ハロー、ワールド。
ハロー令和元年。
平成の終わり
平成の天皇陛下・皇后陛下。
長年の公務お疲れ様でした。*1
やんごとないお方なのに、気遣いの力が傑出した方で、その資質も含めて深く国民に愛されたのは間違いない。
天皇制は、僕らが思っているより盤石な制度ではない。特に敗戦後は国民感情によっていかようにもなりかねなかった。
昭和天皇の「人間宣言」は、そういうことも見据えてか、国民感情を味方につけるという意味ではいい風に作用した。
親しみ深い人間天皇であろうというその路線を継承し、それを100点満点で言えば120点やりきったところに陛下の凄みがあると思う。
この改元が祝福ムードで迎えられたのも、そもそもこの方の決断であることも忘れてはいけない。
昭和→平成の改元は昭和天皇の崩御そして即位でしたから、むしろ昭和天皇の崩御に際してのTV番組とかも自粛ムードの方が記憶に残っている。
こんな風に国民全員が改元をことほぐ雰囲気に導けたのは、やはり陛下のご決断あってこそ。
初期はだいぶ退位、叩かれてましたよね。識者に。
我々は陛下の正しい決断を記憶しておかなければいけない。
まあGW 10連休はどうかと思いますが、それは政府筋のプランですからね……
それに生前退位はBCP(事業存続計画)として当然だと思う。
卑近な例で恐縮ですが、経営者とかやってて思うのは、元社長の訃報と、現役社長の訃報って、全然意味違うからな。
体制の変更や、各種の届出とか、書類関係とか、すっごい大変で、時間もそれなりにかかる。
葬儀だって、多分現役社長の社葬なんて、すげえ大変。
これが、予想外の急死だったら、次期社長や次期経営陣だってすぐ決められない。
もし重要な経営判断を迫られている局面だったら……ぞっとしますね。
実際一昨年、うちのクリニックの院長先生が急死されたとき、保健所と厚生局には院長の変更を速やかにとどけてください、なんて言われましたけど!
大変でしたよ。
内部の医師は誰もやりたがらず(人間関係的に!)
僕が病院院長を辞し、クリニックの院長に転出、病院院長には前院長=名誉院長に現役院長に返り咲いていただきしのぎました。
それでも、院長空白期間が2〜3週くらいあった。
天皇家は、少し違いますけど、やはり継承に関わる不確定要素を最小化しておきたいという気持ちは、責任感の強い方であれば、当然のことだと思う。
31年の在位は、気遣いも多く大変だったと思いますが、間違いなく国一番のお嬢様を伴侶とし、幸せな夫婦生活を歩まれたことは、とてもよかったことだと思いました。
国民の我々が胸をはって、あの方々が日本一のご夫婦だと言い切れる。
これってすごいことだと思う。
まだまだ男尊女卑的な昭和文化ではちょいちょい批判も受けていましたが、振り返ると、30年進んでいたのだと思う。
令和
元号の変更に際して、業務に関する書類とかみなさん苦労しませんでした?
何か困るって、元号ってやっぱり曖昧な部分がだいぶあることですよ。
例えば、年度の問題。
2019年度は平成31年度とすべきか、令和元年度とすべきか?
平成31年度は1ヶ月で区切るのか?いや、そんなわけないよな。
ただし、昭和の時は63年度だったので、年度始めの元号でいくのなら平成31年度だが、令和元年度が正しいらしい。
また、令和元年という表記が正調であるそうだが、令和1年という表記は許されるのか?ローマ字だとR1が正調?
など。いろいろ。
こういうのって、日本人同士であれば、通じるかもしれないけど、例えば元号に知識ない外国人には不効率でしかない。
もっと言えば、人間同士ならまだいいほうで、コンピューターからみると非効率にしか見えない。
日付は、今や人が目を通すものではない。というより、むしろコンピューターで管理している部分の方が多い。
元号の制度は、アルゴリズム化すると、かなり複雑である。
例えば、平成30年12月1日から、令和元年5月1日まで、何日間ありますか?という計算を考えてみればよい。
西洋暦は、離散数で、それほど複雑な工程を要しない。二点間の距離(期間)の計測もただの引き算で事足りる。
結局のところ、元号を尊重するかどうかは、書類などの電子化に密接に関わっている。
今ではほとんどの書類が電子化(というかWordとかそういう活字化)されているとは思う。
その書類を紙に印刷し「書類は人が閲覧するためにある」とみなしている職場では、元号にそれほど問題を感じないかもしれない。
しかし電子化して、帳票をデータベース化し、そのデータをさらに二次利用しようと考えていれば、おそらく元号という非論理的極まりないものは容認しがたい。
例えば、最近ネットで話題になっている公的機関でのRPAとかの自動化作業。
令和元年という記入を認めたが最後、そこをOCR読み取りしてデータベースに入力するRPAがあったとしたら、今までは数字として処理していたのを「元年」と記入させることを容認した瞬間、テキストとして取り扱わなければいけない。
今までのプログラム、元号を追加するだけでなく、根本的に作り直さなきゃいけない。
西暦だったら、こんな作業全然いらないのに。
こんなのばかばかしくてやっていられるか?
おりしも働き方改革である。
ホワイトカラーの生産性向上とか言うのであれば、ビジネス文書での元号を直ちに廃止すべきだ。
SEの過労死が全国で50人ほど減らせること請け合いであろう。
*その他のBlogの更新:
半熟三昧:
『成功する音楽家の新習慣〜練習・本番・身体の戦略的ガイド〜』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
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雑司ヶ谷2編 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
Takeshi Ohbayashi Trio "Manhattan" - 半熟三昧(本とか音楽とか)
そうですね。八甲田山は、書評エントリーとして不必要に力が入っているので、その意味ではおすすめです。
コンテンツとしては、賭ケグルイと大林武司君のCDでしょうか。
*1:やんごとなきお方に「お疲れ様でした」という言葉遣いは、多分間違っているのだが、そういう細かいマナーを抜きにしてこういう気持ちを表出したいし、陛下はそういう国民の言葉はともかく心情は受け止めてくださるはずだ。