半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

M-1を観てマスターゲッティングの難しさを感じた。

f:id:hanjukudoctor:20201129164910j:plain:w300
2020, 津山

コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
いや大変やわ!
このブログ書くのもはばかられるような地元の状態でした。
まあまあ大きな病院でのクラスタ感染が連発し、感染症拠点病院の病床利用率は50%を越える勢い。
何しろ大都市圏に比べて、当地は医療提供体制が脆弱。もうひと押しで、患者はさばききれなくなる。
これで、介護施設での大規模クラスタが発生したら、もうアウトのところまで来ている。

私も地方医師会員の一人として対策会議の動向を見守り、時に自分にできるタスクをこなしたり、一方、徐々に増える発熱患者に対しての診療を行っていますけど、かなり剣呑な状況。前回のブログに書いたようなトリアージを行わなければいけない状況はぜひぜひ避けたいところです……

2020年M-1

仕事納めになってから、録画していたM-1を今更ながら観ていました。
今年は低調であったという意見もありましたが、いやいや面白い面白い。去年のミルクボーイの「システム漫才」の圧倒的勝利という構図ではなかったためかもしれませんけれども、多士済々なんじゃないですかね。ミルクボーイのシンデレラストーリーが、参加者に火をつけた感あった。

まあ僕みたいな素人が何をいっても二番煎じにしかならないわけなんで、感想とか書くのはやめときます。

気になったのは「アキナ」と「錦鯉」だった。

アキナの敗因

アキナは「気がある地元の女友達を楽屋につれてくる」というネタだった。
下馬評でも高評価だったのだが、結果はいまひとつ。審査員の講評でも「うまいのに…、順番かな?」みたいな感想だった。
しかし、一人サンドイッチマン富澤が「ちょっとオジサンには『好きな女子』という設定がハマらなかった…というところはありますよね」
というコメントを発していたが、これが真相を突いていると思った。

多分アキナは劇場で勢いもあり、笑いをとっているし、関西で実力がある芸人であるのは間違いない。
おそらくアキナは、そういう普段の主戦場でのリアクションを見て、決勝に持ってくるネタを選んだんだと思う。
ただ、劇場にいる同年代の芸人や、自分からそれを見に来ている熱心なファンというのは、年代も近いし、ライフステージも近い。
楽屋ネタ、芸人と芸人の近くの恋愛模様みたいなシチュエーションは身近に感じられるネタで、きっと劇場では、M-1以上にウケるのだと思う。
ただ、M-1の視聴者には、普段劇場で相手している観客にみられる均質さがない。
TV番組、しかもゴールデンタイムでの全国放送である。もう少し雑多で多様な集団である。

対象となる聴衆の特性の違いに注意を払わずに劇場向けにチューンナップされたネタをそのまま出してしまったことがアキナの低評価の原因だったのだろうと僕は思った。

ターゲットの範囲と笑いの強度はトレードオフの関係にある

ターゲットを広げることと、より共感度の深い「刺さる笑い」は、トレードオフの関係になる。
聴衆が多様であればあるほど、全員に刺さる笑いを作ることは難しい。

マーケティングの話でいうと、マスマーケット向けの商品とニッチな市場では競争力の原理が全く異なってくる。
アキナは、劇場という環境の中で研鑽をつみ、あえてターゲットの幅が狭いところで競争力を磨いた。したがって劇場の観客には強い競争優位性をもっている(下馬評の高さはそのためだと思う)。
しかし、M-1は、ある種のマスマーケットである。
そしてニッチな市場での競争優位性は、マスマーケットで通用するとは限らない。そこにはマスにウケるための若干のチューンナップが必要だったのだと思う。

まあそういう意味で「アキナ」は、普段相手にしている聴衆が透けて見えるコンビだった。

錦鯉の「ヨゴレ感」

「錦鯉」もそういう匂いがあった。
「錦鯉」はなんと私よりも歳上の49歳のボケ、モト冬樹と死神を足して2で割ったような風貌。
人生の澱を色濃く漂わせていて、無邪気に笑えない重さ(それは痛々しさにもつながる)があった。
ネタも「パチンコ」が題材だった。普段ターゲットにしている聴衆のバックグラウンドがうっすら透けて見える。
要するに関西言葉でいう「ヨゴレ」感があった。「お茶の間にだしたらあかん」感があったね。
いや、結構面白かったんだけど、彼らも、このニッチな場での圧倒的な競争優位を、マスターゲットに引き写す余裕もないがための違和感で、それが得点に反映されていたと思う。

かといって、はじめから全国放送向けの聴衆相手にウケるお笑いをイチから作ることもできない。
まずはお笑いの「強度」が先だ。その後、ターゲットを広げてゆく。
初めはターゲット層を絞ったエッジの効いた笑いを練り上げて、それをTV向けに、全年齢向けにうまく投射してゆくというのが、過去数多のお笑い芸人のたどった道である。
はじめからマスターゲッティングを相手にした場合、やはりお笑いとしての強度が弱くなってしまうのかもしれない。
んー、たとえば、森脇健児とか、中山秀征という名前が思いつきますね……。
そういう意味では、ダウンタウンとか千鳥とか、すごいですよね。あらゆる層をターゲットにしつつ、笑いの強度も確保しているわけで。

というわけでガチガチの医療系の記事ばっかり書いてましたけど、今年最後はタイミングもはずしたM-1の感想という、いかにも薄ぼんやりしたエントリで締めくくります。一年間ありがとうございました。
ちょっと12月は停滞していたので、もうちょっとがんばります。