半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

山口雄也さんの死におもう

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2021, 竹原

コロナ・コロナ・コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
緊急事態宣言ではあるが、地域の感染はだいぶ落ち着いた。
しかし店はあかず、夜はひたすらに長い。

ああ

京大大学院の山口雄也さんが、亡くなられたということだ。
合掌。

ツイッターをやっていて、ハプロ移植後の壮絶な闘病生活を書いている山口さんのことが目に止まったので、
「『がんになって良かった』と言いたい」という著書も読んでみた。
halfboileddoc.hatenablog.com

ハプロ移植後の数々の症状は、医師として冷静にみるとさすが乗り越えるのは難しいんじゃないか、とも思ったけど、今までも、何度も何度も死線を乗り越えていたので、陰ながら応援していた(とはいっても、悟空が掲げる元気玉に元気をわける地球人、くらいの感じだけど)。
しかし最近はビリルビンが20を越えていたり、褐色を越えて黒色ともいっていいような顔色で、前傾姿勢で歩行リハビリをしている姿は、さすがに見ていられない壮絶さがあった。
亡くなられたのは、残念だ。
と思うと同時に、彼がこれ以上もう苦しまなくていいんだ、という点でほっとしている部分もある。

闘病ながらくおつかれさまでした。
ゆっくり休んでください。

ネット時代で、死をみること

インターネットを20年以上もやっていると、ウェブ上で闘病の発信というのは何度かみている。
最期のところはどうしても文が乱れたり、症状の強さに苦しめられ、冷静さを失う。
数日空白があり、知人の手による書き込みで死を告げられる、という、お決まりのパターン。

何度見ても、平静ではいられない。
死に寄り添い、比較的死を身近に感じている私でさえ*1、そうだ。
一つには、その人がネットで発信している「ものいう人」だという点で共感するからなのかもしれない。

彼は享年23歳。
今の私は46歳。
ちょうど倍だ。
いたずらに年ばかり重ねてしまった。
私もいずれ死ぬだろうが、彼のように毅然と溌剌とふるまえるだろうか。

「人生終わってみなきゃわからない」という。
確かに死んだ時点でその人の人生は固定される。*2
46歳のぼくは20歳のころに漠然と夢見ていたような栄光の人生ではないが、まあまあなんとかやれている。
手ひどい失敗もあやまちも繰り返してきた割には、衣食住に不自由ない暮らしをさせてもらっている。
今のところはね。
でも「池袋暴走事故」の某上級国民氏のように一瞬で晩節を汚してしまうことだってありえるわけだ。*3

だから株式でいう「利確」みたいに、自死をもって人生を固定してしまう人だっている。
halfboileddoc.hatenablog.com
死ぬのは怖いけど、その気持はわからないでもない。

でも、昔の「Homepage」時代の闘病記録が、亡くなられて閲覧者も減り、ウェブ契約もなくなり見れなくなるさまは、無名戦士の墓が、伸びた草に覆われて朽ちていくような、無常感がある。*4

半熟三昧:

緊急事態宣言なので、本はいつもより読んでいますし、アウトプットをちょっと多めにしています。
なんだかんだいって年間本で200-300冊、漫画は 500-1000冊くらい読んでいるけど、こういうアウトプットの仕方が正しいのかどうかはわからない。ちょっとフォロワーを増やすには量が多すぎるような気がする。
『「がんになって良かった」といいたい』山口雄也 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
谷口ジロー山もの『K』『神々の山嶺』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
経営者のノート会社の「あり方」と「やり方」を定める100の指針 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
カツマーのエキス集大成!『Neo Life Hack』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『消えたママ友』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『鍵盤ハーモニカ 100のコツ』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『金持ちフリーランスと貧乏サラリーマン』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『コンサル一年目が学ぶこと』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『歩兵の本領』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『「闘争」としてのサービス』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『セルフトークマネジメントのすすめ』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『岳』『岳人列伝』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『Z世代』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『街角図鑑』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『1枚で動け どんなときも結果が出せる人のシンプルな習慣』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)

*1:中小病院の内科医として仕事をしており、特養への往診をしていたりするので、いわゆる「看取り」もやっている。死亡診断書は書き慣れている。

*2:山田風太郎の『人間臨終図鑑』はそういう機微を我々に伝えてくれる

*3:自分自信がいくら清廉に生きていても、身内が問題を起こした結果不幸な晩年を過ごすことだってありえる

*4:ジオシティーズの閉鎖で、そういう往年のページのいくつかが、忘却の彼方に忘れ去られていった