半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

塩の効用 その2:

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前回の続きです。

現代では、高塩分食は、脳卒中・心臓病、腎臓病の原因になることが明らかです。
塩は健康障害の大きな問題であり、長期的には医療費の増大にもつながるはず。
これほど塩分は「よろしくない」わけです。
しかし、なぜ今までは高塩分食が淘汰されなかったのでしょうか?
我々はなぜ、高塩分の文化を維持したのでしょうか?

* * *

ここからは個人的な考えです。ある種与太話と考えていただいても構いません。

個人レベルで考えると、塩は、健康被害が甚だしく、有害です。明らかに。
しかし前近代においては、塩分摂取過多は集団のレベルではそれほどネガティブに作用しなかったのではないでしょうか。

高塩分による健康被害は、なんだかんだいっても、勤労世代の後期から老年期に出てきます。
たとえば縄文時代の平均余命は20代でしたし、我が国の平均寿命が50歳を超えたのは1947のことでした。
ですから、たとえば江戸時代であっても平均寿命は30代とか40代というところだと思います。

昔は初産の年齢も早かったですから、40歳でも孫がいてもおかしくない歳頃となります。
だから、50代・60代の死亡は人口の再生産には影響がない。
 病気によって人口が抑制されることはないということになります。

高塩分食による疾病(多くは脳梗塞・出血、心疾患)は、昔の言葉でいう「廃疾」であり、前近代にはこのような疾患に対して有効な治療はなく、長くは生きられませんでした。今の脳卒中患者は胃瘻などの経管栄養などがあり、疾病後の余命が伸びましたが、そこに幸福な老後があるかといえば、疑問ではあります。病気が発生した時点で、集団から速やかに退場する*1
食料によって養える人口の総数は決まっています。病気の人が速やかに退場する結果総人口の中の勤労世代人口比率が高まります。

また、塩分過多状態は、個人レベルでみると、多くの場合攻撃性や積極性は高まります。
その結果、労働力の嵩上げにつながることが予想されます。

結果的には、

  1. 勤労世代の労働力率を高め
  2. 老年世代の退場を早めることで集団は若く保たれる

これ、集団レベルで見れば、よくない?
為政者からすると、都合いいんじゃない?

例えれば、エンジンにニトログリセリンを入れるようなもの。
エンジンの寿命は縮むが、出力はあがる。

「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜

「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜

最近の「ネトウヨ」に限らず夜郎自大的な「日本礼賛」記事は、昔からありました。
そんな中によくある「日本人は勤勉で」という文言に関しては、塩分過多で、やや発揚型性格にチューンナップされていたせいではないのかな、と思ったりします。日本人の攻撃性が、アジアでの様々な惨禍に加担していたのかもしれない……とか思うと、塩って怖いかも、とか思うのでした。

*1:はっきりいうと、死ぬということです。前近代は、平均寿命から健康寿命の差がほとんどありません

塩の効用 その1:

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いま私の所属している医療法人の基幹業務は透析、つまり慢性腎不全の患者さんが多いわけです。腎不全は、当然塩分のとりすぎに気をつけなければいけません。
加えて私は肝臓も専門なんですが、末期の肝硬変で腹水がたまる方にはやはり塩分制限が必要になります。

高血圧にも、心不全にも、塩分制限はとても重要。*1

* * *

ただ、塩分制限に関しては、日本人はちょっといい状況にあるとはいいがたいんです。
日本の伝統食ってばくぜんと「健康である」「欧米のセレブにも絶賛されている」というイメージが独り歩きしてますよね。
でも、致命的な欠点がいくつかある。
最大の問題がその塩分なんです。

日本食は塩分が多い

日本人の塩分摂取量は現代でも一日平均12-13gと、世界各国の中でも多い方。
ちなみにWHOの摂取目標値は一日5gです。
入院している人に「病院食」として出しているものが6gくらい。
多くのご老人が「味せえへん!こんなまずいもん食えるかい!」と怒鳴りつけるレベルです。

参考までに、世界の中で塩分摂取量について(ネットで拾ってきた画像です)。
日本の立ち位置はこんな感じです。
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これは現代の水準で、これでもかなり改善された状態。

高度経済成長時代の長野や東北諸県での塩分摂取量は推定20g前後という記録もありました。
漬物や、味の濃い味噌汁が諸悪の根源だったわけです。
その頃は日本も脳卒中が大変多かった。減塩政策でだいぶましにはなったんです。


塩分摂取過剰が健康に悪いという話は現在では明らかです。

しかし、前近代の日本では、なぜそのような塩分を多量に摂る文化が培われ続けられたんでしょうか?
我々の文化は、伝統は、なぜ「体に悪い」食習慣を守り続けたんでしょうか。

* * *

肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公新書 (92))

肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公新書 (92))

(以下の知識の一部は「肉食の思想」を参考にしています。大学生の時に読みましたが、少しものの見方が変わるオススメ本です)

理由の一つは、おそらく気候。
日本は高温多湿ので、温帯というよりむしろ亜熱帯の気候です。
さらに、そこで、農作業をする。
上表の上位にある国はタイ・韓国なども含め、みな労働集約的な農業国なんです。
昔は日本も例外ではなかった。

高温多湿の亜熱帯気候では、もっとも暑い時期に雑草が繁茂する。
そのため日本の農業では丹精込めて草取りをする必要があります。
対してたとえば地中海では、夏は乾季で日本ほどは植物の成長はないため、日本ほどは暑い時期の農作業の必要が乏しい。
もう少し高緯度の麦作だってそうです。
牧畜業の人たちも草取りなどはしません。
そもそも日本の雑草が牧草です。動物達にとって理想的な餌が、勝手に生えるわけです。
ヨーロッパでは農業はどちらかというと「怠けていてもできる職業」「勝手に育つものを収穫する」
職業だそうです。

対して、日本含むアジア諸国では、高温多湿のもっとも暑い時期に、肉体労働は避けられない。
発汗による塩類喪失。
下手したら死んじゃいます。
それを補うため塩分を多く摂取する習慣が培われたのは想像にかたくない。
もちろん、塩蔵による食物の保存方法、海が近く塩分の入手が容易であることも理由でしょう。
同じく暑い地域であるケニアのマサイ族の塩分摂取量は3g程度らしいですし。

* * *

ちなみに日本食には特徴はもう一つあります。
それはエネルギーベースでみると炭水化物の比率が異常に高いこと。
これは牧畜に向かない地形気候のためです。
キリストの宣教師は日本に滞在する時には肉がなくて閉口したという文献もあります。

基本的に日本食というのはエネルギーベースでいうと「貧乏食」らしい。*2

炭水化物の比率が極端に高い状態で、飽きずに食事をこなすためにどうするか。
そのためには多分味付けが必要になってくる。
塩分は単調なでんぷん質を押し込み、カロリーを補給するために味付けとして重要な役割を果たしたと思われます。

ある種、塩は文明そのものです。

マサイ族には高い文明はなく、食文化の欠如ゆえ塩の摂取の必要はありませんでした。
ただ、単位面積あたりに養う人口も少ない。狩猟・採集文化によって様々な食物を食べていた彼らは、自然のものだけでも
相当なバリエーションの食物を食べ、味付けなどを必要としませんでした。
土地のエネルギー収量限界まで耕作をし、単調な食材に変化をつけるため、味を追求する必要もなかったともいえます。

日本食では「ご飯」が主食。
「おかず」はご飯を食べるためにある。
この「ごはん」「おかず」概念のため、塩分摂取が構造的に多くなっています。

最近は糖質制限ダイエットがはやっていますけど、あれを実践し「ご飯ぬき」にしますね。
おかずだけを食べると、やたら塩辛くないですか?
逆に「ごはん」という存在が、いかに塩分を必要としているか、ということでもあります。

つづく。

その他のBlogの更新:

私は現在自分で主催するバンドはすべて休止しているのですが、11月は3つイベントが重なってしまって、ややてんてこまい。
特に一つはホーンセクションのアレンジとかもあるので、時間をくうんだなあ(私はNotionというソフトを使ってます。iPadで、
出張の出先などでも譜面が組めるのが便利ですね)。

しかし、たまにやるポップスは楽しいですね、やっぱり。

*1:そういやピロリ菌による胃がん発がんがはっきりデータで出る前には、胃がんは高塩分食が引き起こすなんてのもありました。あれは結局交絡因子だったのではないかと思いますが、実際のところどうなんでしょうね。

*2:蛋白不足は大豆および漁業で補っていた

メメント・モリ

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ACP(アドバンスド・ケア・プランニング)に関する講習会を聴いてきた。

高齢であり、多死社会である。*1
仕事として死に立ち会う機会も、個人的にずっと増えたと体感する。

いま僕のいる街を見渡してみても、団塊ジュニア世代を当て込んでつくられた結婚式場などが、気がつくとどんどん葬祭会館に変わっているのである。街は全体的に静謐になっている。
でも、この葬祭会館も、人口がさらに減ってしまったら、どうなってしまうだろう?

そうこうしているうちに、日本の人口はどんどん減って、街は空き家だらけになる。
一世代も経つと小学校もどんどん統廃合されてゆくだろう*2

* * *

この講習は、そもそも地位包括ケア病棟協会が主体となって開催されたものだった。

ACP(アドバンスド・ケア・プランニング)という言葉は日本においてまだまだ知名度が低い。
その認知度に比例し多死社会の到来に対して、十分な準備もできていない。

「地域包括ケアシステム」の中核をになうべき地域包括ケア病床の加算要件に、今年度「人生の最終段階における治療指針」が加わったところから話は始まる。人生の最終段階、というオブラートにくるんだ言い方だが、要するに、死に際してどのような体制をとっているかどうか、ということだ。

地域包括ケア病棟入院料(入院医療管理料)1
適切な看取りに対する指針を保険医療機関として定めていること。

ガイドラインのひな型自体は厚生労働省から出ているものがある。
これをそのまま院内用にしてもいいわけだが、実際ガイドラインを適用するにしても、具体的な方法がわからない…という声が多かった。
ガイドラインという言葉を使っていはいるが、この「看取り指針」のテキストは割とふわりとしている。
具体的に「明日からこれこれを始めてみよう」という文章ではない。*3

看取りについての指針…について「うちは完璧ですよ!」と自信をもって言える病院は、多分多くない。
要介護4・5の患者さんを診ている療養病床のある病院や、特養など介護施設を持っている病院では、こういう看取りを以前から実践しており、看取りの達意のようなものはおそらく組織内に継承されている*4が、どちらかというと急性期寄りの病院では、看取りには直面していなかった。
今までやっていなかったことに直面する場合は、自分達のやっていることが間違っていないか、と不安にもなる。
*5

そこでACPの講習会となったわけだ。
ACPの知識を深めることは大事だし、地域ぐるみで死について考える時代にきているのは確かだ。

* * *

6時間くらいみっちりとした講習会であったが、いい講習会だった。
いいお話が多く、自分の中のACPの知識をアップデートさせることもできた。
私もそうなのだが、看取りを積極的にしている先生の熱いスピリットに感動したり、ナラティブ・メディスンが大事だよ、という話も、普段の診療の疑問に答えてくれるものではあった。

* * *

ただ、ACPの話には表と裏がある。
地域包括ケア「システム」のなかで、どうACPを考えるか、という大命題に対しては適切な講演だった。
しかし、地域住民を啓蒙し、職員を啓蒙して、種をまいても、それが社会で当然のものとされるまで花開くまでには随分時間がかかる。

今我々が病棟で困っているケースのほとんどは、すでに意思表示ができなくなった状態(看取りであったり、臨死期であったり)でACPなどの死に対するコンセンサスが取れていない時だ。
こういう事態に切迫している病棟関係者からすると、ACPの話は確かに「いい話」でとても大事なんだけど、
ちょっともどかしくもある。

残念ながら地域包括ケア「病棟」において、どう行動するべきか?という限定された条件
に対する、明確な答えにはまだ出会ったことがない。

死は人生の集大成である。
いろんな人生がある以上いろんな死の形がある。
家族が積極的に関わってくれないとか、DNARとるとらないみたいな話。
トラブルケースとか、そういう話は、ACPの大きな命題の中では「ちっせえ話」であることは確かだ。

しかし、そういう「ちっさい話」「しょっぱい話」のFAQとでも言える、いわば「ダークサイドスキル」の講演ってないんだろうか。

* * *

というのは「看取り」の話が診療報酬要件にでてくる意味も考えなければいけない。

診療報酬要件というものは、基本的に「標準化」「均てん化」したい事象に対して付けられるものであると僕は理解している。
その観点からすれば、ACPの話は、QOD(Quolity of death)に対して意識の高い医療従事者にはすごく訴求力があるが、病棟の、そういう意識の乏しい医療従事者には、多分響かない。(そもそも講習に行かない)
そういう医療スタッフも、マインドのある医療スタッフと、表面上は同じ行動をとれないか、というのが管理者として望むことだ。

「病棟で最低限こうした方がいいですよ」みたいな講義を聴いてみたいなあと思う。
あるいは、そういうルール作りをしないといけない。


その他のBlogの更新:

だんだん忙しくなってきたので、微妙に更新が減っていますね。
9月に移転してからBlogosphereの一角で何かを物申しているわけですが、正直にいって、レスポンスがあるようなないような状態です。
まあ、自分の考えをまとめるために、書き続けることにしましょう。

*1:特に田舎ほど、この傾向は強い。

*2:この時の選択肢は二つある。一つは小学校同士を統廃合させる水平統合。もう一つは垂直統合で、ガラガラの小学校の敷地内にこども園や老人/障害福祉施設が混在する、地域のハブに転用するシナリオ。このへんは今は縦割りである省庁間の利害調整ができれば、現実味があるかもしれない。

*3:逆に慎重に多種多様なシチュエーションでも論理的な破綻がないように、よく練られた文章ではある。

*4:うちもそうで、私は特養での担当医も兼ねており、そこでは看取りの説明を結構させてもらっている

*5:だからこそ看取りに対して皆に考えるきっかけを与えてくれた今回の診療報酬要件は、悪くないと僕は思った

生活保護について、僕が思うこと

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そういえば「健康で文化的な最低限度の生活」という漫画がドラマ化され、すくなからず膨れ上がった吉岡里帆の女優価値を少し毀損して終わったことは記憶に新しい*1
生活保護」は本来、社会制度でいうセイフティーネットに過ぎない。が、「生活保護」という言葉について回るもろもろには、偏見を始めとする様々なスティグマが付け加わっており、制度を直視することが難しくなっていると思う。

また我々一般の勤労生活者は、生活保護については、別の世界の出来事であり、正視することなく毎日を暮らしているのが実情である。
死がタブー視される以上に、生活保護はタブー視されている。

だから生活保護に関してなにかを書くと、炎上しかねないのですが、まあこんな裏路地みたいなブログ、大丈夫か。

* * *

町医者なんてやっていると、生活保護とは無縁ではいられない。
医療適否意見書を書いたり、薬を出せ出さないの押し問答、いろいろ枚挙にいとまがない。
退院支援も難易度があがる。

勤労世代で大きな病気を負うと働けなくなる。
結果、生活保護に転落せざるを得ない場合もある。
十分な資産なしに大病を患ったリタイヤ世代も、生活保護にならざるを得ないことはよくある。

* * *

生活保護、略して生保、ネットスラングでいうところの「ナマポ」の人は、ほんといろいろである。
一般的な通念通りのイメージの方もいる。
クソ野郎としか思えない人間も当然いるが、仙人か仏様のような悟りをもった人もいるのだ。

人徳における最低値と最大値は、生活保護の人も、生活保護ではない普通の勤労者も大きくはかわらない、と僕は思う。

もちろん、その平均値、重心などは違うかもしれない。
でも生活保護イコール怠惰で破綻者というステレオタイプの捉え方は、必ずしもあてはまらないことは言っておきたい。*2

* * *

僕は普通に働いてお金をもらっていて生活をしている。税金もいっぱい納めている。
だけど、想像力を働かせると、全く働けなくなる事態だって、今後ありえないことはない。僕は今の人生はたまたま初期スロットがよくてハイスペで、なおかつラッキーな要素もあって今があると思っている。そりゃ努力もしたよ。だけど、自分の力で勝ち取った能力がすべてじゃない。

自分が生活保護を受けている世界線を想像したことはないだろうか?
生活保護に関しては、そういう想像力を働かせて、寛容に考えるべきだと思う*3

生まれてから死ぬまで誰の世話にもならずに生きていく、ということは、人間不可能なんだから。

* * *

ところで、これは橘玲氏の著作の受け売りであるが、幸福の3条件として
「自由」「自己実現」「共同体〜絆」の3つがある*4

3つを実現するために、財産には3つのインフラがある。

  • 金融資産 =自由
  • 人的資産 =自己実現
  • 社会資産 =共同体〜絆

金融資産は、わかりやすくいうと、持っている財産のこと。
人的資産は、仕事などにおける自分の能力。たとえば医者であれば、換金可能性が高い人的資本をもっていることになる。
社会資産というのは、たとえば友達関係とか、そういう紐帯に関する関係。必ずしも換金性が高いわけではないが、人は共同体の中でのポジションによって幸福度が大きくことなることが研究でも示されている。


たとえば、孤独な引退した金持ち、は金融資産が多いが、人的資産・社会資産がゼロの状態。
少し前に話題になった「マイルドヤンキー」というライフスタイル、大都市圏に出ず、地元で、そこそこの仕事につきつつ学生時代の先輩後輩同級生の関係を尊重する生き方は、金融資産・人的資産よりも社会資産を志向していると要素分解すれば、理解しやすい。

この見方でいえば、生活保護というのは、金融資産がゼロになり、なおかつ短期的に人的資本による給与所得がなくなった時に支給されるものである。逆にいうと、社会資本については全く勘案されない*5

であるので、結論からいってしまう。
社会資本の多寡が、生活保護の人たちの幸福度に大きく影響する、ということになる。

社会資産の多い生活保護の方というと、なんとなく地域に根を下ろし、友達も多くて屈託なく笑う明るいおばちゃん、というステレオタイプが想像できる。彼女たちはそれなりに幸福そうに見える。
僕が関わるのは入院とか、外来などであるが、僕が居るところはほどほどの田舎なので、調子が悪く、受診する時にアパートの近所の人が連れてきてくれる。一緒に付き添ってくれたりする、なんて事例はそれなりにあるのだ。救急車に近所の人が同乗してくれる、なんてのもある。
入院になっても近所の人やお友達のお見舞いが絶えない人に対し、お金には不自由ない老後を送っているけど、近所付き合いがなく、家族親戚も遠方で、独り、の人もいる。どちらの幸福度が高いか、と考えると、結構微妙だ。

ただ、世間は「楽しそうにしている生活保護」の人に対し厳しい。
生活保護は人様の税金で生きているのだから「生活保護でスミマセン」という風にひっそりと身を潜めて生きていかなければいけない。という意見。ネットでの意見もそんな感じだ。

* * *

金がないのはしょうがないけど、それ以外のところでは幸福に暮らしてはいけないのかな、と思う。
我々に足りないのは想像力だ。

* * *

前述の「友達の多いおばちゃん」に対し、独居・独身の男性の生活保護者の多くは孤独で、幸福度も極めて低い。
たいていは喫煙や飲酒の依存があり、それは多くの場合改められることはない。
自尊心が傷つけられている人間は、自己を、自分の健康を尊重しないからだ。

どこかに明記されているわけではないが、一般的な通念として
生活保護は社会のクズ」「生活保護になったら人生終わり」という意見がある。
そういう日本的な固定概念(倫理的んブレーキ)が、生活保護が過度に利用されることを抑えてきたという歴史的経緯は事実だ*6

ただ、現実的に生活保護者は200万人を超えるし、「所得倍増計画」的な社会政策で解決することもできそうもない。
200万もの人間がこの制度で生きている以上、この生活保護に対する社会通念、概念もアップデートすべきではないかと思う。
この人数、ひっそりと生きることなどできはしないし、過度に溜まったルサンチマンは社会を不穏にする。
もちろん国民所得がじりじりと逓減している現在、バラマキもできないわけだけれども。

外国人に対して生活保護の適用を厳格化していく昨今の風潮や、反社会的勢力に対する厳格化は、一般的な層に対しては快哉かもしれない。しかし生活保護がなかったら死ぬしかない人が何をして生き延びるか、と考えると、窃盗・犯罪率の増加につながるわけで、生活保護の厳格化は政情不安とのトレードオフであることを念頭におく必要がある。

ベーシックインカムという制度は、この「生活保護制度」に対するスティグマに対する一定の回答ではないかと思うが、今の現状では実現は難しいだろう。はてさて。 

*1:私は漫画はみているが、ドラマはみていない

*2:もちろん、通常の仕事を営めないような面倒くさい性格の人も生活保護には含まれているので、過度にいいイメージを抱くと裏切られ感も半端ない。きっつー。

*3:ハリーポッターの作者J.K.ローリングも一時期シングルマザーで生活保護を受給していた事実は若干生活保護者を勇気づけるエピソードだ。

*4:この辺の「幸福学」とでもいうべき学問も最近はかなり進んで来ていて、幸福の条件については諸説あるが、この稿ではファイナンシャルな話でもありこの3条件を上げておく

*5:社会資本というのは可視化が難しいという面もある

*6:あとは担当部署による水際阻止作戦。ただ、これは一定の軋轢も非生産的な衝突や心理的なトラウマを残す。子供の頃に生活保護であることを役場の人間に馬鹿にされれたことで、今では就職して正業に就いているけど、権威に対する過度な反感を持っている人に出会ったことはあった。

ピンピンコロリ(PPK)の欺瞞

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今週は地域での講話と、別の講演と、妙に忙しい週だった。
どちらも「死」とか「看取り」に関するお話なんであるが、片方はACPとか、死について省察しましょう、というもので、もう一つは「院内で死に際する諸問題(診療の標準化でもあり、リスクマネジメントでもある)のシステム化」に関する話で、どちらも微妙に違ってて、準備が大変でした。

最近「死」についてについての講演をすることが多くなった。

これは多死社会であることもあって社会のニーズが高まっているからもあるだろう。
もう一つは、私個人が、基幹病院の専門外来、中小病院での入院と外来(経営も)、施設の往診、*1いろんな働き方を今現在も続けていて、医療全体を俯瞰しやすいからだと思っている。
もちろん、おもしろい講演をするから、というのもあります。
 誰も言ってくれないから今自分で言い ま し た よ!!

* * *

ピンピンコロリという言葉がもてはやされている。

ピンピンコロリとは、健康寿命の長さを言い表した表現で、「病気に苦しむことなく、元気に長生きし、最後は寝付かずにコロリと死ぬこと、または、そのように死のう」という標語。略してPPKという。
ピンピンコロリ - Wikipedia

そりゃあ病気に苦しむことのない人生なんて、いいに決まっている。
本来は、寝たきりとかになる(NNK ネンネンコロリ)を防ぐために、しっかり健康寿命を伸ばしましょうという、割と全うな主張なのであるが、僕が外来で出くわすPPKピンピンコロリは、まあ都合がいい話ばかり。

コロリと逝くことができる病気というのは、確かにある。脳血管とか心血管とか血管イベントが、そうだ。
だから、狭心症心筋梗塞の疑いがあるのに、タバコをスパスパ吸っている御仁が
「いやあ僕はピンピンコロリですから」とうそぶき、禁煙もしないし、それ以外の健康対策もしない、なんてよくある話だ。

医者からのアドバイスを、ピンピンコロリの言葉一つで、けむに巻くわけですな。
かといって、突然死することを許容して、人生設計に組み込んでいるのか、というと、そうでもない。
たとえば遺言状とか、エンディングノートとか書いているわけでもない。

* * *

仏教用語の4大苦というものがあります。
「生」「老」「病」「死」

いつも私は「医療でなんとかなるのは 生と病だけですよー、老と死に関しては医学は無力ですよー」みたいなことを言っている。
外来で、講演で。
看取りとか、老衰の方に対して、過剰な治療を望む家族の方は一定数いらっしゃる。
そういう人に対して、現在の状態をお話するときに、
こういうことを言うと、理解してもらいやすい。

ここで、ピンピンコロリという概念をもう一度みてみる。
ピンピンコロリって、要するに、「生」「死」だけで、「老」と「病」がない状態なのだ。
だからこそ魅力的なのである。
そりゃ魅力的だ。
人間が向き合わなければいけない4大苦のうち2苦がないわけだから。

もちろんこれはファンタジーで、たとえば、
道を歩いていたら絶世の美少女が歩いてきて、ろくに会話もしないのに
「私あなたのことが大好きなんです。抱いてください」
なんていうような話があるとしたら、皆さん頭がおかしいと思うだろう。
そんなうまい話、あるわけないじゃん。

でもピンピンコロリって、そういうファンタジーに近いものがある。
老と病のことを一切気を使わなくて、老や病が訪れず、ある日苦痛のない死を迎える。
リアリティがなくて、かなり都合のいい考え方だ。

老・病なんて、我々は自覚していないだけで、20代だって30代だって、一日一日老いている。
実際に、PPKを目指すためには、そうした老化から目を背けずに、毎日の生活態度に非常に気をつけていれば、
老、病を防げて、健康寿命を伸ばすことができるかもしれない。
ただしそういう場合は血管イベントは当然低リスクになるから、それ以外の病気(まあ、癌だろうかな)で死ぬ前に、病気と向き合うことになるかもしれない。

ただ、現実に医療現場でピンピンコロリなんて都合のいいことを言うやつは、
やるべきことをやらずに、健康に関することをすべてすっ飛ばし、医者や保健師のアドバイスはピンピンコロリという「錦の御旗」を持ち出して自省しない人が大方である。

心血管イベントも脳血管イベントも、両分野の医師の必死の努力によって、即死する事例はかなり減った。
簡単には死ねない。
だからPPKという都合のいいファンタジーに仮託するものは、若くして大きな障害を負い、途方にくれることになる。*2

*1:今はオーバーワークでできていないが、警察の死体検案協力もやっている

*2:もしくは運良く本人ののぞみ通りにPPKとなり、残された若い家族が途方にくれることになる。PPKとかのたまう御仁は、最低限遺言状くらい書いていてほしいわ。

去年の喧騒

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気がつくとすっかり秋だったりします。8月、9月とあんなに暑かったのに。

* * *
昨日は特別な一日でした。
うちの医療法人にとって、とても大切な先生が亡くなられて、ちょうど一年が経つ。
その日でした。

当医療法人は慢性維持透析を基幹業務としています。病院とサテライトクリニックが二つあるのですが、当法人にとってメインエンジンとでもいうべきサテライトクリニックの院長を20年も勤めていらっしゃった先生。
法人を創業した父の、文字通り片腕とも言える大きな存在でした。

あの朝、突然胸の痛みを訴え、救急隊が駆けつけた時には心肺停止状態。
病院に運ばれて一時は心拍再開したものの、脳には取り返しのつかないダメージを負っており一日ももたず亡くなられてしまいました。
60代の前半、医者としてはまだまだ働き盛りでした。

* * *

まったく予想外のことであり、現場は混乱どころじゃなかった。
悲しみにくれてしまいたい気持ちをぐっと押し留め、明日からの診療をなんとかしなければいけません。
何より膨大な量の患者さんをほぼ一人で把握しておられたので、その後どうするか、途方に暮れてしまいました。

これは残念なことであるのですが、職人肌の先生で、ほとんどの患者さんとのやりとりは自分の頭のうちに収めておられ、カルテ記載を事細かにするタイプではありませんでした。そのため、膨大な患者さんに関する情報が、そのまま失われてしまったことも痛手ではありました。

* * *

当座の透析の管理と回診は、病院の透析担当の先生にかわるがわる交代で入っていただきました。
手薄になった部分は大学の医局に応援をたのみ、とりあえずはなんとかしのぎました。

その間、次の院長をどうするかということを模索しなければいけません。

大都市圏はともかく、透析管理のできる医師はこの辺ではそう沢山いるものでもなく、探して見つかるのだろうか
……かなり途方に暮れておりました。

詳しくは書けませんが*1、偶然に偶然の大僥倖で、新たな院長として来ていただける人がみつかり10月末には、来年度から赴任していただけることが決まりました。

来年度までは人員の少ないなか苦しいやりくりを強いられるものの、年度末まで我慢すれば……という希望が見えると、人は頑張れるものですね。
精神的な希望って、とても大事だと思いました。

* * *

その後のことは忙しすぎて思い出したくもありませんが、数々の不愉快な出来事もあり、病棟・外来の忙しさと、人数が少ないことで手薄になる透析部門のケアを行いつつ、とにかく例年よりも働きました。*2

僕は今までは透析部門にはあまりかかわっていなかったのですが、透析患者の全身管理は勉強をして*3ローテーションの一角に加わりました。やってみると、透析管理は医学的になかなかおもしろい領域だなあと思いましたが、そんな余裕はその時はありませんでした。
しかし、折しも冬で病棟は満床、ずっと満床……。
控えめに言っても修羅場以外の何者でもない冬でした。

* * *

嬉しかったのは、病棟を始め、すべてのスタッフが頑張ってくれたことです。
大きな精神的支柱を失い、みな少なからず動揺もしました。
しかし、患者さんからの不安からくる辛辣な言動にも耐え、忙しい業務にも耐え、一丸となって、年度末を切り抜けました。
私もとにかく診療を維持するためにあちこち走り回り、外来・病棟・透析とあちこちに顔をだし続けました。

私は創業者の父の後を継いだ二世でしたから、それまでは、どこか皆も「ぼっちゃん」的な受けとられかたをしていたように思います。
一冬の修羅場を戦い抜いた今、名実ともに理事長としてのリーダーシップを発揮できるような気がします。ともに戦った戦友として指揮官として認められたんじゃないかと思っています。
昨冬はすべての部署を把握できた自信があります。それくらい診療に埋没していました。

* * *

一人は病死され、また一人の先生は病院を去り、来年度初めに来るはずの先生は土壇場で撤回されるという、医師に関する限り、さんざんな2017年度でした。が、蓋を開けてみると、昨年度は過去最高の業績(医業収益)でした。
例年よりも忙しい中を頑張ってくれた医師のみなさん、コメディカルのみなさんには心から感謝しました。
(もっとも、誰よりも自分自身が働いた自負はありますけれど)。

年度が変わり、すばらしい先生が二人やってこられ、病院も、透析クリニックも元気にやっています。
昨年度からやっていた透析クリニックの改築工事も終わりました。
改築を楽しみにしておられた亡くなられた先生はもういません。
 でも、なんとか先生の診療そのものは守り抜けたように思います。

少し秋の風が少し沁み入る、こんな日です。

*1:あるいはもう少しほとぼりが冷めてから書くかもしれません

*2:もちろん、いろいろ犠牲にするものはあって、たとえば医師会の業務の一部を辞めたり、以前に常勤として勤めていた基幹病院の外勤も週1から月2回に減らしたりもしました。また自分がリーダーのバンドはこの日以降基本的に凍結しています。そんな気にもなれなかったので。

*3:成書を一通り通読し、FAQ的な本を4−5冊読みました。最近はガイドラインなども充実しており、内科の歴もそれなりにあるので、95%の事象には対応できました。あとは経験者に訊いてなんとかした。

旅いろいろ

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入り口の立看、を撮っている知らない人を撮る。

第一ホテルの話

今週は東京出張だった。
お台場が会場だったのだが*1、新橋の第一ホテルに宿泊した。
内装や什器についてはどちらかというとオーセンティックな造りで、不満はなかったのだが、多分何度も泊まりはしないかな、と思う。

しかし、すごく昭和感というか、懐かしみのある雰囲気……
これは一体……
ん?

* * *
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少し調べてみた。
これは、きっと親世代の人間には周知のことだが、私より下の世代は知らない知識*2

第一ホテルはかつては名門であり、高度経済成長期にはホテルを全国チェーン展開していたホテルグループなのであった。セカンドラインである「第一イン」という名称のホテル群があったのだが、その一号店は福山だったそうだ。(Wikipedia-第一ホテル を参照)


あー。そう。
「第一イン福山」。
家から結構近いところにかつてそのホテルがあった。
今はもちろん、建物も解体されていて跡形もない。

確か、3階には中華料理店があった。私の姉妹は車酔いしやすいので、自宅から歩いていける距離のこの店にはよく食べに行ったことを憶えている。うちは上得意だったのか、年に一度鶏の丸焼きみたいなものが届いていた*3
懐かしい気持ちにおそわれたのも無理はない。

* * *

今となっては失われてしまったホテル系列の旗艦。
ダメになってしまった昭和の遺産。
しかし系列のチェーンにはやはり似たDNAがあるのだろう、建屋の形や内装なども、以前福山にあった第一ホテルとどことなく似ているように思う。それとも時代精神か。
期せずして30年前のことに思いを馳せることになった。

皆さんは第一ホテルグループ、覚えていますか?

ホテルのインフラの変化

医者になってからあちこちと出張に行き、色々なホテルに泊まった*4

2000年代前半は、wi-fiを宿泊客に解放しているホテルはほとんど無かったように思う。だから、出張には、有線LANコネクターが欠かせなかった*5
少し時代が下って2000年代後半には、主だったビジネスホテルではwi-fiが整備されたように思う。ただ、この頃は、家族旅行などで観光地のホテルに泊まればwi-fiは当然のようになかった。「仕事じゃないでしょ?いらないでしょ?」と言われているようだった。

状況が変わったのは2012年から2014年くらいだろうか。
いつのまにかほとんど全てのホテルでwi-fiが提供されるようになっていた。あまりに自然な変化で気づかなかったのだが、おそらくwi-fiの用途がPCからスマホに移行したからだ。というか、スマホが圧倒的に普及したために、相対的にPCのシェアが低下したんだと思う。限られた用途に使われていたwi-fiは、ないと生活が回らないようになりつつあるし、カズレーザーもそりゃギャグにする。

何にしろ、wi-fiが当たり前に使えるのは便利なことだ。有難い世の中だと思うよ。

* * *

ところで、ここ最近のホテルアメニティの潮流は、スマートテレビとでもいうのだろうか、TVのコンピュータ化である。昨年末泊まったホテルではApple TVが備えられており、スマホmacの画像のミラーリングができることに驚いた。
そのホテルは「俺新しいホテルっす」とでも言いたげなルックスだったんだが、このオーセンティックな第一ホテルでも、電源を入れるとまずあらわれる画面で、YouTubeが見れるのである。ペアリングして個人のアカウントを使うこともできる。またHDMIケーブル(貸し出してくれるらしいが)で、PCのミラーリングもできるそうだ。

* * *

時代物のように見えるベッドのフレームにも、充電用のUSB の穴もある。
見た目ほどオーセンティックではないのだ。

* * *

病院に要求されるインフラも、じわじわとではあるが、進化しつつある。二年前に病院を建て替えたときには外来・入院中の患者さん用にFree Wi-Fiを導入した。これはまだ医療の世界では当たり前ではなく、まあまあ喜ばれて、付加価値を付与できたが、まあ優位性があるのはせいぜい2-3年というところだろう。時代遅れにならないように次を見据えて何か導入してみよう。

*1:基本的には学会などで宿をとる場合、僕は最寄りではなく少し離れたところにホテルを取る傾向があります。

*2:多分今どきの大学生に聴いても山一證券とか知らなかったり、そごうも忘れ去られていくのだろう

*3:もらっていたのか、買っていたのかは知らない。子供の頃の話だから

*4:私は要求するQOLが低いので、そんなに高級ホテルには泊まらない。たまに製薬会社招待で泊まるホテルは、私の普段使いのグレードよりずっと高い。個人でそれよりも上のグレードのホテルに泊まる投資家兼業の先生方もおられるようだが、わたしには無縁の話だ。

*5:Windows機だったのでノートPCの側面にイーサネットのコネクタがついているのが一般的であった。奥行きの浅い文机の引き出しを開けると鼠色のLANケーブルが今でも大抵ある。