半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

愛情銀行

医者になりたての頃は、外来というのは、それはもう大変なプレッシャーだったけれども、16年目にもなった今は、どっぷり外来ばっかりやっているわけです。

私は僻地といっても失礼には当たらないような医療過疎地域で研修したので、一年目から外来も担当していたのだけれども*1、その頃は、いかに標準的な水準の医療を提供できるかということに必死で、患者さんは患者さんとしか見れず、隣人として受け止めることはできなかった。

もっともこれは医師としての若さだけでなく、社会人としても若かったこともあるだろう。結婚し子供を授かり、親や義理の親が病気になる*2などの体験を経ると、診察室でむきあっている相手は、隣人として同じ地面に立つ存在になった。

そうなると、みな社会人としては自分より先輩であることを痛感する。それぞれに面白い体験をしており、むしろ人生の後輩として教わることはとても多くなりました。

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家族の方が、つれあいの方や、親、義理の親の介護をしているなんてことは当然よくあるわけなんです。

皆さんは、長年連れ添った夫、もしくは妻が、極度の認知症や寝たきりのようになってしまって、介護をしなければならないという場合、どれくらいの期間なら耐えられると思いますか?

愛情というものは、銀行の預金残高のようなもので、長年一緒に暮らしていると、それなりに口座のなかに積立てられていくわけだ。連れ添っている期間が1年とか2年とかよりもやはり10年20年の方が、愛情というよりはむしろ「義理」という言葉がしっくりくるような何かには変性するが、積み立てられた額を反映した義務感というものは、やはり醸成される。

いざ、脳梗塞なり認知症なり、大腿骨頚部骨折なり何かが起こって、介護が必要な状態になるとする。

例えば30年連れ添った奥さんが、つきっきりの献身的な介護に、どれくらい耐えられるか。

半年?一年?5年?10年?

愛情銀行の積立ては、どれくらい辛いことにも耐えられるのだろうか?

仕事を辞めてしばらく貯金で暮らすと仮定する。少しでもアルバイトなど収入があれば、貯金の目減りが抑えられる。その場合耐えられる期間はかなり延びるが、完全に無収入だとあっという間に貯金を取り崩してしまう。

愛情銀行も同じで、取り崩すのは思ったよりずっと早そうである。

認知症にしろ脳梗塞にしろ、介護される本人は完全に余裕を失っており、介護が必要な自己を受容できない。だから周囲にあたったり、傷つけられたプライドを糊塗しようとして「長年連れ添ったんだから介護をして当然」みたいな態度をとることがしばしばある。これは殿方に多い。

いわば愛情銀行に入金が一切ないようなこういう態度だと、びっくりするほどあっという間に介護者の愛情銀行の口座は取り崩されて残高不足になり、口には出さないけれども「こいつ死んでくんねえかな」という精神状態にみんな追い込まれるみたいだ。

介護保険のサポートなどがあったり、親戚とか兄弟とか、負担が分散している場合は、随分楽になる。無期懲役と有期刑の違いにも似て「希望」があれば、相当しんどいことにも耐えられる。

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40年専業主婦を養ってきたんだから介護されるのは当然?

マンツーマンの介護でそういう態度では、介護保険の申請をしてから認定がおりる一ヶ月だってあやういものだと思う。

でも「ごめんな」とか「ありがとう」とか、愛情銀行にいくばくか入金されるような言葉があったら、しのげる時間も延びるのである。プライドの高い殿方は気をつけましょうね。あと偉そうにしてる姑さんも。

*1:今のスーパーローテート制ではありえない。最近は大きな病院であれば3年目以降の後期研修医でもすぐは外来しないみたいですね

*2:幸い親世代は誰もまだ亡くなってはいないが、病気くらいはする歳だ