半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

生活保護について、僕が思うこと

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そういえば「健康で文化的な最低限度の生活」という漫画がドラマ化され、すくなからず膨れ上がった吉岡里帆の女優価値を少し毀損して終わったことは記憶に新しい*1
生活保護」は本来、社会制度でいうセイフティーネットに過ぎない。が、「生活保護」という言葉について回るもろもろには、偏見を始めとする様々なスティグマが付け加わっており、制度を直視することが難しくなっていると思う。

また我々一般の勤労生活者は、生活保護については、別の世界の出来事であり、正視することなく毎日を暮らしているのが実情である。
死がタブー視される以上に、生活保護はタブー視されている。

だから生活保護に関してなにかを書くと、炎上しかねないのですが、まあこんな裏路地みたいなブログ、大丈夫か。

* * *

町医者なんてやっていると、生活保護とは無縁ではいられない。
医療適否意見書を書いたり、薬を出せ出さないの押し問答、いろいろ枚挙にいとまがない。
退院支援も難易度があがる。

勤労世代で大きな病気を負うと働けなくなる。
結果、生活保護に転落せざるを得ない場合もある。
十分な資産なしに大病を患ったリタイヤ世代も、生活保護にならざるを得ないことはよくある。

* * *

生活保護、略して生保、ネットスラングでいうところの「ナマポ」の人は、ほんといろいろである。
一般的な通念通りのイメージの方もいる。
クソ野郎としか思えない人間も当然いるが、仙人か仏様のような悟りをもった人もいるのだ。

人徳における最低値と最大値は、生活保護の人も、生活保護ではない普通の勤労者も大きくはかわらない、と僕は思う。

もちろん、その平均値、重心などは違うかもしれない。
でも生活保護イコール怠惰で破綻者というステレオタイプの捉え方は、必ずしもあてはまらないことは言っておきたい。*2

* * *

僕は普通に働いてお金をもらっていて生活をしている。税金もいっぱい納めている。
だけど、想像力を働かせると、全く働けなくなる事態だって、今後ありえないことはない。僕は今の人生はたまたま初期スロットがよくてハイスペで、なおかつラッキーな要素もあって今があると思っている。そりゃ努力もしたよ。だけど、自分の力で勝ち取った能力がすべてじゃない。

自分が生活保護を受けている世界線を想像したことはないだろうか?
生活保護に関しては、そういう想像力を働かせて、寛容に考えるべきだと思う*3

生まれてから死ぬまで誰の世話にもならずに生きていく、ということは、人間不可能なんだから。

* * *

ところで、これは橘玲氏の著作の受け売りであるが、幸福の3条件として
「自由」「自己実現」「共同体〜絆」の3つがある*4

3つを実現するために、財産には3つのインフラがある。

  • 金融資産 =自由
  • 人的資産 =自己実現
  • 社会資産 =共同体〜絆

金融資産は、わかりやすくいうと、持っている財産のこと。
人的資産は、仕事などにおける自分の能力。たとえば医者であれば、換金可能性が高い人的資本をもっていることになる。
社会資産というのは、たとえば友達関係とか、そういう紐帯に関する関係。必ずしも換金性が高いわけではないが、人は共同体の中でのポジションによって幸福度が大きくことなることが研究でも示されている。


たとえば、孤独な引退した金持ち、は金融資産が多いが、人的資産・社会資産がゼロの状態。
少し前に話題になった「マイルドヤンキー」というライフスタイル、大都市圏に出ず、地元で、そこそこの仕事につきつつ学生時代の先輩後輩同級生の関係を尊重する生き方は、金融資産・人的資産よりも社会資産を志向していると要素分解すれば、理解しやすい。

この見方でいえば、生活保護というのは、金融資産がゼロになり、なおかつ短期的に人的資本による給与所得がなくなった時に支給されるものである。逆にいうと、社会資本については全く勘案されない*5

であるので、結論からいってしまう。
社会資本の多寡が、生活保護の人たちの幸福度に大きく影響する、ということになる。

社会資産の多い生活保護の方というと、なんとなく地域に根を下ろし、友達も多くて屈託なく笑う明るいおばちゃん、というステレオタイプが想像できる。彼女たちはそれなりに幸福そうに見える。
僕が関わるのは入院とか、外来などであるが、僕が居るところはほどほどの田舎なので、調子が悪く、受診する時にアパートの近所の人が連れてきてくれる。一緒に付き添ってくれたりする、なんて事例はそれなりにあるのだ。救急車に近所の人が同乗してくれる、なんてのもある。
入院になっても近所の人やお友達のお見舞いが絶えない人に対し、お金には不自由ない老後を送っているけど、近所付き合いがなく、家族親戚も遠方で、独り、の人もいる。どちらの幸福度が高いか、と考えると、結構微妙だ。

ただ、世間は「楽しそうにしている生活保護」の人に対し厳しい。
生活保護は人様の税金で生きているのだから「生活保護でスミマセン」という風にひっそりと身を潜めて生きていかなければいけない。という意見。ネットでの意見もそんな感じだ。

* * *

金がないのはしょうがないけど、それ以外のところでは幸福に暮らしてはいけないのかな、と思う。
我々に足りないのは想像力だ。

* * *

前述の「友達の多いおばちゃん」に対し、独居・独身の男性の生活保護者の多くは孤独で、幸福度も極めて低い。
たいていは喫煙や飲酒の依存があり、それは多くの場合改められることはない。
自尊心が傷つけられている人間は、自己を、自分の健康を尊重しないからだ。

どこかに明記されているわけではないが、一般的な通念として
生活保護は社会のクズ」「生活保護になったら人生終わり」という意見がある。
そういう日本的な固定概念(倫理的んブレーキ)が、生活保護が過度に利用されることを抑えてきたという歴史的経緯は事実だ*6

ただ、現実的に生活保護者は200万人を超えるし、「所得倍増計画」的な社会政策で解決することもできそうもない。
200万もの人間がこの制度で生きている以上、この生活保護に対する社会通念、概念もアップデートすべきではないかと思う。
この人数、ひっそりと生きることなどできはしないし、過度に溜まったルサンチマンは社会を不穏にする。
もちろん国民所得がじりじりと逓減している現在、バラマキもできないわけだけれども。

外国人に対して生活保護の適用を厳格化していく昨今の風潮や、反社会的勢力に対する厳格化は、一般的な層に対しては快哉かもしれない。しかし生活保護がなかったら死ぬしかない人が何をして生き延びるか、と考えると、窃盗・犯罪率の増加につながるわけで、生活保護の厳格化は政情不安とのトレードオフであることを念頭におく必要がある。

ベーシックインカムという制度は、この「生活保護制度」に対するスティグマに対する一定の回答ではないかと思うが、今の現状では実現は難しいだろう。はてさて。 

*1:私は漫画はみているが、ドラマはみていない

*2:もちろん、通常の仕事を営めないような面倒くさい性格の人も生活保護には含まれているので、過度にいいイメージを抱くと裏切られ感も半端ない。きっつー。

*3:ハリーポッターの作者J.K.ローリングも一時期シングルマザーで生活保護を受給していた事実は若干生活保護者を勇気づけるエピソードだ。

*4:この辺の「幸福学」とでもいうべき学問も最近はかなり進んで来ていて、幸福の条件については諸説あるが、この稿ではファイナンシャルな話でもありこの3条件を上げておく

*5:社会資本というのは可視化が難しいという面もある

*6:あとは担当部署による水際阻止作戦。ただ、これは一定の軋轢も非生産的な衝突や心理的なトラウマを残す。子供の頃に生活保護であることを役場の人間に馬鹿にされれたことで、今では就職して正業に就いているけど、権威に対する過度な反感を持っている人に出会ったことはあった。