非常事態宣言が解けて、自粛も撤回されつつある。
自粛で多大な金銭的なダメージを負ったのは、ライブハウスとかジムとかの三密の業界、および飲食業である。
真面目に取り組んでいる飲食業の人たちは(そして、日本の飲食業の人たちは総じてまじめだ)自店でコロナの感染が起こらないよう、三密を避けながら開店を模索している。
客席の間隔を空けたり、テーブルや椅子を間引いたり。営業時間も短縮したり、いろいろ工夫をしている。
ただ、この現状は果たして2〜3ヶ月の一過性のものか?
それとも年単位で続くのか?
みんな「正常化バイアス」が働いているためか、これはあくまで緊急措置で、いずれ元の業態に戻るという前提、というか希望で動いているように思えてならない。人は見たい現実しか見ないものだし。
だが、現状の営業形態は短期ならともかく中長期的には不可能だ。
簡単に言えば、飲食業は、固定費(賃料・光熱費もろもろ)を売値から原価(仕入れ値・人件費)を引いた粗利で返していく。粗利が固定費を上回れば儲け、下回れば赤字だ。
飲食はこういう収入・支出をシミュレーションしてメニューの値段を決めている。
もちろん、市場、つまり競合他社との文脈の中でも値段は決まる(高ければ客は安い店に流れる。いわゆる需要供給曲線というものがありますね)
* * *
今回の三密規制では空間を密にできないので、客数を増やせない。
強制的に「流行っていないお店モード」にさせられているようなもんだ。
客数が少なくなれば、売上は落ち、当然、赤字になる。
それでも、固定費を幾分か返すにはやらないよりはましなので、皆営業を続けるわけだ。
普通、赤字の場合は「値段を下げて儲けは少なくなってもお客さんにたくさん来てもらおう」という薄利多売モードがとれる。価格競争で客数を増やし、店の回転率をあげる作戦がとれる。
だけど今回のコロナ禍では、密にできないから、回転もあげられない。
単価をあげてはいけないのか?
素人考えなのだが、では、単価をあげてはいけないのか?
しかも単価の高いメニューを考案する、とかではなく、メニューはそのままで、単価を上げてはいけないのだろうか?
単価を上げることは、小売業にとっては、マーケットからそっぽを向かれるかも…という恐怖と裏腹でもある。
特に顧客中心主義がちょっと度を越している日本では、値段を上げることが顧客への背任につながるのではないか…とまで思っている。
ただ、例えば原材料費の高騰だと「今のままだとやってけないから」と値段を上げるのは容認されている(それでも結構批判がくるけど)。全国的な冷夏でキャベツが高騰し、お好み焼き(広島)の値段をあげざるを得ない…といって店主が冷や汗をかいていたのを思い出す。
今回のコロナでは、食品の原材料費はあまり変わらないが、店舗の土地の一人あたり使用料が高くなった(客数を減らし、人口密度を下げざるを得ないのだから)ので、店の賃料を材料費と同様に考えれば、材料費の高騰と同列に考えて、単価を上げてもいいじゃないか、と思うのだ。
存続のためなら値段を上げるしかないのだ。
逆に値段をあげることができるなら、賃料・光熱費などの固定費も払え、店も存続できる。
客数は減るので総売上は減ると思うが、店の存続ラインまで粗利率を増やすことがそれほど悪辣だとは僕には思えない。
もちろん、値段をあげることに腹が立つ顧客もいるだろう。みんなコロナで総じて貧乏になっているのだから。
普通の場合は、それで他店に流れて、値段を上げた店は潰れる。*1
だけど、今回の場合は、どの店も人口密度を増やせないから、客を他店から引っ張れないのだ。
今までの安い値段で、三密を避けて間引いた席数で満席でも店は潰れてしまう。
長い目で見ると、安いままで営業を続けると、店は潰れる(コロナ体制が思ったより終了すればなんとかなるが、1年続く場合は、どこも厳しいと思う)
高くすると、今まで月5回くらい行っていた店には2回くらいしかいけないかもしれない。
だが、それこそが、「三密」を避けることなのだ。
もちろん、テイクアウトやコンビニの食品は値上げする必要がない。
飲食店での営業を、すべてテイクアウトに置き換えることは不可能で、店舗型の飲食業が本質的にそっぽをむかれない限り、需要は残るはずだ。*2
単価をあげないとどうなるか?
我々が、店が単価を上げるという選択肢があまり提案されないのは、日本がここ最近ずっとデフレ傾向だったからだ。
20世紀に入ってからというもの、我々は質の高い食事が、安い値段で食べられるという事態に慣れすぎた。
気がつくと、日本は発展途上国なみに飲食の単価が低い国になっている。
もし、単価をあげずに踏ん張って経営を続けると、当然ながら店は潰れる。
市場原理に委ねてみよう。
従業員の減員による固定費の縮減や、余剰資金で粘るという一時しのぎで中長期がすぎると、資金力のある店は残り、ある程度の店は退場する。市場入れ替え戦が起こった挙句に生じるのは、おそらく失業の増加による賃金の低下、テナントの空きによる賃料の低下、これは最終的には土地価格の低下、地域内総資産の低下に繋がる。
もちろんここには様々なファクターが絡むので多分そんな純粋にはいかないし、どう考えても素人の考えなので抜けがあるように思う。
ただ、値段据え置きで頑張る、というのは、デフレ的な思考に毒されているのではないかと思うのだ。
世界最高峰の低価格を、これ以上踏ん張るのは、さすがに無理というものだ。
値段を上げると、数量は売らなくても店は維持できる。
従業員の給与を減らさなくてもいいし*3、賃料も払うことができる。価格下落競争に陥ることはないのではないかとは思う。スタグフレーションに陥る局面でもない。
僕は経済の専門家でもないし、こんな単純な図式で論じられるものでもないとは思う。
確かにどこか見落としている変数があるに違いない。
しかし、コロナ禍をあくまで応急処置で切りぬけようとしている飲食業界の今のやり方が、正しいとはとても思えない。
店単独で、価格を上げることは、確かに厳しいのかもしれない。
なので、やっぱりここは政策による後押しが必要なのではないかと思う。
最低でも地域内のすべての商工会とか同業組合、くらいのレベルで示し合せて増額する必要はあるかもしれない。
というか、ある期間国が決めて、その期間は値段を上げて店の存続を優先することを許可する、とか。
コロナが落ち着いて(仮に落ち着くとすればだが)必要がなくなったら宣言を解除すればすむだけだ。
もしくは、特別税という形をとって40%くらい課税する。その課税は100%翌月小売店に還付してしまうとか。
そんな乱暴な技でもいいんじゃないか。
別にそうなって欲しいわけじゃない。
今までよりも飲食の値段が上がるというのは、給与の実質低下を意味するわけだし。
どうせこんなバラマキ給付をやっていたら、増税になるのは目に見えている。
実質可処分所得は多分大幅に減るだろうし。
それでも、価格を上げるという政策の方が、痛みは少ないのではないか、となんとなく思うのだ。
なんにしろ、単価を維持して売上を下げる方針は、大きくみると縮小均衡に陥って、どえらいことになりはしないのだろうか。
どうせ、今後、LCC主体の航空会社が何社か潰れて、飛行機の運賃は多分上がる。
飲食だって、ディズニーランドだって、スポーツの試合観戦だって、上げていい。
1/5の人が観に行って、値段を5倍にすればいいと思う。
その他のBlogの更新:
半熟三昧:
『人事部はここを見ている!』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『モンスター組織』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『彼方のアストラ』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『組織の毒薬』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『アマニタ・パンセリナ』中島らも - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『Extreme Teams』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
組織の人間関係とか、組織のマネジメントに関する本の幕間にちょろちょろと別の本。
組織の話はむずかしいけど、まあこういう所に書けるものでもないのでね。むー。
ジャズブログ:
【番外編】カラオケ店での感染リスクを最小化する方法 - 半熟ドクターのジャズブログ
カラオケマニア的なカラオケ防御策を私感ですが書いています。
ジャズブログはあまり閲覧が多くはないですけども、これは読んで欲しいなー。