「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」なんて言葉もありますが、医師は「聖職者」というくくりで認識されていることが多いわけです。
医師に本当に聖職性があるか?と問われると口ごもる私ですが、ただ、普通の職業と違うんやで?という一端として「応召義務」というのがあります。皆さん、応召義務って知っていますか?医師法で決まっているわけですけれども、
診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。
(医師法第19条第1項)
要するに普通の仕事の場合は、「あーつかれた、もう切り上げます。閉店です」という形で、業務を終了することができるわけなんですけれども、医師は、応召義務で、こちらの理由で業務を終了できない、という、ちょっと考えると恐ろしいルールなわけです。
これを拡大解釈すると、電通なんてめじゃないブラック労働環境が容易に生まれてしまう。
「応召義務」があるかぎり、医師は、プロレスラーのように相手がかけた技は一旦受けてから返さなきゃいけない。よけちゃダメなんですよね。
ちなみにアメリカには「応召義務」なんてありません。
勿論、どんな人間だって、 40時間くらい診療を続けることが常態化すると、ぶっ壊れます。また、休日が全くない状態でフルタイムで半年働き続けても、ぶっこわれます。ですから、本音と建前っつーものがありますね。中にはプロレスラーよろしく、一切技をよけないストロングスタイルの医師もいます(特にメジャー科)が、愚直に「応召義務」に準じていたら身がもたないですから要領よく休息をとっているのがまあ実情。 *1
ただ、仕事を切り上げようとしているところで「診ろいや診ない」みたいな押し問答になったとして「応召義務があるじゃないか」みたいに葵の御紋のように持ち出されると、議論するのも面倒くさいので、おそらく多くの臨床医はため息をついて診療することを選ぶでしょうね。そういう「建前」上は最強のカード、それが応召義務です。 *2
患者が貧困であるという理由で、十分な治療を与えることを拒む等のことがあってはならない。
医師法第19条にいう「正当な事由」のある場合とは、医師の不在又は病気等により事実上診療が不可能な場合に限られるのであって、患者の再三の求めにもかかわらず、単に軽度の疲労の程度をもってこれを拒絶することは、第19条の義務違反を構成する。
医師が第19条の義務違反を行った場合には罰則の適用はないが、医師法第7条にいう「医師としての品位を損するような行為のあったとき」にあたるから、義務違反を反覆するが如き場合において同条の規定により医師免許の取消又は停止を命ずる場合もありうる。
休診日であっても、急患に対する応招義務を解除されるものではない[3]。
休日夜間診療所、休日夜間当番医制などの方法により地域における急患診療が確保され、かつ、地域住民に十分周知徹底されているような休日夜間診療体制が敷かれている場合において、医師が来院した患者に対し休日夜間診療所、休日夜間当番院などで診療を受けるよう指示することは、医師法第19条第1項の規定に反しないものと解される。ただし、症状が重篤である等直ちに必要な応急の措置を施さねば患者の生命、身体に重大な影響が及ぶおそれがある場合においては、医師は診療に応ずる義務がある
(厚生労働省通達より)
ほらね。相手が金持っていないことが明らかであろうが、休診日であろうが、専門外であろうが、診療は拒否できないんです。なかなかしょっぱいルールだと思いませんか? *3
ただこれがあまり問題にならないのは、前述のとおり、医者はいろんな意味でタフで要領がいいので、うまいこと休んでいるというのが一つ。(それでも研修医で鬱で休職とか自殺というのは結構な頻度で発生している)
もう一つはこの「応召義務」のデメリットをまともにかぶっているのは、田舎の赤ひげ先生みたいな、僻地とか地域医療の先生なんですけれども、大体は事業主を兼ねているから、被雇用者としてのブラック労働には該当しないから。被雇用者の労働は労働基準法で規定されますが、事業主の労働というものは、制限されません。なぜなら事業主には業務の裁量権があるからです。ブラックなのは好きで働いてるからやんな?みたいな解釈で。
でももっと大きい枠組みの「応召義務」には労働裁量権を認めてないわけで、これってやはり矛盾よね。
というわけで、疲れている時にその言葉を聞くと、死神に心臓をぎゅっと掴まれたような気になる。それが応召義務。
普段、スマートにひらりひらりと仕事をしていても、その言葉ひとつで、右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ精神、攻撃はよけずに受けなきゃいけないという呪わしき運命を思い起こさずにはいられない、それが応召義務です。大げさだけど。
最近私の住んでいる地方都市(広島県福山市。人口40万人)でも、同年代の先生で、最近開業された先生が何人かいらっしゃいますが、例えば岡山に居を構えて、そこから通う、とか、そういう方が何人もおられます。
また、診療所そのものはまあまあ辺縁地区にあるのだけれども、自宅は駅前のタワーマンションにある、とか。
職住近接ではないパターンが最近多いわけです。
最初は「うーん、お子さんの教育のこともあるしなあ」と思っていたんですが(地方都市であれば、学校の選択肢が限られるため、教育熱心な奥様は、住みたがらない)、診療所に住み込まずにオフタイムには帰宅するなら応召義務に応じることは現実的に不可能。つまり応召義務を免責できる。そのメリットははかりしれんよなあと気づきました。
昔ながらの地域診療は、診療所と自宅を併設するのが当たり前でした。それは地域社会に溶け込む点では意義深いとは思います。地元の名士を目指すのであれば今後もこのスタイルでしょうね。ただ「応召義務」は職住近接に潜在的なリスクを抱えることになる。
職住をわけると、地域との一体感というのはなくなりますが、昼間の診療で、親切でしっかりした診療をしていれば、患者さんは来るわけで、それで十分経営が成り立てばそれでいいんでしょうね。
ただ、地域の医師会へのコミットは、どうしても薄れる。大都市圏における医師会の参加率の低迷も、こういうことが要因の一つになっているんでしょう。
私は、地元に帰って父の病院を継いだので、そういう選択肢を検討すらしなかったわけですが、職住を離す選択をされた先生は、どうなんすかね?そういうことについて意識的なんでしょうか、無意識下に最適な選択をしているんでしょうか。
*1:医者っていうのは受験強者なわけで、まあどっちかというと要領がいいし、要領がよくないと潰れる。医者の学会なんて、単位とったら、結構する会場離れて割り切って観光したり、っていうのもまあまあ見るけど、看護とか栄養士の学会とかって、医者では考えられないほど真面目で、会場も溢れんばかり、誰もサボらない。
*2:もちろんそういう言い争いに長けた医師もいますが、大抵そういうやつは口先ばっかりで仕事ができないので、超過の仕事を割り当てられません。医療も他の業界と同じく、仕事のできるやつに不公平に仕事は割り振られるものです
*3:ここには専門外ルールは明記されていませんが、専門外であっても初療を行い、診療可能な医療機関を紹介する、という義務が発生する、と何かに書いてありました