半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

ボーナスとは何か

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コロナで、大なり小なり医療機関はダメージを受けているけれども、そんな中東京女子医大ではボーナスゼロの状態になり、看護師400人が退職するとかしないとか、それに対して経営陣は「足りなければ補充するしかない」と言ってさらに火に油を注いだとか注がないとか。

Twitterの医クラでも
・そんな現場の医療職を大事にしないような病院は潰れてしまえ! という意見もあったし、
・いや、ボーナスって業績連動なの知らないの?こんだけ赤字で、ボーナスが普通にもらえるなんて考える方がおかしいんじゃない?
という、どちらかというと経営側の視点の意見もあったりして、色々かまびすしい。
正直、ポジション・トークであるような気もする。*1

実際のところ、ボーナスはいわゆる「基本給」とかと違って、法的根拠はない。
ものすごく業績が悪くて赤字の場合、ボーナスをゼロにしても、法に触れないのは事実だ。*2
(一方基本給を勝手に下げることは、禁止されている)
そもそも給与規定というのは会社と労働者の間で交わされる一種の労働契約だが、ボーナス(賞与)については、規定がないことがほとんどだ。もちろん暗黙の了解や、社内のルールはあるはずだが、法的根拠まではない。
だから業績が悪い場合にはカットされることもありうるものではあるのだ。

ただ、一方、労働者の側では、ボーナスは暗黙の了解で、1ヶ月か2ヶ月か、それとも3〜4ヶ月か支給が当たり前と考えられている。
これも事実だ。
伝統的な日本企業では「ボーナス」は給与の一部に組み込まれているも同然で、もちろん業績で上下はするものの、まあ基本的にはでるものと思われている。

どっちが本当なんだろう?

* * *

「日本 呪縛の構図」というちょっと前に話題になった本には、こうある。

世界史に詳しい方は「ドッヂ・ライン」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。
第二次世界大戦後、GHQ経済顧問のジョセフ・ドッジ(デトロイト銀行頭取)は通貨供給量を絞り、インフレを安定させる政策をとった。当時アメリカは極東における防共の砦として日本を使うかわりに、さまざまな経済支援や在日米軍の駐留(当時の日本にとっては軍事費の負担なしに防衛する意味で経済効果は大きかった)などで日本を支援したが、アメリカから日本への資金流入アメリカの財政を圧迫していたことも事実で、財政安定策は表向きの理由だが、米国政府にとっては自国益優先もあった。
通貨供給を絞り緊縮財政におちいり、インフレは抑制され物価は安定したが、産業界としては、深刻な資金不足におち入り失業や倒産が相次いだ(いわゆるドッジ・不況)。

 ここできわめて重要な役割を果たしたのが、池田勇人のような人々の創意工夫だった。彼らは財政金融システムの監督方針を通じて、日本の大手輸出企業が海外市場制覇のために必要な資金を辛抱強く捻出できるようにした。そのために、日本独特の構造的特徴を持つ金融システムを集中的に利用できるような融資調達のメカニズムを構築したのだ。
 これらの政策の多くは戦時中の資金調達方法を応用したものだった。*3一般家庭の貯蓄を預金受け入れ金融機関に預けることを強く奨励し、それらの機関に政府の発行する金融商品を購入させるという手法もその一つだ。
 国民に貯蓄を奨励するためにありとあらゆる手段が講じられた。一般世帯が子供の学費を払い、老後資金を蓄え、その上住宅を購入したければ家計を事細かに管理して定期的に貯金するしかなかった。
 一般的な企業では給与のほぼ三分の一が年に二度のボーナスとして支給されたが、これによって各家庭の主婦は給与の三分の二で家計をやりくりする方法を強制的に学ばされた。ボーナスシーズンには銀行や郵便局から宣伝や広告が殺到して国民にボーナスを貯金するように勧誘した。(『日本 呪縛の構図』第5章 高度経済成長を支えた諸制度 より)

月割りで月給がでていてもそこからまとまった額を貯蓄することは難しいが、ボーナスとしてまとまったお金がでていれば、それを貯蓄するというのはさほど難しい話ではない。
要するに、国民の給与を銀行に還流し、それを資金調達の財源として使うというスキームを誰かが考えた。日本のボーナスのシステムは、そのために作られたわけだ。
ただし、巧妙にそのシステムがつくられたので、ルールの背景はあまり知られていないし、今では裏の意味もみな知らずに制度だけが残っている。

企業の業績がいい時だけ、ご褒美に賞与として支給する。
表向きはそうなっている。法律的にもそうだ。ボーナスに法的根拠はない。
でも、実は、想定年収の 三分の一か四分の一を、年二回の賞与として支給という形で最初からデザインされている。
ドッジ不況」の時に誰かがそうすることを企み、だいたい年収の25~30%はボーナスという形に変えて支給することにした。*4
そして、もう何十年もそういう「暗黙の了解」で世の中は回っている。

「ボーナスが全額カット」と言われると、あたかも当然最初から与えられた権利を、奪われたように感じるのはそのせいだ。

* * *

実は戦後こっそりと作られたシステムを、あたかも所与のものであるかのように錯覚しているものはよくある。
僕は団塊ジュニア世代で、僕らが子供の頃は「日本人は勤勉で、貯蓄を当たり前のようにする民族だ」みたいになんか刷り込まれていたけれども、なんのことはない、戦後に作られた比較的新しい慣習にすぎない。
終身雇用だってそうだ。

* * *

今回のボーナスカットについてどうこうは思わない。これくらい業績が悪ければ「聖域」とも言える部分もカットせざるを得ないだろう。
経営者の当然の権利、とも思わないし築き上げてきた組織に大きなヒビが入ることも承知の苦渋の選択であることは想像に難くない。左手を切断するか、それとも右手を切断するか、みたいな究極の選択なのだろうとは思う。まあだからこれだけ看護師が離職するのだろう。

ただまあ、議論の中心となっている「ボーナス」の歴史について、意外にみんな知らないみたいなので紹介してみた。
これもまた、戦後の遺産だ。

うちでも、そういう事実を踏まえて、ボーナスの分は全部本給与に含めて、ボーナスという制度やめる?という提案をしたこともあったが、しかし、みんな制度を変えることにはすごく抵抗を示すもので、うまくいかなかった。
考えてみれば、貯蓄を生み出せるボーナス制度は、そう悪いものではない。
ただ、このスキームの弊害は、そうやって得られた種銭を、深く考えずに「銀行に全部預ける」という習慣が日本人に根付いてしまったことだ。日本人が個人の投資後進国になってしまった原因でもあるだろう。本当は、ボーナスで出た原資を個人投資に全部まわす、というのが、2020年のマネー・リテラシー的には正解なのだろうけど。

あ、あと「日本 呪縛の構図」はとてもいい本なので一読することをオススメします。

その他のBlogの更新:

もう一年の半分がすぎたなんて信じられないね。6/30はハーフタイムの日らしいですよ。
コロナで増えたZoomの講演会とリアルの用事ががちにぶつかって、出かけないといけないのにZoomで家に縛り付けられる…みたいなのが増えています。なんじゃそりゃ本末転倒やん。

*1:それに、ボーナスは色々我慢してきた最後の砦であり、単に一度のカットだけではやめたりしないだろう、というのも真実ではあろうとは思う。でも過去5年くらいも赤字だが、ボーナスはしっかり出ていた、というのも事実ではある。

*2:そもそもボーナスがカットされる方が会社がつぶれるよりマシだろ、という考えになる

*3:要するに、国民総動員体制で、民間人の持っている財産や貴金属を拠出させたやり方と似ている

*4:それは住宅や車を買うなど個人のまとまった消費のためにも合理的ではあった。だから給与所得者も反対しなかったのだろう。