コロナ・コロナ・コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
地元市での流行はまだまだ散発的だが、全国的にはじわりと第三波といっても過言ではない。
八月・九月は緩みも許容されたが、コロナ、きっちり戻ってきやがった。
流石にこの状況では東京大阪への出張も控えざるをえない。
それにしても東京大阪、そして北海道の医療の逼迫具合は、かなり気になるレベルではある。
押し込める病棟がなくなったら、多分相転移が生まれ、それまでのプロセスを知らない人には「地獄か?」と思える状況が生まれるだろう。そして現場の医療従事者は非難され、感情の波濤に翻弄された最前線の現場戦士達は消耗してゆくのだろう。
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以前に書いたが、初期の段階で専門家会議はかなり巧妙に感染防御計画を立てていた。
hanjukudoctor.hatenablog.com
「三密」という言葉、人混みではマスクをしましょうと、割と明確にメッセージを打ち出していた。
今や世界でも常識になっているけど、初期は感染しない人はマスク不要、が欧米では常識。
マスクにはエビデンスがない、と言われていたことを皆忘れてはいけない。
三密についても、欧米のロックダウンとは明らかに違う次元の提案だった。我々はもっと感謝してもいい。
専門家は、初期の段階で、感染防御について、かなり明確なドクトリンを打ち出していた。
そしてそれは今見ても妥当なのである。
日本では、もともとインフルエンザの流行期に、満員電車などでマスクは当たり前だったので、全員がマスクをすることについてはあまり抵抗感がなかった。
しかしエビデンス厨は、そういう海外の知見を引き合いにだして「マスクは不要です」というメッセージを打ち出していた。
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結局のところマスクには、飛んでいる飛沫を防ぐ力はそれほど強くはない。が、飛沫を飛ばさない、という点では一定の効果がある。
そりゃ、手術の時に術者がマスクをしているのだから、それを延長して考えれば、わかりそうなものだ。
だから全員をマスクで覆えば、たしかに感染はかなり抑えられるだろう。
でも、欧米では、いまだかつて、インフルエンザや風邪の流行期のマスクは推奨されてはいなかった。
これ、欧米でコロナ以前にマスクが否定されていたのは、
「仮に全員がマスクをするような事態が作れるなら…」を仮定しても、
『その仮定絶対無理じゃん』と、そこで棄却されていたからだ。
それは社会的に無理だよなとマスクの効果の実証以前に門前払いだったわけです。
そうすっと、個人単位でつけているマスク防御には限界がある。だからマスクにはエビデンスがない、ということになっていた。
今回のコロナ禍で、全員が(しぶしぶにしろ)マスクを強制着用しうるという状況が生まれた。
そうすると、やはり感染防御効果が高いのではないかという事実が学術的に共有され『ユニバーサル・マスク』という言葉が生まれた。
そして新たなエビデンスが生まれつつある。
でもそれって、エビデンスがない時代から、日本では暗黙知でなんとなく取られていた戦略なんですよね。
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しかしせっかく日本の感染防御は、エビデンスない状態でも先行して、まあまあの成果を上げていたのに、
エビデンスが揃って各国足並みをそろえる今、むしろ日本はエビデンスから遠ざかり、後退している。
ホリエモンの尾道餃子店でのマスクとるとらないの話とか、飲食店での振る舞いとか。
メディアに出る人たちが、マスクなしのフェイスガード・マウスガードをつけて出ている様など。
むしろユニバーサルマスクに反する行動が、ここにきて目立つ。
せっかく自国がまずまずの戦略をとっていたのに、その戦略の価値をわからず、自己解体してしまう。
こういう状況って、何度か見るよな。
例えば、太平洋戦争初期の航空機の運用。緒戦では世界よりもはるかに先進的な用兵をして大勝していたのに、むしろ航空機へのリソースをまわせず、損耗するパイロットを保護しようともせずフル回転で稼働させ、いたずらに消耗させて、最終的には航空機戦において遅れをとり、敗北した。
例えば戦後レジームの中で未曾有の経済的成功をおさめたのに、バブル崩壊以降、世界の金融の潮流から完全に背をむけて、経済発展ではアジアの後塵を拝してしまう、とか。
サイエンス・リテラシーが低いのか…
ウサギとカメでいえば、どちらかといえばウサギ。最後には負けるやつ。
真実のかけらをつかみかけていたのに、その価値の見極めができないため失敗してしまうというね。
朱子学的な要素があって、理念先行した場合の現実との解離を修正できないのか。
日本人は目はいいが、頭が悪い。悲しいことだ。
半熟三昧:
『戦中派不戦日記』山田風太郎 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『天地創造デザイン部』『絶滅酒場』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『読書を仕事につなげる技術』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『ビブリオ漫画文庫』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『生涯投資家』村上世彰 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『漫画人類学講義 ボルネオの森の民にはなぜ感謝も反省も所有もないのか』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『収容所のプルースト』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『東京百景』又吉直樹 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『テセウスの船』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『はじめて読む人のローマ史1200年』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『野蛮の言説 差別と排除の精神史』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
11月はこういうのを沢山書けた。
ジャズブログ:
CSR理論とジャズ その1 - 半熟ドクターのジャズブログ
CSR理論とジャズ その2 - 半熟ドクターのジャズブログ
CSR理論とジャズ その3 - 半熟ドクターのジャズブログ
これは植生学であるCSR理論を地方ジャズコミュニティに敷衍する、というトンデモ理論なんです。