半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

医師のSNS投稿は許されるか?

f:id:hanjukudoctor:20020404073315j:plain:w300


hanjukudoctor.hatenablog.com
にも書きましたが、twitterの「医クラ」に、足を踏み入れ、最近はいろいろ交流しています。
おもしろいね、SNS。あと、フォロワーの多い方々の発するつぶやきは、やっぱりおもしろい。

しかしTwitterで匿名であれ実名であれ、医療者の人が発言をしたりすると、それに対してとかく攻撃されるような場面をしばしば見かけます。
「医者なのにこんなこというなんて!」的なね。

* * *

個人的には「医クラ」の匿名アカウントは、医療従事者の現場のナマの声を聞けるので、とても貴重なものだとは思ってます。
でも、世間一般の人が医者の(もしくは看護師なり他のコメディカルの)「ホンネ」的なコメントについて、反応はさまざま。
どちらかというとネガティブな反応が多い。
なぜなんでしょうね。

ところで、「聖職者」ってなんなんでしょう?

* * *

市民社会(詳しくはググるなりしてWikipediaでも見てほしい)においては、身分や職業による差別・区別はない。
基本的に平等で自由な一個人として振る舞う。
もちろんそれぞれ言論の自由もある。

もちろん仕事に携わっている時には各々が自分の職業人格として振る舞う。
が、いざ仕事を終え、オフタイムでは、そういう職業人格を脱ぎ捨て、一消費者として、一家庭人として、一市民として、つまり自由な一個人として振る舞う。
これが市民社会、の基本原則のはずだ。
西ヨーロッパにて端を発した市民社会制度であるが、現代日本も同じような法体系で運用されている。

その意味からすれば、仕事を終えた医師が、仕事以外の場で何をしゃべろうが、別に問題はないはずだ。
あ、もちろん特定の個人情報につながるような話は、守秘義務の関係で話してはいけない。
でも、それはそれとして、言論の自由市民社会の市民として、あるはず。

* * *

しかし古来から「聖職者」といわれている職種、医者・宗教者(坊主・牧師)、教師については、純然たる「市民社会」の市民としての行動以上に振る舞うことを期待されている。すくなくとも今まではそう振る舞うのが当然とされていた。

これらの職業では、オンオフの切り替えを原則許されていない。
だからこその「聖職者」なのだ。
そもそもオフタイムというものが存在しない。
医師は身命を医療に捧げることが暗に求められている。

例えば「医師の応召義務」が、日本にはある。
法律なのか倫理規定なのか、よくわからないのだが、これこそが「前近代」的な職業倫理で、
本来近代法体系は市民社会制度という欧米の暗黙の常識に立脚しているはずだ。
だが、あの日本の応召義務の条文はその暗黙の前提をぶっとばしていると僕は思う*1

* * *

本来の市民社会においては、業務を終えた医師がオフタイムに何をしようが、何をしようが、自由であるはずだ。

ところが、前近代的な倫理観では、そもそも医師にはオフタイムが存在しない*2
医者はオフのときも医者であり、職業の衣を脱いではいけないというわけだ。

そういう考え方からすると、Twitterで、「おっぱい」とか呟く医師は、医者にあるまじき言動でけしからん、ということになるだろう。

* * *

これからはどうなるだろう。
SNSでの言論というのは、そういう因習的な価値観に対して、すこしずつ変化してゆく兆しのようなものではないか、とも僕は思っている。
ただし守秘義務的なルール作りは、もうちょっと積極的に考えてもいいのかもしれない。
ツイッター医学界の指導医・専門医の先生方におかれましては、そういったルール作りを検討いただけると幸いである。

* * *

「医師の働き方改革」も、医者も市民社会の一員としてきちんとオンオフをできるための試みであるように思う。
そこは当然、応召義務についても併せて見直さないといけない。
要するに、働き方改革は、そもそも医師の「聖職性」そのものに対する見直しである。
ここをきちんと考ておかないと、論理的整合性を欠く。
制度の残業時間とか、そういう平仄をあわせることではなく、この背後(せぃご)にあるパラダイムチェンジについて議論ができればいいと思う。

* * *

僕は、個人的には医師の聖職性なんかどうでもいいと思っているから、この改革で、医師の特殊性が少し薄れ、医師が単なる知的情報処理者および知的肉体労働者として振る舞うことになることには賛成である。

ただ、医師が日常業務で行っている知的情報処理は、世間に思われているほど高度なものでもないし、AIでもある程度代替可能だ。
医師の高額な報酬の背景には「聖職」として通常の職業人以上の貢献を要求されていた分も含まれていた。
それが剥ぎ取られてしまったら、医師の給与水準は論理的な帰結としておそらくまあまあ下がるだろうとは思う。

*1:その他に日本が市民社会ではないなと感じたのは、昔JR福知山線の事故のあと、JRの社員が宴会をしていたりしたのがバッシングされた報道があった。あれも本来は、業務外の個人は関係ないはずだ。

*2:現在の社会制度で、他業種との交流に気を使う職業としては、税務署員、判事・警察官などがある。これらこそは現代の聖職者かもしれない