コロナ、コロナ、コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
第三波、すくなくとも私の住んでる街では、一旦終息したようで。
大都市発のワイドショーなどのニュースを踏まえて市民は「自粛」する。
そこまで外食産業の栄えていない街で、東京並に自粛すると、そりゃ、終息するよな。
その分、外食産業はかなり厳しいんじゃないかと想像するが、競争原理が乏しいので案外なんとかなっているかもしれない。
鬼滅の刃
今や国民的漫画になった『鬼滅の刃』。
第一巻第一話に印象的なセリフがでてくる。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」
最初に読んだときは「なんて文語調というか、堅苦しい言い回しだな…」と思った。
こなれていないネームを書く人だな、なんて感想を持ったんだけど、最近考えを改めた。
考えてみれば冨岡義勇も「柱」という幹部クラスとはいえ、成人したかしないかという年齢の若者である。
いろいろな人生経験で酸いも甘いも噛み分けたような好々爺ではない。
つまりは、大学の学園紛争とかで、マルクス主義かぶれの青臭い学生などと一緒。
理想主義者であり、教条主義者でありがちな年齢なわけだ。
なおかつ彼らの所属する「鬼殺隊」は国家非公認の閉鎖的な暴力集団なのである。
いってみれば、オウム真理教の信者や愚連隊、アフリカの民族戦線の少年兵などと同じ。
口さがなく言ってしまえばある種のイデオロギーに洗脳された状態といえなくもない。
そんな若く理想に燃える人間が教条じみた咀嚼されていない漢語を発する。
いや、むしろリアルすぎるやろ……とさえ最近は思うようになった。
「長男だから我慢できた。次男だったら我慢できなかった」
とならんで、時代背景や登場人物の背景まで憑依する能力でもあるのか、作者の底しれぬ異能を感じる。なかなか描けるセリフじゃない。
生殺与奪の権
『鬼滅の刃』では「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」という強いメッセージが冒頭から打ち出された。
中島みゆきの「宙船」にもある。
「お前が消えて喜ぶものにお前のオールを任せるな」
自己決定権を失ってはいかんのよ。
ところで、見渡してみると、「生殺与奪の権」を他人に握らせちゃっている人は結構いる。
* * *
気立てがよくて優しそうな男性が、まあまあ自己主張が激しそうな顔立ちのくっきりしたキツめの女性と結婚するパターンを想定してみよう。
あー、こりゃ尻に敷かれるな…と思っていたら、もう尻に敷かれるどころか、カマキリだったら頭からバリバリ食われていたに違いないような扱いを受けているような。
まあもともと覇気がある方ではない。
怠惰ではないから、仕事には勤勉に行くけれども、
プライベートは、すべてを家庭にささげ、月のお小遣いも1万とか、そういうレベルで。
基本的人権を奪われているんじゃない?と思うレベル。
夫婦感の会話を聴いていても、もうこれ、パワハラ・モラハラやん……なんならDVもしてるやん…
とぞっとするようなケースってある*1。
夫婦間の決まりごとは、一対一の人間関係で取り交わされる、ある種の「条約」であるわけだ。
核家族化が進んだ現在、夫婦間の関係性は、ブラックボックスの中におかれ、他人には見えない。
どのような「条約」がかわされたのか、そしてその「条約」が誠実に守られているか、なんて、他人にはわからないのである。
ほとんどの家庭は、まあうまく行っているから、お互いに納得した関係性が保たれていると思う。
ただ、ごくわずかの家庭では、とんでもないことになっている。
明治日本が開国したときに結ばされたような片務的な「不平等条約」を結ばされてしまっているケース。
ひどい場合は、ヨーロッパが、ガラス玉とかガラクタなどの二束三文で原住民の広大な土地を取り上げる、みたいになっちゃっていることもある。
こういう「交渉」「条約」では、男女間の恋愛関係の経験はそれなりにものを言う。
数々の恋愛を経験したり、恋人に裏切られ辛酸をなめた経験は、こうした「交渉」ごとにおいて、タフ・ネゴシエーターにさせる。
その意味では、バツありシングルマザーという存在は、最強のタフ・ネゴシエーターであることを注意しておかなきゃいけない。
あまり恋愛においてキツい経験をしていない男性が、こういう女性と結婚してしまう場合、
それこそインカ皇帝アタワルパとスペインの征服者ピサロの出会い、みたいな惨劇の結果、男性は「養分」として生きることになる*2。
* * *
しかし、案外当の男性は、まんざらでもないような場合もあるから人間関係というのは不思議なものである。
まあこれが、ジャズ・スタンダードでいう「Body And Soul」(身も心も)ってやつなのかな。
日本昔話的に言えば「尻子玉」を抜かれた状態なのかもしれない。
* * *
現代人の生き方は「自己決定権」をもち個人として生きることが求められる。
「自分の頭で考えよう」ってやつね。今の世の中はこれが主流。
ただまあ、徹底的に自分の頭で考えない、というライフスタイルも、場合によっては幸せかもしれない。
もちろん、相手の誠実さに依存するわけだけれど。
* * *
冒頭の「鬼滅の刃」に戻る。
冨岡義勇は炭治郎にあんな大見得きっているけど、お前こそ生殺与奪の権を産屋敷一族に完全に明け渡してんじゃん。
冷静に意地悪く思った。
明治大正時代というのはイデオロギーの時代であり、個人よりも組織の時代であったわけで。
「生殺与奪の権を他人に委ねるな」というのは、その意味でいえば現代的なドグマであるわけで、現代に生きる読者に向けた作者の生の叫びでもあるのだろうか、とは思った。
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