前回の続きです。
hanjukudoctor.hatenablog.com
- 胃瘻・経鼻チューブは減りつつあり、自然な看取りは増えた。
- この場合末梢点滴をどこまで行うかには、現在定見はない。
- 病院では多くの場合末梢点滴を中断することは少ない。
- 一方介護施設・在宅での看取りでは最初から点滴を行わない「平穏死スタイル」が増えている。
病院においては、末梢点滴を外し、最期の数日間を点滴なしで過ごすは、正直なかなか難しい部分もあります。
うちでも何度か取り組んでいますが、数例に止まっています。
- レベルの低い話ですけど。「点滴を外し、何もしない」という事態を異常事態としておかないと、例えば末梢点滴の指示がきれている患者さんの指示を、そのまま点滴終了と判断して拾ってくれなくなったらどうしよう…と思ったりします。これを防ぐために、点滴中止は、病棟の詰所内でスタッフを揃え「点滴の持続は以後中止します」と宣言しないと、中止ととらない、決まりが必要です。
- 倫理的な利益相反性。特に急性期病棟においてそうですが、在院日数には下方圧力がかかっています。点滴を切ることは、患者さんのため、と言っているけど、自分たちのためにやっているんじゃないか?という疑念が払拭できない。急性期病棟の「早回し」の中に点滴中止を組み入れると、誤解を招かないだろうか、と少なくとも2019年時点では思う。
点滴「する」「しない」二分法からの脱却
これは、前回にも出したスライドです。
前回述べたように、
点滴を「する」「しない」という単純な二分法ではそれぞれに長所・短所がある。
というわけで、当グループでは、その間の段階を説明させていただいてます。
あ、特養の話ですよ。
まずは、つなぎ融資型。
食事摂取の程度は、波状に悪くなることが多いわけですが、食事摂取が一定のレベルを割り込むと(300Kcal/日、水分は500ml以下を目安としています)、500ml程度の補液を行います。
3〜5日点滴している間に食事摂取が元に戻れば点滴を中止しますが、点滴を追加しても、食事摂取が増えそうにない場合は、この時点でご家族にお話をさせていただき、点滴の中止を提案します。
ちなみに「つなぎ融資」とは、倒産しそうな会社の資金繰り難に対して行う融資のことです。業績が改善すればキャッシュフローもよくなるけど、好転が期待できない場合、銀行は掌を返して資金回収に走ったりしますね。それににていて、基本的には点滴はしないけれど、当座これで頑張れる?みたいな点滴です。
平穏死スタイルにもうワンチャンス、という感じですね。
「つなぎ融資型」は平穏死スタイルに共感を示すけれども、親族の合意がまとまらず平穏死ほど思い切った判断ができないご家族に向いています。
「平穏死」は本人の意思表示が明確にあれば選択しやすいですが、意思表示がすでに失われ、親族が忖度して方針を決定する場合、あまりラディカルな選択肢はとりにくいものですから。
もう一つは「直前中止型」です。
この場合、比較的長く点滴は続けます。
が、例えば浮腫が出てきたり、点滴穿刺ルートに難がでたり*1、家族がきてもほとんど反応がなくなったような状況(僕はよく「ご本人はベッドに横になっているけど、ご本人の魂は、50cmくらい上にフワフワ浮いている状態」と表現してます)になれば、点滴を続ける理由よりやめる理由がうわまわる。その時は中止を勧める、というもの。
比較的コンサバティブなご家族はこちらを選択される印象です。
* * *
もちろん、現実には、我々の目論見通りにすべてことが運ぶわけではありません。
「直前中止型」で点滴を続けていても、あっさり心停止が起こってしまうこともあるし、家族の思惑を裏切ってしまうこともある。そんなに人の生き死にはコントロールできるものではない。
ただ、点滴については「正解」がないゆえに、できるだけこういうことを丁寧に説明しています。
そうすると、患者の家族は最期の段階を想像してもらいやすくなる。
また、これくらい踏み込んだ選択を家族さんと相談している過程で、自然にご本人に関しての共有する情報も増えます。そういう関わりこそが、死の選択には重要なのだと思っています。
今年に入って20件ほど看取りをしていますが、大きなトラブルは起こっていません。
基本的には平穏死を勧めています。
しかし平穏死を積極的に選ばれる方はやはり2019年の広島県地方都市ではまだまだ少数派です。
ただ、丁寧に説明すると、最期までとことん点滴、を望む人はそんなにはいませんでした。
「つなぎ融資型」「直前中止形」のどちらかに落ち着くことが多いように思います。
* * *
ちなみに、僕がこういう選択肢を提示するのには、個人的な反省もあります。
基幹病院から実家の中小病院に戻ってきた僕は、当初「看取り」になる患者さんは当然のごとく点滴をしていました。しかしどの点滴をどのくらい行うか、には多少の試行錯誤も必要でした。
結論からいえば、維持輸液を500ml、なんなら末期は200mlくらいに絞るのが一番保ちます(3号輸液か4号かは、永遠のテーマではあります)
これは、若い人に対する維持輸液1500ml/日などとは全く異なるアプローチです。
が、浮腫などもでないし、ルートトラブルも少ない。高齢者はドライ気味の方がいいというのは鉄則です。
ある日、看取り体制に入ってから3ヶ月以上存命していた人の死亡報告を受けて内心してやったりと思って病室におもむき、死亡宣告のため、患者さんの顔をみて、気づいたんです。
これ、全然患者さんのためになっていないやん。
身体に残った脂肪や筋肉を最後の一片まで絞り尽くしたそのお姿は、皮膚の上から頭蓋骨の形がはっきりわかるような状態。骨と皮ですけれども、まるで即身成仏のようでした。
存命時間の最大化を図る、という医学技術上では満足の行くものでしたが、そもそもこれは誰のニーズも満たしていないんじゃ…と気づいたのはこの時です。
それからは色々看取りの体制について考え、現在のやり方に至った次第です。
僕の今回のアプローチはあくまで過渡期のもので、いずれ、5年後、10年後には「平穏死」スタイルが当たり前になっていくんじゃないかなと思ってはいますけどね。また、そうあって欲しい。
* * *
今回のエントリをきっかけに、色々な人と話をする機会がありましたが、割と一般の世界では、いまだに、胃瘻や経鼻チューブを望む人は少なくはないようですね。
我々はどちらかというと特養とか、重度介護の現場でやっているものですから、こうした考えは議論尽くされている、と思っていました。
看取りの前段階、経管栄養のところでの議論もまだまだ必要なようです…
その他のBlogの更新:
*1:もちろん持続皮下注という選択肢はあります