半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

みんなもっと『三密』に感謝した方がいい。

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とりあえず、しばらく市内でコロナウイルス(COVID-19、SARS-CoV-2)の発生が見受けられないので、業務体制を通常のものに戻してゆきつつある。不要不急の内視鏡や健康診断は再開することにした。
ただし、外来では全員マスク着用にしたり、発熱患者に対して慎重な対応(屋外で診察したり)、病棟への面会制限などはやはり続ける。
どうせコロナ騒ぎは年単位のものになるとは思っているからだ。

手荒れは少し落ち着いたので、多分手洗いを行う回数は少し減っているようだ(PPEを着る頻度も下がっているしね)。
しかし、北九州の感染者数増加という不気味な第二波の情報もある。
1ヶ月経たないうちに、また外出自粛、飲食店の閉鎖という事態になる可能性だってあると思う。

* * *

こうやって、一旦緒戦に勝つと、日本人は敵をあなどる悪い癖がある。

「もともとそこまで努力しなくても大丈夫だったんじゃないか?我々は無駄な『自粛』をしていたのではないか」*1
「日本人の清潔観念は他国とは段違いに優れているので、コロナにも通用した!」*2

もうこういう言説結構でていますね。
それで油断して、後半ぼこぼこにされる。形勢がかわっても、初期の優越感というのを捨てられない。
日清日露戦争から支那事変もそう。太平洋戦争もそう。バブル経済時もそう。

安心してほしい。毎年インフルエンザはまあまあ流行しているから日本人の衛生観念が際立って諸外国よりも高すぎるということもないし、残念ながら自粛は有効で、自粛していなかったらシャレにならないことになっていた可能性は十分ある。(ただし、骨を切らせて骨も肉も断つ、式であるのは否定できないが)

以前に日本は「ハイコンテクスト社会」である。と書いた。
hanjukudoctor.hatenablog.com

自粛という自主的な行動(その背理には同調圧力もあるのだが)によって一斉に社会活動を減らすというのは、諸外国にはなかなか難しいことは確かだ。しかし自発的な行為が成功に導いたというだけじゃなくて、ハイコンテクストならでは情報伝達がかなりプラスに働いたと思う。

そのキーワードが「三密」(密集・密閉・近密)だと思う。
「三密を避けましょう」という言葉は、気がつくと、海外の「Social Distancing」から差し替えられていたことを思い出してほしい。*3
この二つはちょっと、というかだいぶ違う。
Social Distancingという言葉の意味は、かなり雑だ。要するに人々の接触をできるだけ避ける。これは三密よりさらに厳しい。
実際に中国の都市封鎖やヨーロッパのロックダウンは、我々の「三密に則った自粛行動」どころではない。中国なんか電車も飛行機も高速道路も止めた。*4 まるでサンクトペテルブルクの包囲戦のように、ひっそりと息をひそめないといけなかった。今回日本人が経験した自粛とはかなり違う。

「三密」は明らかに、Social Distancingを明らかに進化させたものだ。
これはウイルスの感染様式がなんとなく掴めつつあった初期に、それを踏まえた上で、専門家会議の西浦教授がハイリスク感染様式を避けるメッセージとして提示なさった。三密というわかりやすいキーワードに集約したことが成功の一因だったと思う。

とにかく、わかりやすいし、イメージしやすい。
なんとなくリスク評価もしやすいし、この条件に該当しない接触を過度に禁止しない点でも、このキーワードは優れている。

ハイコンテクスト社会の住人、受け手である我々もハイコンテクストに慣れているから、察して行動した点ではすばらしかったが、とにかく遂行しやすい「三密」というフレーズを考えた発信側はかなり慧眼であったと思う。

内田樹だったか鴻上尚史だったか忘れたけれど、例えば「手のひらを上にして軽く手を握って」ではなく「生まれたての雛鳥をそっともちあげるように」とか、言葉を伝わりやすくすることで、全員の動きが一瞬で変わる、みたいな事を言っていた。
今回の三密は、そういう意味でみなが遂行しやすい、伝わりやすいキーワードで、それこそが、自粛期間の生活につながったと思う。
日本国民全員がリテラシーが高いわけではなく、未知のウイルスに関して、それこそ、1910年のハレー彗星大接近の際に、タイヤのチューブがバカ売れした式の、非科学的な、ほとんど迷信に近いような行動も随所にみられた。
p-shirokuma.hatenadiary.com

それでも、軸がおおかたぶれなかったのは、「三密」のキーワードの持っている力に他ならない。
「三密を避けろ」はいわゆる軍事用語でいう「ドクトリン」に相当すると思うが、明確なドクトリンは戦術も戦略すらも内包していると思う。

今、日本が、準備不足であったり、本質的な体制の不備の割にまずまずの成果をあげたのには、「三密」という、今では当たり前すぎるようになった言葉に大きな功績があると思う。決して我々の衛生意識が超優秀だったわけでも、コロナウイルス自体が取るに足らない敵だったわけでもない。

唯一の欠点は、ジャパンオリジナルである三密を打ち出すのであるから、諸外国の規制以上に三密の淵源になる飲食店やライブハウスに負担を強いる。
そこに対する補償は、その意味ではもうちょっと別扱いで手厚くしなきゃいけなかったんじゃないか、とは思った。

*1:これはもう一度自粛を行わない(行いたくない)理由づけをしているにすぎない

*2:日本スゴイ史観というのは、連綿と受け継がれた概念で、重要な局面で日本の足元をすくう。無論、自虐史観も問題は多いわけだが

*3:さらに習近平をもじった集・近・閉というのもでたが、政治的なカラーがつくためか、わかりやすさの割には広まらなかった

*4:賭け麻雀している人のところに公安がやってきて、麻雀台を金槌でぶち抜いた映像は、黒川氏の賭け麻雀を振り返るとそこはかとない滋味がある。