半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

まさか部活の先輩が総理大臣になるとは

windowsじゃないですよ。2025, 札幌

高市早苗さんが総理大臣になった。

えらいこった。

いや、関係ない話なんですけどね。
誰が自民党総裁・総理大臣になろうが、そりゃ日本の大枠の流れが変わる点では影響はあるけど、僕個人にはほぼ関わりのない話ですやんか。

ただ、私は神戸大学で、ジャズとかやってて、学生時代は軽音学部ジャズに属していた。

……そう、高市早苗さんは、軽音の先輩なのである。

どう受け止めていいのかわからぬ

このニュース、自分の中でどう咀嚼すべきか、
自民党の総裁選で見事な逆転勝利をおさめた時から決めかねていた。

実際、雲行きも順風満帆とはいえず「ほんまに総理になれるんかいな…」と危惧していた。
「おめでとう!」的なコメントを発する気にもなれず、ドキドキしていたわけである。

とりあえず総理大臣が確定して、本当に安堵しました。おめでとうございます!!!

しかし、そもそも軽音学部ってところは、学業を疎かにして音楽を享楽的に営むロクでもないところで、そもそも政治・経済には全く縁遠いわけである。
私は1993年入学だが、奇しくも高市先輩は衆議院議員初当選の年である。しかし軽音でそんなニュース一度も聞いたことなかった。
もちろん面識もない。
私のようなモブキャラなど。

その程度の関係性で、今更何が言えよう。
ただ、国際情勢は乱世もいいところ、ただただこの難しい局面での国政。
お身体に気をつけて全ういただければと思う。

ちなみに神戸大学出身の総理

ちなみに「軽音の先輩」は属性が近過ぎて未だ受け止めきれてないのだが、少し主語を広げ「神戸大学出身の総理」という切り口ならどうだろう。
「母校から総理」だと、わりと素直に「わーすげえ。おめでとう」って思えるかも。

なので調べてみると、高市さんよりも前に神戸大学から総理になった人が一人だけいた。

……「宇野総理」。
そう、3ヶ月もたなかった『指3本で退陣』の人。*1

高市さんが自民党総裁に選出された時に、ここまで調べて「こらあかんわ。神戸大学出身、ゲンが悪すぎるかも」と思った。
こんな縁起の悪いこと、よういわんわ……と思っていた。
のでとりあえず総理になってよかった!

……あー、しかし医療費削減4兆円とか主導してる維新と組んだし、俺らの業界終わったかも。
おめでとうございます(白目)!

*1:厳密にいうと宇野さんはかつての神戸商業大に入学し、学徒出陣で卒業はしていないらしいのだが

51歳

2025, 高知県三嶺

や、気がつくと誕生日でした。
51歳になるみたいです。

人生の舵取り

やー、もうわかんない。人生計画。
自分自身よりも世の中の動きがカオスすぎて、この先どうなるのか全然読めないですね。

病院経営は構造的にこの先も厳しい。
とはいえ、それなりに社会に必要とされる業務でもあり地域貢献もしてるからやめるわけにもいかない。しかし変化が急すぎて制度ビジネスなのに制度が対応できてないわけでね……

その狂騒を面白く見つめる自分もいますが、世界の変化が大き過ぎるのか、それとも自分のフレキシビリティーが落ちているのか、結果的に時代変化が自分の許容範囲をじわじわと超えつつある。

なるほど、これが老いというものかね。

音楽活動:

コロナ前後、基本的に自発的なバンド活動はやめてた時期もありました。*1今は地元で細々と少人数のバンド、倉敷で大体毎月やるカルテットのバンドに参加してます。
昔のことを思うと細々たるものですが、他の人が持ってくる曲、セッションではやらない曲は、自分なりのセットリストを更新するよい機会です。
その他単発の演奏はぼちぼちありますが、おそらく今の可処分時間だと、これ以上は難しいのかな……
お誘いがあっても断ってると基本的に誘いはなくなるもんです。そして今の自分は平日の40%、土日の60%くらいはなんらかの用事が入っちゃってるから。

セッションに行きがちなのも、そういう事情を加味してのことです。
以前からですが、「地方ジャズ界探訪ユパ様」という感じで、一人で地方都市のジャムセッションに参加しています。
米子・津山・岩国・広島・大分・高松・神戸・水戸・徳島・東京。
松山・高知・姫路・出雲・鳥取は最近ご無沙汰。山口・岐阜・三重・名古屋のセッションまた参加してみたいですね。

演奏については、多分ここ数年、ちょっとずつ上手くなってる実感はあります。ただ、相対的に自分の技量の限界も見えて、うまい人とやった時、不全感を痛感することも増えました*2
がんばっても伸び悩んで、限界も見えている。
しかしそれは自分が頑張らない理由にはならん。
しかし凹むよね。

ピアノも続けてます。
弾いてるだけに前よりもうまくなったけど(以下同)。
とはいえセッションだけでなくピアノで参加したライブもありましたので、少しずつ進歩しているのではないかと思いたい。
ピアノうまくなりてえ。
しかし、うまくなるための練習はしてねえ。「モテたい」といいながらモテるための努力を一切しない独身男子、みたいな感じですな。

ウォーキング

歩くのも相変わらず続けてます。
とりあえず昨年11月は京都ウルトラウォーキング102km完歩しました。

京都ウルトラの軌跡

イベントには参加しないのですが、一人ウォークをコツコツと頑張り、大阪から下関まで自分の歩いた軌跡を繋げることができました。

2025年10月現在 YAMAPの軌跡

また深夜山手線一周したんですが、翌週に同じことしてたyoutuberが殺されてたのにはびっくりしましたが。

山手線一周

現在、西国街道コンプリートにむけて鋭意努力中です*3また10月は小豆島ウルトラウォーク100kmにチャレンジ予定。

しかし最近5万歩/日がなかなか越えられなくなって来ました。夏の暑い時はかなり平均歩数も下がって、歩行距離もじわじわ減りつつあります。

そして最近はめっちゃ運動しても痩せなくなってきました。おやつ食べるからでしょうね。

山も、多少惰性感出てきましたが続けています。
大きな山としては、大山・那岐山・毛無山・由布岳・赤星山、西赤石山三嶺。あとはひたすら低の山。

やればやるほどフィジカルってすごくなるわけでないみたいです。今の運動なりの限界点に達してるっぽい。
さらにブレイクスルーを目指すというと新しいことをしなきゃいけないけど、したとて、フィジカルの厳然たる年齢限界というのは存在する。やんなっちゃうな。

忙しいのきらい

医師会とか様々な所属団体の会合とか、地域での講演会の用事とか、リアルなスケジュールが徐々に増えてきたのも、心苦しいところです。
コロナ禍ってそういうの全部ぶっ飛ばしてたから、あれはあれでよかったなーと懐かしくさえ思う。

時間がね、ないんですよ。
やりたいことはいっぱいあるけど、やりたくないことがいっぱいある。

でも自分に求められている仕事ってあります。
僕のようなとるに足らない人間にも。
日々そのバランスに悩みながら、やりたいことの時間を捻出しています。

僕は自分自身の舞台裏は全部見えてるから、そんな大層なもんでもないというのは知ってるけど、他者から見ると色々すげーやつ、みたいに思われるのは少しおかしい。
まあしかし本だけは無茶苦茶読むからかな。

やりたいこと/今やってないこと

やりたいこともたくさんあるんだよなー。
2025年現在しなくなったこと。ほとんどしないこと。できなかったこと。今後したいこと。
順不同で列挙します。
数年後振り返って答え合わせにする。

  • トレラン
  • カラオケスナックに行く
  • 学会発表
  • 行きつけのバーを作る(酒飲まないけど)
  • ブログをきちんと更新
  • カラオケに定期的に行く
  • 飲み会(グルーミング的な)
  • ポップス系のオープンマイクに参加する
  • ビッグバンド
  • 山の家(およびソロキャン)
  • フェリーとか乗って島に行く
  • 海外旅行(パスポート切れてるけど)
  • VR
  • ドローン/ドローン免許
  • プラ模制作
  • 作曲
  • トロンボーンもしくはピアノを先生に習う

前向きに生きてこうとは思いますが、しかし人生こんな感じかなーみたいなのも見えてきたよね。
反省として、プライベートの自分は独りを貫きすぎる。
仕事の立場上はアカレンジャーではあるけれども、いよいよアカレンジャれなくなってきた。

多分、これはこれで人生の後半戦で望ましくない伏線回収になるような気がする……

*1:リーダーバンドは集客や宣伝、もろもろのバンドマネジメントとかめっちゃ大変なんすよ

*2:そして打ちのめされる人のほとんどは歳下です

*3:あと40km弱

地方講演会の末路

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うさぎが逃げてる、みたいな雲。2025, 岡山
<いや、とにかく暑いですね。暑い暑い。

私は地方の病院経営者でありつつも、いまだに基幹病院で専門外来とかもやっていて、市の医師会の理事とかもやっているから、交友関係が広いと勝手に勘違いされている*1らしく、なんか「地方の顔役」と勝手思われているのか、製薬会社のMRさんが、地方の講演会の企画を持ち込んでくることがしばしばある。
全く「プライマリ・ケア連合学会」的な観点ではNGの態度だ。……プライマリケア連合学会の先生ごめんなさいね。地方の講演会なんて多分5年後には絶滅していると思うからご容赦ください。

そんな僕の卑近な悩みは、「ハイブリッド型の講演会の開始時間。正解はいつやねん」
だ。

製薬会社主催講演会

かつて製薬会社が主催する医師向け講演会は、全国のあちこちで頻繁に開かれていた。
地方の医師にとって、最新の知見を得る「インプットの場」でもあったし、症例などの発表を通じて「アウトプットの場」でもあった。また座長やちょっとした症例発表などのタスクを若手医師に割り振ることで、彼らのプレゼンの経験の場でもあった。医療コミュニティの学びと交流の場でもあると同時に全国学会の地方予選練習試合のようなものだった。

ところがコロナ禍をきっかけに、対面の講演会はほとんど消失する。
その代わりZoomやm3といったインフラを利用したオンラインのブロードキャストが一気に普及した。
また全国学会の単位なども現地に行かなくても取得できるようになった。

自宅や病院から気軽に参加できるのはとても便利で、移動の負担もなくなったのはありがたいことだが、その一方「医師同士が顔を合わせて交流する場」も失われてしまったのも事実。

対面であれば紹介した患者さんのその後のこととか、診療の感想を話し合うこともできるし*2、活字にできないような情報のやりとりもできる。そこにはそれなりの意義もあったように思う。

ただ、コロナ禍も終了し*3、ソーシャル・ディスタンスも無くなった現在も、講演会などはオンラインで開催されることが多い。まあ、製薬会社の地方担当も、息絶え絶えながらしぶとくこの情勢変化に対し、対面もしくはハイブリッドの講演会を復活させようとはしている。

そこで困るのが開始時間なのだ。
昔の対面の講演会は仕事を終えて、現地に参加するためか、19時30分開始というのが定番だった。
しかしオンラインだと、移動時間は要らないため、その時間では遅すぎると感じられることが多い。
働き方改革で、残業も少なくなってきたので、最近は18時や18時30分スタートのオンライン講演会が増えている印象。
働き方や生活リズムの多様化に合わせた最適化なのだと思う。

そうすると、ハイブリッド形式の講演会は何時に始めるのが一番いいのだろうか?
正直まだ正解がわからない。

実は私自身も、製薬会社から「講演会をやりませんか?」と持ち込まれる立場で、いつ開催するのが良いのか頭を悩ませています。聴く分には早い方がいい。19:30はもはや遅すぎる。しかし、現地参加だと、19:00はちょっと早すぎることもある。

ま、正直なところ、「5年後には地方の講演会なんてないよな」と、思うから、
どうでもいいっちゃあどうでもいいんだけどね。

単なる情報提供だけでなく若手の育成や地域の医師同士のつながり、情報共有は、今後も必要だとは思うのだけれども、それが先発薬メーカーの主導で行われていたかつてのありようは、今後おそらく変わらざるをえないと思う。
しかし、どうしたら新たな形はまだ見えない。
どうしたらいいんだろう。医師会員限定のスナックでも作ったらいいんだろうか?
スポーツバーみたいに医師向けコンテンツを流す。食事は近在の一般向け飲食店を使う。
医師講演会のあり方は、これからの医療コミュニティにとって大きな課題なのだと感じています。

*1:酒も飲まないからディープな会食付き合いもないし、そもそもコミュ障なんだよね

*2:オフラインのいいところは、結果がよくない事例についても共有しやすいこと。

*3:コロナは全然終了はしていないが、社会的な観点で

空調服の未来


空調ファンのついた服、みなさん、持ってますか?

空調服の歴史

空調服、初出は1998年。市ヶ谷弘司氏が株式会社空調服を設立し、世界初の空調ファン付き作業服を商品化したらしい。建築現場や製造現場において使用されるも、当初はバッテリーの問題からあまり普及せず。
リチウムイオン電池の高性能化でじわじわ普及。
2022年ごろからワークマンが空調ファン付きベストを大規模に売り出す(ワークマンは空調ファンそのものは2019年から発売)。
2022ごろ、空調ファンの認知度が一気に高まったように思う。

また、2024年アウトドアブランドのMont-Bellが空調ファンの服を売り出したのも個人的には一つの転機だったと思う。
アウトドアの基本コンセプトは「機械に頼らず自分の肉体で自然に立ち向かう」なので、そのMont-Bellが空調ファンというテック丸出しのデバイスを発売したことは、個人的には「おおモンベル、お前もか」とカエサルばりにつぶやいてしまうエポックメイキングだった。

もちろん、アウトドアのギアはたとえばゴアテックスやチタンとか、テクノロジーの最先端素材をふんだんに使ってて、素朴さとは無縁ではある。だが、あくまで人体の動きが主で、科学動力についてはあまり推奨しない。だからこそ、モンベルの意思決定は興味深かったし、脱作業服、という点で意義はあったと思う。
2025年、いくつかのスポーツブランドで空調ファンベストがぼちぼち発売されているようだ。

今後

温暖化は残念ながら収束しそうにもないので、空調ファンは今後一般のアパレルにもとりいれられていくだろう。おそらく今年の6月から2025年6月1日から、職場における熱中症対策が義務化されたのも対策を加速させるのではないかと思う。

普通の人が普通に街中で着る服で、空調ファンのついた服がそろそろ出るかと思ったが、残念ながら2025年春夏は見送りのようだ。空調ファンはコモディティ化しつつはあるが、まだ「作業服」の範疇をでておらず、2025年現在、まだ「オシャレ」な空調服はない。
しかし、いずれ、一般服まで空調ファンは普及するはずだ。

パリ協定、カーボンニュートラルも踏まえると、広大な空間を冷却するのは、今後一部の人口稠密地帯のみに限られる可能性はある。
しかし、もはや薄着にも限界はある。

ファストファッションブランド、一般のアパレルメーカー、そしておそらくいずれはハイブランドも空調ファンのついた服を出してくるのではないかと思う。
僕は来年が楽しみだ。来年はそういうのがでてくるんじゃないかなー。
知らんけど。

洗練化

さて、こっから先は完全に妄想の未来予想なんですけれども。

空調ファン服が、「作業服」から「普通の服」へ浸透してゆけば、当然デザインとしての洗練化を伴うはずだ。
今の、いかにも「作業着然とした空調服」から「おしゃれ着」への変換が起こるなら、服の中の気流にもより留意されるだろうし、ファンもデザインに優れ、目立たないデザインに進化してゆくだろう。
気流そのものも、より繊細で的をしぼってコントロールする形になるんじゃないか。

今の、作動中にはダウンジャケットのように膨らむ外観ではなく、はためいているが、シルエットは大きく変わらないように作り込みがされてゆくに違いない(あるいは、その逆でスカートなど終端が過剰に風でひらひらさせるデザイン効果を強調するような服も出現するかもしれない)

「Intra-Garment Aerodynamics」(衣服内流体力学)のような学問ジャンルができるのではないかと思う。

扇風機からクーラーへ

ただ「空調ファン」は、基本、扇風機だ。
体表面の汗による気加熱を利用して体温を下げるというメカニズムだが、高湿度の状況においては必ずしも有効ではないし、真夏日の屋外作業について、常に40℃を超える環境には、この方式では限界がある。

考えたくないが、2030年ごろには、真夏は40℃を越すのが当たり前になるかもしれない。

現在でも、最近はペルチェ素子を利用して温度を下げるメカニズムも併用されているが、最終的には、遮蔽性の高いボディスーツによって、内外の気温差を作り出すような、真の「空調服」も台頭してくる可能性もあると思う。

これはもはや防護服に近い。
そう、漫画「惑わない星」のように。

漫画「惑わない星」より(石川雅志)

 * * *

いずれにしろ2030年代に入って、かつての我々の、夏の光景、タンクトップなどの薄着を着ている映像を、その時代の若者にとって「うわっ…はずかしww。ほぼ裸じゃんww」と受け止められるのかもしれない。
ビーチボーイズ」とか。

手段の目的化は、楽しい

2025, 山口

大阪から下関まで歩く

 最近、歩いている話を度々していたと思う。
hanjukudoctor.hatenablog.com
 実際のところ今でもずっと歩き続けている*1
 いろんなところを歩いているのだが、特に最近は西国街道という古い街道に取り組んでいた。これは大阪から山口県下関まで続く歴史ある道だ。西国街道は江戸時代に整備された主要街道の一つで、大阪の天満橋を起点として、兵庫、岡山、広島を経て山口県下関に至る約500キロメートルの道のり。
 参勤交代や商人たちが行き交った、まさに西日本の大動脈と言える道である。

 先日、厚東駅から下関まで歩き、これで歩いた軌跡としては大阪から下関までがついにつながった。

YAMAPで積算された軌跡

もちろん、一度に、ではなく、つなぎつなぎではあるのだが、大阪から下関までつながる道の全ての区間を実際に歩いたのは確かだ。*2

 そもそも歩くきっかけは、コロナ禍で体がなまったことだった。
外出自粛が続く中で運動不足を感じ、まずは近所を歩くことから始めた。
 それがいつしか歩くこと自体、そして歩いて軌跡を記すことが楽しくなって、今に至っている。
 
 歩く効用は確かに大きい。
 体力の向上はもちろん、季節の移ろいを肌で感じたり、普段は見ない風景にも出会える。旧跡や古い神社やお寺にも詳しくなった。
 また、「町と町の間」が僕にとっては結構楽しいのだ。町を外れて田舎道になり、曲がりくねった道を歩くと、だんだん次の町が見えてくる。
 この部分って、現代では車や電車で移動するのが当たり前になっているが、ここを歩くのが自分にとってはすごく面白いのである。

 だからこそ今後も続けていくつもりで、次はどこを歩こうか、石見銀山街道や山陰道萩往還道、東海道と夢は膨らむばかりなのだが、しかし少し冷静になってみると、これって「手段の目的化」じゃない?と思う。

手段の目的化

ビジネス本を読んでいると「手段の目的化」という言葉によく出会う。
往々にしてよくない文脈として。

「経営の問題のほとんどは突き詰めると手段の目的化に起因しているというのが僕の考えです。企業組織は目的と手段の連鎖でできています。上司の手段が部下の目的になる。そもそも組織には「手段を目的化するシステム」という面があります。放っておけば必ず手段の目的化に陥ります。
楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考)

ある部門がどうも暴走していたり、「こうあってほしい」と経営者が望まない状態に陥りつつある時に、この言葉が使われることが多い。
「局所最適と全体最適」という言葉もあるが、こういう言葉で事態を言語化し、打開策を検討するわけだ。

 私は2016年から医療法人の理事長を継承したわけだが*3、マネジメント的な本はずいぶん読んだ。
そうすると「手段の目的化」という言葉が往々にしてよくない文脈でしばしばでてくる。
 だから「手段の目的化」イコール「悪いもの」という先入観が刷り込まれていたわけだ。

 ただ、今回自分のありよう、を俯瞰すると、「手段の目的化」は、あながち悪いことではないのかもしれないと思った。
 西国街道ウォーキングを歩くのも「手段の目的化」にほかならない。僕が西国街道を最初から最後まで歩いたところで、何にもならないのだから。

 また、僕は歩行記録をYAMAPで記録しているのだけれど、月間歩行距離や月間獲得標高を「ノルマ」のように目標を決めていろいろ計画を立てる行為も、なんやかや色々楽しいが、これだって、別に大きな意味はないのではある。僕以外の人間には。

 そう、「遊び」の多くは「手段の目的化」で楽しさにレバレッジをかけているようなものだ。

「手段の目的化」のよい面

「手段の目的化」を経営視点を外して再考すると、プラスの側面も色々ある。

以下のようなものだろうか。

  1. ルーティン化・効率化が進む:手段が定着すると、繰り返しが効率化と技術向上に繋がる
  2. 文化や価値観として内面化される:継続した行動が組織文化や価値観となる
  3. 目的を補完・再発見する:繰り返すうちに、新しい目的や副次的な効果が見えることもある
  4. 不確実性の中での行動指針になる:目的が曖昧なとき、手段が判断の基準になることで動きやすくなる
  5. 創造性の源泉になることもある:一定の型を繰り返す中から、新たなアイデアや価値が生まれることも。

 「目的を見失わない」限り、手段の目的化は組織の優位性の源泉とさえいえるのかもしれない、と思う。


最近「ゲーミフィケーション」という言葉をよく聞く。
目的達成までのプロセスを「ゲーム」という形で興味をもってもらうことで忌避感を回避する。
これも、立派な「手段の目的化」の一つだ。
KPI=Key Performance Indicatorも、手段の目的化そのものだ。

まとめ

こう考えてみると、「手段の目的化」という言葉そのものは、別にネガティブなものではないことに気づく。

ただ、経営の現場では、意思決定者の意に反した状態を是正するために「手段の目的化」という言葉が使われる、ということなのだろう。

おそらく「手段の目的化」が問題になるのは、

  • ヒエラルキー構造の中で、下位の意思決定者が上位の意思決定者の意向から外れている時
  • リソース(時間・資金・工数など)が限られている時

だろう。
好景気の時は部門のある程度の裁量も許されていたけど、利益が出せなくなってきた時に、「手段の目的化」みたいな言葉でぎゅっと締め上げられることなんていうのも、そういうことだし、僕の遊びだって、仕事やプライベートに影響したり、可処分所得の域を超えたりしだすと多分問題にはなって来るはず。

無限に時間や資金があれば、そもそも優先順位を立てるという思考にはならない。「手段の目的化」みたいな形での見直しをする必要はないのかもしれない。

ともかく、「手段の目的化」イコール悪と決めつけていた自分の、反省文でした。

*1:平均15000歩を大体維持していて、これは月間300km以上にはなる

*2:厳密にいうと、大阪から下関まで完全に西国街道をコンプリートできているわけではなく、広島・岡山県では旧道を通っていない区間もあるので、じわりじわりと区間を潰していく作業が残っている

*3:もう10年目になるのか...おそろしい

田舎の崩壊を見て思った「百姓2.0」の話

2025,岡山。由加山参道

昨年度、うちの病院は営業収支がかなり悪くて、ああいやだなあと思う。
これは当院に限った話ではなくて、全国的な傾向ではあるのだが。

先日、医療介護業界の未来についての講義を聞いた*1
将来推計による未来予想の話。
相変わらず「人手不足はDXで効率化しましょう」みたいな話だったり。
ま、建前上はこれくらいしか言えないのはしょうがないんですよね。

でも冷静に推計を見ると、働ける人の数によって決まる医療資源の供給量と、将来必要な医療・介護の需要量は、全然噛み合ってないんですよ。
受験生にたとえて言えば、今の段階では、ちょっとずつコツコツ勉強して実力を上げるしかないんだけど、しかし冷静に考えると志望校の偏差値には全くもって足りない、みたいな状態。絶望感しかないですね。
このままだと絶対どこかで破綻するのは誰の目にも明らかなわけですが、不思議なことにまだなんとかなっていたりもするのです。*2

田舎では既に始まっていた

個人的には「将来こうなります」はもうええねん。
「多分今のままでは立ち行かなくなります」は、わかってんねん。
もちろん一般にはまだ明らかにはされてないかもわからんけど、大枚はたいてこういうの聞きにきてる僕らにはそこは自明なこと。
問題はその困難な局面で何が起こるのか。
それに対して、どう防衛策をとればいいか。
それが知りたい。

ですけど、それに対して正面切って答えてくれる講演ってなかなかないですよね。
ま、崩壊は複雑系で、細部に至るまで予想することはできないですけどね。

「崩壊ってどんな風になるんだろうね?」って漠然と話していたら、人口の少ない地域で診療している先生と話してみると、「田舎はもう全然崩壊が始まってるよ!」って。

聞いてみると、本当にすごい状況でした。
医者のいない地域がどんどん増えてる。居るとて、地域の開業医も平均年齢が70歳超え。
介護も、たとえば訪問診療とかも、人口少な過ぎて、一日で回る人が少なくてペイしなくて困ってる。
夜8時以降はタクシーも呼んでも来ない。
タクシーもいないから。
だから飲み屋は困ってる。
しょうがないから飲み屋の方で車を出して客を送ってるとか。

そう。過疎化が進むと、都市部で当たり前だった「職業分化」自体が消滅してしまう、ってことだ。と気づきました。

なんでもやる人になる

人が減ると、専門職として成り立ってた仕事が成り立たなくなる。残った人たちは必然的に「なんでもやる人」になるしかない。
確かに医学の領域ではそうだった。プライマリはなんでも見れないといけないわけだし。
非医療の世界でも全く同じか。

でも、ふと思ったんです。
これって「百姓」の本来の意味に立ち戻ってるだけなのかも。
百姓って農民のことじゃなくて、もともとは「百の仕事をする人」つまりなんでもやる人って意味だったんですよね。

AIと組み合わせたら面白いかも

誰でもいないところでやったことない仕事をするというのは確かになかなか大変なことではある。
けど、AIが一つのヒントになるような気がする。一人でいろんな仕事をしなきゃいけない時に、AIが専門知識を教えてくれたり、判断を手伝ってくれたりする。AIと教育的なyoutube動画とかを組み合わせると、もしかしたら、かなり精度の高いレベルまでできるんじゃないでしょうか。

これって「百姓2.0」?
人口減少という課題は、最新技術が組み合わさって、意外と面白い未来が待ってるのかも。

都市部で高度に専門分化した文明の発展も、色々システムの不調や劣化で行き詰まってる中、地方は何もない分、新しいスタイルに活路を見出すことができるのかもしれない。

AIがあると一人で生きられるかも

映画「オデッセイ」で火星に一人残された主人公は創意工夫でなんとか生き延びることができた。ロビンソン・クルーソーも創意工夫で生き延びた。

普通の人は一人で生きていくことはできないが、しかし生成AIになんでも聞けるのであれば、現代のロビンソン・クルーソーは案外快適に一人の僻地生活を楽しめるかもしれない。

厳しい現実から見えてきたのは、案外希望のある話だったのかもしれませんね。
いや、そうでもないですか。
そうですか。

*1:ま、よく聞いてるんですけど

*2:ただ、先送りするとその分ツケが嵩むので、いよいよクラッシュした時の被害は甚大であろうと予想される。こわー

病院が消える日……なのかも


お久しぶりです。春の黄砂ってひどいですね。
黄砂なんだか花粉症なんだかわかりませんが。

さすがにやばいんじゃないか

報道ではあまりはっきりと直言しているところはないけれども、全国的に病院の経営がやばい。

もちろん、医療も介護も、原材料費の高騰・水道光熱費の高騰・人手不足などの悪材料がかさなり、うっすら全体的にイマイチなのだけれども、いわゆる入院施設のある「病院」が、きわだってやばいのだ。

もともと、病院は、たくさんの人員を動かして多大な資本投下によって運営するという、固定費変動費いずれもコスト高な業態ではある。
そして制度ビジネスである以上、価格も動かせない。
なおかつ、ここ10-20年、医療費の増大をできるだけ抑制すべく、儲かっている部分については2年ごとにさらにどんどん診療報酬を削るということを国はしている。21世紀に入ってからは、病院は利益率1-2%程度の生かさず殺さずになるように調整されているのが現状だ。
というのは、高度で高額な医療は大体病院でやっているからだ。だから国としては当然ここを抑えたいわけ。

そんな中、昨年6月の診療報酬改定では、一応医療全体で0.44%の増という形だが、支出は間違いなく増えてしまった。
3〜5%の物価上昇と、働き方改革による労働資源の制限を受けて、多くの病院が赤字になってしまった。

2023年は、まだコロナの補助金があったので、なんとなく帳簿上は傷が可視化しにくかったのだが、2024年はコロナ関係の加算や補助金が消えてしまったので、すとんと業績が落ちて赤字があらわになった、というのが2024年度ではないかと思う。

「生かさず殺さず」と思ってたら、思いのほか外部条件が悪くなりすぎて「あら死にそう?!」となっている、ということなのだ。

明日のお米もないんです

当院も当然ながら業績はよくない。
病床稼働率も限界近く上がっていて(つまり病院として仕事はきちんとしているわけなのである)、収入自体は去年よりもよかったりもする。
が、それでも黒字には届かず堂々の赤字。
めっちゃ頑張ってても黒字にならない。*1
うちは原則として赤字体質ではないので「うちでここまで業績悪いか…」とため息をついて周りを見渡すと、総じて状況は厳しく、資金繰りに窮する医療機関もあるようだ。

ちなみに、コロナの時にも、病棟閉鎖や外来閉鎖などで資金繰りが厳しくなった医療機関にはWAM(医療福祉機構)から、実質無利子・無担保の融資(ゼロゼロ融資)という制度があった。
無利子無担保で総額二兆円。
資金繰り困っている所は結構お世話になったみたいだけど、無利子とはいえ、返さなきゃいけない。返済は去年くらいから始まってるけど、こんなに業績が悪かったら、借金を返すどころじゃないわけで、シャレにならんらしい。

最近は運転資金が枯渇した医療法人に対する有担保・無担保の貸付みたいな新制度もあるらしいが、
これって一言でいえば「ごめんなさい、もう明日炊くお米もないんです」状態なのよ。
貸し付けたところで焦げ付く可能性も高そうだけれども、政策的にこうした融資を設けざるをえないようだ。

日本にとって30年続いたデフレ局面がインフレ局面に反転するのは久しぶりなもんだから、制度の変更にワンテンポ遅れて、このような実態が出来したんだと思う。おまけに政権基盤が弱いし、医師会などのロビィ活動もあまりうまくいってない。

僕の予想では、誰もが知ってる有名病院が、倒産、みたいなことが今年起きるんじゃないか。
まるで昔の山一證券の時みたいに。
そしてみんなが騒ぎ出す。
逆にいうとそこまで起こって、地域住民だけじゃなく日本のインフラの問題だぞ、みたいに世論のコンセンサスが得られないと、この事態は変わらないのかもしれない。

救済した、とて

ただ、中長期のトレンドを考えると、ここで赤字病院に巨額の資金をつぎこんで救済したところで、例えば5年後、10年後は人口動態が激変(基本的には人口減)するから、いまあるすべての病院が存続できる需要はない。

地域医療構想などの「合法的談合」によって病床を削減して緩やかに減少する医療需要に対応してゆくという「ソフトランディング」が本来は国の描いたプランだった。しかしコロナ禍とスタグフレーション寄りのインフレ、政権基盤が脆弱な現政権は舵取りができず、操艦不良により、ある程度ハードランディングを覚悟せざるを得ない事態になりそうだ。

「潰れてゴメン!でも10年後には君んとこどうせ潰れるしね!」って感じが、国の本音じゃないか。

ただ、いい病院が残るとも限らない

病院経営者にとってこのような環境は全くたまったもんじゃなくて、ゲロ吐きそうな気さえするけれども、国民に、特に勤労世帯とっては、悪いことばかりではない。
手取りが増える可能性がある。病院が減ると、医療費総額は減り、社会保障費は減少するからだ*2
その意味では健全な淘汰は業界のためにも必要でもあるとは言えるが、今回のような激変の場合、いい病院、必要な病院が潰れてしまう可能性もある。
残る病院がいい病院とも限らないのだ。

例えば、経営効率も悪くて現在あまり医療として貢献できていない地方の赤字公立病院は、財政補填されれば生き残る可能性もある。
逆に民間病院で世代交代した若手経営者の手により積極的な経営で急成長している素晴らしい病院は内部留保少なく資本回転しているのが裏目にでて、今回の改訂がかなり逆風になって、ショック死してしまう可能性だってありうる。

地球の歴史においては何度か大量絶滅というのは起こっているが、その時、環境適応性の高い種が生き残るとは限らなくて、絶滅するかしないかは結構運次第、という現象に似ているかもしれない。

だから、病院の淘汰を今回のような短期的な環境激変にゆだねるのは良くないンジャナイカナ……なんて思うが、しかし合理的に淘汰される病院と残すべき病院を分別する方が、救いがないような気もする。

要するに、ロシアンルーレットで殺されるよりも、「色々熟慮の結果、君は存続に値しないようです」と丁寧に説明されて殺される方がきつい。真実って時に残酷なもんだから。

*1:病院単体では赤字なのだが、他の業態すべて含めると黒字だし、内部留保もちゃんとあるので大丈夫ですよ。

*2:過疎地に住んでいる人、高齢者にとってはこの状況はマイナスに作用する可能性が高い