コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)…
さすがに緊急事態宣言がでてるのもあり、首都圏の医療が逼迫しているというニュースも
あったりすると、会食をして感染するわけにもいかない。
一月はかなり外出が(さらに)減ってしまった。
患者さんに注意はしているけど自分も「ステイホームによる不活動」の弊に陥っているみたいだ。ミイラ取りがミイラになった。
この週末はなにもせずスイッチが切れたように寝て、起きて、なにもしなかった。
なにもしようと思わなかった。
一月、そういう意味では思索もできるはずなのに、ぼんやりとしていてあまりアウトプットにもならなかった。不思議なことに、ちょっと忙しいくらいの方がものを書いたりできる。
これは、ちょっとまずいんじゃないか。
楽天UIに怒る
ある尊敬すべきTwitterの知り合いが、ここ最近楽天市場でのユーザーインタフェース(UI)の酷さに苦言を呈していた。
ふるさと納税にしても、ワンストップ制度利用の可否くらいは統一しとけよ!とか。
いや、ごもっとも。
しかし、ちょっと新鮮な驚きがあった。
実は僕もその2年前くらいに「楽天経済圏」なるものに足を踏み入れ、今では楽天カード、楽天証券、楽天銀行。ホテルの予約は楽天トラベル(は前からだったけど)など気がつくと基本的なネットサービスのインフラが楽天になっている。
それまではAmazonで買い物をしていたが、去年から楽天市場で買うことが本当に増えた。*1
そりゃ確かに楽天のサービスを使い始めた初期の段階では楽天市場のUIに思うところがあった。
まるでスーパーの広告のチラシやな!とでも言いたくなるようなダサダサのサイトデザイン。
統一感のないお店ごとのシステム作り。
美しくないな、と最初は思っていた。
だけど割とすぐ順応してしまった。
最近はもうあかん、とも思わなくなっていた。
だから改めて憤ってる人をみて、当初の違和感を思い出したわけだ。
楽天UIの統一感のなさは、例えば東京の雑踏の看板の多い街並にみている。
e-コマースサイトの中ではダントツにダサい作りだと思うけど、
「モノを売るのに美しさなんて関係ありまへん!要は売ることや!」
みたいなナニワの商人的な「中の人」の声が聴こえてくるようだ。
要するに、現場というか、それぞれの商店の裁量権を優先させたんだろうなとは思う。
楽天市場の体裁の不統一は、それだけ「型に嵌めない」ことのあらわれであり、
その辺のユルさは、e-コマース黎明期には参入障壁を低くする効果があったとは思う。
だからe-コマースする気のない商店を楽天市場に引き込む効果はあったはずだ。
しかしなんだかんだいって楽天の「型に嵌めない」やり方はそのまま続いていてダサダサのデザインも変わらないままなのは、少しおかしくも思う。
少なくとも逆風にもなっていないようだ。
(近年「楽天離れ」が言われているが、これは、利用手数料というお金の問題であるようだし)
「楽天市場」型の組織
例えばAmazonの場合は、Amazonが直接取り扱う部分のサイトデザインが良くも悪くもしっかりしている。
Amazonに出店している場合(マーケットプレイス)はAmazonのサイトデザインの範囲内で小売を行う形になり、自分の商店としての主張はそれほど大きくはできない(逆に言うとしなくても済む)
一方楽天市場には中心がない。文字通り「市場」の体裁なのかもしれない。
すべての店が並列に並んでいて、ヒエラルキーもない。
実は、日本的な組織って、むしろこの「楽天市場」に近いんじゃないか、という気がする。
霞が関だって、省庁の縦割り、省庁ごとに「一つの城」があって、戦略や人事など、それぞれの省庁で思い描いている未来像は異なる。
一応行政機構としては総理大臣を意思決定の頂点とするヒエラルキー構造をとっているけれども、そんなに簡単にはいかない。
せいぜいが、財務省(昔は大蔵省)からの予算配分の権限でそれぞれの省庁をコントロールしただけで、総理大臣だからといって、省庁を思うがままに操ることなんてできない。
それこそが日本的な意思決定のシステムなのだろうか。
高度経済成長時代は、そうした省庁がお互いに干渉せず競い合うことで、それぞれ発展し、うまくいったかもしれない。
ただ現在のように成熟市場となり問題が複雑化し省庁ごとの摺合せが必要になってくる。
そうすると今までのスタイルはうまくいかない。
建前は、内閣が意思決定権をもち、省庁を動かすということになっているけど、実際はそう単純でもない。
省庁を動かすための、Tipsというか、いろいろうまいことやらないと省庁は自分の思うようには動いてくれない。
政権交代によって官僚と政治家との交流が断ち切られると、政権交代した政治家にこのノウハウがない分、むしろ改革がすすまないというパラドックスはこのためだ。
内閣による省庁のガバナンスは安倍内閣以降かわったけれども、ではこれが恒久的な制度になったわけでもないだろう。
これって、日本的な組織には比較的よくみられる弊害の一つだと思う。
太平洋戦争での軍部も、結局、陸軍・海軍の間で戦略を統一することができなかったし、関東軍(日本の関東地方ではなく、旅順から満州を統括している地方部にすぎない)の暴走を、中央は止めることができなかった。
江戸時代や室町時代、つまり封建時代から脱することができていないのかもなあ、と思う。
よくも悪くもミドル階層(昔なら藩)の集合体で、序列をあえて明らかにしないやり方といいますか。
織田信長みたいな、明確なヒエラルキーと強力なトップダウンをやろうとすると、寿命を全うできないのが日本社会の常だから。
我々日本人は、自分たちが思っているほど、組織的な人間でもない。
「日本人は個性や自己主張がなく、自分の損得よりも全体の利害を優先させる」というふうに言われてきたけれど、正確にいうと、全体ではなくて、ミドル組織とでも言うべき顔の見渡せる中型組織を優先させるのではないか。
我々は「ムラ社会」の住人で、抽象的な「組織」のため、というよりは、自分の身の回りの人間が見渡せる「ムラ=部門」の利益を最優先させるようにできている。
確かに、個人の利益は優先しないかもしれないけど、もう少し俯瞰してみると、もっと大きな組織の全体の利益よりも、自分たちの仲間とも言える小さなセクションを優先することがよくある。
このようにして出来上がった日本型の組織は、水際だった統制行動を取ることが苦手だ。
中枢神経系を、持った動物というよりは、粘菌などのような群体のように振る舞う。
スピードに劣るかわりに、頭を叩き潰されても、活動を停止しないのが、この組織のいいところかもしれない。太平洋戦争でも現地の司令部が壊滅してからが、日本軍のゲリラの見せ所だったようだし。
医療においては
私は現在地域の医師会に所属しているわけだけれども、医師会もこういう「楽天市場的」な群体的な組織だ。
医療のレベルとしては、大病院が高度医療をにない、中小病院、そして無床のクリニックはそれほど高度ではない医療を担うようになっている。
だが、医師会の組織としては、地域で一番大きな病院、医療としては最も高度な機能を担う病院がトップで、その傘下に中小病院がある、というわけではなくて、医師会長は、自分が管轄する医療機関の大きなとは関係なく選出される。*2。医療機関ごとに、権利は横並びだ。
コロナ禍のおり、いろいろな取りまとめを医師会で行ったりしているけれども、そういう医師会のガバナンスなど、全然強くはないのである。
それぞれの病院や診療所にお願いをして望ましい方向に誘導するしかない。
緊急事態宣言で、首相の言も「お願い」に過ぎない、と鼻白むコメントも多かったけど、これもしょうがないよなあ…と思う。
* * *
もともとの性向か、それとも戦争に負けてからなのか、トップダウンによる強力な意思決定で、全員一致で国を動かす、ということが極めて難しい、ということを我々はもっと知っておくべきだろうと思う。
まあ欧米諸外国でも、今回のコロナは「民主主義の敗北」、つまり独裁政権による強権的な行動制限がなく、個人の自由を忖度するような状態では、対応できないよね、みたいなことを言っているから、これは日本特有の問題でもないのかもしれないけれど。