盛和塾とは
盛和塾は、日本の著名な実業家、稲盛和夫氏によって設立された経営者のための私的塾。
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稲盛さんが病没する前に組織としては解散してしまったが、この塾は、稲盛氏の経営哲学や人生観を学び、共有する場として有名だった。
盛和塾の主力は中小企業の経営者たちである。
私も中小企業経営者の端くれであるが、中小企業向けの経営の勉強会・セミナーは実に多い*1。
そういう勉強会では、3〜4回に一度くらいは、盛和塾、稲盛イズムに出くわしたものだった。
盛和塾の思想とその受容
盛和塾そのものについては、稲盛さんの著作を読んでいただきたい。
- 正しい心がけと努力: 個人の成長と組織の成功は、正しい心がけと継続的な努力によって達成されるという考え。
- アメーバ経営: 小さな自律的なユニット(アメーバ)に組織を分割し、各ユニットが独立して利益を追求する経営手法。
- 貢献と謙虚さ: 社会への貢献と謙虚な姿勢を重視する(特に経営者は清貧でないといけない)
というのが骨子であった。
理想は、非常に高邁であり、特に会社は私物ではなく社会的公器であるという考え方は、多くの迷える経営者の羅針盤になっている。
しかし、この塾の考えに、違和感を感じる方も多い。
「なんか、宗教っぽいよね」みたいな感想。(実は私もそうだ)。
その理由は、現代人が思想信条を他者に強制されることに強い抵抗感を持っているから、だと思う。
特に筆者を含む団塊ジュニア世代でそれは顕著だ。
民主主義社会なおかつ無神論社会である日本は精神的な自由さにおいて世界でも群を抜いていると思う。*2
盛和塾はある種のモラルによる「枷」をはめる。
そして、そのモラルは、前近代的な感じがちょっとするのである。
とはいえ組織を率いて会社を維持運営することは、普通の行為ではない。
その尋常ではない行為は、普通に学校教育を受けて普通に社会にでた普通の人間に簡単にできることではない。
どうしても、ある種の「帝王学」が必要になってくる。
そういうマーケットニーズに「盛和塾」はうまく応えたのだろうなと思う*3。
盛和塾と日本的組織の伝統
ただ、盛和塾は、いわゆる世界標準の「帝王学」とはちょっと違う。
MBAのような経営のためのコモディティとも違う。
盛和塾は「帝王」になるための学問・教材ではないし、グローバルスタンダードのビジネスマンのコンテンツでもない。
ありていに言ってしまえば、盛和塾の理想は日本伝統の「ムラ社会」である。
盛和塾が理想とするトップは「帝王」ではなく、プロ経営者でもなく、ムラの中の「村長」のような存在を理想としている。
軍隊、伝統的な企業組織にみられる日本のムラ社会は集団が一丸となって機能する特徴を持つ。
そして意思決定も、ヨーロッパ型の「トップダウン」ではなく「和をもって貴し」という集団合議性をとる。
盛和塾は、まさにこのような伝統的な日本的な集団をロールモデルとしている。
日本には「絶対君主制」は馴染まない
アングロサクソン的な「絶対君主によるトップダウン」組織は日本の風土には馴染まない。
経営層と被雇用者は隔絶した存在で、経営者は戦略に携わり、すべての責任をとるかわりに多くの報酬をとる。
こうした組織が欧米の標準であると思うが、これは伝統的な日本の組織ではない。
なぜ盛和塾で「トップは清貧たれ」と口を酸っぱくして強調していたのは、
日本では「ボス」は受け入れられないからである。
農作業とかも普通の村民と同じように行うが、意思決定の合議ではリードする。そういう村長(むらおさ)の立場であれ。
共産主義ではないのだから、一般社員よりは裕福であることは許容されうる。
が、貴族と平民のように隔絶した存在になってはいけない。
なぜそうしなきゃいけないかというと、この形でないと日本の組織の良さである「良質なミドル層」のモチベーションを保ち、組織力を有効に発揮できないからだ。
(逆に言えば、欧米型のトップダウン型の組織ではミドル層が萎縮しがちでボトムアップが弱くなる)
これが盛和塾の本質であったのではないかと、僕は勝手に思っている。
盛和塾は日本型ムラ社会 2.0だった
日本的な「ムラ社会」は、悪名高い、大日本帝国陸軍、体育会系などの組織に堕してしまう可能性も十分ある。
halfboileddoc.hatenablog.com
日本的なムラ社会の宿痾である「集団で決める=責任者の不在」はビジネスにおいて、決定スピードが低下し誰も責任をとらないという弊に陥りやすい*4。
それではグローバル時代に適合できない。
だけどアングロサクソンのようなトップマネジメントに耐えうる人材は日本にはあまりにも少ない。
盛和塾というのは、できるだけ「ムラ社会」システムの悪い部分を廃し、現代においても通用する、ある種のリノベーションであったと思っている。これが昭和の時代に盛和塾が流行した理由ではないかと僕は思っている。
盛和塾は日本型ムラ社会 2.0だったのだ。
盛和塾は時代遅れになった
盛和塾は現在解散している。
これを残現在念に思う人も多いし、トップに対して厳しい倫理的規範を強いた盛和塾に今でも社会的意義はあるとは僕も思う。
ただ、時代は変わった。
MBA(だけではないが)世界標準の経営手法がコモディティ化し、日本でもそういう経営手法を身につけた経営層は出てきたし、なんといっても盛和塾はそうした学問的な再現性に欠け、いかにも属人的であったのだ。
2000年代にITベンチャーなどで出てきた若い経営者達は、盛和塾的なマインドとは全く無縁である。
彼らは日本的な集団による組織力を強みとしていない。
ライフスタイルとしても盛和塾はトップの高収入を厳しく戒めているのも、時代にそぐわなかった。*5
盛和塾の塾生の、ある中小企業の経営者の立志伝の講演を聴いたことがあるが、しみじみと「クラウンに、乗りたかったー……」と述懐していたのが僕には忘れられない(それくらい彼は真面目な盛和塾の信奉者だったのだ)
そういう時代的な流れからは、盛和塾は解散しなくても、次第に厳しくなっていったのかなあとも思っている。
まとめ
地縁や血縁による集合がなくなった戦後、ゲマインシャフトとしての会社組織のあり方に、盛和塾はロールモデルとして有効であったと思われるが、前提とする社会状況は変化し、盛和塾の強みもやや色褪せているように思われる。
ただし、日本人が集まって組織を作るなら、日本的なムラ社会が我々の精神の基層にあるはずだ。
また誰かが、令和における盛和塾。「日本型ムラ社会3.0」のモデルを作るんじゃないかと僕は期待している。
*1:中小企業の経営者の多くは「経営」に長けている人ではない。創業者は自分のやりたい事を起業で成し得たわけで、必ずしもマネジメントが得意であるわけではない。体系的な経営手法が欠けていると自覚する人は勉強したりする。一方経営者2世・3世は、内的動機付けなしにある程度の規模の経営に携わる人も、行動規範を「勉強」しがちなのである
*2:しかし、この20世紀的な心性は、21世紀の世界の分断という文脈では、やや不適応に感じられることもある。22世紀にこの自由さが担保されている保証はないのだ。
*3:特にMBAのようなプロの経営者のための資格というものがない昭和末期には
*4:中途半端な地方公務員組織とかがよくそんな感じになっている
*5:80年代にアメリカでも日本でもこっそり所得税の累進課税が緩和された。21世紀の所得格差の拡大はここから始まっている