気がつくとすっかり秋だったりします。8月、9月とあんなに暑かったのに。
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昨日は特別な一日でした。
うちの医療法人にとって、とても大切な先生が亡くなられて、ちょうど一年が経つ。
その日でした。
当医療法人は慢性維持透析を基幹業務としています。病院とサテライトクリニックが二つあるのですが、当法人にとってメインエンジンとでもいうべきサテライトクリニックの院長を20年も勤めていらっしゃった先生。
法人を創業した父の、文字通り片腕とも言える大きな存在でした。
あの朝、突然胸の痛みを訴え、救急隊が駆けつけた時には心肺停止状態。
病院に運ばれて一時は心拍再開したものの、脳には取り返しのつかないダメージを負っており一日ももたず亡くなられてしまいました。
60代の前半、医者としてはまだまだ働き盛りでした。
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まったく予想外のことであり、現場は混乱どころじゃなかった。
悲しみにくれてしまいたい気持ちをぐっと押し留め、明日からの診療をなんとかしなければいけません。
何より膨大な量の患者さんをほぼ一人で把握しておられたので、その後どうするか、途方に暮れてしまいました。
これは残念なことであるのですが、職人肌の先生で、ほとんどの患者さんとのやりとりは自分の頭のうちに収めておられ、カルテ記載を事細かにするタイプではありませんでした。そのため、膨大な患者さんに関する情報が、そのまま失われてしまったことも痛手ではありました。
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当座の透析の管理と回診は、病院の透析担当の先生にかわるがわる交代で入っていただきました。
手薄になった部分は大学の医局に応援をたのみ、とりあえずはなんとかしのぎました。
その間、次の院長をどうするかということを模索しなければいけません。
大都市圏はともかく、透析管理のできる医師はこの辺ではそう沢山いるものでもなく、探して見つかるのだろうか
……かなり途方に暮れておりました。
詳しくは書けませんが*1、偶然に偶然の大僥倖で、新たな院長として来ていただける人がみつかり10月末には、来年度から赴任していただけることが決まりました。
来年度までは人員の少ないなか苦しいやりくりを強いられるものの、年度末まで我慢すれば……という希望が見えると、人は頑張れるものですね。
精神的な希望って、とても大事だと思いました。
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その後のことは忙しすぎて思い出したくもありませんが、数々の不愉快な出来事もあり、病棟・外来の忙しさと、人数が少ないことで手薄になる透析部門のケアを行いつつ、とにかく例年よりも働きました。*2
僕は今までは透析部門にはあまりかかわっていなかったのですが、透析患者の全身管理は勉強をして*3ローテーションの一角に加わりました。やってみると、透析管理は医学的になかなかおもしろい領域だなあと思いましたが、そんな余裕はその時はありませんでした。
しかし、折しも冬で病棟は満床、ずっと満床……。
控えめに言っても修羅場以外の何者でもない冬でした。
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嬉しかったのは、病棟を始め、すべてのスタッフが頑張ってくれたことです。
大きな精神的支柱を失い、みな少なからず動揺もしました。
しかし、患者さんからの不安からくる辛辣な言動にも耐え、忙しい業務にも耐え、一丸となって、年度末を切り抜けました。
私もとにかく診療を維持するためにあちこち走り回り、外来・病棟・透析とあちこちに顔をだし続けました。
私は創業者の父の後を継いだ二世でしたから、それまでは、どこか皆も「ぼっちゃん」的な受けとられかたをしていたように思います。
一冬の修羅場を戦い抜いた今、名実ともに理事長としてのリーダーシップを発揮できるような気がします。ともに戦った戦友として指揮官として認められたんじゃないかと思っています。
昨冬はすべての部署を把握できた自信があります。それくらい診療に埋没していました。
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一人は病死され、また一人の先生は病院を去り、来年度初めに来るはずの先生は土壇場で撤回されるという、医師に関する限り、さんざんな2017年度でした。が、蓋を開けてみると、昨年度は過去最高の業績(医業収益)でした。
例年よりも忙しい中を頑張ってくれた医師のみなさん、コメディカルのみなさんには心から感謝しました。
(もっとも、誰よりも自分自身が働いた自負はありますけれど)。
年度が変わり、すばらしい先生が二人やってこられ、病院も、透析クリニックも元気にやっています。
昨年度からやっていた透析クリニックの改築工事も終わりました。
改築を楽しみにしておられた亡くなられた先生はもういません。
でも、なんとか先生の診療そのものは守り抜けたように思います。
少し秋の風が少し沁み入る、こんな日です。