
介護脱毛という言葉
最近、「介護脱毛」という言葉をよく聞く。
将来自分が介護されるようになった時のために、あらかじめVIO脱毛をしておこう、という考えだ。
排泄介助がしやすいとか、清潔を保ちやすいとか、介護者の負担を減らせるとか……
まあ、言いたいことはわかる。
が、引っかかる。
実際、陰部に毛が少ない方がケアしやすい場面はあるだろうけど。
「介護される時に人に迷惑をかけないように脱毛しよう。」は一理あるが、
そもそも「介護されないように頑張ろう」の方が先じゃない?
介護という業務を「人に迷惑をかける」という言葉で総括するべきではないが、人に迷惑かけたくない、と強く思うなら、毛よりもそもそも要介護を避けた方がよっぽどいい。介助の手間の中で毛があることの不都合って、ごく一部分に過ぎない*1
例えば高度肥満の人なら、脱毛するより5kgでも10kgでも痩せた方が、将来介護する人はずっと助かる。
タバコ吸ってる人も、脱毛より禁煙した方が、そもそも要介護になる原因となる脳卒中や血管疾患のリスクを減らせるだろう。
もちろん病気は自己責任ではないし、健康に気を付けていても加齢により結局介護が必要になってしまうだろうけどね。
でも、なんかズレてんだよなー、って思う。
あの頃見た広告に似ている
この介護脱毛の話、
「この空気、どこかで見たことがある。」
そう思っていたら、ようやく思い出した。
包茎手術だ。
昔、駅の広告や雑誌には包茎手術の広告が本当に多かった。
「女性に嫌われます。」
「不潔です。」
「将来困ります。」
自分に自信がない童貞の若い男子はああいう広告に実に弱い。
広告も、まあ上手に不安を煽るのである。
よく分からないまま、「もしかして自分も……」と不安になった人は少なくないだろう。
もちろん本当に医学的な治療が必要な人はいるけど、必要かどうか微妙な人の背中も、広告は上手に押していた。
共通点は「誰かのため」
介護脱毛と包茎手術の宣伝に似た匂いはなんだろうか。
- 友達同士でもあまりあけすけに語らない秘匿された領域の話であること(情報が分断されている)
- 不要不急の需要 であること(でも不要不急と思わせるところにマーケティングの巧みさがある)
- 本当は利己的な理由なのに、利他的な理由を建前として上手に提示してくれること
利他的な理由というのは、背中を押してくれやすい。
介護脱毛なら、介護してくれる人のため。
包茎手術なら、パートナーのため、衛生のため。
本人の欲求より「周囲に迷惑をかけないため」という大義名分が与えられる。
よくできてる。
行動経済学という学問が発明されるよりずっと前に、Kudge(背中を押す)という言葉を知悉したマーケティングがある。
市場は歳を取る
昭和から平成にかけて不安をあおられていたのは若年男性だった。
どちらかというと消費者としては経験の浅い弱者だ。
ところが介護脱毛の主なターゲットは中高年女性。
戦後の消費社会の中で百戦錬磨の経験を積んだ彼女らが、同じ手法にまんまと引っかかるんだ……
……面白いなあ。
と他人事のように考えていたら、
最近は介護脱毛と同様に「介護包茎手術」なるものまであるらしい。
……さすがにこれは美容業界のマーケティングに踊らされすぎてはいないか?
ヘルスケアの観点で言えば、高齢者のアンダーヘアの有無、包皮の有無など、ほぼ日々の生活の質(QOL)に関係ない。
高齢になれば、すべてのことに泰然自若、どうでも良くなるもんだと思っていた。
包茎への含羞なんて性活動期の過剰な自意識あってこそのものだと思っていたのだけども。
ま、美容業界も消費を喚起するのに手練手管を弄しているということなんだろう。
自己改変に躊躇いのない若者に比べて、中高年はやはり一歩遅れているが、興味はある。
そういう人たちに「都合のいい言い訳」を用意してくれたのが、介護脱毛なのかもしれない。
*1:そもそも高齢者の陰毛は多くの場合コシがなくなっていて、あまり気にならない









