半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

バトル・ドクトリンはとっくに変化している

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最近は焚き火とかやっているのですよ

コロナ・コロナ・コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……

今週、緊急事態宣言が解除され、夜の街の時短*1も終わり、街はゆるやかながら喧騒を戻しつつあるように思う。
ただ、こちらとしてはすっかり夜の街に行かない生活が板についてしまった。
大都市にもいかない。おそらく9月まで行かないと思う。

久しぶりに開店した地元のジャズの店に顔を出したものの、11時以降に外出するのは久しぶりで、翌日眠たいのなんの。

医療現場では:

第5波はさすがにまだ現実味がない。
オリンピックもあるし、大都市では緊急事態宣言後感染者はすみやかに増えそうな兆しもすでにある。

ただ、私は中小病院にて仕事をしている医師なのだが、同僚の多くはワクチンを完了したし、サテライトクリニックや介護施設の職員への接種も着々と進んでいる。
また、当法人では透析の患者さんが多いのだが、透析患者さんへのワクチン接種もようやく始まり*2、なんとか第5波には「間に合った」ように思う。仮に地域に第5波がおとずれても、自院は防御柵で守ることができる。

また、NEAR法という20分たらずでPCR検査と同等の精度でコロナウイルスを検出できる検査キットを4月に導入した。
去年に比べると、発熱外来、Covid-19の診察に対して恐怖がかなり少なくなった。
Covid-19の見逃をおそれることもなくなった。
武器も防具も手に入れ、コロナは未知の恐怖ではなくなった。

その結果、一年で戦術はかなりアップデートされた。
戦術、というか、バトル・ドクトリン=戦闘教範と言ったほうがふさわしいかもしれない。

PPEは今でも使っているし、マスクもしっかりつけて業務を行っているが、たとえば、去年いつまでたってもなおらなかった「手荒れ」に今年はさほど悩んでいないのは、おそらく恐怖に先立って繰り返していた手洗いの回数は常識的な回数に落ち着いているのだと思う。
PPEにも慣れ、着脱も、発熱患者を院内に入れないで診察することも「そんなもんか」となんにも思わなくなってしまった。フェイスシールドはもうしない(メガネはかけているし)。

外来の患者さんに以前はかならずやっていた触診・聴診を復活させるかどうか、今はまだ少し悩んでいる。
でも、そんなことを考えられるくらいに、去年のわけのわからない恐怖感は克服できたのだと思う。

もちろん我々は感染症拠点病院じゃない。
拠点病院ではコロナと実際に戦い、経験を積んだ歴戦の勇者が育っている。

その意味では第四波というのは、数の問題さえなければ、おそるるに足らない。
もちろん指数関数的な患者数の増加がなによりも怖い。
大都市で患者数が一定の閾値を超えると病床は逼迫する。そうなると多勢に無勢、医療崩壊はやっぱり起こる。
でもそうならなければ、一例にかけるもろもろの(時間的・心理的)「コスト」は明らかに減っている。

むしろ、コロナによるソーシャルディスタンスによって発生した二次的な影響、たとえば孤立化によるアルコール依存症の悪化でるとか、ありとあらゆるフレイルの進行であるとか、失職によるメンタルヘルスの悪化とか、生活習慣病の悪化などが、リアルな問題として眼前に立ちはだかっている。
これは、むしろ「ポストコロナ」に属する問題なのかもしれない。

変異とのいたちごっこ

もちろんウイルス側も変化する。
イギリス株そして、インドのデルタ株は、少しキャラクターも違うようだし、
いずれは今のワクチンを克服した変異株が流行するだろう。

ただ、今年は今のワクチンで凌げそうな雰囲気だ。
来年はコミナティver.2にお世話になるんじゃないかという気がする。
ウイルスとは永遠のいたちごっこだと思うが、まだ明確な治療薬がないのは、人類側にとって幸か不幸かという状況に思える。
仮に救命率の高い治療薬が発見されたとしても、それを濫用すれば、いずれ薬剤耐性ウイルスが出現して、希望はすぐ絶望にかわる。目立った治療薬がない現状は、治療薬剤耐性株に出くわす必要がない点で、むしろ幸運なのかもしれない。*3

*1:当地では小口の飲食店は休業をきめこんで、夜は寂しい限りだった

*2:高齢者限定だが

*3:仮に明らかに奏効する薬剤が発明されても、軽症者には使わせないための工夫が必要だろう。ゾフルーザを思い出してみればよい