どうも、半熟です。
4月から肩書だけは微妙に出世しましたが、いろいろ諸手続きが必要なので市役所に印鑑登録に行ったんです。そしたら15年前くらいに別の印鑑登録してて、これいつ使ったやつだったっけ?とキツネにつままれた気分で廃印、そして改印してきました。
だいたいあたしはこういう実際的なことが苦手なんですよね。他人任せにしがちなのが悪癖です。ここ最近は、一応最低限の線は自分でなんとかするようにしてます。*1
ま、なんか由緒正しいところ*2で印鑑を作ってるんですが、間にあわなかったんですよね。…この印鑑も暫定的なものなんですわ。
病院建て替えの話の続きです。
そもそも、建て替えて病院事業を承継する、という話には、当然今後の事業計画がついてまわるわけ。
建物よりもまず「何をすべきか」を論じないといけない。
新しい病院を建てて、次世代も医療を続けるならね。
君は何がしたいの?
……僕は何がしたいんだろう??
父が創業した病院は、非常に専門に特化した医療体制でした。「あの病気だったらあそこの病院にいっとけば間違いない」というのが強みだったんです。ただ、それは逆に「俺はあの病気じゃないからあの病院は関係ない」ということでもあるわけです。
特定の分野に強いことは、もちろん強みではありますが、今後の命運を特定の分野に依存することは大変なリスクでもあります。
これが職員10人くらいの個人開業ならいいんですが、社会的な要請に従い、拡大した結果、今ではそこそこの規模の企業体になっている。個人の一存で閉院するわけにはいかんのです。
創業者の父とは私は少し別の道を歩んでいるわけですが、私が今やっている内科(肝臓内科)という領域は、基幹病院での業務こそ向いているものの、中小病院に向いていない。また、そもそも肝臓内科という領域が今後20年の大計とはしにくい。B型肝炎もC型肝炎も治療法が発達して「治る病気」になりましたし、新規患者が増えるわけでもない先細りの分野だと思います。
だから、「自分の得意分野は成長分野です。これをマーケットに乗せたら間違いないですよ!」とは言えないわけです。
私は今、一般内科という名の生活習慣病の管理や老年内科の領域に近いようなことをやっています。老年内科にしろ、内科の全分野というのは深くやれば深みがあり、面白いんですけれども、「これが本当に自分がやりたくて選んだスペシャリティーである」という風には言えない。
実に受動的な仕事の仕方だよなあ、と思うときもあります*3
ただ、医療っつーのは、本質的に受動的なものではないかと、実は昔から思っていました。
よく「ゴッドハンド」とかいうスーパーなドクターがドキュメントでテレビ出てたりするじゃないですか。
でも、患者さんがいて、病気があって、医者がいる。その中で、誰が主役かっつーたら、僕は患者さんが主役だと思うんですよね。でもスーパードクターの場合、なにしろスーパーなもんだから、患者さんは頭を垂れ、列をなしてその先生の診療を切望するわけで、まあスーパーだから、その先生が主役となって素晴らしい治療をする。もちろん素晴らしい治療は素晴らしいんで、それはいいんだけど、その診療関係って、本当にあるべき姿なんだろうか、と思う。
病気っつーのは火事みたいなもんなんで、医者は消防士みたいなもんです。あくまで、火事があって、それを消すのが仕事です。
つまりは、先手をとるべき仕事じゃないということ。後の先、というか、いかにおかれた状況の中でふわりと適応するのか、というものが優れた医療のエッセンスには含まれるのではないかと思う。その意味でいうと、治療にはある種のアノニマス・デザインが求められると僕は思う。*4。
そういうことを考えると、一般内科というのは、それほど悪くはない選択なんです。専門科とのコラボレーションは必要ですが、一般内科としてのレベルを上げると、意外に使えるカードは多いような気がします。
一例を挙げますと、私は長らく基幹病院で肝不全の治療も沢山しているのですが、たとえば他疾患でOpをしたあと、リハビリなど回復期になった時に、肝不全や腎不全のシビアなものがあると、回復期リハ格の病院は、しり込みをするんですよね。そういう患者さんを事もなげに連携で引き取ると、こっちが思っている以上にありがたいようです。
とりえが、ないようで、ある。
いずれにしろ、今後15年で、おそらく地域の医療機関は半分になります。多分。
その時に生き残ることができるのか。
条件はいろいろあると思いますが、その一つには存否を問われる際に、多くの人に「この病院なくなったら困るなあ」と思われる病院であること、だと思います。
特定の疾患に対する強みを担保しつつ、地域包括ケア病床としての普遍性を付与し、地域の方々のマジョリティを顧客とする。これが次の戦略の要諦ではないか、と考えています。
まあ、書けば当たり前の話なんですけれどもね。国の方向性に完全に追従しているしね。
なので、今は自分の「やりたい仕事」というのを、「何科」というレベルでは考えてはおりません。ニーズのある医療を、満足のゆくクォリティで提供する、というのが、僕のやりたいことです。
だから、新病院設計は、現在の延長線上で考えました。
僻地ではありませんから、最先端の医療機器は基幹病院にちゃんとあります。それを上回る重厚な設備を身にまとっても、採算がとれる保証もない。活かすべきは、人。ソフトパワーを如何に活用するか、ということです。
必然的に、これはプライマリ・ケア的な発想です。
だから当然プライマリケア連合学会には参加しましたが、総合診療専門医をとるのは今からセルフメイドではなかなか難しいことだなあ、と思っています。
成り行きと、枝道の多い人生で、どうもキャリアパスを定めるにおいておっちょこちょいだなあ、というのが僕の反省点です。
まあ、これも考え様で、どっちにしろ自分ひとりでは事業が完結しない規模なんですから、自分にないものを持っている人とうまく協力していくことが、自分にとって必須である、ということです。
ビタミンCの産生が失われても、霊長類が進化を続けられたように、自分に欠落したものがあっても、(もちろんうまくやる必要はありますが)補完することはできるはずです。
*1:それまでは、ルーズでね。主たる給与が入ってくる通帳を完全に他の人の手元においていて数年来見たことがなかった、とか、そういうのでした。ははは。悪意ある第三者というものを最低限想定するように、最近はしてます。
*2:両親が開業の時に印鑑を作ってもらったところ
*3:でもね、実は肝臓内科も成り行きっちゃあ成り行きだったんだよね。
*4:もちろんこれは質が保証される限りにおいて、という条件があり、それが難しいからこそ患者さんは名の通ったところに行きたがる。そして、あまりに抵抗なくスムースすぎる診療は感動を呼ばないことも事実です。それなりの評判を得るためには、ファミレスでわざわざ客前でステーキのソースをかけてジュワーといわす的な演出が必要なんじゃないかと思うときもあります