半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

スカートとパンツ

前回のエントリー。たくさんブックマークもいただいたし、いっぱい批判もいただきました。

しっかしさあ、僕、別に財務省の人間じゃありませんぜ?
政策動かしているわけじゃないし、税の専門家でもないし。
インフルエンサーでもない。包括的に税を論じているつもりもないし。
消費税について是非を論じているわけでもない。それは政策決定や選挙の時にするべきことでしょ?

雑な理論だと。ウンウン。僕もそう思います。単純化って言葉知ってます?僕が「腹オチ」しただけです。
僕がいいたいことは税や会計の専門家にとって当たり前すぎることで。事実だとは思うんすよね。不愉快な事実なだけで。

そもそも、消費税賛成論者ではないんですけどねえ。
ま、「受け入れ力」は高いので現状肯定を消極的賛成ととられても仕方がないのかもしれない。

謝るとこはいっぱいあります。法人税、法人事業税(これは外形標準課税ですね)の用語のところ、輸出企業について、全く視点がない、などの批判はその通り。
詳しい方からみるとどうしても用語の誤用とか気になると思います。そのあたりはすいませんでした。

まあ、税金みたいな天下国家の話題はどうしても議論になるのは当たり前か。
論議を呼ぶ意味では有意義だったのかなと思います(ポジティブ!)
せいぜいはてなでよかった。飲み屋だったらビールのジョッキぶつけられてたわ。*1

なので、静かな僕のBlogにふさわしく、別の話をすることにします。

……えーと、じゃあ、パンツ(パンティ)の話していいですか?

パンツ

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Photo ACより(Cheetarさんの写真をお借りしています)
cheetahさんのプロフィール|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK


スカートとパンツ。女性の衣服。
スカートの下からパンツが見えることを「パンチラ」といいます。
一般的な話として*2、パンチラは、男性の性欲を掻き立てる。
女性はパンチラを恥ずかしがる。
一応、そういうことになっています。
まあ昭和の文脈では。

これ、ずっとなぜなんだろうと思っていた。

女性はパンツが見えるとなぜ恥ずかしいのだろうか?
もっというと、なぜ女性はパンツが見えることを恥ずかしがらなければいけないんでしょうか?

大事なことなので、もう一度いいます。

なぜ、女性はパンツが見えることを恥ずかしがらなければいけないんでしょうか?

* * *
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例えば、フィギュアスケートでは、大きく開脚し、股間を衆目にさらすようなポージングがある。
被覆がなければ相当大胆なポーズである(おっぴろげ)。
でも、あのポーズは、女性も恥ずかしいとは感じないし、男性も性欲を掻き立てられはしない。*3
我々はあのポーズを性的な興奮の文脈とは受け取らないことになっている。

では、水着はどうだろう。
水着は、耐水性の面で下着とは違うとはいえ、身体被覆のありようとしては下着と変わりがない。
でも、我々はその姿に羞恥心を感じたりはしない。*4

股間に薄い布一枚しかない状態は、確かに不安といえば不安である。
ただ、布で覆われてはいる。
生殖器を直視するわけではない。
昔の日本女性の和服の下に履く「腰巻」ではないのだ。

このことから、
薄い布に隠された女性の股間をみたからといって男は興奮するわけではないことがわかる。
では、なぜ「パンチラ」には羞恥心を感じたり興奮させられるのか。

スカートの中のパンツは「みてはいけないもの」「見せてはいけないもの」になっている。
女性はパンツをみられると羞恥心を感じる。
男性がパンチラで興奮するのは、本来「みてはいけない」パンツをみること、そして、女性が見られることに羞恥心を感じていることにも興奮しているのだと思われる。

アフリカの部族(だったと思う。ソース不明)の女性が、裸に腰に紐一本巻いて、前に紐を垂らしているだけの格好が衣装なんだけど、そのほとんど性器も隠せていない紐を外すとめちゃくちゃ恥ずかしいらしい。
それと同じようなもので、文化的なコードとして、スカート+パンツは羞恥心を感じるべきものとして埋め込まれている。

「スカートを履き、なおかつパンツを人に見せてはいけない」というルールを女性は幼少期から教え込まれている。
パンツは隠すべきものであるからであり、恥ずかしいものであるから。

では、なんのために?

* * *
実は随分昔から、僕はこのことが疑問だった。
スカートから垣間見えるパンツになぜ男性は興奮し、女性は羞恥心を感じなければいけないのか。
その文化的効用はなんのためにあるのか?

上野千鶴子女史のかつて一世を風靡した「スカートの下の劇場」という著作がある。

これは社会論というか、フェミニズム論ではあるのだが、以前にこれを読んでも、正直よくわからなかった。*5
パンティへのこだわりは何か?とサブタイトルに書いてあるが、女性のナルシシズムであるとか、身体性とかジェンダー論みたいなもので、パンツに羞恥心を抱くのはなぜか?という疑問については言及されなかった。*6パンティは秘匿すべき部位であると同時に、パンティの形や柄に対するなみなみならぬこだわりから、秘匿と誇示の二面性がありますよ、というのがメイン。スカートを履く女性からみた諸相であり、既存の性規範には関心はないようだった。

20年くらいずっとこのテーマが謎で、本読みの自分にして、いまだに納得のいく説明にであったことがない。
服飾系もしくは文系の、卒論のテーマくらいにはできると思うので誰か調べてくださいませんかね。

* * *
まず「Why」ではなく、「How」を考えよう。
膝丈くらいのスカートで、パンツが見えないように振る舞うためにはどうすればいいのか。

裾の部分が乱れないように、基本的には何事につけ両膝を揃える動作が必要だ。
立つときも、座るときも、しゃがんで物をとったりするときも、両膝はくっつけておく必要がある。
足が開いていてはパンツが見えてしまうからだ。
いきなり結論になってしまったが、逆にいうと、この所作を身につけさせるために、スカート+パンツの服装に対するコードが作られたと、僕は勝手に断定する。*7

またスカートを履いた状態でパンツを見えないように立ち振る舞うには、背後にも気を使う必要がある。
男は、服装で自分の所作振る舞いを制限される、という経験はあまりない。
男性の多くは女装すると服装による動作の制限に新鮮な感覚を覚える、というのはよく聴く話。
私は女装経験はないのだが、ちょくちょくズボンの尻の部分がデブきぬ擦れで破れてしまうのだが、一度、ズボンの破れ目を他の人の目に止めないように背後に気をつけながら帰宅したことがあったが、背後に目を光らせて、ほとほと疲れた。
「見られないようにする」という行為は、自然に周囲への警戒心を喚起する。

「膝をそろえる」ことと、「見られないようにする」こと。
パンツを見せないように立ち居振舞うことで、所作や立ち居振る舞いに緊張感をもたらすことができる。
もともとの西洋文化と、和服文化の奇妙な習合が生じ、明治大正期の女子学童教育に用いられたのではないか、というのが僕の勝手な妄想だ。*8
(18世紀〜19世紀の西洋では、大人の女性はロングスカートがむしろ普通だ。女子に貞淑さを求めるならばその方がふさわしいだろう。女子学生のスカートが、膝丈であることは、大きな意味があるのではないかと思う。ま、昔の道路事情だと雨の日ぬかるんでしまうからかもしれないけど)

スカートの本質は日常では女性に股関節を開脚させないこと。
その目的は女性の非活動化だろう(フェミニズムでよくでてくる議論)。
また開脚する時は非日常=性交の時だけ、ということで、性交時の非日常性を際立たせる目的もあるのかもしれない。
19世紀、活動的な女性がズボンを履くことには相当な抵抗があったらしい。
 女性が膝を閉じずにいられる服装にかなりの忌避感があったということだ。

* * *

かつて(今もだが)女性は第二次性徴期から学童期にかけて、この手の所作振る舞いを服装を通じて教えこまされていたのではないか。
そのために「パンツを見せたらアウト」のルールができた。
パンツを見せる=アウトのペナルティとして羞恥心を持ってくる必要があったのではないか、と思っている。
知らんけど。

ただ、90年代以降、女子高生のスカートは短くなりすぎ、所作や振る舞いとしての道具としては形骸化してしまった。
「見せパン」という言葉は、彼女らなりのモードの転換(「下着」から「アンダースコート」や「水着」などと同じモードに)だったのだろうと思う。
例えば、電車で着席するときなどに、むしろ足を開いて股間のところは手で上からおさえて閉じ込み、パンツが見えない姿勢なども散見されたが、あれは「パンツを見せたらアウト」のルールの本来の意図から外れたものだったのではないか、と思っている。

* * *

前回の消費税のエントリーでいろんなブックマークもらいましたが、
「こんな税のことわかってなくてこいつ経営者なん?大丈夫?」
みたいなブクマもらいました。

今回のやつの方がより大丈夫じゃないっぽいな。

*1:MMT全然わかっていないというコメントが一番馬鹿馬鹿しいね。僕は財務省の金融政策決定者ではないし、理解したところで、それを実務に援用することができるわけでもない。MMTはジャズの理論でいうリディアン・クロマチック・コンセプトと同じようなもんだと思っている。

*2:LGBTとかそういう話は除いて

*3:もちろん中には強く興奮する人もいるだろうけど

*4:まあ、水着は多少なりと性欲を掻き立てる部分はあることは否定しない。でも下着とは違う。

*5:これ、80年代の悪い見本のような本で、論理構成の堅牢さがないニューアカっぽさが横溢している

*6:そもそもこの本には「羞恥」という言葉が一つしかでてこないし、それは、夫が妻の下着を干すのに羞恥心を感じる、という文脈だけ

*7:和服の、すり足文化、裾が乱れないように足を揃える所作とも、一部重なる。

*8:パンチラに対する執着は、日本では際立って大きいように思われる。これも実証する必要はあるけど。