半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

インフル狂想曲 その2

前回のエントリーでは、インフルエンザのこと、といってもゾフルーザについて書きました。
hanjukudoctor.hatenablog.com

結局ゾフルーザは僕まだ使ってません。患者さんに「あの新しい薬ないの?」とはいわれましたけど、
「あー、あの新薬、テレビではいいことばっかり言うてますけど、あんまりよくないって話ですよー」と言えば、
そうなん?とそれ以上はゴリ押しでねだる人はいなかった。
そんなこんなしているうちに耐性化のニュースとか出たので、今年はこのまま使わないような気がする。

* * *
基本的には感染症専門医には従う、素直で可愛らしさをウリにしている私ですが、
それにしても、感染症専門医の最右翼は「市中の患者に抗インフルエンザ薬なんて無用!家で寝ていたらええんや!」という意見。
さすがにこれは与することはできない。
市中の弱小内科医なんて、客商売なので、基本的にはクライアントの要望にこたえないと商売あがったりです。

もちろん、不適切な患者のニーズ、例えば、風邪に抗生剤とか、治る注射してくれとかそういう譲れない一線はありますよ。
でも、抗インフルエンザ薬を出す、インフルエンザキットを使う、は、
まあそりゃ若年の方の場合はおとなしく家で寝てりゃ治る…と思いますけど、
治療そのものが不適切、とまでは思えないですね。

感染症専門医の多くは基幹病院の中にいらっしゃる。
そりゃ確かに感染症専門医は、生きるか死ぬかの人相手にしてますから、そういう人からみれば、外来のインフルなんて「死ななきゃOKでしょ」という感覚でもおかしくないのかもしれないけどさ。
でも、不適切な情報に踊らされる患者の大群に対峙するわけじゃない。
キレイな戦略は「薬よこせ」と殺気だった患者を前にしてまで、初志貫徹できるのか。


この辺は、大日本帝国陸軍の参謀と兵士の関係にも似ているものがある。
その点では開業医には感染症専門医に対するルサンチマンも幾分かあると思います。
かといって、開業医がゾフルーザを出しまくっているという現状も、やっぱどうかなあと思う。

落し所はないもんか、といつも思っています。

Spreader

今は流行期。
症状通りにキットで陽性、だといいが、キット陰性だと、偽陰性とみなして陽性とするか、陰性とするか、迷う、なんてのもよくある話。
ただ、その逆で、臨床的にインフルエンザを強くは疑わない(熱が高くない、感冒症状もそこまで強くない)人にも、インフルキットを使って、キット陽性なんて事例、時々お目にかかる。
まあこれって、臨床診断をおろそかにしているから、こんなブサイクなことになるんじゃ、みたいな話なんだが、
これ、昔はそのままスルーされていた不顕性感染が、たまたまひっかかった、というとなんだと思う。

こういう人って、元気でうろつきまわるから感染の密かな原因である可能性もあると思う*1
不顕性感染って、どれだけいるんでしょうね?
インフルのワクチンうっていて、抗体が十分にある無症状の僕らも、調べてインフルキット陽性だったらどうしよう、とか不安になってしまう。
ただ、街場の臨床家としてはこういう人、
・抗インフルエンザ薬を出すべきかどうか?
・いつまでSpreaderとしての感染能を持ちうるのか?通学・勤務禁止ってどこまですべきなのか?
というので、考え込んでしまう。

臨床的には抗インフルエンザ薬は有熱期間を短縮する、というエンドポイントしかない。
だからそもそも有熱期間がない方は、薬剤を処方する意義はない、と考えていいんちゃうんかな、と思う。
でも、作用機序から考えると、病原体を抑え、その結果感染を早期に終息させるわけだから、こういう人に抗インフルエンザ薬を使うのは、この人の転帰には関係ないものの、集団での感染流行に対して多少は抑制的には働くはずだ。
まあインフルエンザAの流行期に限っていえば「なしのつぶて」だろうなと思う。
コストパフォーマンスが悪すぎるから、まあ出しませんでしたけど。
SporadicなインフルBの場合は、Spreaderは治療したほうがいいのかもしれないな…とか考えたりします。
データないですけどね。

予防投与:

介護施設医療機関の管理者としては、昨今インフルエンザが施設内・院内流行すればその責任を厳しく問われる風潮になっている。記者会見とかしばしばあるじゃないですか。
なので、例えば同室の患者さん(もしくは利用者さん)にインフルエンザがでたりした場合は、抗インフルエンザ薬を予防投与で処方する、ということをやっている。この際に、担当していた職員もインフルエンザ患者に接触しているために、これも予防投与を行っているが、厳密にいうと、予防投与の対象ではない。

インフルエンザ予防投与の対象者は

  1. 高齢者(65歳以上)
  2. 慢性呼吸器疾患/心疾患患者
  3. 代謝性疾患
  4. 腎機能障害者

となっており、健常な一般職員に対して予防投与を行う事は厳密にいうと要件を満たさない。
だが、もしそういった予防措置をせず、結果院内でインフルエンザがどんどん広がる、という事態は、なんとしても防いでおきたい。

ということで、インフルエンザが出た場合に、職員には予防投与をしている。
もちろん病院もちです。
あ、もちろん職員も極力ワクチンは打っていますよ。
その上で、の話です。
これも、厳密にいうと正しいとは言えないので、モヤモヤしています。

もいっちょゾフルーザの話

ゾフルーザあきまへんで、という話を前回書いたのだが、少し考え直して、単独使用だからいかんのではないかと思いました。
変異(耐性)の起きやすい薬剤を使う際には、

  • 全体の耐性化を防ぐために、限られた局面にしか使わない(ファーストチョイスにしない)
  • 多剤同時使用にする

という戦略があります。これに従えば、ファーストチョイスにせず、使うときは既存のノイラミニダーゼ阻害薬とゾフルーザを併用すれば、
ウイルスが急速に消失し、耐性化ウイルスが他所に伝播しにくいのではないか?

極端な話、10割負担で10万円とかの値段にして、どうしても体弱い方とか(これは保険OKにして)、忙しいエグゼクティブ限定の薬(これは自費)にしたらどうだろう。処方の数自体が減れば、全世界的に流行するインフルエンザの中でのシェアが減り、耐性化圧力が限定的なものになるので、耐性株の検出は結果的に遅らせられるかもしれない。
今みたいに、ファーストチョイスで使う、というのは、薬を大事にしない愚策のような気がする。

ただ、まあ、そういう「不平等」さって、多分世の中に受容されにくい。無理でしょうね、そんな事。
ちなみに、僕は家で寝ている方を選びます。

それにしてもタミフルって使われて20年くらい経つのに、耐性獲得、意外なほど少ないんじゃないかと思う。
日本が8割くらいタミフル使っている、という話だけど、その他の国も本気で使いだしたら多分耐性化はもっと早まっただろうし。
結局世界の中での日本の人口比率って、大したことないってことなのかな。

*1:ある研究では、症状の強さとウイルスの濃度が比例するという報告もあるから、そこまでは感染力は強くないのかもしれないけど

インフル狂想曲

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インフルエンザ、流行っていますね……

 私年末に医師会の夜間診療所の当番をやったんですけど、有熱患者のうち半分がインフルエンザキットが陽性となっていました*1
 患者さんの数自体はそれほど多くはなかったんですが*2、年末年始の民族大移動で、こりゃあ流行るだろうな……と危惧していました。
 案の定、年明けからここ1、2週は地域でも来る発熱、来る発熱、インフル。外来大混雑。
 まあ、個人的にはノロウイルスの方が苦手なので、インフルならよしとしましょう。
 別に「病院来なかったらいいんじゃね?」とかそういう野暮なことはいわん。

* * *

 ところで、今年は新薬「ゾフルーザ」がメディアを賑わせていました。
 一回投与で治りが早い、というのが謳い文句ではあります。
 ただ、専門家と一般*3の間には、この薬については大きな温度差がありました。アミノ酸変異が高率に起こる(すなわち耐性化ですね)ため、感染症専門医は導入に懐疑的で、感染症学会・小児科学会はガイドライン上推奨はしないという流れで、シーズンを迎えたわけです。また亀田総合病院という「りっぱな」病院も、ゾフルーザ導入しないと表明されていました。

 当院では、そういう事例を受けて、ゾフルーザを導入するつもりではありませんでした。
 だが、誰かが電子カルテにマスタ登録したために、いつのまにか出せるようになっていました*4
ちっ。

* * *

 大学院のときB型肝炎ウイルスのゲノム研究をしていた関係で、従来の抗インフルエンザ(ノイラミニダーゼ阻害薬)とゾフルーザの作用機序の違いくらいは説明できます。

 簡単にいうと、ウイルスっつーのは猛烈に増殖を繰り返すことで生存できるわけなんですけれども、遺伝情報(インフルエンザでいえばRNA)の複製にはポリメラーゼというウイルスの蛋白が関与してます。ゾフルーザはポリメラーゼ阻害薬の一つで、ウイルス遺伝子の増殖を止める。
 ウイルスの増殖サイクルに直接作用するので、確かに効きも早いといわれると納得。

 これだけ聞くと、いいことずくめやん?とも思えます。
 が、問題やっぱあると思うわ。

 感染症専門家が新薬に慎重なのは、これはお家芸みたいなものではあるんですが、過去さまざまな抗生剤新薬の濫用で痛い目にあってきているという経験もある。何も考えていない一般開業医が、どんどん外来できっつい抗生剤使っちゃう、みたいなことは、過去の歴史でもあったし。
 その意味でも、濫用にブレーキをかけるのもわかる。
 でも、作用機序的に、この薬やばいんちゃうかなーと、この僕ですら感じます。

でも、感染症・ウイルス学のスペシャリストではないので、そこんところは割引いて読んでくださいね。

* * *

ポリメラーゼっていうのは、ウイルスにとっては死命を決する、めっちゃ大事なタンパクなわけです。
それを阻害する薬は、確かに効くでしょう。
ですが、ウイルスも必死で抵抗します。
そんなん。
ほら、僕らも、頭叩かれるくらいやったらまあいいですけど、キンタマつぶしに来られたら必死に反撃しますやんか。
ウイルスは数で勝負。とにかく膨大な個数がある。そしてRNAウイルスですから、変異の頻度もすごい。
その掛け算で、どうやっても生き残るやつ=耐性ウイルスがでてくる。

B型肝炎ウイルスの薬も同じようなポリメラーゼ阻害作用なんですが、一番最初に出たラミブジンという薬は耐性が起こりやすく、その後治療に難渋しました。
それでもB型肝炎ウイルスは、血液を通してしか感染しませんから、耐性ウイルスで困っても、その耐性ウイルスが、他の患者さんには原則感染しません*5
ウイルスはその患者さんの体から、出てゆくことはなかなかできない。
その患者さんが亡くなれば、耐性ウイルスは地域に広がることは、ないわけです。
そこでリセットされちゃう。

でもインフルエンザは飛沫感染で、めっちゃ他の人にうつります。
要するに耐性ウイルスは、その個体からよそに逃げることができる。
それなら、さらなる耐性化の連鎖が起こりやすい。
だから、耐性化の獲得は、ずっと早いんじゃないかと思います。

もちろん、必須の蛋白が変異してしまった株は、増殖力が弱く、野生株を制圧する感染力にはならないのかもしれない。
でも、変異のさらに変異、みたいなのが起こって、増殖力はもとのままで薬が効かないものが出たら、アウト。
もしかして、従来のウイルスよりも厄介な能力を有するやつなんかでてきたら、もっとアウト。

* * *

インフルエンザって、確かに風邪としては重い症状だし、高齢者だと死ぬ方もいます。
でも、現行の治療体制で、別に困っていない。
死ぬ人がいるので、確かに困るんですけど、ゾフルーザによって、高齢者の死亡が抑えられるか、というとそういうわけでもない。
多分インフルを薬剤で抑えても、普通の風邪でも亡くなります。弱い高齢者の方は。
これくらいは、社会が許容しなければいけない犠牲だと思ってます。

でも、ゾフルーザで、ひょっとしたら、なんかようわからんパンドラの箱をあけてしまいはしないか…*6
という危惧はある。
これは別のウイルス変異ではありますが、新型インフルエンザ、鳥インフルエンザなど、ウイルスの変異でえらいことになる可能性は今後もある。
ゾフルーザは、ウイルスに修正圧力をかける。
ひょっとしたら、そういう変な変異を招く可能性は……
とか考えちゃいます。

* * *

皮肉なことに、そういう意味では、ゾフルーザ、出すなら今のうちなのかもしれません。
今年のウイルスには効くわ。
でも、その診療行動が、来年以降の耐性ウイルス化に、ひょっとしたら手を貸すのかもしれない。

*1:当然全部Aです

*2:多かったらマジ死ぬ。夜間診療。

*3:一般というのは、非医療関係者、というのと、非感染症専門医、両方です。

*4:院内採用については、院内の薬事委員会を通すことが必要なんですけど、院外処方については、マスタ登録するだけなので、比較的簡単に登録をすることができるシステム運用なんです。これは、外来でよその処方を出すときに、いちいち薬事委員会を通していたら仕事にならんという事情があったため。

*5:もちろん、B型肝炎の感染様式に従い、耐性ウイルスを持っている人が性交渉で他の人にB型肝炎をうつしてしまう、ということはありえます。その場合初手から薬が効かないのでかなり困った事態に陥ります。大学に居たときにみたことがありますね

*6:「耐性ウイルスが検出された」という報道もなされましたが、治験の段階で、耐性ウイルスが一時的に内服患者の鼻汁に出現するという報告は、当初からでていました。

夜間診療 2.0

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一応内科医のはしくれとして医療界に身をおいて20年目になります。

冬は一般内科医のハイシーズン。
普段の定期通院の患者さんに加え、風邪とか肺炎とか、血管イベントとかいろいろで、じわっと外来診療の数が増えます。
おまけに1〜3月は祭日も多から通常外来も飽和気味。
入院も増えているし、一日終わるとヘトヘトです。

中小病院は「かかりつけ医」として定期通院も診るし、緊急入院も診られる。ある意味経営的には最強ではあるがその分、忙しいときは忙しいですわな。
「かき入れ時」であるのは事実なので、がんばります。

* * *


内科救急、時間外診療を20年近くやっていますが*1、夜間休日・時間外診療って、理解よい患者さんばかりではなく(すごく婉曲な言い方をしました)不適切な患者のニーズ(風邪で、抗生剤をだしてくれとか、点滴を出してくれとか)とやりあう、なんてことはしょっちゅう。*2*3

最近は、厚生労働省が、風邪診療のガイドラインとか抗生剤の適正使用のキャンペーンをはってくれてるおかげで、風邪に対する抗生剤処方、対応しやすくなりました。患者からの求めも断りやすいし、濫用しがちの医師にも注意はしやすくはなりました*4

ただ、やっぱり救急外来・時間外診療は、不確実性が高い。
時間外受診は、どうしても、オーバートリートメントになりやすい。
抗生剤投与も「念の為入院」だって、ある種の過剰診療だったりする。
例えば高齢の方で上気道症状、採血して、CRP 3、WBC 9000(微妙!)痰がやや粘調……
60歳だったら多分抗生剤出さない。要介護4のCOPDの90歳だったら…出すかなあ。
では75歳の自立の方だったら?85歳だったら?
判断に迷う症例は、常にあります。

* * *

特に時間外・救急診療はそうですが、外来にやってきた患者さんはその後フォローできない、という前提条件で救急医療体制は構築されています。
一期一会。フォロー必要なケースは、つかまえておくしかない。
一般に、点滴など加療が必要な方は入院し(入院できなければ入院できるところに紹介する)。内服薬でなんとかなるような人は外来で診る。
それでなくても、不確実性ゆえに、一泊入院して様子をみる、なんてこともしばしばあります。
胸痛とか卒中などは、それぞれProtocolが確立されていますね。
それ以外にも悪性転帰を予測できない症候ってあります。
「当直ご法度集」とかそういう本は、事例から学べるTIPSです。
こうした本での教訓はやはり「安易に帰宅させる」への警告。いったん帰宅させて病状が悪化して……悪夢のような経過をたどる。
ただ、そういう事例はナラティブなレベルで注意喚起はされるが、定量的には評価されてはいない。

現行の体制では、できる医師は、安易に帰宅させず、最悪の事態を想定して診療を行う。
帰宅させるより入院させた方が安全。
その医療体制に、私も疑問を持ったことはありませんでした。そういうもんだと思ってたから。

電話再診を義務付けるようにしたらどうか?

ただ、ちょっと考えると、今は、ほとんどの患者さん、携帯電話もっていますよね。
もしフォローアップしようと思えば、フォローアップできるのですよ。
これを、もうちょっと診療行動に組み込めないもんでしょうか?*5

例えば、頭痛と吐き気がある。明確な髄膜炎とは言えないけど「髄膜炎も否定できない…」と迷うシチュエーションってありませんか?
どのように熟練しても、症状は段階的なものであり、閾値をギリギリ下まわる症例は、常に存在する。

そういう際どい症例、夜間に「念の為」髄液採取を行う?もしくは経過をみるため入院させる?
それもまあ一つの正解でしょう。
でも、例えば医療スタッフ、事務でもいいが、3時間毎に連絡を入れて症状の確認をする、なんて選択肢があるとすれば?
あらかじめ、内服薬(NSAIDs)を用いても、X時間たっても症状が改善しない、意識障害が生じる、など条件を設定しておき、その条件を満たせば、病院に来てもらうように、予め決めておく。
もしフォローアップのアルゴリズム化ができれば、ハイリスク症例はともかく、ミドルリスク症例については「手遅れ」を防げるのではないか。
それゆえに「オーバートリートメント」も減らせるんじゃないかと思います。

対象になりうるのは、腹痛、喘鳴、めまい、髄膜炎兆候、などですかね。
治療介入閾値の手前の症例は、帰宅経過観察で、必ず連絡をとることで帰宅経過観察の精度を上げられないだろうか。

今はテクノロジーでなんとかできる部分もあると思います。なんなら、体活動計やサチュレーションモニターを貸与し、遠隔でモニタリングしてもいい。

* * *

しかし今そういう診療を自院ではじめようとしても、難しい。
なぜならデータがないから。
何時間まで経過をみて、症状がどうなったら安心なのか、逆にただちに病院に受診すべき状態なのか、という定量データがない。
重症例は入院しているので今までの統計を外挿してもいい。しかし軽症例についてはデータがない。
有症状で外来受診される方を「外来で泳がせると」何時間でどれくらい変化するのか、どのような転帰をたどるのか?
このデータを蓄積させないと、外来モニターありの診療体制に移行できないと思っています。

もし全国的にこういう取り組みができれば、データが蓄積できれば、夜間救急外来での「見落とし」「見逃し」も、
不確実性から必然的に生じるオーバートリートメントもだいぶへらすことができるのではないか、とも思います。

今の医療体制は、ERにいて「医師」からみた視点で、診療がまとめられています。
そうではなくて、「患者」の視点で診療体制を構築するなら、こういうフォローアップ体制になるのではないのかな、と思います。

そういう体制をつくると、夜間診療はより安全なものになるし、医師が悪性転帰に責められることも減るのかなあと思う。
もっともそうなると、医師よりもナースプラクティショナーが夜間診療に出張ってくる時代になるかもしれませんが。

*1:私は、スーパーローテート直前の最後の世代でもあり、田舎に配属されたこともあり、3次救急の経験がないのです。

*2:医者になりたてのころは「すごい高血圧なので薬で下げてくれ」っていうの多かったですね。ちょうどアダラートカプセル舌下が非推奨になった頃です。今はだいぶ減りましたが、今でもたまにあります。

*3:普段医者行かない人が、救急外来受診して「なんやこれはどないなっとんじゃ」的なことをBlogとかで書いて、逆に総たたきされる、なんてのも時々みかけますね。

*4:患者さんには「僕ら怒られちゃうんで…厚生労働省にー」とかいいます。濫用する年配の先生には「病院としてこういう方針でいくことを目標設定していますんで…」と言いやすいですね。

*5:例えばアメリカのERでは、そういうことはできません。無保険者、低収入者の最後の砦であり、ER診療は一期一会に、どうしてもなる

医師のSNS投稿は許されるか?

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hanjukudoctor.hatenablog.com
にも書きましたが、twitterの「医クラ」に、足を踏み入れ、最近はいろいろ交流しています。
おもしろいね、SNS。あと、フォロワーの多い方々の発するつぶやきは、やっぱりおもしろい。

しかしTwitterで匿名であれ実名であれ、医療者の人が発言をしたりすると、それに対してとかく攻撃されるような場面をしばしば見かけます。
「医者なのにこんなこというなんて!」的なね。

* * *

個人的には「医クラ」の匿名アカウントは、医療従事者の現場のナマの声を聞けるので、とても貴重なものだとは思ってます。
でも、世間一般の人が医者の(もしくは看護師なり他のコメディカルの)「ホンネ」的なコメントについて、反応はさまざま。
どちらかというとネガティブな反応が多い。
なぜなんでしょうね。

ところで、「聖職者」ってなんなんでしょう?

* * *

市民社会(詳しくはググるなりしてWikipediaでも見てほしい)においては、身分や職業による差別・区別はない。
基本的に平等で自由な一個人として振る舞う。
もちろんそれぞれ言論の自由もある。

もちろん仕事に携わっている時には各々が自分の職業人格として振る舞う。
が、いざ仕事を終え、オフタイムでは、そういう職業人格を脱ぎ捨て、一消費者として、一家庭人として、一市民として、つまり自由な一個人として振る舞う。
これが市民社会、の基本原則のはずだ。
西ヨーロッパにて端を発した市民社会制度であるが、現代日本も同じような法体系で運用されている。

その意味からすれば、仕事を終えた医師が、仕事以外の場で何をしゃべろうが、別に問題はないはずだ。
あ、もちろん特定の個人情報につながるような話は、守秘義務の関係で話してはいけない。
でも、それはそれとして、言論の自由市民社会の市民として、あるはず。

* * *

しかし古来から「聖職者」といわれている職種、医者・宗教者(坊主・牧師)、教師については、純然たる「市民社会」の市民としての行動以上に振る舞うことを期待されている。すくなくとも今まではそう振る舞うのが当然とされていた。

これらの職業では、オンオフの切り替えを原則許されていない。
だからこその「聖職者」なのだ。
そもそもオフタイムというものが存在しない。
医師は身命を医療に捧げることが暗に求められている。

例えば「医師の応召義務」が、日本にはある。
法律なのか倫理規定なのか、よくわからないのだが、これこそが「前近代」的な職業倫理で、
本来近代法体系は市民社会制度という欧米の暗黙の常識に立脚しているはずだ。
だが、あの日本の応召義務の条文はその暗黙の前提をぶっとばしていると僕は思う*1

* * *

本来の市民社会においては、業務を終えた医師がオフタイムに何をしようが、何をしようが、自由であるはずだ。

ところが、前近代的な倫理観では、そもそも医師にはオフタイムが存在しない*2
医者はオフのときも医者であり、職業の衣を脱いではいけないというわけだ。

そういう考え方からすると、Twitterで、「おっぱい」とか呟く医師は、医者にあるまじき言動でけしからん、ということになるだろう。

* * *

これからはどうなるだろう。
SNSでの言論というのは、そういう因習的な価値観に対して、すこしずつ変化してゆく兆しのようなものではないか、とも僕は思っている。
ただし守秘義務的なルール作りは、もうちょっと積極的に考えてもいいのかもしれない。
ツイッター医学界の指導医・専門医の先生方におかれましては、そういったルール作りを検討いただけると幸いである。

* * *

「医師の働き方改革」も、医者も市民社会の一員としてきちんとオンオフをできるための試みであるように思う。
そこは当然、応召義務についても併せて見直さないといけない。
要するに、働き方改革は、そもそも医師の「聖職性」そのものに対する見直しである。
ここをきちんと考ておかないと、論理的整合性を欠く。
制度の残業時間とか、そういう平仄をあわせることではなく、この背後(せぃご)にあるパラダイムチェンジについて議論ができればいいと思う。

* * *

僕は、個人的には医師の聖職性なんかどうでもいいと思っているから、この改革で、医師の特殊性が少し薄れ、医師が単なる知的情報処理者および知的肉体労働者として振る舞うことになることには賛成である。

ただ、医師が日常業務で行っている知的情報処理は、世間に思われているほど高度なものでもないし、AIでもある程度代替可能だ。
医師の高額な報酬の背景には「聖職」として通常の職業人以上の貢献を要求されていた分も含まれていた。
それが剥ぎ取られてしまったら、医師の給与水準は論理的な帰結としておそらくまあまあ下がるだろうとは思う。

*1:その他に日本が市民社会ではないなと感じたのは、昔JR福知山線の事故のあと、JRの社員が宴会をしていたりしたのがバッシングされた報道があった。あれも本来は、業務外の個人は関係ないはずだ。

*2:現在の社会制度で、他業種との交流に気を使う職業としては、税務署員、判事・警察官などがある。これらこそは現代の聖職者かもしれない

僕は、アカレンジャーじゃない。

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福山のジャズフェスの時の一コマ
新年あけましておめでとうございます。
一年の始めっぽい話をしましょうか。

アカレンジャー

現在の自分は、親の跡をついで創業40年目の医療法人の二代目理事長です。
理事長としては3年目。院長になって5年目です。

それまでは基幹病院で勤務医でしたが、正直にいって、実家に帰り、トップとして経営・診療をする、ということについては、躊躇していました。
39歳まで戻るのが遅れたのはそのためです。

なぜなら、僕は「アカレンジャー」じゃないから。

* * *

アカレンジャー」は戦隊モノヒーロー番組の元祖、ゴレンジャーのリーダーですね。
僕、アカレンジャー(端的にいってリーダー的な資質の記号です)むいてないんです。
性格的にも、能力的にも。

アカレンジャーのように、皆を叱咤激励して、大きな声を出して鼓舞して、先頭を切って斬り込んで、仲間を思いやって、ということを、臆面もなくやりきることができない。恥ずかしい。正直バカなんじゃないか、とさえ思ってしまう。

そう、僕はどちらかというと、個人プレイを好む、シニカルな青か緑なんです。
軍人で言えば、将軍ではなく、将軍のそばに侍って悪巧みをする参謀や軍師。

体育会系でもなく、人を率いた経験もありません。
多くの人に慕われた経験もありません(むしろ毒舌めいた直言をするために、好き嫌いわかれるタイプ)。

そういう自己分析は出来ていたので、どうしても実家に帰ってトップとして振る舞うのが、いやだった。
こんな徳のない人間が、トップになったってあかんやろ。
と思ってました。

アカレンジャーとして振る舞うために

そうはいっても、僕以外にこの組織をハンドリングできそうな人はいなかった。*1
また、昔から馴染みの職員が、待ってくれているのも知っており、実家に戻ったわけです。

内科医としては、基幹病院で仕事をしてましたし、プライマリも大丈夫。
数こなすのも苦手じゃない。マルチタスク*2もかなり得意な方で、そこのギアチェンジは問題なかった。

ただ、リーダーとして振る舞う自信はありませんでした*3

努力したこと。

とはいえ、そうもいってられない。
そこで趣味の世界でちょっと工夫しました。

長年ジャズトロンボーンというのをやっていて、セミプロです。
お店でBGM演奏とか、プロの混じるライブにサイドメンとして参加できる程度のレベルです。
日本のどこのお店でもジャムセッションで臆せず飛び入り参加はできる*4

でもその能力は、いわゆる個人技です。医師の能力と同じく。
その頃の音楽活動は呼ばれてライブに参加するとか、いわゆる「客演」が主でした。
もちろんMCとかもしません。

* * *

それを、思いきって、バンドを作って*5リーダーになりました。
MCをしたり、バンドの運営をしたり、お店にライブのブッキングをしたり、集客をしたり。
自分がリーダーで、全責任を負うバンドをやりました。

もちろん、やりたい音楽を実現させること、が大前提です。
が、この行動の裏には組織の長として必要なことを、バンド運営でシミュレーションできないか、という考えもありました。
自分が汗をかいて自分が牽引するバンドを作ったわけです。

やっぱりバンドって色々難しくて、メンバーは僕には過分なほど能力のある人揃いでしたが、皆が同じ明日を目指しているわけではない。
やめない程度に牽引し、やりたくなるような選曲やアレンジをし、顔色をうかがいながら(あ、いい意味ですよ)やっていきました。
お陰様で、わりと好評を博し、大きな舞台にでても映えるバンドになりました。

また、ジャズ・ボーカルというのも経験してみたりしました。
これも、一つの「アカレンジャー」の練習でした。
jazz-zammai.hatenablog.jp
に少し書いています。

気づいたこと

hanjukudoctor.hatenablog.com
にも少し書きましたが、去年透析クリニックの先生が急逝されました。バンドはその時から凍結したままで今に至ります。

病院と透析クリニックは、正直いって、戦線崩壊の危機だったと思います。
私も半端なく動きつづけ、皆を叱咤激励し、自分も診療しまくり、なんとか持ちこたえましたが、そのときの自分は、少しアカレンジャーっぽくなれたんじゃないかと思います。

* * *

バンド運営も軌道に乗ったあと、気づいたことがありました。

当初は自分のやりたい音楽の方向に向けて、ディレクション=舵取りをする意識がかちすぎていたように思います。
どうやって、みんなに自分の言うことを聞かせようか、という風にばかり考えていた。

ただ、バンドって、全員が同じ方向を向いてはいないのですが、それがいけないんじゃない。
多少の思惑の違いはともかく、個人の勢いを殺して意見を統一するよりも、個人の勢いはできるだけ活かし、方向性がすこーしずれてもあまり気にせず、メンバーに感謝してたほうが、うまくいくことに気づきました。

大きな組織になっても同じで、すべての人間が完全に同じ方向を向いていなくてもいい。
多少多様性があり、ガヤガヤしても、いや、している方が組織の底力になるんじゃないか、ということです。
メンバーひとりひとりの資質なりに頑張っているのなら、否定せずに褒めて、そして感謝した方が、うまくいく。
何より楽しい。

やっぱり僕はナチュラル・ボーンのアカレンジャーじゃない。
もしそうなら、逡巡なくこう考えられるはずです。
僕はアオレンジャー的な狭量さが抜けず、意識しないと、そう振る舞えない。*6

最後に

未だにアカレンジャーという立ち位置は慣れません。
経営者という人たちの集まりにノコノコと顔を出すことも慣れません。
僕はゴルフもしないし、酒も飲まない。
タバコの煙る夜のバーで方向性の見えない話をしているくらいなら「帰って本でも読みたいな」とか思ってしまう人間です。

あくまでアカレンジャーは仮の姿。
しかしその下に着ている服は一体何色なのか。
最近はアカレンジャーのレンジャー服も体に馴染んできたので、今自分が何色レンジャーなのか、わからない昨今です。

でもまあ僕なりのアカレンジャーを演じ続けよう。
最近はそう思っています。

職員のみんな、ありがとう。
今年もがんばろう。

*1:情熱という意味でも、能力という意味でも

*2:またこれは別稿にしたいと思いますが、マルチタスクの才の有無は、臨床でかなり重要だと思う。

*3:正直、今でもありません。体質的に向いていないと思う

*4:これは上手いのではなく恥知らずなだけかもしれない

*5:Endemic for Jazz in Fukuyamaという3管編成のバンドです。

*6:ただ、やはり指示する方向は大事で、結局そのバランスが経営の要諦なんだと思う。アカレンジャーの人は、そういうディレクションをしてくれる軍師が別に必要なんだと思う。ただ、それは僕の悩みではない。

大晦日(一年間ありがとうございました)

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気がつくと 2018 年も終わり。
早いもんです。年々一年が早く感じるのは、自分が歳をとったからなのか*1
一年間ありがとうございました。

* * *

僕は2000年くらいからジオシティーズでウェブサイトを始めました。*2
まあまあ早くからネットの世界にもいたわけです*3
その後、臨床が忙しくなったりもしましたし、結婚して家庭を持ったりもして、ウェブの更新の優先度はどんどんさがっていました。
一度はほぼフェイドアウトとなり、それでも年に数本だけ記事をほそぼそと続けたりもしていました。

媒体としては当初はHTMLのタグ打ち、その後「はてなダイアリー」を長らく使っていたのですが、これも閉鎖されることが決まっています。
それで、2018年9月はてなブログへ移動しました。

もう一度ネットの世界のやりなおし。
古いゲームのカートリッジの埃を払って、もう一度ゲームを再開したようなものです。

* * *

久しぶりに戻って来たWebの世界は、だいぶかわっていました。
もちろん自分のありようもだいぶ変化してますけどね。

久しぶりにネットの海を見渡してみると、Twitterの「医クラ」(医療クラスタということなんでしょうね)といわれる一団に気がついた。
僕もTwitterは結構前からやっているのだが、音楽とか地元のつながりばかりだった。
要するにFacebookの友達リストとTwitterのそれがほとんど重複していたわけです。
リアルで知らない人とは、交流していなかった。

しかし「医クラ」は、Facebookのようなお互いに知っている人同士ではなく、全然知らない多くの人々が自由につぶやている世界がありました。
なんとなく、昔のネット社会を彷彿とさせるものがあった。

おもしろいので、この「医クラ」の末席で活動をすることにしました。
2018年の下半期は、このTwitterを頻繁に出入りしていました。
相互にフォローしたり、リプを飛ばしたりしてみる昨今。
新しいゲームを始めたような面白さがあります。

残念ながら、僕の年代(僕は昭和49年生まれ、多分ロスジェネ世代)はTwitterの活動はあまり多くはないようで、大体少し歳下の医師が言論の中核をなしているのは少し寂しくもあります。
しかしこういうウェブの世界では年齢は関係ない。
いいツイートをする人がえらいわけだから。

まだ僕はこのTwitter「医クラ」に慣れてません。
どういうTweetがバズるのか、皆が興味を持っているものは何か、なんとなく色々試している昨今です。

* * *

ここ数年はFacebookのような、ほぼ閉鎖的なところでしか活動していませんでした。
今年は BlogとTwitterにすこし力を入れましたが、やっぱりオープンなところに物を書くって、リスキーです。

コンテンツとしての面白さとバッシング受けやすさはトレードオフの関係にありますから、そのポイントを見極めなければいけない。
私は匿名ではなく実名を晒してTwitterをやっていますから、炎上はさらにリスクが高い*4

それからドラッカーいうところの「顧客」を設定しなければいけない。
このブログは、誰に向けて書いているのか。
非医療関係者の一般の人か、それとも、いわゆる医療関係者か、僕と同じ経営者にむけて、なのか。
これが今ひとつ自分のなかでもあいまい。僕は経営者でもあり、病院の中ではほぼ奴隷型労働者であり、オフタイムは演奏者でもある。
自分のどの部分を切り取るべきか、というのが今ひとつ定まっていない。
「顧客」を明確にすればPVが伸びるだろうということはわかっていますが、どうも吹っ切れない。

ま、ともかく、来年もその場その場でいろいろ思うことを書き記していこうと思います。

その他のBlogの更新:

9月以降、Websiteの内容を3つのはてなブログに移してから、
このブログは14本、
ジャズブログは21本、
本とか音楽とか映画のブログは47本。今年は結構書いたなあ。

*1:ジャネー効果でしたっけ?

*2:今年度でジオシティーズが終わってしまうのも、感慨深いというかなんというか…

*3:当時は研修医でした

*4:しかし、実名を晒していることで、自分の中で慎重に振る舞おうという緊張感はあります。匿名の方がうっかり不穏当なことを発言してしまうかも

遠隔診療はどうなったか?

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すごい人数でした。興味もっている人は沢山いらっしゃるんですね。

この前、第一回日本オンライン診療研究会をみてきました*1
遠隔診療については、以前にこのようなことを書いています*2
その1https://hanjukudoctor.hatenablog.com/entry/2017/07/15/000000
その2https://hanjukudoctor.hatenablog.com/entry/2017/07/16/000000
その3https://hanjukudoctor.hatenablog.com/entry/2017/07/20/000000
その4https://hanjukudoctor.hatenablog.com/entry/2017/07/23/000000

当院でも、2017年に遠隔診療導入を行いました。Medley社のCLINICSと契約し、実際にオンライン診療を開設したわけです。
しかし実際大して数もなく、顧客満足にもつながらなかったし、諸事情もあり*3凍結に至っています。

そして2018年の診療報酬改定をうけて、熟考した結果、凍結を継続……いやむしろ一旦契約解除してリセットしてもいいんじゃないかな、とさえ思っています。

* * *

オンライン診療研究会そのものは興味深かったんです。
うまく使えば、やはり強力な武器になったりするなあと思いました。
特に婦人科(若い女性は受診をためらいがちで、受診障壁を下げる意義は大きい)であったり、皮膚科(オンラインでも皮膚の視診はかなりできるし、薬剤のドロップアウトも少なくなる)などの領域での成功事例はとても興味深かった。

また、小児精神の発達障害外来などでは、診察室に行くことが困難な患者の、家でのリラックスした様子などが診られる。
これはむしろ対面診察「以上」の強みがある。
遠隔診療には、通院外来にはない良い部分も間違いなくあると感じられましたね。

ただ、勤労世代に対する生活習慣病、に関しては診療報酬上の縛りもきつい。
メリットが乏しい。
そこが自分のフィールドなんですけれども。

また、研究会のあり方に関して。
インフラに紐付いた研究会であり、学術的な側面は重視されないだろうな、とは推測してはいましたが、それにしてもそれぞれの発表がナラティブ過ぎやしないか?
とは感じました。

オンライン診療って、どちらかというとライフログバイス(体活動計とか)とも親和性が高く、やろうと思えば、ごっそりデータはとれるんじゃないかと思う。その意味では緻密な定量評価みたいなものを、少し期待していたんです。
そういう発表はなかったし、アウトカム分析とかにしても、定量評価がなさすぎたように感じました。
プレゼンテーションに関しても総じてスキルが低く、学会活動に慣れていない、もしくは引退された先生方の、主観的な意見発表という印象を受けました*4
これでは、非遠隔診療勢(要するに、普通の診療体制)を納得させることは、難しいと思う。*5

* * *

当院がクリニクスを用いた遠隔診療をやめた理由は、主に以下のとおり。

  • 2018改定。3ヶ月ごとに対面診療を必要。それなら3ヶ月内服で済む。遠隔診療の候補となりうる勤労世代の生活習慣病患者で、頻繁に採血しない方は3ヶ月処方で診てます。(もちろん薬剤コンプライアンスは確認しています)
  • 医療法上病院で遠隔診療は欠点が多すぎる。病院の外来人数は、常勤医師に比して人数の限界があるし、当院の外来も飽和に近いのが実情。人数は無限ではないなら受診間隔を伸ばし、外来の検査の密度を上げ、診療単価を上げる方向に努力しないといけない。遠隔診療は点数は低いので病院の方針に添わない。
  • 初期投資とランニングコストの契約条件からいっても、収益化が難しい。

もちろん、在宅診療に応用してマネタイズすることは不可能ではないが、その場合は、スマホ親和性が低いため、クリニクスでは、ちょっと具合が悪い。
もっと介護連携のグループウェアと親和するものが適していると思います。

* * *

厚生労働省としては、遠隔診療は、どの科でも、診療所でも病院でもどこでもできる「一般診療手技」なので、やみくもに導入すると、影響が大きすぎる。
現在の医療体制を崩したくない、という思惑もあるようだ。*6
確かにそうかもしれない。
基本的には遠隔診療はある種のマッチングデバイスだから、現在の完成された医療提供体制に対し、あまり大きな修飾を加えたくないのかもしれない。

ということで当院では残念ながら次の改訂まで遠隔診療は保留になりそうだ。
待つと、新たなベンダーも増え、価格もかなりこなれるだろうし。

しかし例えば財政難、人材難などで、現在の医療提供体制がクラッシュしてしまう事態。
近い将来これが起これば、上記の前提はくずれる。
そうなると制限がなしくずしに撤廃される可能性はある。

ともかく、現時点では、遠隔診療は効率性を上げるための秘策として、まだ温存されている段階だなと思ってます。

その他のBlogの更新:

このブログに引っ越してから、13本の記事を書いているようです。
んー。13本かー。
体感的にはもうちょっと書いてる気もしたんですが。

このブログ記事、割と「重」いじゃないすか。
読む方も大変じゃないですか。一記事の字数がありすぎる。

もうちょっと軽く行きたいもんです。
このBlogの「顧客」(ドラッカー的に)は一体だれなのか、それも、考察すべきところです。

ジャズブログ:

更新なし

*1:別の出張のついで

*2:新しいものに出会った興奮が若くもあり、今にして思えば苦くもあります。

*3:透析クリニックの院長が急逝されたため、急遽シフトの再編成を行ったわけですが、優先度が低いので凍結してしまいました

*4:いい発表もありましたよ。ただ玉石混交感がいなめなかった

*5:企業のプレゼンはさすがに質が高かったことは補足しておきます

*6:技官がいらっしゃってました。