半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

公立福生病院の透析事件について その2

報道がされて一週間ばかりが過ぎた。

当初わからなかったいくつかの疑問も露わにはなってきたが、実際、現場の感覚および実際の診療情報がみえないので、論評は難しい。

ガイドラインに則っていたのか、いないのか?

前回も書いたが、今回の事例、僕はガイドラインからはそうずれていなかったとは思う。
hanjukudoctor.hatenablog.com
毎日新聞の記事は、「維持血液透析の見合わせを検討する状況に合致していない!」ということをさかしらに主張する。
多分それは、ガイドラインのこの部分を見てのことだろうと思う。

表 医療従事者が「維持血液透析の見合わせ」について検討する状態

  1. 維持血液透析を安全に施行することが困難であり,患者の生命を著しく損なう危険性が高い場合.
    1. 生命維持が極めて困難な循環・呼吸状態などの多臓器不全や持続低血圧など,維持血液透析実施がかえって生命に危険な病態が存在.
    2. 維持血液透析実施のたびに,器具による抑制および薬物による鎮静をしなければ,バスキュラーアクセスと透析回路を維持して安全に体外循環を実施できない.
  2. 患者の全身状態が極めて不良であり,かつ「維持血液透析の見合わせ」に関して患者自身の意思が明示されている場合,または,家族が患者の意思を推定できる場合.
    1. 脳血管障害や頭部外傷の後遺症など,重篤な脳機能障害のために維持血液透析や療養生活に必要な理解が困難な状態.
    2. 悪性腫瘍などの完治不能な悪性疾患を合併しており,死が確実にせまっている状態.
    3. 経口摂取が不能で,人工的水分栄養補給によって生命を維持する状態を脱することが長期的に難しい状態.

ただ、これは、医療従事者側から、透析の中止=「みあわせ」を検討する場合。
患者側から中止を申し入れる場合は、必ずしもこれにあたらない。

ただ、個人的には、どういう説明をしたか、どんな言い方かは気になる。
治療方法の選択肢として「透析をしない、もしくは止める」選択肢を示すこと自体は、別に悪いことではないとは思う。むしろ誠実であるとさえ思える。
がんの治療でも、手術・化学療法・放射線、もしくはそれらの組み合わせ、と同時に、全く治療をしない場合(論文だと治療が不十分な時代のプラセボ群ということになるだろう)のデータを示す方が誠実だ。たとえ、治療をすることが医学的に「当たり前」であっても。

ただ、導入しない、という選択肢を、ことさら魅力的にみせたり、そちらに誘導する、となると話は別だとは思う。
 でも、その辺は第三者にはわからないことなのだ。
 あと、意思決定のプロセスは、もうちょっと委員会とかで絡めて組織ぐるみで対応すべきだったんじゃないかと思う。

* * *

ガイドラインはよくもわるくも最大公約数的な書かれ方をしている*1
あのガイドラインは、「きちんと話し合って同意をとって決めましょうね」というのが眼目であり、割と施設ごとの多様性を許容する書かれ方になっている。
透析医にとってはまあまあ常識的な内容なので「逆らう」ことはむしろ結構難しい。

* * *

今回の事件では毎日新聞は鬼の首をとったような報道をして全国を賑わせてはいる。
毎日新聞*2とか思うと業腹だけれども。
けれども、時代背景的には確かに転回点になる、という気はする。
今回のこの事例は、デリケートな問題に、確かに踏み込んではいるからだ。

ガイドラインの時代背景

ガイドラインが作られたのは2014年だ。
2000年から、2019年の現代にいたるまで、生命倫理に対しては、例えばACP(Advance Care Planning)一つとっても学問的にも徐々に熟成し、世間の関心も徐々に増えている。逆に言えば、2014年では言いにくいこともあったのは事実だ。

今回の事例のような維持透析患者さんの透析の中止は「消極的安楽死」そのもの。
遂に日本でもこれを議論する段階に入ったのか…というのが、僕の感想だ。

* * *

比較的全身状態の保たれた透析患者さんの維持透析を中止する、という行為は、
積極的な安楽死の範疇に入るのか?消極的な安楽死の範疇に入るのか?

医師は「消極的安楽死」とみなす。が世間のイメージからいうと「積極的安楽死」と受け止められるだろう。
僕のみるかぎり、この齟齬が今回の事例が大々的に報道された理由だと思う。

* * *

そもそも、「積極的安楽死」「消極的安楽死」という言葉自体、なじみがない。

「積極的安楽死」   「消極的安楽死」  
 肉体的苦痛を除去する目的で、作為による直接的な生命の短縮が行われる場合。生命を積極的に絶つことによって、死苦を終わらせる場合がこれにあたる  死苦を長引かせないため、積極的な生命延長措置をとらないことによって死期が早まる場合を指す。

透析患者さんは、維持透析をやめると、死ぬ。
その意味では、透析の中止は消極的安楽死。しかし、透析患者さんは、透析をしている部分以外は、他の方と変わらない。
だから、「積極的安楽死」っぽく受け止められる。
だから「自殺ほう助だ」なんて、TVのコメンテーターの発言が出てくるわけだ。

消極的安楽死にしろ、積極的安楽死にしろ、日本ではデリケートすぎる話題だ。
基本的にはこの話題は日本ではタブー視されている。
2014年時点では、ガイドラインに、積極的に書けなかった可能性はある。
意図的にそのあたりはわかりにくく書いてあるようにさえ、僕には思える。

今回はそこの間隙をぬうような形になったのかもしれない。

消極的安楽死

「積極的安楽死」というのは、簡単に言えば、漫画『ブラック・ジャック』に出てくるドクター・キリコのようなやつ。
海外では一部認められている国もあるが、日本では認められていないし、現時点では普及する兆しもない。

消極的安楽死、というのは医療従事者は知っているが、通常の治療の延長線上の事柄として扱われるたぐいのものだ。
それなりの医療を行って支えていないと生命を維持できない状態。
その状態に対して、医療の強度を弱めていく。アクセルを踏まない。
すると生命が維持できなくなって、落命する。
これは、推力がないと飛行を続けられない飛行機の推力を徐々にしぼっていくようなものだ。
高度は下がるし、最終的には墜落する。

こういったことは、津々浦々の医療機関で行われている。
もちろん、おおよそはかなりの高齢な方であったり、不治の病があったり、積極的な治療に立ち向かえない弱った方に対してだ。
落命が予想される患者さん全員に対し、思いつくかぎりの濃厚な医療行為を施すことは、患者さんにとってもつらいことだし、家族にとってもつらいことだ。
その頑張りは病状の好転をうむわけではないから。
空中分解するまで飛行機を飛行させるようなものだ。
患者さんにとってもいいわけはない。苦痛も大きい。

だから、然るべき年齢であり然るべき状況の患者さんに対しては、このように降下しつづける飛行機を空中分解させぬよう、ハードランディングさせぬよう、ソフトランディングさせることが、医師の腕の見せどころだと思う。(もちろん、可能なかぎり、である)
ハードランディングは、やはり御本人もしんどいし、家族にも禍根をのこす。

今回の事例はどうだろう。ハードランディングであったことは確かだ。
だけど今回の事例はやっぱり「消極的安楽死」の範疇だとは思う。
透析を止める、というのは、やはりそういうことなのだ。
元気な人も、透析の力で生かされているという現実は、現実だ。*3

もちろん、44歳の安定している透析患者さんをランディングに導く必要があったのか、といわれると、普通はない。
でも、自殺企図・自殺未遂の歴のある方、ということで、生き続けることに苦悩がある方は、なかなか判断が難しい。
 その先は、知らないものがいくら議論を尽くしても答えがでるものではないと思う。

「消極的安楽死」そのものは、今も日本で行われていることだ。別に違法行為じゃない。
だが、日本で「積極的安楽死」がタブー化されるかぎり「消極的安楽死」という言葉は、今後も表立って議論されることはないだろう。

今後どうなるか

新聞は、世論を喚起するのが目的であるから、所期の目標は達しているといえよう。
この事例を受けて様々な制度のアップデートはなされるだろうし、それは一つの進歩であると思う。
透析医学界なども動きだしているようだ。
ただ、実際どんなところで折り合うかは、世論が決めるものだ。
消極的・積極的安楽死のところまで話を広げたら、収拾がつかなくなってしまうかもしれないが、個人的にはそこに踏み込む議論ができればいいなあと思う。

  • 退歩するシナリオ:

医療に対して不信感が強い場合、こうなるかもしれない。
透析のみあわせ、中止について、厳格化され、人工呼吸器を外せないのと同じく、絶命するまで透析は止められなくなる。
ただこれは、明らかに身体を害する透析も、非効率な医療費の分配も許容することになる。
療養型病床の減少というトレンドに一歩棹さすことにもなる。「消極的安楽死」そのものが禁止される場合、実効性の低い医療費が、多分増える。
医療関係者のモチベーションも、多分下がる。

  • 進歩するシナリオ:

進歩、と言えるのかはわからないが。
「積極的安楽死」についてまで、議論、法制度がすすむ。
オランダの安楽死制度などがロールモデルとなるが、複数医師の診察・評価を義務付け、評価を行った上で、薬物鎮静などをかけ、安楽死、できる時代が、来るのかもしれない。
ただし、今回の報道のされ方をみるかぎり、これは受け入れられそうにない。
今回の事例は「積極的安楽死」に思いをめぐらせるきっかけには、多分ならない。

  • 穏当なシナリオ:

今回の事例を踏まえ、ガイドラインの書き換えは行われるだろう。
本人の強い希望で維持透析の中止を行う場合は強く明記され、必要な書式や委員会の体裁も要件化されるかもしれない。
例えば(外部委員を含めた)倫理委員会にて承認を行う、などがガイドラインにて義務化されるのではないだろうか?
多くの人を巻き込んで合意形成をするのがいい。
僕は透析に限らず「消極的安楽死」一般についても、複数医師の診察・評価を義務付ける、などの体制をとればいいと個人的には思っている。
ただこれは少なからず現場のコスト増は招くだろう。
でも命がかかっている選択肢なのだから、みんなで考えたらいいんじゃないか。というのが僕の意見。
おりしも『医師働き方改革』。一人の医師の裁量権よりも、チームによる関わりが志向される流れにも合致している。

*1:その意味で、あれはよくできたガイドラインなのである

*2:毎日新聞の医療関係の報道は、医療従事者には非常に評判が悪い

*3:その不愉快な真実をやはり突きつけられると、透析の患者さんには不快だろうと思う。その意味では今回の報道は「罪」なことをなさるな、とは思った。