2020年のノーベル医学賞は、C型肝炎に関連した3人に贈られたらしい。
残念ながら、日本人は入っていなかった。
C型肝炎では研究面では日本もかなり健闘したとは思う。ウイルス発見なども、今回のノーベル賞受賞をもらったカナダのマイケル・ホートンと競り合ってた大学もあった。
ただ、20年を振り返ると、日本は、実臨床では、アメリカよりアクセスや制度の優位性で優っていたが、基礎研究にしても創薬にしても、大事なところはすべて取れなかった。
昔話をしよう
C型肝炎の治療の進歩は、医師としての個人史に結構重なる。
私は2000年に消化器・肝臓・感染症内科に入局した。
当時、肝臓の病気の花形は、B型肝炎とC型肝炎そしてそこから発生する肝硬変・肝癌。
肝臓内科は、国民病とも言われ大量に存在したB型肝炎とC型肝炎の患者さんの治療を担当していた。
2000年になって初めてラミブジン(ゼフィックス)というB型肝炎に直接効く薬剤*1が発売された。
それまでは、B型肝炎もC型肝炎も、ウイルスを撃退する薬はなかった。
ウイルスを攻撃する自分の防衛力=免疫力を強化する薬が治療の主体だった。
今は懐かしのインターフェロンである。
インターフェロンはしんどい薬だった
簡単にいうと、インフルエンザとかで悪寒・発熱しますよね。
あれは、自分の体の警報=サイトカインで外敵に対抗するモードになっているのである。
インターフェロンはその状態に導く薬だ。自然の免疫力をあげ、ウイルスを排除する。
理屈は簡単だがこれって「がんばれがんばれ、とにかくがんばれ」って言っているようなもんで、体の中ではある種の根性論なのである。
このインターフェロンを週3回もしくは週5回注射をし*2それを、半年とか、一年とか続けたりする。
一年間インフルエンザにかかったような状態を繰り返す。
どんなにしんどいことか。
注射を打つたびに40度の熱が出て食欲も減る。毛も抜ける副作用もあった。男性も女性も。
白血球減少や貧血を起こしたり、間質性肺炎などの重篤な合併症もあった。脳出血とかで死ぬ人もわずかながらいた。
うつ病にもしばしばなり、自殺企図だってしばしば起こった。
大変な薬だった。
しかしそれが唯一の治療だったのだ。
僕が学生だった20世紀には、B型肝炎やC型肝炎で30代・40代の若さで肝硬変・肝がんになり、幼い子供を残して死んでしまう人もいた*3。
B型肝炎・C型肝炎はまあまあ悲惨な病気で、悲劇もたくさんあったのである。
どんなに副作用が強くても、そして初期のインターフェロンは効果も低く副作用も強かったが、一縷の望みをつなぐべく、意識の高いC型肝炎の患者さんは東大とか虎ノ門とか地域の大学病院に通い、この高価でつらい治療を受けたのである。
そうでない人たちも、次善の治療として、せめて肝臓が悪くなるのを遅らせるかも…ということで「強力ネオミノファーゲン」なる薬を週3回とか、5回とか、近所の開業医で打っていた。
これも、効果は高くはないが、何もしないよりはましだ。
何しろ他に治療法はないし、死んでしまうのである。
みんな医院に通って注射を受けていた。
患者さんの静脈は頻繁に注射するので、硬化して注射が難しかった。
大学病院で研修医の僕たちは、朝の注射当番などで回る時に難儀したのを覚えている。
(もっと難儀したのは患者さんなのだが)。
それが20世紀の治療だったのだ。
治療薬の進歩
B型肝炎は、2000年ラミブジン、そしてアデホビル、そしてエンテカビル(バラクルード)が2006年に発売され、耐性ウイルスの問題もある程度片がついた。結果、飲み薬を欠かさず飲んでいるだけで、昔は40歳で死ぬ人がちょいちょいいた病気が、肝癌さえなければほぼ死なない病気になった。
C型肝炎はそれよりも少し時間がかかった。
2015年までは治療の主軸は先ほどのインターフェロン。
しかし新しいウイルス薬が次々と発売され、ウイルスの消失率は当初の5%とか10%とかしかなかったのが、70%以上にまで上がった。
しかし2015年から、ついにインターフェロン抜きの、飲み薬のウイルス薬だけで、C型肝炎は体内から除去できるようになった。
副作用は多少はあったけれども、インターフェロンとは比較にならない軽さだ。
2020年現在、肝臓が肝硬変だろうが、腎臓が悪かろうが、2-3ヶ月の内服薬で、ほぼ100%簡単に治ってしまうようになった。
* * *
僕は2002年から2007年くらいまで肝臓の教室で大学院生だった。
僕はB型肝炎の研究とかしていたのだが、C型肝炎の研究はなかなか難しそうだった。
そもそもC型肝炎ウイルスはRNAウイルスで、安定しない。保存も複製も難しい。
C型肝炎は、肝臓の中に一旦入ったら、宿主の免疫力を欺くため、排除されにくい厄介な性質を持っているくせに、一旦細胞の外に出たウイルスは大変壊れやすく、長期生存ができない。
内弁慶なウイルスだ。
だからこそウイルスの発見が1989年と遅れたわけだし、針刺し事故などでの感染力も弱いのだ。
おまけに、マウスでは培養できないので、HCVウイルスを実験用に入手するのは、患者さんの血清を利用するか*4、ウイルスを感染させたチンパンジーのを利用するしかない。*5
チンパンジーはネズミとかに比べると大変すぎる。すぐはそだてらないし、高い。
レプリコン
僕が大学院のころちょうど話題になっていたのが「レプリコン」だった。
ウイルスの遺伝子構造に似せたプラスミド構造を細胞の中に持つ細胞システムで、これを培養していると、HCVのウイルスみたいな遺伝子をどんどん複製させることができるらしい…なんだかよくわからんが、すげえ!
擬似生命というのはまだ作れないけど、擬似ウイルスのようなもので、これによりHCVの薬剤感受性などを簡単に評価できるようになり、創薬が飛躍的に進んだらしい。
私はレプリコンは触っていなかったが、難しそうで、B型肝炎の研究でよかった…と思ったものだった。
地域の肝臓内科学の終焉
C型肝炎の治療薬はここ数年は飛躍的に進む一方、地方の病院での臨床研究がほとんど意味をなさないものになっていった。
何しろ、新しい薬が市販される。数十例使用して、その成果を学会で報告するころには、さらに新しい薬が発売され、その薬はいまや誰も使わない。
学会でも人気を博するのは、虎ノ門とか武蔵野赤十字とか、治験段階で多くの症例を経験している大きな病院に限られる。
みんなが欲しい情報は、今まだ出てなくて今度でる薬の情報なのだから。
そんな状態が数年続くと、誰だって自院の治療成績をまとめるモチベーションをなくす。
それ以前に、薬の飲み忘れを除けば、ほぼ100%成功する治療になってしまったのだ。これではもう学問を行う余地はない。
現在。高額な薬ではあるが*6、副作用の少ない内服薬でC型肝炎は完全に治るようになった。これは本当にすごいことで、21世紀の医学の勝利と言えるだろう。
しかしそれゆえに未治療のC型肝炎患者の転帰や発癌などの自然史のデータは、全く無用のものと化してしまった。
20年間、私も消化器肝臓内科に所属し、肝臓内科としてウイルス肝炎を治療した経験は、もはや無駄だ。
電気自動車が普及すると、ガソリンエンジンの整備士が職を失うのと同じだ。
昔泣き泣きインターフェロンを続け、やり遂げた患者さんとは手に手を取り合って喜んだものだが、治って当たり前の疾患になった現在、そういうカタルシスは、もうない。
間違いなくこれはいいことで、医学の進歩なのだ。
だけど、自分の医師人生と歩んだウイルス肝炎に関するドタバタは二度とないんだと思うと、やはり一抹の寂しさはある。
ノーベル賞は、C型肝炎研究の墓標のようなものだと思う。
もうC型肝炎は過去の病気となったのだなあ、と僕は2020年、しみじみしたのだった。