半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

臨床研修指導医講習会

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先週末、東京の某所にて、臨床研修指導医の講習を受けてきました。
(あ、これは、研修医を指導する医師のための講習会ということになります。具体的にいうと、研修医を指導する場合に、
 指導も俺流じゃいかんわけだし、評価の方法もきちんと評価表というものがあるので、国の方向性というものを知ってもらわんといかんわけです。
 それで、こういう講習会があります。)

* * *

とにかくスケジュールがすごかった。

朝8:30集合、8:50分を超えたらぶっ殺すてな勢いで、土曜日は8:50から21:30まで、自由時間はほぼなし。
そんなわけで前泊したわけですけれども、東京とか近くに住んでいる人も一日目の夜は全員宿泊。
二日目も朝8:15分集合で、17:30までというスケジュール。これでもかこれでもかというワークショップの数々。
座る椅子も、数が決まっているので、全員が着席しないと次の講義が始まらないという恐怖の連帯責任仕様。
トイレ休憩もないので、合間に行ってきてねーマッハで!というスタイル。

結構面白かったんですけれども、ヘトヘトになりました。
この会に参加した理由は、また機会があれば書きます。

講師(タスクフォース)の人たちは、みなフランクかつ意欲的で、アメリケーンテイストなポジティブさが若干気になるくらいで、講習そのものはダレることなく無事に最後までつつがなく終わりました。
全体にためになることの多い講習でした。
しかしまあ疲れました。

勉強になったこととしては、今回のほとんどのカリキュラムが座学ではなくワークショップの形式で、なおかつそのパターンが多彩だったこと。
4-5人で即席のチームを作るバズ・セッション、隣席の人と相談するアイスブレイキング、K-J法も変法を取り入れてよりブレインストーミングしやすい形だったり。
ワークショップのバリエーションにいちいち感心しました。
私は2000年に卒業した旧世代なので、教育手法のこうした進歩は在学中はあまりなかったように思います。
実際、今回教育に関する講習だったので、現代の教育手法を身をもって味わうことができて、大変有意義でした。まあ、疲れましたけど。

また、班ごとの成果物のクオリティも高いなと思いました。
セミナーでのおもな作業は、研修指導プログラムを実際に作るというものでした。
過去いろんなセミナーでワークショップに参加しましたが、さすが臨床研修指導医の講習に行く(もしくは行かされる)人たち、現在の基幹病院で中核業務に携わっているようなバリバリの先生方なので、理解が異常に速く、問題解決能力も高い。非常にスムースに共同作業ができました。
医師のポテンシャルの高さを再確認しましたよ。ま、疲れましたけど。

ただ、やはりめちゃくちゃ疲れた。
次の週はなんか余力で仕事をしていたような感じだった。

* * *

よりよき研修医を育てるためにどうしたらいいか、というのがこの指導講習会の目的ですが、
学習指導要領、みたいな「研修医に必要とされる能力・資質」の評価表をみていると、
「俺、大丈夫?」という気になった。
研修プログラム上の、必要な資質・能力、技能をすべて身に付けることができれば、めっちゃ優秀な医者やん、と思う。
社会人、知的技術職としてものすごいバランスのとれた社会人である。
そんなやつ、自分の年代だったら、2割もいるだろうか……

昔のカリキュラムよりも今の方が、全人的に医師を育てようという、意思も方法論も充実していて、素直にこのカリキュラムの到達目標を考えながら成長していけば、確かにいい医者になれるんじゃないか、と素直に思った。

* * *

しかし、どうして現実はそんなによくならないんだろう?

すべての研修医がこの崇高なる目標のカリキュラムにのっとって教育されているのに、どうして、中小病院経営者の我々は、医師の確保に難渋し、およそ利他的精神とは程遠いアルバイトの先生の引き起こすトラブルに悩まされないといけないんでしょうか?おお神よ!

と、中世のヨーロッパの農奴がつぶやくのと同じような気分にもなるのだ。
なぜこんなに我々の暮らしは辛苦に満ちているのでしょうか?
審判の時が来て、我々が救済される日は来るのだろうか?

臨床研修指導制度、今のスーパーローテート制度が始まって、もう随分経つ。
でも、その間、医局の地域医師分配機能は失われ、市場原理に委ねられた結果、中小病院での医師確保は難しくなった。
医局に所属せず市場化された医師=ドロッポ医なる存在もでてきた。
場末の医療現場で出会うのは利他精神のかけらもないようなロクでもない医師ばかり。*1

研修指導評価表に、基本的な資質として「利他的精神」っつーのも書いてあるのだ。
でも、利他的精神なんていうものがあったら、ドロッポ医なるものは生まれないはずだ。

* * *

それに、研修指導のスケジュールと、「働き方改革」における労務管理が、真っ向矛盾しているのも気になるところではある。

まあこのあたりは、極めて微妙なバランス感覚であって、顧客である国民が望む医師像は、古典的な「聖職者としての医師」を期待するものだからなのだろう。
「医師の働き方改革」というのは、医師も市民社会における一職業にすぎない、という考え方に立脚している。
 どちらの方を我々は目指してゆくのか、ということになるのだろう。

* * *

講習会の理念や、ゴールについて、会の進め方なども含めて、大変いい会であったし、いい経験になったと思う。しかし、
・普段の環境から隔絶する
・集団行動をとらせて、帰属意識を高める
・肯定と賞賛による強化付け
・スケジュールをタイトにして熟考する時間を与えない
など講習会のプロセスそのものに、
はっきり意図的に洗脳の技法を用いているのが気になった。

ま、まあそれはいいでしょう。いい理念に洗脳されるのは僕は嫌いじゃない。
洗脳されてもいい、とさえ思っている。

でも、会が終わった直後に「よし!いい指導をやろう!」と高揚した気持ちは、帰路につき、自院に帰り数週するとだんだん薄れてきている。
これって、やはり一種の洗脳なんだなあ。洗脳の効果が溶けている過程を見ているんだなあ…と自分で気づきました。

ただね、というかね、利他的精神とかそういうものは、洗脳で植え付けるしかないのではないかと思う。
だからこの我々に使った「悪いテクニック」をきちんと我々にも伝授して、研修医に利他的精神を洗脳する方法を教えてくれたらいいのに、と思った。

*1:あ、ちなみに今うちの病院の常勤の先生方は、弟子入りしたくなるようないい先生が多数です。自慢です。