半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

誕生日とミッドライフ・クライシス

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この歳になると空のきれいさが沁みる。

広島県人としては、岸田総理おめでとうございます。
選挙、どうなるんかな……(あと、株価も…)

* * *

先月、47歳の誕生日をむかえました。

しかし今まででもっとも精神的に低調な誕生日だったかもしれません。
それはコロナ禍によるものか、ミッドライフ・クライシスよるものなのか。
けど、この時代の不安定な通奏低音にすっかり共振しちゃってるように思う。

VUCAという言葉があるが、それを超えて極端に不確実な時代。
コロナで世界は一変した。そしてそれが年単位で続いてしまったことで、コロナ前の世界と連続性を保とうという復元力も失われてしまった。ここからは時代が大きく動く。

もし自分に時代を見通す力と才覚あれば、ひと化けできるのかも知れない。
しかし残念ながら自分はそんなタマじゃない。
時代変化について行き、せいぜい地雷を踏まないのが関の山。

自分がひとかどの者になれへん諦念をかかえて生きるのはなかなか難しいことだ。
これがミッドライフクライシスというものなんでしょうか。
嗚呼我老いたり。

そんなこという資格が僕にあるのか

とはいえね、今の僕、相対的にみると恵まれてる方だと思うんです。

家族もいる。
やりがいのある仕事もある。
趣味もある。趣味で自己実現もしています。
金銭的にも自分の消費欲を満たす程度には不自由していない。
友達もいます。知り合いはめっちゃいっぱいいます。

こんなんで不満抱える資格はないよ、と思う。
同年代の一般男性とくらべても、リア充やんか。
それでもこんなに苦しいのはなんでだろう。
肥大した自意識と現実との折り合い。自意識との葛藤。
苦しい。浅ましい。

そういうマインドのありよう。
老年期に向けてコントロールし、坂道の下り方を学んでいくしかないんでしょうね。

* * *

仕事において、この一年は受動的であり、能動的ではありませんでした。
病院、自組織においては、最低限やらなきゃいけないことはやってる。
しかし組織を掌握できてるかというと、よくわからない。

このコロナ禍の騒動の中、火中の栗を拾うようなことはしておらず、生ぬるく来てしまった。
アクセルを踏んで新しい風に乗る必要があるのに、ビジョンが見えず、待ちの一手。

業績も、職員の様子も著変ないけど、なんつーか静かに血が流れ去っている気がする。
求心力を失っているような気もする。
(私が職員の方をきちんと正視していないからでもある)

ちょっと煮詰まってるんですよね。
とはいえ、医療機能評価みたいなものも控えていたり、やらなきゃいけないハードルは次々とやってくる。

* * *

趣味の音楽についても、中途半端な気がします。

それなりに自分の演奏の完成度をあげようとはしていますが、直面すべきハードルがないと、人間って成長を実感できない。いや、例えばピアノ弾いたりとか、できることは結構増えたんですよ。
でも、一つの曲を熟成させるような、自分と向き合うような作業をしていませんね。

40にして惑わず、50にして天命を知る。
そう行きたいものですが、とてもそんな心境ではないですね。

* * *

あ、しかし今年やったこととして、少し離れた山間部にある古民家の別荘を利用した焚き火キャンプ。
キャンプといっても、テントは張らずに、きちんと宿泊できる建物がある。
そこで、週末は少数の友人と焚き火を囲んでスローライフを送りました。

同時にそういう焚き火とかBBQのグッズを揃えるのに、物欲を開放して、そっち方面のネットの買い物をしまくりました。なんだかんだいってポストコロナに適応しようとはしています。