この前、田中泰延さんの、ツイートが話題になっていた。
プロは「発信」などしたくない。
— 田中泰延 (@hironobutnk) 2020年1月22日
プロは「受注」する。
プロには「伝えたいこと」などない。
プロには「技術」がある。
プロは「繋がり」など求めていない。
プロは対価で「生活する」。
こんな当たり前のことがわからない「発信したい伝えたい繋がりたい」素人がプロに無償の仕事を持ちかける。
おっしゃる通りだと思う。
プロフェッショナルの技術と矜持はかくあるべしという主張には、僕も同感だ。
それにSNSでの中途半端なアマチュアのプロモーションが横溢した結果、対価なしにプロに依頼をしてなんとも思わない人達に苦々しく思うのも共感する。
例えば私の趣味である音楽の世界でも、堂々たるプロはSNSの宣伝はそれほど盛んにはしない。プロアマの境界の人たちがむしろSNSを積極的に使ってるのは事実だ。
もちろんSNSでの宣伝を揶揄しているわけではない(私もSNSを使っているし)。
ただ、SNSでの宣伝のうまさとプロとしての実力は比例しない。SNSは玉石混交だ。
中にはSNSでは自己アピールがうまいけれど、プロフェッショナルの要件を満たさない人も混じっている。
ただ、これは、世代感覚の違いもあるだろう。
どこかでゲームのルールがかわったためだと思う。
* * *
スペシャリストの業界の理想は実力が適正に評価され、適材適所性が担保されていることだ。
実力を積み上げれば、お声がかかり、影響力の強いポジションに移動してゆく。
そういう状況なら自分のリソースを専門技術の向上だけに注力できる。
80年代くらいまでの日本では、すべての職種において、スペシャリストはそれなりに公平な能力主義が許されていたように思う。
もちろん学閥や、大都市偏在など、多少の不公平さ、不平等はあったかもしれない。だが、おおむね平等なスタートラインに立てた*1。
社会も経済も成長途上で、新たなポジションが次々と生まれていたから、あまり不公平感はなかった。再挑戦もそれなりにあったし。
ところが90年代。バブル崩壊。
加えて就職氷河期。
ここで、多くの業界でパイは縮小に向かう。
専門職のマーケットが飽和し新規参入が途端に難しくなった。
勝ち残るためには、今までのように実力を磨くだけではなく、実力を適切に(または適切以上に)アピールすることがプロフェッショナルの要件に加わった。
こういう事態と並行しITの進化、BlogやSNSが普及した以降の世代では発信力がことさら有用になった。
でもそれは「プロ」のポジションに参入するために、自己アピールができないと椅子にも座れない、という時代だからだ。
これは苛烈な大量動員戦争なのだ。働き方改革なんて言ってコアな業務時間は制限され、一見優しくなったように見えるけど、それ以外の時間を自己研鑽やプロモーションなどにブッ込まないと、戦争には勝てないことを皆知るべきだ。その行動の差で大きな差がついている。
* * *
まあ、そんな形で、好むと好まざると、新世代のプロフェッショナル*2たちは自己アピール力というか「売り出す力」が求められている。
こういう力は、前世代ではどちらかというと忌避されていた。
格好の言葉がある。
「ほら、あの人は『商売人』だからさ」
画家や音楽家でも、実力や作品の力以上に、アピールがうまい人は昔からいた。
医者、歯科医、美容師、庭師、お稽古事の先生……どの業界でもそうだ。
そういう人は昔は同業者の間では上述の言葉で評された。
そういう人は「真のプロフェッショナル」ではなく一段下に見る風潮はあったし今もある。
田中氏のTweetに共感するのもそういう部分だろう。
ただ、今や「商売人」じゃないと、舞台にすら上げてもらえなくなっている時代ではあるのだ。
商売人は、ネゴシエーションが上手だから、タダで仕事を発注する輩はやんわりと敬遠し傷つきもしない。
が、非商売人にはこうしたネゴそのものが煩わしいし、ネゴしないことがプロの証とさえ思っている。
* * *
ただ、世界の進歩は専門技能の優位性をどんどん失わしめる方に向かっている。
IOTの進化は、多くの専門技能の意義を無力化しつつある。
例えば、内科医の私で言えば、内科医の本分である診断学や病態の専門知識はAI診断が本格運用されると強みを失う。
診断学を頭の中に納めた老練の内科医よりも、コンピュータの操作がうまい研修医の方が正確な診断にたどりつく可能性が高いし、さらに言えば医者である必要でさえなくなるかもしれない。
知的活動の最高峰とされた囲碁や将棋の棋士が、コンピュータに勝てないのだ。無理はない。
ホワイトカラーの業務のほとんどが外部委託が可能な規模に圧縮されつつある。
外科医など、頭脳ではなく、手指の動作に根ざした領域はもう少し優位が保たれるだろうが、これについても時間の問題だ。オートメーションの解像度は年々上がっているから。
* * *
では、人間に残された仕事は何か?
というと「商売人」の部分ではないか。
かつてホリエモンが「何年も修行して寿司職人になるなんて、馬鹿らしい」発言で物議をかもしたが、
専門技能のコモディティ化はもう何年も前からで今後も進み、極大化する。
専門技術に注力する前に、こうした時代の流れを踏まえて人生設計する必要はある。
ホリエモンの言説はその文脈でみるとわかりやすい。
会社の中で、経理とか、総務・庶務などのホワイトカラーは、今後いらなくなる。
でも「社長」は最後まで不要にはならない。
逆にいうとクリエイターと「社長」以外は今後いらなくなる可能性が高い。
hanjukudoctor.hatenablog.com
少子高齢化、人口減少はもはや避けられない。
しかし、未来には、今当たり前の職が、ない可能性もある、というか間違いなく、ない。
だから、少子高齢化を食い止めた方がむしろ地獄なのでは?と思うこともある。
北欧でさえも社会の持続性が危ぶまれる水域にまで出生率がさがったという事実は、来るべき未来は人口を要しない社会だとみな暗黙知で感じているのではないかと最近は思っている。
日本の中小企業の数は380万。
もし未来の世界にクリエイターと社長しか職がないのだとすれば。
扶養家族・フリーランスの数も含めて、日本の最適人口は1000-2000万人くらいなのかもしれない。
今の日本が向かっているのはそういう方向だ。
だから人口が縮小することそのものは問題はない。
問題は、老後世代を養うためには一つ若い世代の収入をあてにする必要があることだけだ。