半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

最期の末梢点滴、どうしてますか?(その1)

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写真のクオリティがいきなり上がりましたが、この写真は昆虫&写真マニアの息子が撮ったもの

今回のブログの内容は、今年の9月28日に名古屋で行われた全日病(全日本病院学会)で発表した内容です。*1

* * *

「ご飯が食べられない時」に、どうしますか?
というのは、家族が医者から告げられたくない言葉のベスト5に入るものだと思う。

認知症であったり、脳血管イベントで嚥下困難になったり、フレイル・サルコペニア(いわゆる全身の衰弱。老衰やね)の方。
もう寿命を迎えようとしている方は、口から自分で食事がとれなくなる。
とれたとしてもむせてしまって、誤嚥し、誤嚥性肺炎をおこしてしまう。

多くの人は似たような経過をたどるので、もう寿命に近づいているよな…というのは、ある程度経験した医療者にはわりに明確に判断できるものだ。
ただ、家族の方々にとっては経験がないこと。
そのコンセンサスがなかなか取れない……なんてのもこれまた医療の現場ではよくある。
が、今回はその話は割愛させていただく。

こういう状況になった時に、医者は多くの場合、三択を提示する。*2

  1. 胃瘻
  2. 経鼻チューブ
  3. ものが食べられないことは寿命です。そのまま寿命を迎えましょう(要するにそのまま亡くなる方向)

みなさんご存知かもしれないが、1.2.の胃瘻・経鼻チューブはここ近年だいぶ減少傾向にある。*3。2012年から特に理由なく、胃瘻の件数は減少しつつあり、現在はピークの半分くらいになっている。
経鼻チューブは、本質的には胃瘻と同じものだ。*4

というわけで、3.を選択し、お看取りをさせていただくことは正直増えている。
僕はそれはいいことだと思っている。欧米とかそうだし。

では、その最期の段階において、点滴ってどうするのが正解なのか、みなさんご存知でしょうか?

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「看取り期」における意思表示

* * *

先に言っておきます。
この件に関して、2019年の時点では正解はありません。

末梢からの点滴は、糖質などの栄養分は、たくさんは入れられない。
血液の浸透圧よりも高い糖分の濃度であれば、血管の壁が痛んでしまい、静脈炎を起こすから。コーラと同じく 5%程度のブドウ糖と考えてもらえばいい。カロリーにすれば100カロリーそこら。
末梢からの点滴は、栄養分を入れるのではなく、水分と塩分の補給であると考えていい。
水分がないと人は速やかに死に至る(一週間以内)が、水分塩分を供給すれば、それなりに生きられます。

この場合、自分の体にある栄養分、脂肪とか筋肉とかを取り崩して生きながらえることになります。
落命されるまでどれくらい時間がかかるかは、看取りを始めてから、どれだけ貯蓄があるかに依存するわけですが、
多くの場合、この段階に至るまでにある程度痩せているので、適切な点滴をしていれば0〜2ヶ月くらいは存命することになります。

* * *
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例えば、病院において、「点滴をしない」という選択肢はなかなか行いづらいところではあります。
高度急性期、急性期の病院においては、患者さんはさまざまな理由で運び込まれます。その患者さんに対して診断を行いつつ治療を行なっているわけで、その間、食事が取れない場合には、点滴などの補液で生命を維持するのは、ある種当たり前のこと。
*5
そのプロセスの中で、ある種の除外診断ですが、これは「病」じゃなくて「老い」やな、看取り期だな、という判断に至った場合、点滴はやめてもいいのだが、なかなか選択しにくいものではある。

一方、特養などの介護施設では、「点滴をしない」という選択はしばしば認められる。
どころか、どちらかというとスタンダードにもなりつつあるぐらいだ。

「平穏死の勧め」という本がある。
著者の石飛先生は、この考え方の代表ともいえる立場でいらっしゃる。
経口摂取ができないイコール寿命ととらえ一切点滴をしません。
詳しくは本も読んでいただきたいと思います。
苦痛が少なく眠るように息を引き取ると言うのは本当で、確かに理想的です。
私も何例かこのスタイルで看取った経験があります。

一人の高齢者の最期の姿としては、むしろ明治以前の原点に戻ったこのスタイルですが、確かに「本人らしい死」という意味ではかなり魅力的であるのは間違いない。現在死について深く考えている団体・個人において、このスタイルを選択するのはリーズナブルではあります。

ただ、問題がいくつかあるのも確か。
一つの問題は、やはり家族の心の準備が追いつかないこと。
私が嘱託している特養でも、この話は事前にしっかりしている。けれども、いざそうなると、泰然と平穏死を選ぶ人(どちらかというと本人より家族。本人はすでに意思決定能力を失っているから)はやはりまだ多くはないのが現状である。
家族といっても複数いるし、遠方の家族とも連絡したりする段で、「やっぱり点滴ぐらいは…」という言葉でひっくり返されたりするのだ。

もう一つの問題は経口摂取、食事量にはムラがあること。
たべれたり、たべられなくなったり、そうかと思ったらたべれたり。
だんだん波状に食べれなくなる。
平穏死スタイル、つまり絶対点滴しないスタイルであれば、最初にたべれなくなる谷間で、亡くなってしまう。

高齢の医療をしていると食べれなくなって点滴してその後もち直して年単位で存命することはしばしば経験する。
だいたい10%くらいは、数日点滴を追い風を待っているとまたたべられる、ことがあるように思う。
「平穏死」方式ではここの部分が機会損失になってしまう。
(どうせその状態は死んでいるのと同じだから、寿命が伸びたってむだだ、という論法は、こういうデリケートな話のなかでは、いささか乱暴すぎる、と思う。もう看取りですーと宣告するけど、でも数日の点滴で復活し、1年半以上点滴なしで看取り体制を続けている方も、施設には複数生存していらっしゃる。別に引き伸ばされた悲惨な生、とは思わない)

つづきます。

*1:ポスター発表でしたけどね、フン。

*2:IVHを入れてTPNというのは、基本的には僕は積極的にすすめてはいない。栄養学会などでも推奨されていない。東京から大阪までどうやって行きますか?という問いに対し、飛行機?新幹線?というのが胃瘻や経鼻チューブだとすると、TPNは「タクシーでいく」という回答に近いと思っている

*3:胃瘻は、やっぱり自分では入れられたくないけど…という部分が大きいのだと思う

*4:胃瘻はあんまりなので、経鼻チューブで、という家族の要望をたまに聞くけど、はっきりいって、経鼻チューブの方がつらい

*5:要するに、認知症の最末期や、老衰の最末期で食事が取れないことが明白な場合には、そもそも急性期で加療すべきではないのである。