半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

時給ベース

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働き方改革」の話は、大企業にとっても、我々末端の中小企業経営者にとっても重要な話だ。
今年度は有給休暇取得5日が義務化された。
こんなのは、まだまだ前哨戦で、基本的にはそのあとに控えている「同一労働同一賃金」の部分が大問題。
間違いなくこれまでの制度の大幅な変更を迫られる。
人事評価制度そのものを変えないと対応できない。

なぜならば、日本のお家芸的な制度である「定期昇給年功序列」は、この新しいコンセプトに真っ向から抵触するからだ。
おんなじ仕事をしていて、進歩もなく、職務権限も限られた高年齢者と、同じ仕事をする新卒は、給与に差をつける根拠がない。許されない。
逆にいうと、給与が高い人は、給与が高い業務をしていますよ、ということを明示しないといけない。
進歩のないやつに、給与が上がる資格はないのだ。

だから、まあ厳密にいうと問題なのは定期昇給
年功序列はそれはそれで不可能ではない。
年功にしたがって重要なポジションを与えれば、そこには高い給与が付いて回るのだから。
だがその状態では競争力やモチベーションも失われてしまう(若い人、くさっちゃいますよね…)


昔はそうではなかった。
かつて、農業や漁業などでは、一通りの天候の変化を経験していないと意思決定に取り返しのつかない誤りが生じる可能性があった。何十年に一度の日照りとか、洪水とか、そういう災害に対して、知っていると知らないではリスクヘッジのかけかたが異なる。
だから10年以上のキャリアの人間に一日の長があったかもしれない。*1
でも、今の仕事というのは、毎日の業務が目まぐるしく変化し・そして技術も進歩してゆく。
洞察力や問題解決能力が問われる時代に、年齢だけから積み上げられる経験は、あまり役に立たない。

生産性の差

ところで、全国企業ならともかく、医療や介護の現場というのは、言うなれば美容師と同じだ。
一人ずつ顧客に向き合って仕事をする。

専門職としての対人の仕事っていうのは、できる人とできない人の生産性の差って、どんだけあっても3、4倍だと思う。
プログラマーのように、千倍とかにはならない。
一人一人の職員の生産性にレバレッジは効かない。

まあ、その分業務量によるインセンティブを出しやすいのかもしれない、とも思う。
でも、チーム医療だから、個人で業績を切り分けるのにも、問題はあるんだよな。
結局、ほとんどの組織は、一兵卒の給与は横並びになってしまう。*2

問題は、その支払い方だ。

時給ベース

ここ1〜2年、先進的な取り組みをしている社会福祉法人や医療法人の話をいくつか聴いてきたが、給与を時給ベースにするのがはやっている。
法定労働時間で割った給与を「時給」として管理し、その分、働いただけ人件費を勘定し、医業、もしくは介護収入と比較する。

月給だと、働いた勤務時間と稼いだ収入などが、月によって細かく変わるので、結構計算がめんどうくさいけど、この方式だと、計算は容易になる。
計算は週ベースだ。
アメリカは昔から週給ベースですよね。それと同じ。

これの利点は、時給ベースで労働量を考えることにより、部門収益と人的コストの計算が容易で、部門ごとの生産性を可視化できることだ。
投入労働量(に各人の給与を掛ければ人件費になる)と、収益を比較しやすい。
また、この規則で動かす場合、シフト調整ができるのなら、法定労働の週40時間を、フレキシブルに配分することも可能で、多様な働き方にも対応できることだ。たとえば、1日に10時間で4日勤務。週休3日制で働いて、常勤職員ということも可能だ。

このような手法は、特に水平展開し、多数の小事業所を持っているような組織において有効だ。
事業所どうしの効率性を比較しやすい。
病院内とかでは、それぞれの病棟ごとの性格が違いすぎるので、同一条件での比較は難しいかもしれないけれど。

多分、今後こういう方式が、徐々に当たり前になっていくだろう。

* * *

僕自身は「働き方改革」自体にあまり不満はない。
簡単にいうとグローバル・スタンダードなやり方だからだ。
そんなに違和感はない。
ただ結局、問題なのは「変わらなければいけない」という事実に対して、どう反応できるかだ。
多くの組織では、システムや意思決定の方法に時間がかかる。

ま、だからこそ、「黒船」的な制度改革によって、無理やり日本の企業文化を変えようとしているのかもしれない。

* * *

「働き方を改善する」というと、90年代、ゼロ年代に、派遣社員正規雇用と非正規雇用みたいな話があった。
これは現代の身分制度ではないか?
みたいなことも言われた。
正規雇用の人々が、正規雇用の人々と同じ待遇になることを夢見たりだとか、そういう時代もあったわけだ。

同一労働同一賃金」はその当時の問題意識から発せられたものではないかと思うのだが、
少し皮肉に思えるのは、正規雇用の人が、時給ベース、週給ベースになる、という変化は、正規の人たちと非正規の人たちの差が、まるで正規の人たちが非正規に下りてきた形で解消されたように見えることだ。
差は解消されたかもしれないが、これは本当に進歩なのだろうか?

* * *

「月じめ」は変えられないのか

ちなみに給与の問題と同じく、収益とか事業実績の取りまとめとしての「月次報告」というのも、月ごとである弊害って結構多い。
「今月は営業日が1日多かったので、売り上げが4%おおくなっております…」とか、前月比の比較とかをするのも、スッキリしないので僕はキライだ。

武蔵野という会社の小山昇氏は、一年=52週を12ヶ月にわけるのではなく、4週x13期にわけているらしい、と本で読んだことがある。
これ、実は曜日と月のブレをなくせるので、かなりうまいやり方だと思う。

というか、これ診療報酬体系に取り入れて欲しい。
例えば、糖尿病のHbA1cとか、月に一度しか算定できない検査って結構多い。
例えば、8/1受診、次回4週後だと 8/29。
同一月で検査項目の出し入れをしなきゃなんない。
五週間後とかにすりゃいいけれども、30日処方制限のついている睡眠導入剤を飲んでいる人だとそうもいかない。
こういうことが、意外に外来の業務を複雑化し、オートメーション化を阻むのだ。

これも月ごとではなく4週ごとの区切りの制度で「4週に一度しか算定できない」とすれば難しく考えずに済む。
医療事務の人たちも、必ず月末月初に残業が増えるという生活パターンも、もう少し変わるだろう。

でも、まあ、そんな英断だれもしてくれないだろうけど。

その他のBlogの更新:

半熟三昧:

『心理学的経営』大沢武志 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『夜の歌』なかにし礼 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『アルコール依存の人はなぜ大事なときに飲んでしまうのか』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『繁栄と衰退と』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『封印されたアダルトビデオ』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)

7月を少し休み、8月に入ってから基本的にペースを半分に落としています。
そうすると、まあまあ紹介したい本だけ紹介するようになって、精神衛生上もいいですね。
ただ、一記事一記事が重たくなっているのも事実。だいたい2000字超えてしまう。

ジャズブログ:

使っていい音について その2 - 半熟ドクターのジャズブログ
これもこっそりアップしたやつ。その3を書きあぐねています。

*1:今のように天候も非可逆的にに変化してゆくようなご時世では、農業でさえ、過去の経験が頼りにならないのかもしれないけれど

*2:この辺りやはり有名どころのブランド病院では、人事評価制度がうまくワークしていて頑張っている人とそうでない人をきちんと峻別しているようだ。もちろん、新卒で大量に入ってきて、適応する人は残り適応できない人はやめていくという環境下の中でなら許されるのかもしれないけれど。