先月初めに日本創生会議での提言が話題になりました。
首都圏の介護が不足すること、今後地方への移住などをしたらいいんじゃないか、という提言。
介護施設を奪い合う深刻な事態が生じかねない――。有識者でつくる民間機関「日本創成会議」(座長・増田寛也元総務相)が4日公表した高齢化対策の提言で、都内の施設基盤の弱さが浮き彫りとなった。
提言は、2015年から25年までの75歳以上の後期高齢者の増加率を都内全体で34%と試算した。多摩・島しょの市町村が40%で、区部は32%。区部の増加率が低い背景を昨年の住民基本台帳をもとに世代別に分析し、10~20代の若年層が都内の他の市町村や埼玉、千葉、神奈川3県から流入して7万3千人の転入超過となる一方、60代以上は8600人の転出超過だったことを指摘した。
TVでも放送され、観た人も多いと思う。皆さん、覚えてますか?
しかし、大方の反応は冷ややかで、マスコミも「なんじゃそりゃ」「変なことを言ってるな」という反応で、建設的な議論はなかった。
TVでは議長の増田寛也元岩手県知事ばかりが取り上げられていましたが、この提言の主役は、国際医療福祉大学院教授の高橋泰先生でした。TV的にはたぶんバリューがないんでしょうか、壇上に座ってる姿はかろうじて映されていたけどほぼ黙殺という扱いだったんですけど。
実は、高橋泰先生は、日本の医療の未来を知りたいとアンテナを張っていれば必ず出くわす有名な方です。今回の、医療介護の不足という話も、5年前くらいから綿密なデータをもとに繰り返し主張されておりました*1。だから今回の提言は業界的には常識といっていいくらいで、周知の事実と思っていましたが、まだこのニュースが出ただけで過剰反応を起こすのか、ということに正直驚きました。
日本創生会議は、性格上どうしても国家の(ひいては地方財政の)景気浮揚という結論に誘導されます。東京圏の介護不足という事実から、地方移住を勧奨するという処方箋は結論が飛躍しすぎな印象も受けます。ただ、高橋先生の話は元来は純粋な将来予測でした。学者ですからね。
医療に関しては、東京23区内は人口当たりの医師数は日本で最も多い医療充実地域である。しかし周辺の埼玉、千葉、神奈川県は、人口当たりの医師数はとても少ない。埼玉なんて北海道東より少ないのである。
医療以外の業種もすべてそうですが、周辺県の人達は昼は東京に通勤・移動する。受診行動も同様の軌跡をとり、聖路加だったり東京大学病院だったりを頂点とする、都内の立派な病院群に受診するわけ。
医者も実は同じで周辺県に住み都内に通勤しています。
現時点では首都圏の医療はそのような受診行動に最適化されているわけです。
だけど、定年退職後、徐々に体力も落ちるし、電車で移動して東京の医療機関にかかるのはしんどい。
となると自宅の近くのかかりつけがないかいな…と探してみると、全然医療機関が足りない。もう、絶望的に足りない。
そして介護施設はもっと足りない。
そういうことは需要と供給のマッチングをすればすぐにわかることで、現時点では周辺県に住んでいる人が周辺県に受診する場合、医療も介護も供給が足りないと予想されています。
団塊の世代が大量にリタイヤするここ数年で、これが露骨に顕在化してくる。
埼玉の救急医療なんかは今でも完全にデスマーチらしい。
ただ、おそらく医療に関しては、東京23区内の医師数が過剰なので*2、それらが周辺県に分散すればある程度まかなえる。どうせ勤務医の多くだって近県から通勤しているんだし、職住近接でむしろ好都合。
ただしそのために大規模な設備投資を行い基幹病院を整備するという選択肢は医療費抑制政策からはありえない。従って、今後高齢化が進み、都内の大学病院に通えなくなった患者たちのために、おそらく都内の急性期病院の半分は潰れ、放出された医師(おそらく40,50代以降のラットレースから落伍した層)は周辺県に診療の場をうつす。
その場合同規模の病院に勤める選択肢は狭き門であり、少なからぬ医師が在宅往診専門にコンバートすることになるだろう。今は政策誘導のために在宅診療の診療報酬は非常にいいが、その頃はどうなっているかはわからない*3。
ただ、医療は偏在を調整する余地があるが、介護に関しては首都圏全体で足りない。むしろ周辺県は少しましで、都内は絶望的に足りないらしい。だから配置をどうこうするの問題ではない。
東京の住環境と雇用市場環境を考えると介護人材が少ないであろうことは容易に想像がつく。
何しろ介護も医療も全国一律の相場なわけだから、物価の高い都内では介護職の魅力は相対的に低い。
東京が東京であり続ける限り、老人を介護する人材は払底したままだろう。都会で暮らすことを夢見て東京に出てきた若者が、田舎でもできる介護職をやるか?田舎と同じ給料で?
そもそも東京の出生率は著しく低い。これは江戸時代の頃からで、東京は周辺から人口流入で支えられ、むしろ周囲の人口増に対する調整弁の役割を果たし続けていた。古来より大都市は周囲の人口を飲み込むものなのだ。
結局のところ、半世紀前、集団就職で東京圏に来た人達によって、人口動態が大幅に歪んだわけですが、その人達が老いた時に介護をする人が不足したと、そういうシンプルな話である。
私の親世代である「団塊の世代」に対して、私はあまりいい感情を持っていないが、しかしこういう人口動態上の動きだけみていると、気の毒な気もする。彼らは結局生まれてから死ぬまで、「団塊」という言葉がついてまわるからだ。言葉だけでなくて、実際に厄介な塊として取り扱われてもいる。
同世代が沢山いるというだけで、彼らには罪はないのである。
ただ彼らの「団塊」だけが呪わしいほどに巨大で、それゆえに特別な意味をもっている。
「団塊の世代」というラベルで語られる限り、彼らは「かけがえのない個人」ではなく、集団のワンオブゼムとしてしか存在できないのだから。