半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

Ubieの長短

2022, 愛媛。木漏れ日っていいよね

コロナ・コロナ・コロナ…
やばいやばい。第七波が終わり、束の間の休息と思っていたけれど、10月になって院内でのコロナ感染を初体験した。
コロナ患者の入院は診ていたけど、今までは奇跡的に職場内での感染などは病棟では回避できていたのに。
一旦このパターンに陥ると、コロナの感染力の強さには改めて瞠目する。マジ勘弁。

個人的にはつい先日オミクロン対応のワクチンを受け、意外すぎるほどしんどかったのであるが、
そんな個人的エピソードなどふっとんでしまう勢いである。

Ubie

https://www.mhlw.go.jp/content/12600000/000685281.pdf

電子カルテの共通プラットフォームについては期待をもって見守っているのだけれど、個人的な考えでは、電子カルテは、堅牢な「ノート」としての機能のみに特化していただき、その上でいかに診療の質を上げるか、という部分は、サードパーティーによるモジュールを利用した方がいいんじゃないかと思っている。*1
確かにそうやって付け足していった方が、購入するエンドユーザーである病院のコスト総計は増えるんじゃないかとは思うけど、一社提供の電子カルテが、それらのサービスをすべて包含して開発するのは、無駄が多い。
なにより電子カルテ会社の開発スピードは遅すぎる。なので、さくっと割り切ってサーバーやOSの更新に対応した堅牢で高速のリレーショナルデータベースでさえあればいいのだ。電カルは。
PHRとかウェラブルデバイスとかウェラブルセンシングとかそういうやつはサードパーティーに任せて、囲い込まない方がありがたいと思う。

さて、Ubieである。
Ubieがなんであるかというのは、もうみんな知っていると思うけど、
AI問診システムのことだ。
出た当時(2017年)にはかなり騒がれ、話題にもなった。
www.hospital-management.jp

実はうちはUbie入れてもう3-4年くらい経つ。
Ubieは僕はすごくいいと思っている。
問診に答えてもらうだけで、昔の内科認定医・専門医の抄録みたいな形のテキストを生成してくれる。
時間がない外来診療の中で初診の患者さんの診察をして、きっちりカルテを書きたい時にすごく便利だ。
あと、紹介状をスキャンするとかなりの正確なOCRでテキストにしてくれるので、紹介状をカルテに反映させるのがすごく簡単になる。

もちろん、そうすると過剰な部分もあるので適宜トリミングしてつかう。

Ubieを使うようになってから、どちらかというと文章を書くより、削除する作業の方が増えるくらいだ。
欲をいえば、「ですます」文から「だ・である」文に一瞬で変換できる機能などがあるとありがたい。
少し前に搭載された、推測病名の各種疾患ガイドラインが見られるのは、不勉強な医師にはとても便利でもある。

Ubieを使ってわかった本質的なこと

そんな便利なUbieであるが、例えば二次救急とかで使えれば便利なはずだが、
夜間の事務人員配置の問題で、使えないのが現在の課題ではある。
(ただ、救急車による搬送には向かない。ウォークインはそこまで多くはないし)

たた、残念なことに便利だと思っているのは僕とコメディカルくらいで、年上の先生にはあまり使ってもらっていない感じだ。

Ubieは「きちんとカルテを書かなきゃと思っているけど、時間がなくてカルテ書けない」という
ニーズには有効なんだけれども、そもそもカルテの文字数を嫌う先生には今ひとつ魅力的ではないのだ。

電子カルテ以前にカルテ記載を始めた年代の先生は、基本的にカルテの文字数が多くない状態を好む。
それも道理。手書きカルテでは、詳細にカルテ記載をするのは不可能だ。
「三つ子の魂百まで」で、カルテ記載は簡潔である傾向にある。

要するに「カルテを書かなきゃ」という内発的動機がない場合、
Ubieはただのうるさいおしゃべりマシンに過ぎないのだ。

実際、カルテの文字数が増えると、弊害も増える。
カルテは「コピペ」+新規記載みたいな「うなぎのタレ」方式で書いている場合はそれなりに多いと思うが、
状態が変わっても、カルテ記載が変わらないために矛盾が生じることもある。
下手に書いてあるだけに、惑わせてタチが悪い。
*2

カルテの長短については、書くコスト、読むコスト、再調査するコストなどいろいろ個人差が大きく、
標準化が難しい。

Ubieで書いた初診カルテについても、実際に再診〜定期通院の状態には適しておらず再編集する必要はある(ちょっと過剰なのだ)から
Ubieは結構便利ではあるが、道具としては限界もあるのは事実だとは思う。

Ubieが最も有効なのは、Stock型ではなくFlow型の診療、つまり紹介⇄逆紹介型の基幹病院だとは思う。
ただ、でかいとこは、そういう予算つかへんわな。カルテ?当然自分で書くでしょ!みたいな感じだと思うし。
小さいところに勤めている年配の先生は、そもそもカルテの文字数増えるのを嫌う(世代間ギャップ)。

そこにUbieの売りにくさがあるように思う。

*1:電子カルテにぜひ搭載して欲しいのは診断時のレジストリ機能だ。電子カルテの平文のところにテンプレを容易に展開し、そのアウトカムも記載を義務化させることで、一般診療の全国的な統計化が容易になるはずなのだ。あれを初期段階で搭載していれば、日本の論文数の凋落ももっと防げたんじゃないかと思う

*2:さらに、カルテコピペを別の人に貼ってしまいわけわからなくなるミスもゼロではない。忙しい場合はなおさら。これを何度か経験したので、自分はカルテ本文に患者さんの名前の一部を入れることにした。情けない話だ

村上春樹がノーベル文学賞をとれる時代は終わったのかも

2022, 神石高原町。ちょっと2001年宇宙の旅を意識した

コロナ・コロナ・コロナ……
第7波は終わったところだが、ここに来て弊社にて院内クラスターが起こりそう…な一報が入る。だが、結果的にはシャレにならない状態にはならなさそうだった。

四回目ワクチン、二価ワクチンを打ってみました。
その後しんどかったんですが、ワクチンそのものよりも、仕事の予定をガツガツに詰められていたためだった。
後ろから撃たれるというのはこのことかあ。

村上春樹

私はまあまあのハルキストです。
今年も「村上春樹ノーベル文学賞をとれるのか?」と勝手に周囲が騒ぎ、勝手に落胆し、終わった。
もはやこの時期の不思議で変な風物詩になってしまっている。

あくまで個人的な感想ですが、村上春樹時代感覚は、もはや一世代古くなってしまった気がする。

村上春樹は、世界との「デタッチメント」と、旧来からの地縁血縁、共同体から外れた都市部の生活者のポストモダン的な問題を描いた。
そこには前世代の日本文学にない新しさがあったはずだ。

ある種の都市生活者には切実な悩み。
それを村上は可視化した。こういう悩みは僕だけじゃないんだ、と。
その問題は日本のみならず、グローバル化という社会の変貌の中で生きる者に共通であったため、村上春樹は世界的に注目されるに至ったのだとは思う。

価値観の相対化が他国より早かったのか、ポストモダン的な問題の先鋭化は日本(厳密にいえば東京)において早く、村上春樹は世界に先んじてこの問題を描くことができたのだと思う。

ただ、それは1980-90年代の切実なイシューではあったが、世代は進む。
もはや村上春樹と悩みを一にしていた世代は若者ではなくなってしまった。
今の若者が抱える悩みは、村上春樹の描いた問題とは別種であるように思われる。
(日本においては貧困化と選択肢の減少から、むしろ悩みや課題は先祖返りしているようにさえ思われる)

例えばちょっと前にノーベル文学賞を受賞した「カズオ・イシグロ」の方が、時代感覚としては新しい。
となると、村上春樹が「日本人枠」としてノーベル賞を取るというのはいよいよ可能性が低いんじゃないのかなあと思ったりはした。

極めつけはコロナ禍と、ウクライナへのロシア侵攻に代表される世界情勢のアンチ・グローバル化と情勢の不安定化である。村上春樹の文学世界が舞台とする、終わりなき日常の中で宙ぶらりんになった都市生活者、というような世界ではない。世界にストーリーが無くなったから、個々人がそれぞれのストーリーを見出し、生きる。

世界そのものが不穏に(しかしその反面ドラマティックに)変化してしまった。
そうなってくると、世界そのものに大きな物語が生まれ、個々人はその枠の中の相剋で足掻く時代である。

村上春樹の作品のもつ問題意識は、どうしても色あせてしまう。
つまり村上春樹は「時代遅れ」になってしまったのではないか。
その意味で、ノーベル賞は遠ざかったんじゃないかなあと思う。

ただ、賞って、一周遅れだったりする。
から、だからこそ受賞しちゃう、なんてことが今後あるのかもしれない。知らんけど。

中年の憂鬱

2022, 浜松

コロナ・コロナ・コロナ…
第7波はどうやらピークを越したようだ。
多分感染者数は今後もそれなりに続くとは思われるけど、相対的にいえば「ニュース」ではなくなってゆくみたいだ。
インフルエンザはぽろぽろでているようだし、この冬の戦い方は、また少し違ったものになるのだろう。

誕生日

48歳になった。

正直、あまり調子はよくない。

コロナ禍も3年目。
戦争も始まったし。元総理も暗殺されてしまって、この前国葬があった。
世界情勢には暗雲がたちこめて、世界経済も一筋縄ではいかなさそうだ。
かつての平和な日差しから一転陰ったように思える。

中井久夫先生が「マルス感覚」と名付けた、「乱」の雰囲気である。

* * *

個人的にも、いろんな人と会って話をして会食して、というかつての生活は、コロナ禍で自省を強いられる日々に。
しかし昔ほど読書も進まない自分に気づく。

そんな生活を続けているうちに、なんだか心が弱くなったように感じられる。
人と濃密な付き合いをすることに、怖気づいてしまう。
楽しいことをしても、楽しみを100%享受できない感じといいますか。

端的に、自分に自信がなくなった。
周りを巻き込んで何かを行うことに躊躇するようになってしまった。
根拠のない自信がなくなってしまった。
人を誘えない。誘って起こるいろんなケミストリーに、責任を持てない。

陽キャぶっていたけれど、陰キャやねんなあと思った。

幸い、仕事は好調です。
なんなら過労死しそうなくらいです(コロナを抜きにしても)。

もちろん職場内部の人間関係にはいろんなことがある。
いいニュースも悪いニュースも、ある。
ただそれを受け止め、組織は進ませるしかない。
傷ついた人には申し訳ないと思いつつ。
歩みをとめてはならない。
未来に対応しなければいけない。

新機軸を考えることは、本来楽しいはず。
ですが「いや今以上に忙しくなったらどうしよう…」とブレーキをかけてしまう。
これって、手元の仕事が忙しすぎるからで、多分バランスがちょっと悪いんだよね。

* * *

もうちょっとゆったりして、人(特に医師)を増やし、質にこだわった仕事をしたい。
けど、そのためには、今の陰キャ的態度じゃ、人は来ないだろうし。
アカレンジャーになりきれないまま無理やりやってきたツケが、今まさに来ている気もする。

老化

そういう意味で、メンタルはやや日陰気味ですね。
うちは朝礼をやっていて、各部署から一言ずつ話すというのを以前やっていた。
コロナ禍になり、それを2−3分の動画にかえた。
「理事長から一言」という社内動画、さっぱりアップしなくなった。
 正確にいうと、できなくなった。
 それは、そういう感じで、アジテーションに躊躇するようになってしまった。

とはいえポストコロナ、いやウィズコロナの世の中の変化に組織をうまく御していかなきゃいけないので、
それを考えないといけないんだろうな。


体調もあんまりよくない。
3月には軽く腰椎ヘルニアで、初めて寝返りできないレベルの腰痛に。*1
ひどいのは、老眼。どんどんすすむね。*2
6月くらいから血圧測ったらめちゃめちゃ高くて、降圧薬を開始したりしました。*3
順調に老いていると思う。

理性ではいまの自分の延長線上で、やるべきことは、たくさん思い浮かびます。
しかし、感情の点では全く衝動がでてこないのが、今の自分のよくないところ。

客観視すると、幸せな生活やと思うんだけど、満たされないのは心のありようのためか。
ミッドライフクライシス、意外に先が見えない。

や、相対的に見ると、あたしなんて、恵まれてんすよ。
こんなんで不満とか、自己肯定感の低さを言い出したらきりないんだけれど、それでも過去の自分の気概に比べて劣っているからなんでしょうね。

fujipon.hatenablog.com
わかるなあ。わかるよ。

hanjukudoctor.hatenablog.com
円楽師匠、お疲れさまでした。

*1:幸い今は落ち着きました

*2:これが本を読めなくなった原因かも

*3:クレアチニンもちょっと高めで、要注意

何もできない旦那

2022 福山

コロナ・コロナ・コロナ…
第七波。街の雰囲気は落ち着いた感じではあるが、医療機関では、まだまだ発熱→コロナ陽性、みたいなのはぽろぽろ来る。ただし陽性率はかなり落ちた雰囲気。

むしろ、「末端に浸透」という感じである。普通の行動をとっている人がコロナにかかったり。
介護施設にいたり、在宅の高齢者がコロナにかかったり。クラスターでもなく。

もうコロナ自体があまねくコミュニティに散布していて、事前確率の低い人もポロポロかかる。
逆に、あらゆる家族形態のあらゆるパターンが散見されて、一筋縄ではいかない。
一ヶ月前はよかった。若い子が熱出して発熱→「コロナ!」→解熱剤出して「頑張ってねー」
今は、なんか、微妙な症例が増えた。
ある種コロナの「ラガード層」への浸透といえよう。

「イノベーター理論」の5つのタイプ

「定年後の旦那が何もしてくれない」

「旦那が何もしてくれない」なんて話は女子…というかご婦人方の間ではテンプレの話題でありまして。
女性はなんやかや、ずっと忙しい。
娘や嫁は孫を連れてきて、その世話もする。
盆暮には親族が集まっておさんどんをしなきゃならん。
なんなら姑舅、自分の親の介護などもあったりする。
忙しい。ああ忙しい。忙しくて気が狂いそう!

それなのに、定年退職した旦那はずっと家にいて、朝から悠長に新聞なんか読んでて「ごはんまだ?」とか
ぬかしやがる。あたしがコロナのワクチンでぶっ倒れていた時でさえ!
飯くらい自分で作れんのか!

どうにかならんのか、この木偶の坊。
濡れ落ち葉。

みたいな話。

何でもできる旦那の方がいいのか

しかし、家事もさらりとひと通りこなして、趣味も持っていて、退屈しない会話もできて、気配りもできて…
なんて、自分の旦那にそんな能力が実装されたら、それはそれで、おそろしくないか?

イタリアの老人みたいに、街頭でナンパしたり。浮気したり。もしくは趣味に散財したり。
それはそれで自分の城をおびやかしはしないか?

浮気しない人だって、蕎麦打ちにはまって店を開こうとしたり、同意なく田舎暮らしを決断したりとか突然したりする。勝手に変なことをしだす。
男のロマン」は幼稚園児だろうと、大学生だろうと、ニートであろうと、中年だろうと、老人だろうと、いつでも現実から乖離していたり、突拍子もない。
小人閑居すれば不善をなす。

そう思ったら「何もできない旦那」は、マイナスではない。ただ邪魔で生産性がないだけだ。
上で述べたように、もっと悪いケースだってたくさんあるはずだ。
ゼロの方が、マイナスよりはましだ。

逆に旦那目線で考える。
ひたすらにつまらない仕事に追いまくられ「お小遣い」なんていう奴隷的な制度に縛られ、時間も金もない。
まるで手足をもがれたような状態で、ただひたすらに働く。
家のことには口をださず(出させず)、主体性を失い、会社と家の往復。
まあ、ある種の「飼い殺し」ではある。

そうして、定年退職となって、労働場から追い出されたら「何もしない旦那」の完成。
いや、それは「何もできない」のだろうて。

引退した牛馬は、屠畜され食糧にされることを考えれば、殺されないだけ「まし」なのかもしれない。
いや、そりゃそうだ。「年金」があるからな。

だから、何もできない旦那って、ちょっとうっとうしいだけで、最高な存在なんじゃないか。

ただまあ、女性の側からしてみたら、自分がクソ忙しい時に、のんびりされていると、まあ腹は立つ。

でも考えてほしい。
そうやってリビングで所在なさげに突っ立っている男は、牙を抜き、爪を抜かれ、人畜無害と化した人間の燃え滓みたいな状態じゃないですか。あなたがそれを望んだんでしょう?
家庭に波風が立たぬよう、数々のリスク因子をクレンジングした結果できあがった「つまらない旦那」じゃないですか。甘受しないといけないよね。

ま、素直に「ドムス化(家畜化)」される旦那も旦那だとは思うが、家畜化って楽だからね。
基本的に「男はことなかれ主義」だから。


(追記)
しかしこんなこと書いてる私はといえば、お小遣い制でもなくて、そして基本的に家事もしない。
弁護する余地もなく、クソじゃん。
と気づいた。

コロナ後の世界

2022, 岡山県

コロナ、コロナ、コロナ…(Covid-19, SARS-CoV-2)

うーん。第7波!
 厳しい!

第6波にくらべても、第7波は、コロナが完全に「当たり前」の世界。
第5波くらいまではコロナは「隣の隣」くらいだったのが、第6波で「隣」の話になった。
第7波では、職員の感染は当たり前になり、すべての部署・すべての職種でコロナの感染者が発生している。

今は、我が家もコロナはまだ入りこんではいない。
が、いずれ、私を含めた家人の誰かがコロナになるのは避けられない情勢だと思う。

まあ、とにかく、コロナは当たり前になった。
一方、私の友人たちも含め罹った人たちも「すげーしんどかった」とはおっしゃるものの、
まあ普通に生還し、もとの生活に戻るのが当たり前になりつつある。

そういう意味では「風邪」とまではいわないが「一つの通過儀礼」くらいの感じになった。

ただ、高齢者に対して、どうするのか、という社会全体の姿勢を明確にすべき時期にはきていると思う。

「8割おじさん」こと西浦先生の、この記事。
www.m3.com
ポストコロナについて、研究者の現在の知見としては非常にわかりやすかった。

要するに、コロナはスペイン風邪のように「一過性に猛威をふるう、そして過ぎ去る大流行」ではなく、変異を繰り返しながら、世界各地にはびこり続ける。
季節や地域で流行を繰り返す、よくある感染症の一つ、みたいな存在になる、という予想だ。

治療薬などにブレークスルーがない限り(そして、病原体の本質として、症状を完全に雲散霧消するものはなさそうだ)、あんまり効かないかもしれないワクチンのブースターを頼りに、共存するしかない、ということか。

なんという、救いのない結論か…と思う。
が、まあリアルな着地点かもな、と思う。

ポストコロナ

コロナを完全に封じ込める策は、おそらく放棄する日は、近い。
世界各国がそうだからだ。
その意味で5類相当は、当たり前なのかもしれない。
 ただ、5類になったところで、病気が軽いものになるわけではない。

ただし、日本は、世界に冠たる高齢社会。
この戦略が、もっとも裏目にでる国でもある。
特に、我々ヘルスケア業界は、二律背反に悩まされるだろう。

高齢者を過度に保護する場合は、医療リソースが足りなくなる。
しかし、高齢者に対して英米のような「突き放した」政策を取る場合、ヘルスケア業界の最大手顧客を消耗し、業界そのものが立ち行かなくなる可能性は高い。

なので、その「間」をとるようなジャパンオリジナルが必要なのではないか。
というのが西浦先生の提案であり、国民の合意は政策で決定されるべきではないか?ということだ。

ただ、岸田政権……「意思決定」ができない岸田政権……

高齢者の「選択」

しかし高齢者にとっては、一体どうなんだろうか。

孫やひ孫からの感染が原因で、命を失ってしまうのも不幸だ。
だが、コロナで施設の家族面会も出来ず、家族にも会えないのも不幸だ。

コロナのせいで、海外はもとより国内旅行にも行けない、親族や友達とも会えない。
唯一の趣味であったカラオケ喫茶(笑)にも行けない。みたいな状態で、仮に長生きが出来たとして、幸せなのか。


ご高齢の皆さんも、コロナ禍で丸二年、耐乏生活を強いられている。
でもこれ、「スペイン風邪」とかになぞらえて、1−2年でこの状況が終わる前提だった。
だから、耐乏生活にも耐えられている。

でも、これ「あと10年続く」ってなったらどうよ?

流石に若者よりも残余命が少ない高齢者にとっては、結構難しい問題だと思う。
「死んでもいいからナポリに行く」(そんなことわざありましたね)とか
「死んでもいいから同窓会を開こう」という選択をする人たちがでても
おかしくはないだろう。

高齢者は、若者よりも、社会生活も、健康状態も、経済状態も、多様性の振れ幅が大きい。
一律に処していい集団ではない。

社会のコンセンサスを、一体どうやって取るつもりなんだろう?
高齢者のことは、高齢者に決めさせる?

まあその場合、重症化した高齢者を受け止め、医療がパンクするんだろうな。
人間は若くたって年寄りだって「エピメテウス(後に考える人)」の末裔だもの。

選挙の雑感と、歴史の転換点

2022, 岡山県

コロナ・コロナ・コロナ…(Covid-19, SARS-CoV-2)
第七波は容赦無くこの地方都市を静かに覆い、医療機関で働く我々にはかつてない厳しい状況になった。
しかし、街の喧騒は(さすがに感染者数の最高記録が5度ほど塗り替えられたあとは少し出足が鈍ったが)街の様子としては、あまり変わった感じはない。

世界の様子をみても、経済のことを鑑みても、これはしょうがないよなあ、と僕も思う。
ただ、街の様子と医療の中の様子の空気感の著しい乖離は、おそらく医療の窮状を、社会が「共有」しない、ということ。
共有しなければ、共感もない。
市井の人は、受診できないとか、救急車を呼んでも行き先が決まらないというネガティブな事態に陥らないと見えてこない。

なので、単純に、短慮な方々からのクレームもいままでよりも多い気がする。
基本的にワクチン未接種の方々に、短慮の方が多い傾向は間違いなくあって……
ま、大変ですよね(多くは語らない)。

参議院選、そして安倍元総理の死

そういえば、選挙が終わって一ヶ月以上経つんだ。
直前に安倍元総理が撃たれて亡くなるという波乱があったが、
選挙の結果は、非常にクールなもので、安倍さん狙撃の前の予想と大きくは変わらなかった。

安倍さんについては、総理辞任の際の感想を再掲する。
hanjukudoctor.hatenablog.com
やれやれ。
政策に対する批判はともかく、個人的な揶揄中傷に比較的寛容な*1人が殺されてしまう、というのも皮肉なものではある。

さまざまな情報が明るみになりつつある中、この事件の位置付けが今ひとつ自分の中でよくわからない。
この事件をきっかけに日本というものがどういう風にかわっていくのかも、今ひとつよくわからない。

はっきり言えるのは、たとえば自民党が二回に渡って下野した時、「浮動層」によって大きく情勢が動いた、みたいなアングルでは、今後は政権交代はなされないのかもしれない。と思ったりもした。

自由民主主義では、国民の自由な選択の総意が、被選挙者を選ぶ、というドグマがある。
けども、選挙は、カルト宗教ならずとも、各種団体の団体戦というか組織戦というか、そんな感じで、特定の団体の組織力が勝つ時代になってしまった。

おそらく「浮動層」の価値がここまで下がったのは、戦後初めてなんじゃないか。
TV番組の視聴率と同じで、多様性と細分化(セグメンテーション)によって、「浮動層」全員に訴求する「大きな物語」が成立しなくなったからか。
「浮動層」の連帯感がなくなり、力を糾合することができない。

N党のガーシーとか、いわゆるシングルトピックの候補は、浮動票のロングテールに訴求し、当選できる。
 逆に、ああいう人たちは、この現状を理解した上で、行動しているものだと思われる。
これって戦後のシステムをハックされてしまった感さえありますね。

明治初年から昭和6年満州事変までがおよそ65年。
この辺で、明治に形成されたシステムが有効に働かなくなり、民主主義の敗北と軍部の台頭を許してしまった。
同様に戦後から現在まで77年。
もはや、戦後レジームはつぎはぎだらけでなんとか動いている代物である。

悪知恵を持った頭のいい人には、システムの陥穽のどこをつけば自分の思い通りになるか明らかなんでしょうね。
地方都市で暮らす私には、流れを変えるやり方など思いつかないけれど、このままではどんどん意思決定プロセスが不透明になってしまうと思う。

世の中が善意では変えられず、悪意を持った誰かが作った変な濁流に押し流されてやしないか、非常に不安だ。
数年経つと、随分と時代感がかわってしまうような気がする。
杞憂に終わればいいのだけれども。

*1:これが心外だと思う人もいるかもしれないが、スターリン習近平に同じようなことをしたらどうなるか、ちょっと想像してみればいいだろう。バイデン大統領に比べても、安倍氏は個人のメディア的な消費のされ方としては尊敬からは程遠かったのは事実だ

『竹取物語』

2022年 福岡(大濠公園

コロナ・コロナ・コロナ…(Covid-19, SARS-CoV-2)
第六波が終息に向かい、GWなどの人流が増えても感染患者が減り続けていたのに、最近はまた上昇に転じているらしい。
この挙動、よくわからない。BA.5とか変異株?
わかりやすい因果関係通りにいかないのが、このコロナウイルスの玄妙なところ。
そんな不可解さが反ワクとか言われる陰謀論者の跋扈を許してしまうんだろうな。

目の前の情報しか信じなかったら、天動説だって反証するのは難しい。

竹取物語

以前に「ダメになった王国」「生殺与奪の権をゆだねちゃう人」というのを書いたことがある。
今回もそういう、身近にある寓話的な話。
hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com


今回は「竹取物語」である。
ja.wikipedia.org

まあ、かぐや姫のことですね。
珍しい宝物を所望して「持ってきてくれたら結婚しましょう」ってやつ。

実際に五人の公達は宝物を探すことはできず、悲惨な末路を迎える。
ま、ちょっと考えたら、そもそもありもしない宝物を所望して、体よく断ろうとしてますよね。
 本当にその宝物が欲しいんだったら、五人ともに同じ宝物を言いますよね。
 かぐや姫も、大きく括れば「京都女」なんだし、そういうまわりくどい断り方をする。

* * *

私は中小病院(急性期一般と地ケア)で内科をしていますけど、療養型に転院を打診することはある。
その時に転院先がいやがりそうだなーって時と、そうでもない時が当然あるわけです。

疾患そのもので手間がかかっても、医療区分が重い評価になるものはまあいいんです。向こうにとっても受け入れることで点数があがるし。問題は点数につながらないけど手間はかかる状態であるとか、家族関係などでこじれている方などの時に、条件付きで受け入れOKを出されることがある。「(薬剤代が包括なので)サムスカの処方がとれたら」とか「ここまでのADLであれば」とか。

しかし、こういう条件を満たすよう随分苦労して調整して「できました!」と向こうに再打診しても、改めて断られることが結構ある(7:3くらいの確率)。
折悪しく地ケアの入院期限の60日ギリギリで断られたりすると「詰んだ…」って感じになります。
でもこれって要するに、向こうにとっては「断わるための理由」であるのに、こちらが「受けいれられるための条件」と認識する行き違いなんですよね。
KYなのはこっちか。

まあ、療養病床は、地域的にもベッドが潤沢というわけでもなく、また回転も緩やかなので基本的には満床で、空きはぽろぽろとしかでない。療養病床は「モテる」側なんですよね。
何も難しいけどおいしくない患者さんを選ぶ必要なんてないわけです。

でも、基本的には療養病床って、外来からの直接入院ではなく、患者さんを紹介してもらわないと病棟は埋まらない構造になっている。従って、我々のような病院からの要請を無下に撥ね付けるわけにはいかない。

「今後も良好な関係を保ちたいが、この患者は引き受けられない」みたいな時に、療養病床の医療機関はやんわり断らなきゃいけない。
だから「竹取物語」的な断り方をする。
ただ、本当に「条件付き受諾」で、条件がクリアできて受け入れられることもある。その辺の見極めが難しい。

まあ、その辺はソーシャルワーカー同士の阿吽の呼吸よね。
脈ありの「条件付き」か脈なしの「条件付き」かはなんとなくわかるらしい。
ソーシャルワーカーに「別の行き先探した方がいいの?」ときいて方針を変更しています。

「条件付き約束」に拘泥してもしょうがないし。


* * *

同じような図式は、入院している高齢者と家族という関係でも起こることがある。

入院して自宅退院したいおじいさん。施設は絶対イヤ。
だけど、家族は絶対自宅に帰ってほしくはない(介護的に無理な場合もあるし、おじいさんがもうめっちゃ暴君みたいな人でとても付き合ってらんない、というパターンもある)。
みたいな時には、家族はよく「これこれができるようになったら自宅に帰れるよ」みたいな言い方をすることが多い。「家族が断った」みたいなのだと、おじいさん、怒り狂うから。
無理めの目標を提示するけど、案に相違しておじいさん、血反吐をはくようにリハビリして、家族のおっしゃった条件をクリアすることがある。

この「竹取物語」どうなる?宝物、公達がゲットしちゃった!って感じ。
けど、家族としてはやっぱり自宅には帰せない。
なんてなっちゃったら、もう大変。
おじいさんは怒り狂い、タタリ神のようになってしまうこともある。
『先生うまいこと本人が納得するような帰れない理屈でっちあげてください…』
えー? できねーよ! (ま、するけど)

* * *

竹取物語」的な図式はしばしば発生する。
「この条件がクリアできたら」みたいな付帯条件が、Yes/Noをはっきりしたくない関係性のもとで発せられた場合、その条件が、ほんとうに生きているのか、死に筋なのかは、やんわりと察しないといけない。

竹取物語」的な断り方は、まあずるいかずるくないかっていえば、ずるい。
ただ、そういうずるい断り方しかできない、構造的な問題がある、ということなのだろうと思う。