全国の感染者数はそれなりに居るみたいだし、フランスをはじめとしてヨーロッパでは猛威をふるっているみたいだ。
でも、ここ地方都市にいる限り、コロナもインフルエンザも、遠き対岸の火事だ。
いつ我が事になるのか……背中に冷や汗を感じその日に備えつつ粛々と仕事するしかない。
「とりあえずビールね」の意味
昔の世代と今の世代で、うけとめがかなり違うのは、この「とりあえずビール」だと思う。
今や、乾杯の飲み物だって、めいめいに好きなものを頼むのが普通。ノンアルコールを頼むのも別に問題がない。
20年くらい前、20世紀末に学生〜社会人だった自分の記憶はこうではなかった。
とりあえず、みなにビールのグラスがゆきわたり「乾杯!」の発声。
ノンアルコールという選択肢なかった。飲む飲まないはともかく手元にビールは振舞われたし、飲み干さないまでも、口をつけることは暗に求められていた。
全員が同じ飲み物を持ち「乾杯!」の発声で一斉に飲み干す。
これが昭和の「乾杯の儀」である。
* * *
「とりあえずビール」はWikipediaにも掲載されている。
ja.wikipedia.org
今でも「とりあえずビール」は是か非か?という議論はあるけど、
「用意がすぐ済む」「乾杯までの時間を短縮できる」という店側のオペレーションに関するメリット・デメリットの面、もしくはスタータードリンクとしてビールを飲むという健康的な効用の面で論じられることが多い。
でも僕は「とりあえずビール」のそもそもの民俗学的な起源を考えたいと思う。
共同体への参加
現代の社会は、新しい技術のもとで一から構築されたものではなく、古い社会(部族社会・村落共同体)に、新しい科学技術を付け加えて付け加えて、徐々に刷新していったものだ。
だから我々の生活様式に、驚くほど古い時代の因習が残っていたりするが「とりあえずビール」はその一つだ。
* * *
現代。グローバルな社会は、知らない人に会うことは珍しくない。
しかし古い世界では、共同体の中で生活している限り「知らない人」には出会わない。
「知らない人」は共同体の規範に従わない可能性がある異邦人である。
そういう人が許可なく単独で共同体の中を歩くことは許されない行為で、場合によっては殺されても文句は言えない。
自分がどの共同体に属しているかが生死をわける、ということが当たり前だったのである。*1
昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来 (日本経済新聞出版)
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コミュニティへの所属は集団の同質性によって担保される。
わかりやすく言えば衣食住が共通であるか。
同じ服を着て、同じような住居に住み、同じようなものを食べる。
それで同じ共同体の成員であると見なされる。
それが転じて、異邦人がコミュニティに参加するイニシエーション(儀式)として、
飲食を共にする儀式は、世界のあちこちで普遍的にみられる。
インディアンの部族でも、友好の印にタバコ=煙管の回し飲みなどを行っていた。(聖なるパイプ)
村で作った酒をみんなで飲むことは、共同体への参加のイニシエーション。
若衆が大人になり飲酒をすることは、大人社会への参加のイニシエーションだった。
ムラの結束を高める効果があった。
「同じ釜の飯を食う」という言葉が、そのものずばり示している。
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これが
のルーツ。
昔は村で仕込んだ樽酒をみんなで飲んだものだが、昭和期に都市部の大量消費材であるビールを同じ目的に使われたという経緯も記しておかなければいけない。
「とりあえずビール」の終焉は何を意味するか
現在「とりあえずビール」の風習は薄れつつある。
これは、社会のあり方が共同体社会から個人社会になっているからだ。
会社のあり方も変わった。
簡単に言えばゲマインシャフト(地縁・共同体社会)からゲゼルシャフト(契約によって成立した集団)にかわったのである。
会社は本来ゲゼルシャフトなのだが、高度経済成長期にはゲゼルシャフトをゲマインシャフトに錯覚させ組織力を高めるという戦術をとっていた(その戦術の根幹は終身雇用・年功序列制度。要するに組織の外部との人材流動性を凍結させて、ムラ社会を形成したのである)。
バブル崩壊後、日本の会社組織は「会社というのはもともとゲゼルシャフトですよ」みたいな顔をして、終身雇用制度をくずし、会社内のムラ社会を解体してしまった(はっきりいって、ムラ社会はコスト高だからだ)。
それにより集団の同質性・同調圧力は当然低下する。
社内の理不尽なムラ社会の風習は21世紀に入り風化した。*2
今、飲み会でも「とりあえずビール」じゃないことが当たり前なのは、僕はいいことだと思ってはいる。
いい時代だな、と思う。
僕は共同体社会苦手な、シラケ世代、SPA!世代だし。*3
でも「とりあえずビールであるべし」と今でも言いたがる御仁は、その意識の底流に共同体社会への回帰願望があることは自覚しておいた方がいいと思う。