コロナ、コロナ、コロナ(COVID-19, SARS-CoV-2)……
吉村知事、やらかしてしもうたなあ。
考えてみれば、3月・4月の非常事態宣言直前以来、目立った医療系の「デマ」はなかった。
久々感はあるね。*1
それはともかく、思った以上にコロナウイルス治療開発は進んでいない印象だが(その割に重症化率はじりじりと下がっている)、ワクチンについては各社がしのぎを削っている。ただ、ワクチンが本当に有効なのかどうかはわからない。
どうもコロナは予想を裏切るからね。*2
* * *
8月6日は広島に原爆が投下された日、いわゆる原爆の日だった。
以前にこのブログの前身になるウェブサイトでも書いたが、私は広島県人で、中高大学と関西に出ていた。
広島ではこの日はとりわけ厳粛な日であり、真面目に戦争と平和について考えるのが当然だった。関西では、そこまでの謹厳さはなく、不見識な同級生が原爆について茶化すような発言などに驚いたものだ。(広島にも不見識な人間はいるが原爆を茶化す言動は、まずない。親戚を辿っていくと、被曝した人の一人や二人は居るのが当たり前。他人事ではないからだ)
そういう薫陶を受けて育ったので、基本的に頭でっかちで文化相対主義的な私も、原爆(もう少し広げて核兵器)についてだけは文句なしに反対だ。
(では原発はどうか…というと、それほどアレルギーはない。原子力潜水艦についても容認派だ。)
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ただ、被曝都市広島の、平和発信運動が、将来も続けられるかどうか。
そもそも日本にとっは最後の戦争は太平洋戦争だけれど、その後世界大戦こそないものの世界は紛争で混沌としている。
ともすれば、いつ第三次世界大戦が起こるかもわからない(振り返ってみれば、今起こっている局地紛争が数年後の大戦の引き金になる、なんてことは十分ありえる)情勢でさえある。
その中で先の大戦の記憶が、紛争下の世界に、訴求力を持ち得るかどうか。
時間は距離だ。
時も地層のように堆積し、古い地層は、現代と隔たりがある。
75年の距離は感情移入を阻む。*3
(その意味で、ここ最近「この世界の片隅に」という名作は、あのころの広島との距離を縮めてくれた気がする。)
被爆者の団体も次々解散している。
あと30年もすれば、原爆をくぐり抜けた第一世代の方々はいなくなる。
被曝の語り部も、二世・三世だけではく、当事者とは関係ない若い人が語り部になったりもしているらしい。
伝聞を伝える、ある意味『被爆の琵琶法師』のような存在ということか。
しかしそれが、今の世界情勢のなかで、どれだけの共振力を持ちうるか。
無辜の市民がとてつもない災厄に襲われるという点では原爆は普遍性を持ちうるとは思う。
ただ、現在の世界秩序に反対している運動家からは、広島原爆は、アメリカに反抗して殲滅されてしまった(そして自らの主義主張を曲げアメリカに屈服してしまった)過去の事例ということである。
原爆を落とした側のアメリカは今日も『あやまちを繰り返している』。
では、我々が学んだ教訓は「アメリカには逆らわない方がいい」なのか?
その辺りのモヤモヤは、時代によって、結構かわる。
原水禁運動や、冷戦下の中での資本主義陣営の反対勢力的な要素は時間経過に従って洗浄されてしまった。
その意味では、時間による作用も、悪いものばかりではない。
ジャズブログ:
かなり久しぶりに更新したジャズブログ。以前に書きっぱなしだったシリーズがかなり残っていることに、いまさらながら気が付いた。
今までのコンテンツも、読みやすくすることはできそうだ。
*1:オルベスコの尻すぼみを考えれば、みんなイソジンに飛びつきはしなかったんだろうじゃないかと思う。まるで1910年のハレーすい星大接近の時のタイヤチューブがバカ売れした時のようだ
*2:ワクチン一番乗りに成功した場合のプレミアムは計り知れない。一方、コロナウイルスの感染様式のほとんどは自然免疫であるという説もあり、ワクチンがAdversiveに働く可能性も否定はできないだろう。
*3:ジャズなどという、古い地層の音楽をやっているお前が何を言うかと自問する。ただ、50-60年代というのは70年代生まれの僕とはギリギリ地続きである。それより昔のSP盤の世界には僕は距離を感じる。また今の若者は同じジャズでも自分たちと地続きの世代に親しみを感じているようだ。