半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

選挙の雑感と、歴史の転換点

2022, 岡山県

コロナ・コロナ・コロナ…(Covid-19, SARS-CoV-2)
第七波は容赦無くこの地方都市を静かに覆い、医療機関で働く我々にはかつてない厳しい状況になった。
しかし、街の喧騒は(さすがに感染者数の最高記録が5度ほど塗り替えられたあとは少し出足が鈍ったが)街の様子としては、あまり変わった感じはない。

世界の様子をみても、経済のことを鑑みても、これはしょうがないよなあ、と僕も思う。
ただ、街の様子と医療の中の様子の空気感の著しい乖離は、おそらく医療の窮状を、社会が「共有」しない、ということ。
共有しなければ、共感もない。
市井の人は、受診できないとか、救急車を呼んでも行き先が決まらないというネガティブな事態に陥らないと見えてこない。

なので、単純に、短慮な方々からのクレームもいままでよりも多い気がする。
基本的にワクチン未接種の方々に、短慮の方が多い傾向は間違いなくあって……
ま、大変ですよね(多くは語らない)。

参議院選、そして安倍元総理の死

そういえば、選挙が終わって一ヶ月以上経つんだ。
直前に安倍元総理が撃たれて亡くなるという波乱があったが、
選挙の結果は、非常にクールなもので、安倍さん狙撃の前の予想と大きくは変わらなかった。

安倍さんについては、総理辞任の際の感想を再掲する。
hanjukudoctor.hatenablog.com
やれやれ。
政策に対する批判はともかく、個人的な揶揄中傷に比較的寛容な*1人が殺されてしまう、というのも皮肉なものではある。

さまざまな情報が明るみになりつつある中、この事件の位置付けが今ひとつ自分の中でよくわからない。
この事件をきっかけに日本というものがどういう風にかわっていくのかも、今ひとつよくわからない。

はっきり言えるのは、たとえば自民党が二回に渡って下野した時、「浮動層」によって大きく情勢が動いた、みたいなアングルでは、今後は政権交代はなされないのかもしれない。と思ったりもした。

自由民主主義では、国民の自由な選択の総意が、被選挙者を選ぶ、というドグマがある。
けども、選挙は、カルト宗教ならずとも、各種団体の団体戦というか組織戦というか、そんな感じで、特定の団体の組織力が勝つ時代になってしまった。

おそらく「浮動層」の価値がここまで下がったのは、戦後初めてなんじゃないか。
TV番組の視聴率と同じで、多様性と細分化(セグメンテーション)によって、「浮動層」全員に訴求する「大きな物語」が成立しなくなったからか。
「浮動層」の連帯感がなくなり、力を糾合することができない。

N党のガーシーとか、いわゆるシングルトピックの候補は、浮動票のロングテールに訴求し、当選できる。
 逆に、ああいう人たちは、この現状を理解した上で、行動しているものだと思われる。
これって戦後のシステムをハックされてしまった感さえありますね。

明治初年から昭和6年満州事変までがおよそ65年。
この辺で、明治に形成されたシステムが有効に働かなくなり、民主主義の敗北と軍部の台頭を許してしまった。
同様に戦後から現在まで77年。
もはや、戦後レジームはつぎはぎだらけでなんとか動いている代物である。

悪知恵を持った頭のいい人には、システムの陥穽のどこをつけば自分の思い通りになるか明らかなんでしょうね。
地方都市で暮らす私には、流れを変えるやり方など思いつかないけれど、このままではどんどん意思決定プロセスが不透明になってしまうと思う。

世の中が善意では変えられず、悪意を持った誰かが作った変な濁流に押し流されてやしないか、非常に不安だ。
数年経つと、随分と時代感がかわってしまうような気がする。
杞憂に終わればいいのだけれども。

*1:これが心外だと思う人もいるかもしれないが、スターリン習近平に同じようなことをしたらどうなるか、ちょっと想像してみればいいだろう。バイデン大統領に比べても、安倍氏は個人のメディア的な消費のされ方としては尊敬からは程遠かったのは事実だ