半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

村上春樹がノーベル文学賞をとれる時代は終わったのかも

2022, 神石高原町。ちょっと2001年宇宙の旅を意識した

コロナ・コロナ・コロナ……
第7波は終わったところだが、ここに来て弊社にて院内クラスターが起こりそう…な一報が入る。だが、結果的にはシャレにならない状態にはならなさそうだった。

四回目ワクチン、二価ワクチンを打ってみました。
その後しんどかったんですが、ワクチンそのものよりも、仕事の予定をガツガツに詰められていたためだった。
後ろから撃たれるというのはこのことかあ。

村上春樹

私はまあまあのハルキストです。
今年も「村上春樹ノーベル文学賞をとれるのか?」と勝手に周囲が騒ぎ、勝手に落胆し、終わった。
もはやこの時期の不思議で変な風物詩になってしまっている。

あくまで個人的な感想ですが、村上春樹時代感覚は、もはや一世代古くなってしまった気がする。

村上春樹は、世界との「デタッチメント」と、旧来からの地縁血縁、共同体から外れた都市部の生活者のポストモダン的な問題を描いた。
そこには前世代の日本文学にない新しさがあったはずだ。

ある種の都市生活者には切実な悩み。
それを村上は可視化した。こういう悩みは僕だけじゃないんだ、と。
その問題は日本のみならず、グローバル化という社会の変貌の中で生きる者に共通であったため、村上春樹は世界的に注目されるに至ったのだとは思う。

価値観の相対化が他国より早かったのか、ポストモダン的な問題の先鋭化は日本(厳密にいえば東京)において早く、村上春樹は世界に先んじてこの問題を描くことができたのだと思う。

ただ、それは1980-90年代の切実なイシューではあったが、世代は進む。
もはや村上春樹と悩みを一にしていた世代は若者ではなくなってしまった。
今の若者が抱える悩みは、村上春樹の描いた問題とは別種であるように思われる。
(日本においては貧困化と選択肢の減少から、むしろ悩みや課題は先祖返りしているようにさえ思われる)

例えばちょっと前にノーベル文学賞を受賞した「カズオ・イシグロ」の方が、時代感覚としては新しい。
となると、村上春樹が「日本人枠」としてノーベル賞を取るというのはいよいよ可能性が低いんじゃないのかなあと思ったりはした。

極めつけはコロナ禍と、ウクライナへのロシア侵攻に代表される世界情勢のアンチ・グローバル化と情勢の不安定化である。村上春樹の文学世界が舞台とする、終わりなき日常の中で宙ぶらりんになった都市生活者、というような世界ではない。世界にストーリーが無くなったから、個々人がそれぞれのストーリーを見出し、生きる。

世界そのものが不穏に(しかしその反面ドラマティックに)変化してしまった。
そうなってくると、世界そのものに大きな物語が生まれ、個々人はその枠の中の相剋で足掻く時代である。

村上春樹の作品のもつ問題意識は、どうしても色あせてしまう。
つまり村上春樹は「時代遅れ」になってしまったのではないか。
その意味で、ノーベル賞は遠ざかったんじゃないかなあと思う。

ただ、賞って、一周遅れだったりする。
から、だからこそ受賞しちゃう、なんてことが今後あるのかもしれない。知らんけど。