替として年賀状を出していた。

ならば、「年賀状」だけではなく「年賀の挨拶」も含めて電子化したらどうか。
紙の年賀状をやめるなら、代替案を、できれば国内発のサービスでIT化してほしいと思う。

以下は僕の妄想。

まずFacebookのような、年賀状のポータルサイト。各人はアカウントを作る*3
自分のアカウントには、年賀のコンテンツをアップロードできる。
一次元であれば、いわゆる テキストによる年賀の挨拶。
二次元であれば、年賀はがきのような、イラストや写真をおりまぜた、今我々が年賀状にしているような「年賀状」。
三次元であれば、例えば、近況報告などを喋っている動画など。

で、年賀状をやりとりするような関係の人どうしは、FacebookTwitterのような相互フォローの関係を構築する。
要するに、年賀状を「出す」よりは、それぞれの人の元に「訪れる」というような格好になる。

もちろん、お互いに双方向のやりとりもできるようにしておきたい。
どれくらいの範囲までオープンにするかは個人が自由に決められる。
また他のSNSと同様にブロックなどの権利も担保する。

ま、要するに「年賀状」を口実にしたSNSを構築するということだ。

これのいいところは、膨大な年賀状のやりとりに費やされる物流への負荷が減らせることだ。
もちろんこれはいいことばかりではなくて、郵便にとっては売り上げの減少につながる。
ただ昔から年賀状の配達は一時的に膨れ上がる需要に対し、アルバイトを雇ってなんとか回しているのが現状だ。
若年人口の減少も手伝い、これらの臨時採用の年賀状配達員の調達は今後難しい。
多分、田舎でも都会でも、いずれ年賀状は配達できなくなる。*4

むしろカニバリの危険をおかしてまでも、この「年賀状SNS」は日本郵便が構築すべきだった。
というか、10年前にきちんとそれができていれば、日本人はFacebookでなく、このサービスを使っていただろう。

このSNSの強みは、各人のアカウントと住所が紐付けされた情報をSNSの胴元が持てることだ。
住所変更で郵便がどっか行ったりもしないし、このデータベースは、他社がもちえない宝の源泉になる。
なんなら年賀状に限らず、通常の郵便のやりとりも、そのインフラでやればいい。*5

…ということを10年前くらいからなんとなく思っていた。
しかしそういうサービスはあらわれず、人々は既存のSNSを利用して、まあそれに近いことをやっている。
このままでは残念ながら年賀状という習慣そのものは、IT化の波に乗り遅れ、おそらく衰退していくんじゃないのかなあ。

そうなると、今紙の年賀状をやりとりしている人たちの「社会資本の積み立て年金」だって、無価値になってしまう。
僕は「社会資本の積み立て年金」未納なので別に構わないが、なんだかそれは今まめに手紙のやり取りをしている人たちも、今年はやめようかどうしようか、迷っている人たちを、気の毒に思うのだ。

*1:この辺は考え方だが、当院の診療密度の肌感覚とか、病棟内のコンセンサスを知っている人が指示を出した方が結局うまくいくのだ

*2:普段は細切れにしかできない基礎的な練習をみっちりやったり、試していなかったことを取り入れたり。

*3:「Hunter x Hunter」における「ホームコード」のようなものが想像しやすいかもしれない。

*4:あるいは。臨時配達局員に学生ではなく高齢者のアルバイト、となるかもしれない。学生の時に年賀状配達のアルバイトをし、長じて仕事を引退し、歳をとって、老後にまた年賀状配達のアルバイトをする。これはこれでなんかディストピア感がある。

*5:例えばはがき63円のかわりに、メッセージのやりとりを5円とする。それでも利鞘はとれると思う。祝電・弔電のたぐいはこちらに取り込めると思う。というか電報なんてやめたらいいじゃんと思うけど。内容証明や書き留めなどは、今では結構な額がかかるが、コピーが残るので、このSNS上のやりとりが法的な証拠能力を持たせることは可能だと思う。

誰かのために生きること

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2019年, 下関

よくでてくる説話がある。

地獄と天国のお箸の話、というと知っている人も多いかもしれない。

www.rengyouji.com

天国も地獄も長いお箸をもって食事をする決まりになっている。
地獄では、うまく食べられないから、争い、他の人の食事を奪ったりして食事ができない。
ところが、天国では、みながお互いに食事を食べさせあっているから、楽しく食事ができている。

ようするに天国も地獄も同じ。利他精神をもっているかどうか違いなんだ、という話。

利他精神はともかく、誰かのために生きる方が、自分一人のためだけに生きるよりもずっと力がでることは、自分の経験に照らしてみても確かだ。

家族、妻や子供のためだと思うと、仕事も頑張れる。
経営者というのも、経営者の高い報酬のために働くというのではつまらない。職員や患者さんのために働く、と思えてこそ、知力・体力をしぼりつくしたいい仕事ができるというものだ。

もちろん「みんなのため」というのを前面にだし、その実「やりがい搾取」のようなものはどうかと思うが「自分が生きる」ためだけに働くよりも、背負うべきものを背負った方が、自らの力のリミッターをはずすことができるような気がする。

要するに「誰かのために働く」ことは、 今風に言えば、自分に「レバレッジ」をかけているのと同じことだ。
*1

* * *

わたしは中小病院の*2内科もしつつ、いまだに基幹病院での肝臓内科外来も続させてもらっている。肝臓ガンの治療手技からは手を引いて久しいが、驚異的な粘りを見せ存命し僕の外来に通い続けている肝臓癌の患者さんも何人かいる。ネクサバール(Sorafenib)開始してLong SDでもう8年とかね。

係累がいない人って、正直同じ治療をしても、そんなにもたない印象がある。
自分独りのためにしんどい治療に耐えて頑張るというのは限界があるのだと思う。見られているからこそ頑張れることもある。

さらに「誰かのために生きている」人は、もっと力をふりしぼれる。
これは障害を抱えたパートナーやお子様をもった担癌患者さんを診させていただいた経験からだ。
皆、こちらが頭を垂れるような踏ん張りをみせて死線や苦痛を乗り越える。
乗り越えている。
「あいつを残して死ねん」ってやつ。
もちろん最後には人は亡くなる。
 だが総じて、他人のためなら、人は一線を超えた力を出せると思う。

もちろん、それが幸福かどうかは、別の話だがね。

* * *

人と人との繋がりっていうのは、20代30代40代に僕らが思っていた以上に、大事なものらしい。

「マイルドヤンキー」という用語にもあった、収入は低くても地方に定住し、地元との繋がりを大事にする生き方は、金額には計上できない社会資本を多くもっている。彼らは低収入ではあれど、それほど不幸ではない。

もちろん人間関係そのものは煩わしいものでもある。
人の悩みなんて、つきつめていうと金か人間関係の二つしかない。
でも、あるないのレベルで問えば、人間関係なくては人は幸福ではいられない。

ひょっとしたら「失われた30年、40年」の主犯は、少子高齢化そのものではなく、単身世帯化にあるのではないか?
とまでいうと、言い過ぎだろうか。

でも、バブル崩壊のあと「清貧の思想」というのが流行ったが、清貧でおしとおすのなら我々はもっと人間関係に注意をはらうべきであったと思う。
お醤油をご近所さんと貸し借りできるような関係でないと、貧しくても幸福な暮らしはできない。

孤独な金持ちは不幸だ。
だが、孤独な貧者は、不幸以前の問題なのである。

あなたは大丈夫?
もちろん、今人間関係には恵まれているかもしれない。
でもさあ、20代の頃は一緒にご飯行く相手には事欠かなかった。30代でもそうだ。
でも私のことでいえば、40代、ふと独りでご飯となった時に、食事に誘うことに気遣いなどから躊躇してしまう自分がいる。

宇宙の始まりから終焉のように、宇宙は膨張し拡散する。
銀河系同士はどんどん遠ざかる。
人間関係もそんな風に、年を減るとどんどん距離が広がるように思う。
40代でそうなのだからその延長線上の60代、70代にはどうかというと、ちょっと恐ろしい気がする。

* * *

反面、誰かのために生かされるということもある。

天涯孤独の身であれば、もし意思決定権が失われて、自分でご飯も食べられなくなってしまっても、ACPなどで来し方行く末を決めていれば、まあ、自分の望む決着をつけることができる。

だけど、たとえどんな高齢であっても、肉親が亡くなるということが受け入れられない「熱心な親族」の感情論にひっぱられ、適切な幕引きのチャンスを逃してしまい、胃瘻なんか造設されちゃう、なんてこともある。
こうなると、「地獄への道は善意で敷き詰められている……」とでもいいたくもなる。

ま、そういうことも含めてのACP改め「人生会議」ということだな。

その他のBlogの更新:

ジャズブログ:

*1:もちろんこれはオールドスタイルの働き方でして、能力のある東京の若者が、自己実現のために働くようなパターンは、またそれはそれで別のやり方のレバレッジの掛け方なのだと思う

*2:80床足らずの小さい病院(10対1急性期と地ケア)ではあるが、病床稼働率は95%、急性期病棟の平均在院日数は8日。みんな頑張っていますよ。