半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

オリンピック前夜

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2021, 尾道

コロナ・コロナ・コロナ(SARS-CoV-2, Covid-19)……

緊急事態宣言があけたあとも、大都市でのコロナの再流行が剣呑な雰囲気をかもしだしているため、どうもガッツリ会食をしましょう、というふうにはならない。
とはいえ、医療従事者である当社職員のワクチン接種はおおむね済んでいるため、職員が会食を過度に制限する必要はないのではないかと僕は考えている。
なので、小規模会食を奨励する補助金制度などをスタートさせてみた。
なにしろ、去年と今年の新入職員は、歓迎会もしていないのだ。
そりゃ酷だよ……。

しかしこんなんじゃあ、東京や大阪、大都市に行こうという気にはならないなあ。*1 去年の第二波と第三波の合間に広島に行った以外、新幹線にも乗っていない。県外にも行ってないなあ。

オリンピックがいよいよ始まる

結局オリンピック、やるみたいですね。*2
無観客でということで制限ありまくりの祭典ではある。
まあこれはおそらく、オリンピックの後の国内の感染流行のシミュレーションから導き出されたんだと思う。
有観客だと、日本全国からの観客がきっちり各地にウイルスを媒介することになり、「それみたことか」解散→自民惨敗にもなりかねない。

ただ、ワクチン接種してたらええんちゃう?と思うけど。
「ワクチン接種と非接種で、差別するな、みたいな」ことでこういう措置になっているみたいだ。
どうも日本においてはワクチンというものに対するスティグマが、冷静な議論を妨げているよね。
ワクチンを打つことによって得られる利益はあくまで医学的なレベルに限るべきで、社会的に益があるように誘導すべきではない、なんて誰かが考えているのかな。
本質的にワクチン=「必要悪」くらいに社会がみなしているようにしか見えない。

現実的には、海外渡航の際にも(例えば麻疹が代表的)各種ワクチンの接種証明が当たり前のように求められる。
ワクチン未接種だと許可がおりないなんてよくある。
今後コロナウイルスに関しても、ワクチン接種の有無が行動の自由さに関連付けられるのが、海外では当たり前になるだろう。*3

公衆衛生の観点からみるとワクチンは医療経済の観点からも、介入のリスク・ベネフィットの観点からも、他の方法の追随を許さない優等生。
これ以上のものはちょっとない。
早くこうしたワクチンに対する「偏見」から解放されてほしいと思う。

結局日本人の「ゼロリスク信仰」がワクチンという治療行為の妨げになっている。
何も起こらないことが当たり前だと考えると、ワクチンという「敢えての介入」による僅かな副作用も許容されない。
これって、ちょっと陳腐で申し訳ないが「日本人は水と安全はタダだと思っている」というイザヤ・ベンダサンこと山本七平の言葉どおりなんだと思う。

オリンピック演出の小山田圭吾の過去の雑誌記事によるバッシングも、同根。
ゼロリスクというか、ちょっとでも汚点があると、徹底的に叩く。
仕事ができるダーティーな人間は、現代日本には居場所がない。

そんなにみんなクリーンなのかなあ。

* * *

ま、それはともかくとして、オリンピック。
自国開催の有利とか準備不足とか、先進国有利とかなんやかんや色々あると思いますが、舞台に上がるアスリートは、あまり深く考えずに自分のベストを尽くしてほしいと思う。
外野はがちゃがちゃ言わない。
色々なタイミングで出場できなかった人もいると思うが、それはそれとして、自分の置かれたポジションでがんばろうじゃありませんか。

最近思うけど、誰にだってそれぞれのオリンピックはあるのだ。

*1:そうはいっても、この先行きの不透明な情勢で、お薬やさんが東京の講演会のオファー持ってきた。攻めてるなあ……あと、オリンピックが無観客に決まる直前、お世話になってる証券会社から「オリンピックのチケットありますけど?」みたいな話もあった。そもそも僕はスポーツ観戦しないので要らないといったけど、あれも降って湧いた話で、降って湧いただけに消えてしまったんだろう

*2:4月くらいには、外来で、「うーん、次は23ヶ月後…大体オリンピックの直前ですかね…オリンピック、やるんですかね?」「やらないんじゃないですか?」みたいな問答をやっていた。あの時点では、ちょっと無理ちゃうか?と思っていたけれど、緊急事態宣言でソーシャルディスタンスを厳しくすればそれなりに感染者は減るのは確かだ。

*3:そこでどのワクチンなら大丈夫、とか変数が多いのが今回の新型コロナワクチンの特徴かもしれない

バトル・ドクトリンはとっくに変化している

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最近は焚き火とかやっているのですよ

コロナ・コロナ・コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……

今週、緊急事態宣言が解除され、夜の街の時短*1も終わり、街はゆるやかながら喧騒を戻しつつあるように思う。
ただ、こちらとしてはすっかり夜の街に行かない生活が板についてしまった。
大都市にもいかない。おそらく9月まで行かないと思う。

久しぶりに開店した地元のジャズの店に顔を出したものの、11時以降に外出するのは久しぶりで、翌日眠たいのなんの。

医療現場では:

第5波はさすがにまだ現実味がない。
オリンピックもあるし、大都市では緊急事態宣言後感染者はすみやかに増えそうな兆しもすでにある。

ただ、私は中小病院にて仕事をしている医師なのだが、同僚の多くはワクチンを完了したし、サテライトクリニックや介護施設の職員への接種も着々と進んでいる。
また、当法人では透析の患者さんが多いのだが、透析患者さんへのワクチン接種もようやく始まり*2、なんとか第5波には「間に合った」ように思う。仮に地域に第5波がおとずれても、自院は防御柵で守ることができる。

また、NEAR法という20分たらずでPCR検査と同等の精度でコロナウイルスを検出できる検査キットを4月に導入した。
去年に比べると、発熱外来、Covid-19の診察に対して恐怖がかなり少なくなった。
Covid-19の見逃をおそれることもなくなった。
武器も防具も手に入れ、コロナは未知の恐怖ではなくなった。

その結果、一年で戦術はかなりアップデートされた。
戦術、というか、バトル・ドクトリン=戦闘教範と言ったほうがふさわしいかもしれない。

PPEは今でも使っているし、マスクもしっかりつけて業務を行っているが、たとえば、去年いつまでたってもなおらなかった「手荒れ」に今年はさほど悩んでいないのは、おそらく恐怖に先立って繰り返していた手洗いの回数は常識的な回数に落ち着いているのだと思う。
PPEにも慣れ、着脱も、発熱患者を院内に入れないで診察することも「そんなもんか」となんにも思わなくなってしまった。フェイスシールドはもうしない(メガネはかけているし)。

外来の患者さんに以前はかならずやっていた触診・聴診を復活させるかどうか、今はまだ少し悩んでいる。
でも、そんなことを考えられるくらいに、去年のわけのわからない恐怖感は克服できたのだと思う。

もちろん我々は感染症拠点病院じゃない。
拠点病院ではコロナと実際に戦い、経験を積んだ歴戦の勇者が育っている。

その意味では第四波というのは、数の問題さえなければ、おそるるに足らない。
もちろん指数関数的な患者数の増加がなによりも怖い。
大都市で患者数が一定の閾値を超えると病床は逼迫する。そうなると多勢に無勢、医療崩壊はやっぱり起こる。
でもそうならなければ、一例にかけるもろもろの(時間的・心理的)「コスト」は明らかに減っている。

むしろ、コロナによるソーシャルディスタンスによって発生した二次的な影響、たとえば孤立化によるアルコール依存症の悪化でるとか、ありとあらゆるフレイルの進行であるとか、失職によるメンタルヘルスの悪化とか、生活習慣病の悪化などが、リアルな問題として眼前に立ちはだかっている。
これは、むしろ「ポストコロナ」に属する問題なのかもしれない。

変異とのいたちごっこ

もちろんウイルス側も変化する。
イギリス株そして、インドのデルタ株は、少しキャラクターも違うようだし、
いずれは今のワクチンを克服した変異株が流行するだろう。

ただ、今年は今のワクチンで凌げそうな雰囲気だ。
来年はコミナティver.2にお世話になるんじゃないかという気がする。
ウイルスとは永遠のいたちごっこだと思うが、まだ明確な治療薬がないのは、人類側にとって幸か不幸かという状況に思える。
仮に救命率の高い治療薬が発見されたとしても、それを濫用すれば、いずれ薬剤耐性ウイルスが出現して、希望はすぐ絶望にかわる。目立った治療薬がない現状は、治療薬剤耐性株に出くわす必要がない点で、むしろ幸運なのかもしれない。*3

*1:当地では小口の飲食店は休業をきめこんで、夜は寂しい限りだった

*2:高齢者限定だが

*3:仮に明らかに奏効する薬剤が発明されても、軽症者には使わせないための工夫が必要だろう。ゾフルーザを思い出してみればよい

わたしのコロナワクチン体験記

コロナ・コロナ・コロナ(SARS-CoV-2, Covid-19)……

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2021, 広島

5月にファイザー社の新型コロナワクチン(コミナティ)を受けた。今日はその時の体験記。
※感想は個人のものであることにご注意ください。

医療従事者枠での接種

コロナの感染症拠点病院はない中小病院で医師をやっている。なので、医療従事者枠の第二集団。
ワクチンは医療従事者枠で比較的早くから話が来ていた。
しかし3月末くらいから具体的な人数やワクチン数の話がまとまり、実際に第一回目の接種はGW直前の4月半ばだった。
私のいる法人では6−7割がワクチンを希望したと思う。
私はもちろん希望し、接種可能日の最初、第一号になった。

第一回

問診票に記入し、筋注を受ける。
あんまり痛くない。こんなもん?と思いつつ、15分の待機が終わり、
カロナールをもらって、午後の外来に戻った。

ところが、別に熱はでないものの、なんか、だるい。
重だるい。
昼食にたらふく脂っこいものを詰め込んだ時のように、やたら眠気が襲ってくる。
注射した腕はややじわっとする。

どうにも仕事にならない。外来の診察椅子で脱力してほぼ寝たようになっていた。
幸いだったのは午後の外来は、ここ1−2ヶ月の中でも最も予約が少なかったことだ。
外来時間のほぼ7割近くを寝てすごし、なんとかこなして、家に帰った。*1

「意外にしんどいな……副反応は若い女性に多いんちゃうんかい。
 若くない男性の僕はそんなに症状でないはず……しかも一回目だぞ」
と思いつつ、早々に横になった。
翌日。食欲も少し落ちている。
やっぱり体はだるい感じはする。しかし測っても熱はない。
二日目以降はほぼいつもと同じ感じだった。
しかし腕の痛みも4−5日経ったらまったくなくなった。

第2回

2回目はGWあけ。
しかしこの日は午後の外来は枠はすでに満杯で、めちゃくちゃ忙しいのである(GWあけだからね)
どうするよ…と戦々恐々。
ところが、二回目の方が、全然ラクだった。
 外来も頑張ってこなし夜もよく眠れた。翌日も刺されたとこが少し痛む程度。腕は上がる。

なぜだろう?
しかし少しヒントがあるように思った。
その日は曇っていて、朝から体調が悪かったのだ。

歳をとると体調が悪くなる

数年前に骨折をしてから、冬の寒い日や雨の日、湿気の多い日は、首や腰、骨折をした場所が痛むようになっている。
(骨折の話は以前に書いたことがある。もう10年になるんだねえ。)
hanjukudoctor.hatenablog.com


寒い日や雨の日には関節痛が悪化することはヒポクラテスの時代から言及がある。
しかし実際に、明確な作用機序は解明されていない。
だから教科書にも曖昧な記述しかない。*2

この現象、若い人はあまり知らないけど、歳をとってくると多くの人が身を持って知っている。

20代の頃は、未来への不安や人間関係の軋轢、金がない、などのさまざまな問題はあれど自分の肉体だけは健康だった。
それが、30代を過ぎ40代になってくると、いろんな不調が増えてくる。

常に体は疲れているし、体のどこかはいつも痛かったりする。
皮膚もたるみ、変にシミも増え、指とか耳とか予想もしないところに変な毛が生える。
逆ん必要ある毛(頭髪とか)は薄くなったりもする。
尿もれしたりオナラがでやすかったり、体を密閉していたパッキンのようなものも劣化してゆるんでくる。
今でさえこうなんだから60代以降の自分はどんなになっているんだろうか……
暗澹たる気持ちになってくる。

要するに、年をとると、いつも体のどっかが調子が悪くて痛みを抱えて生きているということだ。

ワクチン

二日目の天気は湿度がひどく、僕は朝から頭が痛かった。
そんななかワクチンを打った。
ワクチンは多分それなりに症状をもたらしたのだと思う。

が、私も朝からの天候による不調があったもんだから、カロナールを使い、レッドブルなどのエナジードリンクも入れてやりすごした。そんな中では、ワクチンのしんどさは雲散霧消してしまったのだと思う。

ワクチンの副反応が若者に強くでるのは、要するに若者には痛みや不調が普段ないからじゃない?
と思う。
真っ白なシーツが汚れると目立つけど、薄汚れた雑巾が汚れても気にならない。

年代による副反応の頻度のグラフなどを見ていると、そう思えてくる。

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年代別副反応の頻度(これは倦怠感のみだが、他の症状も概ね同様)


もちろん、若い人の方が抗体産生反応が強いから、とかそういう真っ当な機序も作用していると思う。*3でも、若い人の抗体価が高いのは事実だが、高齢の方はワクチンをうっても有効な抗体獲得が得られないわけではない。だから抗体産生力の差だけでは年代による副作用の差は説明しにくいように思う。

そもそも体の異常事態に対する感受性が若い人と年寄で違うのがこの数字の正体ではないか。
年寄りの体は終戦末期の日本みたいに、空襲警報がなっても誰も驚かなくなっちゃっているんだよ、きっと。

* * *

なので、外来でご高齢の患者さん、特に普段「せんせ〜腰が痛い〜頭が痛い〜」といってくるような御仁は
「先生、私はワクチンうってもだいじょうぶなんでしょうか?」なんて訊いてくるわけです。
そういう場合は、にっこり笑顔で
「だ〜いじょうぶ(笑)(いつも痛がっているあなたはきっと副作用大して出ませんよ)」
と言うことにしている。

*1:その日には某バンドのトロンボーンセクション練習があったが、かなり注意力散漫で散々だった

*2:いくつかの観察研究はある

*3:同じ若者でも女性の方が副作用が強いのは、抗体産生能が女性の方が強いせいだろう。痛み閾値は女性の方が強いから

山口雄也さんの死におもう

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2021, 竹原

コロナ・コロナ・コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
緊急事態宣言ではあるが、地域の感染はだいぶ落ち着いた。
しかし店はあかず、夜はひたすらに長い。

ああ

京大大学院の山口雄也さんが、亡くなられたということだ。
合掌。

ツイッターをやっていて、ハプロ移植後の壮絶な闘病生活を書いている山口さんのことが目に止まったので、
「『がんになって良かった』と言いたい」という著書も読んでみた。
halfboileddoc.hatenablog.com

ハプロ移植後の数々の症状は、医師として冷静にみるとさすが乗り越えるのは難しいんじゃないか、とも思ったけど、今までも、何度も何度も死線を乗り越えていたので、陰ながら応援していた(とはいっても、悟空が掲げる元気玉に元気をわける地球人、くらいの感じだけど)。
しかし最近はビリルビンが20を越えていたり、褐色を越えて黒色ともいっていいような顔色で、前傾姿勢で歩行リハビリをしている姿は、さすがに見ていられない壮絶さがあった。
亡くなられたのは、残念だ。
と思うと同時に、彼がこれ以上もう苦しまなくていいんだ、という点でほっとしている部分もある。

闘病ながらくおつかれさまでした。
ゆっくり休んでください。

ネット時代で、死をみること

インターネットを20年以上もやっていると、ウェブ上で闘病の発信というのは何度かみている。
最期のところはどうしても文が乱れたり、症状の強さに苦しめられ、冷静さを失う。
数日空白があり、知人の手による書き込みで死を告げられる、という、お決まりのパターン。

何度見ても、平静ではいられない。
死に寄り添い、比較的死を身近に感じている私でさえ*1、そうだ。
一つには、その人がネットで発信している「ものいう人」だという点で共感するからなのかもしれない。

彼は享年23歳。
今の私は46歳。
ちょうど倍だ。
いたずらに年ばかり重ねてしまった。
私もいずれ死ぬだろうが、彼のように毅然と溌剌とふるまえるだろうか。

「人生終わってみなきゃわからない」という。
確かに死んだ時点でその人の人生は固定される。*2
46歳のぼくは20歳のころに漠然と夢見ていたような栄光の人生ではないが、まあまあなんとかやれている。
手ひどい失敗もあやまちも繰り返してきた割には、衣食住に不自由ない暮らしをさせてもらっている。
今のところはね。
でも「池袋暴走事故」の某上級国民氏のように一瞬で晩節を汚してしまうことだってありえるわけだ。*3

だから株式でいう「利確」みたいに、自死をもって人生を固定してしまう人だっている。
halfboileddoc.hatenablog.com
死ぬのは怖いけど、その気持はわからないでもない。

でも、昔の「Homepage」時代の闘病記録が、亡くなられて閲覧者も減り、ウェブ契約もなくなり見れなくなるさまは、無名戦士の墓が、伸びた草に覆われて朽ちていくような、無常感がある。*4

半熟三昧:

緊急事態宣言なので、本はいつもより読んでいますし、アウトプットをちょっと多めにしています。
なんだかんだいって年間本で200-300冊、漫画は 500-1000冊くらい読んでいるけど、こういうアウトプットの仕方が正しいのかどうかはわからない。ちょっとフォロワーを増やすには量が多すぎるような気がする。
『「がんになって良かった」といいたい』山口雄也 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
谷口ジロー山もの『K』『神々の山嶺』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
経営者のノート会社の「あり方」と「やり方」を定める100の指針 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
カツマーのエキス集大成!『Neo Life Hack』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『消えたママ友』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『鍵盤ハーモニカ 100のコツ』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『金持ちフリーランスと貧乏サラリーマン』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『コンサル一年目が学ぶこと』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『歩兵の本領』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『「闘争」としてのサービス』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『セルフトークマネジメントのすすめ』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『岳』『岳人列伝』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『Z世代』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『街角図鑑』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『1枚で動け どんなときも結果が出せる人のシンプルな習慣』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)

*1:中小病院の内科医として仕事をしており、特養への往診をしていたりするので、いわゆる「看取り」もやっている。死亡診断書は書き慣れている。

*2:山田風太郎の『人間臨終図鑑』はそういう機微を我々に伝えてくれる

*3:自分自信がいくら清廉に生きていても、身内が問題を起こした結果不幸な晩年を過ごすことだってありえる

*4:ジオシティーズの閉鎖で、そういう往年のページのいくつかが、忘却の彼方に忘れ去られていった

団塊の世代の「アタリマエ」は子供を傷つけている

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2021年 広島県

コロナ、コロナ、コロナ(SARS-CoV-2, Covid-19)……
住んでいる広島県も緊急事態宣言に入った。
が、保守的な気風なのか、当地はGW前からまずまず出足が鈍っていたせいで、周りの地域よりも感染者は少ない。

入院数と退院数が釣り合って拠点病院入院患者の伸びは鈍い。
なんとか踏みとどまっている感じ。
このままピークアウトしてくれればいいのだが。

「俺ワクチン打っているし、闇営業している飲食店ないかな…」と腹黒いことを考えるが、そこまで会食したいわけでもなく、家でゴロゴロしている。

コロナ禍で

当たり前の話だが、コロナ禍で、出生率は激減したそうだ。
なんでも国の少子高齢化の時計は18年早まったとか。
news.yahoo.co.jp

すでに危機的状況にあった日本の「少子化」は、この一年余のコロナ禍でさらに深刻の度合いを増した。出生数が大幅に減少したことにとどまらず、出産と深く結びついている婚姻件数が大きく減ったのである。このまま進めば、間違いなく悪夢のような未来がやってくる。

実は高齢化の領域でも、高齢者は外出を手控えたため、フレイルが悪化し、暦年齢より高齢化が進んだ。
hanjukudoctor.hatenablog.com
定量的なデータは今はないが、いずれどこからかデータはでるだろう。

急速に、少子高齢化は加速している。

そりゃあ無理もない。
コロナ禍で婚活するのも、妊活するのも大変だ。
婚活はソーシャルディスタンスの中でかなり困難なはずだ。

妊活だって里帰り出産は県外移動でアウトだし、孫の子育て応援に祖父母も行けない。なにより妊娠中にコロナにかかったらどうする…という恐怖はあったよね。未知の感染症なんだから。
(だから、コロナあけには出生率は多少戻すかもしれない)

ただ、私は1974年生まれの団塊ジュニア世代。
氷河期〜ロスジェネ世代の友人も多い。
独身の知り合いも当然多い。

親は「子孫を残すのは当たり前」という感覚で、子供に期待をする。
女性の場合は「タイムリミット」を心配して、また変にプレッシャーをかける。
コロナ禍は、そういう焦りによる無駄な衝突が、あちこちで起こっている。

それに深く深く傷ついている知人は、結構多いのである。

でも、結論からいうと、人口ボーナス期の中でも、昭和の戦後〜高度成長期の感覚の方が全人類史の中で特殊すぎたのでは?と最近僕は思っている。

前近代

人口が定常状態であった前近代には、長子相続制度であれば、次男以下は子を成さないことも多かった。仮に子ができて一家を成しても傍流となる。
家督を相続しないと、そのままだと食えないので江戸など大都市に流入するが、江戸の街は低出生率で周囲の人口吸収装置として作用していた。
江戸期のような安定でない時代(例えば戦国時代)は戦乱による死亡・家系断絶は一定の確率で起こる。子孫を残す確率は増えるかもしれないが、殺されてしまう確率も増える。

乳幼児死亡率が高い分、子育てそのものは今より多かったかもしれないが、子供が成人し、さらにその子が子を成し……というのは当たり前ではなかった。
結局その社会が食わせられる人口分の椅子取りゲームなのだ。

ある年代の若者が100人いたとして、その子が成人まできちんと到達することができる確率はどれくらいか?
ある年代の若者が100人いたとして、その直系子孫が100年後に居る確率ってどのくらいなんだろう?*1

戦後、国土の荒廃と戦争による若者人口の一時的な減少もあり、そして戦後経済成長で社会の余剰資本は急速に拡大した。空いた余裕の帰結としてベビーブームが起こり団塊世代が出現する。
団塊世代では、多くが結婚し、多くが子を成すことができた。
 でもそれは拡大しつつある社会資本の中での奇跡的な事態であるように思う。

数量的な推定はまた考えてみたいが、結論からいうと昭和20年代〜30年代の日本は、人類の全歴史を通じて一人の人間が自分の子を為すことができる確率がもっとも高かった時代だと思う。
きちんと勤めてさえいれば、暮らしはラクになり、お見合いなどの社会装置もあり結婚をすることができた。

昭和の団塊世代の親世代は、自分たちの常識が普遍的なものだと思っている。
しかし、そんな時代こそが、人類史の中で稀有な状態であった、ということは強調しておきたい。
彼らの常識こそ「非常識」なのである。

でも団塊の世代の方々は、あまりそうは考えず「自分たちは戦後の焼け野原で必死に努力した結果、幸せを手に入れた」というシナリオで物事を考えがちだ。
自己肯定のためには次の世代にも同じようなライフスタイルであってほしいと思う。*2
「結婚して子供を作って家庭を作るのが当たり前」という彼らの社会通念を子供に所与のものとして押し付けがちになるのはそのせいだ。

だが前提条件は著しくかわってしまった。

しかし結果的に結婚せず、子供を作らないことを「失敗」と評価されてしまう。*3
親からそういう風にみられりゃ、そりゃ深く傷つくよな。
そういう同世代はかなりいる。
我々の世代の自己肯定感の低さはそういうところからも出ているのかもしれない。

今後どうなるの?

そうはいっても、少子高齢化はいかんいかん亡国だ、と私も思っていた。
が、北欧とか韓国はじめアジア諸国でもここ最近少子化はとめどない勢いで進んでいる。この傾向は全世界的潮流である。

実際、年金や介護の問題、目先の社会継続性から考えると、少子高齢化は大問題だ。
が、もう少し視野を広げると、人口は減って当然じゃないか?と思う。

まずはエネルギー、環境問題。
70億の人口が現在の先進国の生活水準で生きることは明らかに不可能。
でも、たとえば7億人だったら、多分なんとかなる。

日本だとしたら、1億人を養うことはできない。だが1000万人なら、今の水準、もしくは今よりも豊かな水準で生活ができるかもしれない。

もう一つは仕事の問題。
AIで大多数の人が職を失うかもしれないとか、警鐘されているじゃないすか。
本当に少子化って大変なの?
少子化の方がいいんじゃないの?
それなら。

昔は世界大戦とかで億単位の人間が死んだりした。
けど、どの国もあからさまな産児制限すらせずに、緩やかに人口を減らすことができるなら、それはむしろ戦争による人口適正化よりはマシなんじゃないかなあとは思う。

将来

そう思うと、どう考えても、今の少子化が覆ることはない。
合計特殊出生率で 1〜1.2くらいで、2,3世代続くんじゃないの?と思う。
そして日本の人口は2200年代に2000-3000万くらいに落ち着くんじゃないか。

最近の僕は、そういう風に確信をもって考えるようになった。
それがどう考えても常識的なゴールで予想される未来だ。

出生率が伸びない」シナリオだと実際それくらいの数字になっている。*4

市井の一個人としては、この現実を前提として生活する必要があるだろう。

たとえば、自分の子供がさらに次世代、子供を為すことも、それほど期待してはいけないんじゃないか。
少なくとも重圧を与えてはいけないのではないかなあ。
人口が十分の一になるなら、たとえば、今従兄弟も含めて 10人くらい居る家系で、一人の家系しか生き残れない。
子を作って安心したって、孫は作れないかもしれない。多分、それくらいの覚悟と想像力は必要だと思う。

自分の老後も、介護の労働力が十分にあるとは思えない。
その頃にはロボットが移乗とかはしてくれる世の中になってたらいいけど、無かったら今の北欧と同じで、寝たきりはそのまま死なす社会になるのかもしれない。*5

「自分の子孫を得るのが動物の本能だろ」という考えも、また真実だとは思う。
が、人類としての種の存続は、チーム戦でいいんじゃないかとは思う。
そういう考え方にしたほうが、しんどくないんじゃないかな。

* * *

少なくとも団塊の世代の専業主婦から発せられる
「結婚しないの?子供つくらないの?それが当たり前でしょう?」
という言葉は、人類史を俯瞰しても、極めて特殊で幸福な状況下の特殊な考えであると思う。

この考え方で、この社会状況では、幸せにはなれない。
ではどうしたらいいのか。

要するに「自分の血筋が絶える」ということを社会的に受け入れる土壌が必要なのではないか、と思うのだ。
独身の人はもちろんそうだし、子供がいる人(僕もそうだ)も、孫はあきらめないといけないかもしれない。
そういう覚悟が必要となってくる。

そう思うと子育ての相対的な意義はかなりゆらいでくる。
人生で子育ては極めて大事なことだとは思うが、実はせいぜい10年長くても20年程度のことだ。
我々は子育てに価値を偏重しすぎてはいないか。
子育て以外に「我々はなんのために生きるのか」という命題に答えることが難しいから、子育ては称揚されるのだけれど。

*1:数値化するのは人口動態がきっちりしていないと不可能なので、前近代では推測値以上のデータにはならないだろう

*2:学園紛争とかも含めると、団塊の世代は自分たちの上の世代を否定しまくっていたのに皮肉なものだとは思うが

*3:あからさまに言う親もいるし、言わないけれど心情的にそういう感覚を秘めている親もいる。どっちも傷つく。

*4:まあ私の経営する法人は産休育休諸制度、有給休暇も取りやすいので、職場内の再生産率はけっこう高いのだけれど。

*5:個人的にはMatrixの繭みたいな生命維持装置に繋がれて生かされる気がする

コロナワクチン政策は戦術目標の変化に対応できているのか

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2021年 広島

コロナ・コロナ・コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……

今日はちょっと床屋政談的な話。

コロナワクチンについては思うところは沢山あるけれど、
とりあえず数千万人分確保*1して、なおかつワクチン接種料を無料で配布する、という大枠にこぎつけたところは政府はよくやったと思う。
むしろ国民の科学リテラシーが低いことが足をひっぱっている。
ワクチン不信を煽るようなマスコミは、ほんとどうかしている、とさえ思う。
はっきりいって世論を騒擾したのはワイドショーで、あれでワクチンの日本上陸は1〜2ヶ月は遅れた。

ただ、ワクチン到着のニュースと相前後して、変異株の日本上陸が新たな問題を引き起こしている。
変異株、特にインド株が比較的感染力も強く、若者の重症化率も比較的高いものであるということだ。

山中先生のおっしゃった「ファクターX」=日本人含むアジアでは重症化率がアメリカ・ヨーロッパに比べて格段に低い現象は依然謎であるが、変異株はこのファクターXを打ち消すような感じだ。
つまり変異株によって日本の重症者は基礎疾患ある患者さんもしくは高齢者にほぼ限られる、という前提がくつがえされた状態である。

では、どう考えるべき?

戦略目標と戦術目標

コロナワクチンを軍事行動と同様に考えてみると、

  1. 戦略目標:ワクチンにより集団免疫を形成し、コロナによる死亡をへらす
  2. 戦術目標:治療拠点となる医療従事者および重症化率の高い高齢者に重点的にワクチンを先行投与する。その他の母集団についても可能な限りすみやかにワクチン接種を行う。

となる。
ところが、変異株が流行し、第三波までの前提がくずれた。
変異株が若者〜中年世代の致死率を押し上げるようになるのであれば「まず高齢者を押さえて重症化率をへらす」という見積もりが成り立たない。
敵であるコロナはこちらの戦術に対して、対抗措置をとって変化してきたわけだ。

従って、当初の戦術を修正した方がいいのではないか?
と思う。
例えば、コミュニティの中でハブになりうるような人材、接客業、販売、飲食、あとは警察・消防などのエッセンシャルワーカーに、高齢者に配布する1%でも割いて感染拡大にブレーキをかける方がいいのでは?

プランB

戦術目標にいるはずの敵が消失しているとき、どうするか?
敵が移動した時に、戦術をどう立て直すのか?

プランB*2をどうするか?を考え直す時期だと思う。
が医療従事者の私が横目で見ている限り、残念ながらワクチン政策は第三波までで立案した当初の計画どおりに進んでいるように思われる。*3

太平洋戦争のときの軍事作戦の拙劣を描いた『失敗の本質』にも、この手の問題は繰り返し出てきた。
結論からいうと日本軍は、相手の動きに応じて戦術を変化できない。
机上の空論できっちりした計画を立てすぎて、情勢の変化に柔軟に対応できない。
我々は、相手のある戦いが苦手なのである。
局面を深読みできないから相手の動きに対応できない。机上の軍事計画の想定外の事態には対応せず、計画を押し切り、結果しょうもない敗北を重ねる、というのが日本軍の負けパターン。ミッドウェー海戦レイテ沖海戦がその代表だろうか。

今回のワクチンを誰に打つか、という優先順位設定については、正直にいってそういう感じはある。

科学なのか政治なのか

ワクチンの配布に倫理や勧善懲悪を持ち込むべきではないと思う。

ワクチンを誰に打つかということは、戦略目標の「コロナ死亡を最小化する」という目的のもとで答えを出すべきであり、フェア・アンフェアなどは問題ではない。

例えば、ギロッポンでウェーイしているホストやキャバ嬢などの夜の街の人たち。
もし、この人たちにワクチンを打つことによって、夜の街の顧客である大都市の一般人口への感染拡大が抑えられ、死亡率が減るのであれば、こういう人たちに優先的にワクチンを接種させる、という政策だって有り得たはずだ。

もう一つ。
これはかなり批判を呼ぶ提案ではあるけれど、例えば300万くらいの値をつけた先行優先接種枠を作ってもよかった。
例えば先着50万人分とか。
そうすると、おそらく富裕層が接種を希望することになるだろう。
彼らはワクチンを接種して飲食や旅行をする。
しっかり飲食・観光業界にお金を落とすのであればGo To トラベルよりもはるかに効率よく日本経済の疲弊を防ぐことができただろう。
50万x300万であればそれだけで1.5兆くらいのお金が捻出できる。それは他のことにも使えるし、観光業界にとっても干天の慈雨になるはずだ。

「経済を回さないといけない」というなら、金待ってる人に金を使わせるという意味では理に叶っているし、ついでにいうと金持ちから合法的に金を巻き上げることもできる。一石二鳥である。

ただ、日本はシルバー民主主義。
タテマエでは世界に誇るべき平等社会である。
こんな政策など許されるはずもないだろうけどね。はい。

でも「ワクチンを誰に打つか」という問題は、科学的なイシューで論じるべきである。
倫理とか公平不公平とか、政治の概念を持ち込むべきではないと、私は強調したい。

どの層にワクチンを打つとどれくらい有効か、という冷徹極まりない神の視点が必要ではないかと思うのだ。

せっかく世界に誇るスパコン富嶽』があるのに、あれはそういうことに活用しないんだな。
ウレタンマスクでの飛沫計算みたいなアホな計算させずに、日本全国のGISデータを繰り返し変数を変えてシミュレートして、感染の伝播のありようを計算させて、そしてワクチンによる介入がどのような結果になるかを計算すればいいのに。*4

富は独り占めできるけど、ワクチンって一人2回接種すればそれで終わり。
富裕層だからって10人分20人分打つわけじゃない。
だから仮に富裕層に優先して打ったところで、他の人に行き渡るスピードってほとんど変わらないんすよ。
冷静に考えると。
それに、300万で50万人先着、とやれば、結局半分くらいは田舎の準富裕のお年寄りが殺到して、あまり現状とかわらないかもしれない。

まあ僕は医療従事者で、打たせてもらったからいいけどさ。
ま、日本人の宿痾その2、ロジスティックス(兵站)の軽視も、この状況に輪をかけていると思う。

*1:多分だけど

*2:感染症学の泰斗、岩田健太郎先生は今回のコロナ禍ではすっかりSNS的には株を下げてしまったが、プランBが大切というメッセージは、今ここにきて重要性を増していると思う。

*3:河野大臣はそのあたりはわかった上で、現場に柔軟な対応を、と言っているようだが、それを受け入れるような柔軟な組織体制にないのが官僚組織のよくないところか。

*4:ま、パラメータが全て仮説に過ぎないのでシミュレーションそのものが成立しづらいのは十分わかっている。ただ西浦先生の仮説と実数はかなり肉薄していたのでそれを元にパラメータ設定は可能だと思うね

おとなになったらなりたいもの一位「会社員」は意外だった

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2021, 竹原

コロナ・コロナ・コロナ…
第4波は明らかにいままでと違うね。
距離が大幅に詰まっている。

おとなになったらなりたいもの

こどもの日ですね。
resemom.jp

第一生命保険は2021年3月17日、第32回「大人になったらなりたいもの」調査結果を発表した。小学生の1位は、男子が「会社員」、女子が「パティシエ」であった。第一生命保険は、コロナ禍のリモートワークやステイホームの影響があったのではないかと分析している。

これはあくまで第一生命の調べであり、他にもこの手のアンケートはいろいろある。
他では一位「警察官」もあったし一概にはいえないと思うが、個人的な感想は、
会社員……ってマジ?
だった。

実際のところコロナ禍で、会社員のお父さんお母さんがリモートワークで仕事をしているのを子供たちは目の当たりにした。
それで親の仕事に肯定的な感情をもち、親と同じ道がいいと思ったのであれば、微笑ましいエピソード、と言えるかもしれない。

ただ、今の「会社員」ってめっちゃ過渡期でしょう?

昔は「年功序列・終身雇用」で、共同体としての会社組織というものがあった。
今は「終身雇用」の保証などなにもない。総労働時間も規制され、同一労働同一賃金年功序列で賃金アップの保証もない。
おまけにHRテックだかフィンテックだかで、いわゆるバックヤード部門のAI化、外注化はどんどんすすんでいく。

会社という組織は、今やICT・AIの手によってどんどん解体されているのが実情だ。

20年後には、今ある会社員の仕事のほとんどは別のものに置き換わっていると思う。
とはいえすべての仕事がなくなるわけじゃない。
けど、今「会社員」がやっている面白い仕事の多くは、エージェント化した個人事業主・起業家が会社と直で契約して成果報酬で動く世の中になるだろう。
現にそうなりつつある。

そうでないと、日本の生産性もあがらないし。
今の企業のあり方を守っていてもズブズブと地盤沈下し、絶滅するだけだ。
どちらにしろ今のありようから変化する必要はある。

* * *

私も経営者の端くれでもあり、ホリエモンとか西野亮廣の話ばっかりみていると、日本の「起業マインド」はかつてないほど盛り上がっているんじゃないか、とか錯覚してしまうが、現実は当然そんなわけはない。

今回のニュースは、親子関係という点では微笑ましいエピソードではあるのだが、現実は子供達が大人になるころには令和の「会社員」の仕事は残っているとは思えない。
もやもやするニュースだなと思った。