レジリエンス、という言葉は、今ではみなよく知っていると思う。
ストレス(歪み応力)に対して、「その歪みを跳ね返す力」、がレジリエンス。元々は物理用語。
「精神的回復力」「心の弾力性」などと訳される。
レジリエンスとは、「しぶとさ」みたいな言葉から、ややネガティブな印象をとったような感じのもの。
社会人にとっては、学業の優秀さとは別に「ストレスに対して柔軟に対応できるかどうか」が重要。
レジリエンスをきちんともっており、長期的な目標をもっていると、遠いゴールに向かって興味や情熱を失わずに長期間粘り強く努力し続けることができる。
すごい学業成績優秀な新人が、入ってくるけど、ちょっとしたことでメンタルを病んでしまう…みたいなことはままあって。
それは職場のブラック環境とかなんとかもあるけど、そもそもストレスに対する耐性をきちんと身につけているかどうか、ということになる。昔はレジリエンスを持っていない人のことは「線が細い」みたいな言葉で片付けていたけれど、掃いて捨てるほど人が沢山いた時代ならいざしらず、今は少子高齢化。今いる人に出来るだけ脱落しないように成長してもらわないといけないわけだ。
レジリエンスなど「しぶとさ」を学問的に追求するのはそのためだ。
したがって、このレジリエンス能力は、いろんなストレスに対して落ち込みやすい人、他の人の言うことに影響されやすい、言葉に対して敏感な人に対して、とても有効に働く。
問題は「レジリエンスありすぎ症候群」みたいな人が一定数存在することだ。
レジリエンスありすぎ症候群
結局のところ「過ぎたるはなお及ばざるが如し」ということわざの通りなのだ。
他の人の言葉に対して過敏な人に対しては、レジリエンス的なトレーニングをすれば、うまく緩衝材として働く。
ところが、他の人の言葉が全然響かない、逆に鈍感な人に対しては、レジリエンスは有効に作用しないどころか、むしろその態度を強化さえするかもしれない。
「レジリエンスありすぎ」な人とは、どういう人か。
簡単にいうと「ひびかない人」。
批判や忠告などを「我が事」として受け止めることができない。
強く言われても、言い訳をする。
対話がなりたたない。
自分の中で話が完結していて、他の人との対話によってよりよいものになってゆくという体験ができない。
なので、会話は常に「自分が今考えていること」を伝達するだけ。
異なる意見については受け入れることもできない。
だから時として上から目線であるような印象をうける。
親密な友達関係を築くことができない。
それは他の人の感情に無頓着であり、また容喙することもできないから。
孤立している割に、いや孤立しているからこそ、学業などは良かったりもする。
ま、一言で言うと「いらっ」とするやつだ。
このジャルジャルのコントででてくる「角刈り」の前半面での振る舞いは、上述したレジリエンスありすぎ症候群っぽさを感じる(後半はそういう人にもえぐりこむような感じで話は終わる)