
コロナ、コロナ、コロナ…(Covid-19, SARS-CoV-2)
うーん。第7波!
厳しい!
第6波にくらべても、第7波は、コロナが完全に「当たり前」の世界。
第5波くらいまではコロナは「隣の隣」くらいだったのが、第6波で「隣」の話になった。
第7波では、職員の感染は当たり前になり、すべての部署・すべての職種でコロナの感染者が発生している。
今は、我が家もコロナはまだ入りこんではいない。
が、いずれ、私を含めた家人の誰かがコロナになるのは避けられない情勢だと思う。
まあ、とにかく、コロナは当たり前になった。
一方、私の友人たちも含め罹った人たちも「すげーしんどかった」とはおっしゃるものの、
まあ普通に生還し、もとの生活に戻るのが当たり前になりつつある。
そういう意味では「風邪」とまではいわないが「一つの通過儀礼」くらいの感じになった。
ただ、高齢者に対して、どうするのか、という社会全体の姿勢を明確にすべき時期にはきていると思う。
「8割おじさん」こと西浦先生の、この記事。
www.m3.com
ポストコロナについて、研究者の現在の知見としては非常にわかりやすかった。
要するに、コロナはスペイン風邪のように「一過性に猛威をふるう、そして過ぎ去る大流行」ではなく、変異を繰り返しながら、世界各地にはびこり続ける。
季節や地域で流行を繰り返す、よくある感染症の一つ、みたいな存在になる、という予想だ。
治療薬などにブレークスルーがない限り(そして、病原体の本質として、症状を完全に雲散霧消するものはなさそうだ)、あんまり効かないかもしれないワクチンのブースターを頼りに、共存するしかない、ということか。
なんという、救いのない結論か…と思う。
が、まあリアルな着地点かもな、と思う。
ポストコロナ
コロナを完全に封じ込める策は、おそらく放棄する日は、近い。
世界各国がそうだからだ。
その意味で5類相当は、当たり前なのかもしれない。
ただ、5類になったところで、病気が軽いものになるわけではない。
ただし、日本は、世界に冠たる高齢社会。
この戦略が、もっとも裏目にでる国でもある。
特に、我々ヘルスケア業界は、二律背反に悩まされるだろう。
高齢者を過度に保護する場合は、医療リソースが足りなくなる。
しかし、高齢者に対して英米のような「突き放した」政策を取る場合、ヘルスケア業界の最大手顧客を消耗し、業界そのものが立ち行かなくなる可能性は高い。
なので、その「間」をとるようなジャパンオリジナルが必要なのではないか。
というのが西浦先生の提案であり、国民の合意は政策で決定されるべきではないか?ということだ。
ただ、岸田政権……「意思決定」ができない岸田政権……
高齢者の「選択」
しかし高齢者にとっては、一体どうなんだろうか。
孫やひ孫からの感染が原因で、命を失ってしまうのも不幸だ。
だが、コロナで施設の家族面会も出来ず、家族にも会えないのも不幸だ。
コロナのせいで、海外はもとより国内旅行にも行けない、親族や友達とも会えない。
唯一の趣味であったカラオケ喫茶(笑)にも行けない。みたいな状態で、仮に長生きが出来たとして、幸せなのか。
ご高齢の皆さんも、コロナ禍で丸二年、耐乏生活を強いられている。
でもこれ、「スペイン風邪」とかになぞらえて、1−2年でこの状況が終わる前提だった。
だから、耐乏生活にも耐えられている。
でも、これ「あと10年続く」ってなったらどうよ?
流石に若者よりも残余命が少ない高齢者にとっては、結構難しい問題だと思う。
「死んでもいいからナポリに行く」(そんなことわざありましたね)とか
「死んでもいいから同窓会を開こう」という選択をする人たちがでても
おかしくはないだろう。
高齢者は、若者よりも、社会生活も、健康状態も、経済状態も、多様性の振れ幅が大きい。
一律に処していい集団ではない。
社会のコンセンサスを、一体どうやって取るつもりなんだろう?
高齢者のことは、高齢者に決めさせる?
まあその場合、重症化した高齢者を受け止め、医療がパンクするんだろうな。
人間は若くたって年寄りだって「エピメテウス(後に考える人)」の末裔だもの。