半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

「情報の非対称性」の21世紀的な解決法

2023, 広島

医療と情報の非対称性

医療業界は、情報の非対称性が特に高い分野だ。

情報の非対称性(じょうほうのひたいしょうせい、英: information asymmetry)は、市場における一方の取引主体が他方よりも多くの情報を保持したり、またはより良い情報を持っている取引における意思決定やその不均等な情報構造を指す。
「売り手」と「買い手」の間において、「売り手」のみが専門知識と情報を有し、「買い手」はそれを知らないというように、双方で情報と知識の共有ができていない状態を指す。
情報の非対称性は、取引の力の不均衡を生み出し、取引が非効率になり、最悪の場合、市場の失敗を引き起こす可能性がある。この問題の例としては、逆選択モラルハザード、および知識の独占などが挙げられる。(Wikipedia

要するに、売り手はなんでも知っているが買い手はなにも知らないという業態が、この「情報の非対称性」の構造だ。
冠婚葬祭業界であるとか、中古車市場、生命保険とか。医療もこの一つ。

この状況では、取引の誠実さは、売り手の誠実さに大きく依存する。
前近代の情報の非対称領域では、買い手は「カモ」にされるのがならわしであった。

医療は「国民皆保険制度」の制度で金額ベースではカモにはされにくい構造にはある*1が、その分顧客は、お気持ちベースでは不満足を強いられている。不機嫌で不親切*2医療者。顧客の満足度は低い。
「商売以前」の状態が当たり前だったりする。

顧客の望むサービスを提供できているか?

 ……そういう視点はかつて構造的に欠如していた。

医療の現場では「十分な説明不足」「選択肢の提示不足」が起こりやすい。
かつては医師の「パターナリズム」(権威主義的な押し付け)*3が当たり前だった。これは医療の提供側に情報を提示するリソースもスキルも不足気味であったから*4
また、かつての医療水準では、情報の提示をした上で治療方法の選択をする、という選択肢がそもそもなかった面もある。

私も、基幹病院に勤めていた時から、これは医療の課題とは思っていて。自院にもどり、事業を継いでからも個人的な診療スタイルや組織改革などを通じてこの問題に取り組んだ。わかりやすく説明し、誠実に情報伝達を行おうとした。現在もその努力は続けている。*5

しかし、最近はこの情報の非対称性を、我々の予想の斜め上の方法で突破する事例が頻発しているようだ。

情報の非対称に対する新たな対処方法

最近よく見かけるのは、SNS(旧ツイッター、現X)で
「ちょっと聞いてください、あり得ないことが起こりました!こんな目にあいました!」みたいな投稿。

かつては、情報の非対称性によって不利益を被った買い手は、不満の声を上げられず泣き寝入り。
今は一人称視点で自分の体験をSNSで拡散できる。*6
多くのSNSユーザーは投稿者と同じく買い手の立場。だから不満は共感を得られやすいので拡散・炎上しやすい。
そして「ひどい仕打ち」をした会社とかに電凸*7する人も出たりして「ネット意趣返し」現象もおこる。

情報の非対称のデメリットはかつては顧客に一方的に存在していた。
ただ、現在は情報の非対称性の劣位に置かれた買い手(消費者といった方がいいかもしれない)は、数の力で大衆を味方につけ、情報の非対称で守られた閉鎖空間を侵食し、突破することができる。
これが、21世紀的な新たな現象だ。

テレビドラマにテンプレはあった

この行動パターンのルーツは、テレビドラマではないかと僕は思っている。*8

情報の非対称性の高い、閉鎖的な業界。
そこにやってくる(素人視点に富んだ)主人公。
特殊業界での特殊なルールを、素人的な視点をもった主人公が「それはおかしい」と声を上げる。
なんやかやあって素人的な意見を取り入れて、開かれた状態になりました。
……テレビドラマなどのお決まりの筋書きである。

テレビ業界は、単にドラマの題材のネタのため90年代以降、刑事物、医療もの、裁判ものなど多種多様な領域のドラマを作成した。情報の非対称性の高い業界を描いたものも多く、こうしたテレビドラマは「特殊業界の紹介」のような意味合いもあり、業界に興味を持ち参入人口を増やすなどのメリットもあった。

ただ、ドラマでテンプレ化された上述のプロットが、SNSでの告発行為のロールモデルになっているように思われる。*9

情報非対称性とコンテクスト

ただ、この現象は、情報の非対称という言葉だけで切り取るのではなく、「コンテクスト」でも考えるとわかりやすい。
情報非対称の解決法が、このような数の暴力を介した形になっているのは、社会が、ハイコンテクストからローコンテクストに移行しつつあるためかもしれない。
なぜならば情報の非対称性、つまり売り手と買い手の情報格差はインターネットで確実に減少しているからだ。

かつては専門知識を持つ医師・医療従事者が一方的に情報を持ち、患者や顧客はアクセスできなかった。
しかし、現在はPubmedGoogle Scholarなどのツールを使えば良質のガイドラインや論文にアクセスすることは可能だ。

医学教育を受けていない顧客が、そういった医療情報にアクセスし、医師とも対等な議論を繰り広げる。
そういう未来が来ると、僕は思っていた。
この僕の思いのロールモデルは 古生物学者のグールドである。
彼は40代のとき腹膜中皮腫という予後不良な悪性疾患に罹患したが、その際その領域の学術論文を読みまくり、医師の視点での論文の解釈を理解しすすんで化学療法を受け、正しい選択をした結果、なんと寛解しそのあと20年生きた。
gssc.dld.nihon-u.ac.jp

でも、そういう理想の形で情報の非対称性を乗り越える人には、日常臨床では残念ながらほとんど経験しない。

いわくタバコは体に悪くない、コレステロールの薬は無駄だ、血圧は下げない方がいい、ワクチンは打たない、みたいな、断片的な情報をくみあわせて、その人にとって都合のいい謎理論を持ち込む。
それでいて医療従事者と対等な知識があると思い込むバカか、上述したように情報の非対称性の壁を数の論理で強行突破するような例ばかりだ。

情報の壁は今では間違いなく低くなっている。
でも、その情報を正しく取り扱うリテラシーも、残念ながら(かなり)下がっていて、手に入れた情報を正しく咀嚼する力は、かなり低い。*10

ローコンテクスト社会はある種の地獄

ローコンテクスト社会は、バカに有利にできている。
専門知識を持たない大衆が絶対君主であり、彼らの判断が基準となる。
彼らの尺度で、理解を超えているものは「不親切」と断罪され、攻撃され、炎上する。

「多様性」の名のもとに、前提とされる知識レベルは著しく低くなった。
これがローコンテクスト社会だ。

ローコンテクスト社会では、情報は断片的でその背景や文脈は共有されにくい。
SNSはローコンテクスト社会そのものであり誤解や偏見はむしろ増幅される。
知識や経験を持つ者と持たない者との間の情報格差はむしろこの新時代に広がっている。*11
そしてSNSを通じて情報が拡散される過程で、情報の非対称性の優位は逆転している。
バカはバカに共感するし、バカの方が圧倒的に数が多いからだ。

もちろん情報の非対称性の解決のすべてが悪いわけではない。
たとえば、葬儀業界のようなかつて情報の非対称性によって保護されていた「非合理的な商慣習」は、情報がオープンになることによって業界構造はオープンになった。
ただ閉鎖しているだけで利があった非合理な習慣は大衆化により扉を開かれ是正される可能性はある。

だが、医学は閉鎖的な学問体系ではない。
自然科学の一分野であり、合理性・再現性をもった科学であり、非合理性は乏しい。
だが、そのロジックを理解し咀嚼し、応用するには、それなりの自然科学や医学へのリテラシーを必要とする(多くの場合数年間の医学教育を要する)。
そのリテラシーがない人にとっては医療者は「わけわからんことをいうやつ」「よくわからないが信用できない」となる。

反ワクチン勢が、コロナ禍であれだけ勢力を伸ばしたのは、そういうことだ。

医療業界は、進化を続け、よりよい医療になるように不断の努力が必要だとは思うが、
大衆という移り気だが残酷な絶対君主のご機嫌を損ねないようにしなければいかんと思う。

もう、だいぶ損ねちゃってるように、最近は思う。

*1:逆にいうと、自由診療においては、顧客がどれほど「カモ」にされているか。実例はなんぼでもある

*2:に見える

*3:「指導」という言葉に全てが集約されていると思う

*4:昔に比べると最近はましにはなっていると思う

*5:用語としては「シグナリング」という解決方法に該当する

*6:SNSは自分に都合のいいことしか書かないので、リテラシーを持って読み込めば、「こんなひどい目にあった」といっている当人の行動がかなり常識はずれだったりすることは結構ある

*7:懐かしい言葉だな

*8:あとは漫画ね

*9:特殊業界のドラマにやたら青臭い素人視点の逆転劇みたいなのが多いのは、結局テレビ業界の人間が当該領域のことを深く理解せず、あくまでTVマンとしての視点でその業種の印象批評をしているからだと個人的には思っていた

*10:そもそも情報が多すぎるのかもしれない

*11:Googleだって使い方にうまいヘタはあるからだ