半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

コロナ 壊れる世界

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2020年白滝山。うさぎじゃなくてカピバラじゃないですかという指摘をいただいたけど、それは白滝山に言うてくれ…

コロナウイルスの猖獗は止まるところを知らず。

首都圏の指数関数的な患者数の増え方からすれば、まだまだ対岸の火事…と思っていたのだが、我々の住んでいる二次医療圏にもコロナウイルス陽性の方がでだしたし、広島県では複数のクラスター爆弾が炸裂し、感染上位県になりつつある。

首都圏の動静をニュースでうかがいつつ恐れおののいている様子は、
昔の、軍隊や運動部で、一列に並ばされて、鬼教官の鉄拳制裁(またはビンタ)を待っているような気分だった。
しかし目をつぶってブルブル震えている間に列の進みが早くて、あと二、三人でビンタを食らうところまで迫ってきた。
もうおしっこちびりそう!

* * *

ここまでの日本の政策は、意図とは違う部分はあれど、まあまあうまくいっていた。
ミドル層からボトム層の医療従事者は状況にうまく適応し、行政と保健所も(保健所の人員はめっちゃ手薄なのだ…)与えられたマンパワーでかなり頑張った。
ただ、これから指数関数的に患者が増えるなら、もう厳しいかもしれない。

軽症者はホテル直行で缶詰!
 ができるようになれば、もうちょっと余裕があるかもしれない。
けど、ICU/HCUはそろそろキャパを越えてくる(大都市圏はもう超えてる)。
そうなった場合の、現場の混乱はいかばかりだろう……
頑張っている現場が誰に人工呼吸器をつけるか、とかのトリアージをするのは、かなり精神的に負担になる。
できれば倫理委員会みたいな現場サイドとは離れた「文官」が高度治療の適否を決める、など権限の分離できたらいいのだが……
そうでないと急性期治療担当の医師の心はつぶれるぜ……

* * *

結局、今の日本政府はハイコンテクスト社会だからなんとかなっているけど(これは以前に書きました)やっぱりどうもピリッとしないな。
戦争に負けて、明確な指示系統を持たされていない組織の悪弊がもろに出た、というのが真相だろう。『シン・ゴジラ』においてブラックユーモアという形で示されたこの国の構造的欠陥は、やはり改めることはできなかった、ということなのだろうか。
hanjukudoctor.hatenablog.com

ただ、これは改めて書きたいけど、政府の批判以前に、マスメディアは世界のどこの国よりもひどすぎると思う。
政府がすごいいいとは思わないけど、マスメディアの糞ぶりに比べると、相対的に「頑張ってるネ!」と言いたくもなる。

* * *

直接診療にあたっている指定感染症医療機関の担当科がプレッシャーなのは言うまでもないが、COVID-19の怖さは正面からではなく斜め後ろから忍び寄ってくる無症候のウイルスだと思う。
その点では正規軍同士の衝突ではなく、対ゲリラ戦の戦い方が参考になるだろう。
私も小さいながらも現場指揮官であるから、戦況・情勢を見極めつつ戦わなきゃいけないのだけれど、どうも勝手がわからないのだ。

多分この厄災に「攻め」の手はないのだ。
「守り」しかない。守り続けるしかない。

感染防御、手指衛生消毒・うがい、三密を避けるという当たり前のことを繰り返すしかない。
「当たり前のことを丁寧に」というやつね。
ただ、それが対策っても、確かに対策している気にならんもんなあ……
多分その辺のもどかしさが、この疾患の問題点なのかもしれない。

* * *

私も2月後半から出張もなくなり、夜の会合もなくなり家に引きこもっている。
そうはいっても退屈なので、Zoom飲み会に参加したり、東京のミュージシャンとNetduettoというやつでセッションをしてみたり、ブログを更新してみたり*1、それなりに忙しくはやっている。

そうこうしているうちに、職場も、コロナにニアミス!みたいな感じになってきて、限りなく怪しいけどPCR陰性だったり…微熱と咳の職員がでたら疑心暗鬼に襲われたり…ということを繰り返している。
流石に私服に白衣が怖くなってきたので、スクラブ(術衣)に着替え職場を出るときに着替えるようにした。
スマホは丸洗いできるけどiPadはできないのでiPadのケースを自宅用と病院用に分けたりするようになった。
マスクのつけ方も上手になったりした。
手荒れはもう限界だ。

仕事も忙しく、わりと病院をくるくると動き回っている。
戦時下ではあって、普段の自分とは違うけれども、戦っている医療従事者の戦列の端っこであがいている自分のありようは、別にいやじゃない。
でも、自分の魂の何かを取り崩して推進力に変えているような、そんな消耗感も感じるのは確かなのだ。

変化に対する適応力を試される 2020年になりそうだ。

*1:とはいえ、思索にはふけるけれども、アウトプットは案外難しい。このブログもペースは減っているね