お祓いに行った。
理由は、簡単だ。この前の日記で書いたことだが、自転車に乗っていて軽自動車とぶつかって肋骨を6本だか7本だか折って、入院した。去年の12月に転んで鎖骨を折ったことと加えると、一年に二回の怪我だ。
おまけに僕が入院して四、五日しか経たない頃、まだ僕はHCU(集中治療室みたいなところだ)に居る間に、私の嫁の車が、車上荒らしにあったのである。サイドウィンドウを割られ、助手席の鍵を開けられて、カーナビを抜かれた*1。
偶然というには、ちょっと悪いことが重なりすぎているように思う。
保育園のママ友や、私の同僚など、会う人が皆「そりゃ一回お祓いに行ったほうがいいよ」というので、退院した週の土曜日、毎年初詣でお世話になっている神社へ、お祓いというか、家内安全の祈願というか、とにかく早々に行くことにした。
ここまではそれほど珍しい話ではないと思う。
ただ、私個人の精神のありようとして、お祓いに行く、というのは、相当特異な事ではあった。
やれやれ、この僕がお祓いに行くとは!
今回ご祈願したもらったのは、昔から家族でお世話になっている神社である。
両親は僕が4歳か5歳の頃に、今住んでいる地方にやって来た。それ以来お参りする神社は変えていないから、もう30年近くの付き合いということになる。
小学生の時、僕は運動はからっきしできないが、勉強はものすごく出来る、という子供であった*2。経済的にも恵まれていたし、家庭も、とりあえず外から見る分には大きな問題がないようにみえた。
そのような子供にありがちなことであるが、人生というものがひどく困難なものであるとも考えなかったし(その当時は日本全体もバブル前夜という状態であったし、楽観的な風潮が横溢していたように思う)、能力があり、努力を怠らなかったら、世の中は僕に微笑んでくれるものだ、と漠然と考えていた。
簡単に言えば、恵まれていたのだ。僕は。
あの頃(小学生ですよ!)、僕の好きな言葉は「人生は愚者にとっては悲劇であるが、賢者にとっては喜劇である」であった。
世界は僕にとっては朝の光のような前向きなもので、人生というものはコントロールできるものである、と考えていた。
その頃の僕は、賢いことが最も価値があると考えていた。
自分は進歩的な知識人の一端に加わっているものと思いこみ、宗教というものは頑迷固陋な迷信に過ぎないと、馬鹿にしていた。人生というものが能動的なものである以上、他人に行動を仮託するなど、愚行の極みではないか、と。占いも、しかり。
そのような考えを実践するかのように、確か僕は小学生の後半から、初詣の時に「おみくじ」を引くのをやめた。
うちの両親はそれほど信心深いわけではないが、三が日の間には家族で初詣に行き、破魔矢を買い(家はなぜか破魔矢だった。一度だけ熊手を買ったことがあるが、翌年からはやはり破魔矢に戻った)、初穂料を払ってご祈願をしてもらい、子供たちはおみくじを引いて、帰りに縁日で焼き芋を買って帰る、という定番のコースであった。そのようなルーチンの中で、おみくじは子供にとってちょっとした楽しみである。
しかし僕の姉妹がおみくじに一喜一憂するのを尻目に、ある時から「僕は、もういい」と言って、おみくじをひかないことにしたのだ。それが科学的態度であると信じて。あの頃の僕は自分の中の論理的整合性が大事だったのだ。
小才子。
今の僕があの頃の僕を評するなら、こう言わざるを得ないだろう。
それから僕は、もう少し大人になり、大学生になった。
そこそこいい進学校に進み、現役で医学部に通ったりもしたが、進学校で自分より遙かに頭のいい学友に会い、人生というものはそんなに自分の思っていた風にはいかなさそうだぞ、ということは薄々と感ずいていた。
まあそうは言っても、大きな蹉跌というものはまだない。
大学生になって恋愛をした。(ちなみに中学高校の間は男子校だった)。
こんなこと、改めて書くことでもないのだが、女の子とうまくやっていくというのは、勉強で頑張る、というのとは全く違う。二十歳前の男女なんて、お互いがブラックボックスもいいところだ。お互いのことを理解したり、些細なことで喧嘩をしたり、ただ、人間関係を続けるだけでひどく苦労をした。
今まで書いてきたように苦労知らずで、特に人に気を遣わずにやってこれた人間にとっては、特にそうだったのだろうと思う。
しかしながら、その頃の僕は、『女性のの態度や心理がわからないのは、僕が女性というものをよく理解していないからだ。よく観察し、相手のニーズをわかった上で、僕が間違った態度を取らなければ、うまくいくのだ』と考えた。要するに、難しい新しいゲームに参入したのだから、未熟なのは当たり前だと考えたわけだ。あくまで、高度なブラックスボックスを解読する、という基本的な態度は変わらない。女性というものは感情で動く生き物であり、その複雑怪奇なブラックスボックスを解読する自分は、冷静で理知的な存在なんだと考えていたから。
しかしそうではない。
僕こそ、感情や性欲やプライドの虜であり、冷静で理知的などというのはまったく間違った事故認識に過ぎないことを、幾つかの恋愛を経て、ようやく気がついた。そして、僕が相手のブラックボックスを理解しようとしているのと同じく、自分自身も相手からみたらブラックボックスであるということも。
そして、相手のことが判らないどころか、自分自身のことさえもろくにわかっちゃいない、ということも。
恋愛というのは、思い通りにいかない。
自分の感情だってわからないし、相手のことはもっとわからない。不確定な変数が倍になると、もう有効な予測モデルは成立しない。
その頃、疑問に思ったことがあった、女の子はなぜあんなに恋愛占いみたいなものに興味を示すのだろう?
冷静に考えると、あれほど不合理なものはないとは思う。
しかし、ある時からこう思うようになった。結局頭で考えたって、正解などいつまでたってもでやしない。それなら、占いでもなんでもいいから、行動の根拠になるものを定めて、行動すればいい。
ちょっとくらい外れていたって構わない。行動することが大事なのだろうと。
結局のところ、世の中というものは、自分頭の中で完結している世界ほどはスッキリいかない。
そこには無数の変数があり、一人の人間が考えてたどり着く結論を裏切るようなことがいつだって起こるのだということを、僕は恋愛を通じて学んだ。
逆に言うと、そこまで、人生は不如意なものだということを感じずに生きてこられたわけで、われながら恵まれた前半生を送ったものだと思う。
今、僕は神主さんの出すジャラジャラした祈祷用の錫の前に頭を投げ出して思う。
世の中は思う通りにはいかないものだ。恋愛などを凌駕したレベルで。
子供の頃は、能力と努力が伴えば世の中は渡っていける、と考えていた。
もちろん、そういう努力は必要だ。
(今回に関していうと、自転車を乗るのをやめる。それによって、怪我をしたりするリスクはずいぶんと減らせるはと思う。勿論ゼロにはならないと思うけどが)。
しかし、そういう個人の努力を超えたところに、運不運というのは厳然と存在する。
医者になってから、そういう事例は、いやになるほど見てきた。病気になる、ならないには、背景というリスク因子とかなんとか、理知的な部分は沢山あるけれど、なぜこの人が、この瞬間に、例えば癌になるのかなんて、理由なんかないのだ。
自分一人で頭で考えてコントロールできることなどたかが知れている。
人生も折り返しを過ぎた。僕が死んでも、世界は消えずに、動き続ける。
それならば、世界に敬意を払うべきだろう。
お参りをして、お金を包んで祈願することが、世界に対して敬意を払うことかどうかはわからない。
ただ、これは自分のやり方ではない。
だからこそ、そういう手段は押さえておこうと思う。
自分の外のものに敬意を払う。
これが20年以上経って、僕が得た結論なんだろう。