ネットで話題になっていたもんだから、近大の卒業式にゲストとして呼ばれたキングコングの西野の演説を観た。
詳細はこうだ。
キンコン西野 伝説のスピーチ「人生に失敗など存在しない」平成30年度近畿大学卒業式
最近Newspicksづいていたのもあり、西野氏の著作も何冊かみていた。
なので、はしばしにでてくる自己紹介やえんとつ村のプペルの話などは、今までにみたことのある情報ではあった。
でも、動画って視覚聴覚に訴えるので、文章とはまた別の情報が付与される。
僕の雑感は以下のとおり。
* * *
冒頭、入場して煽り直して再入場の流れは、これはライブとかに慣れた芸人の面目躍如だろうと思う。これは普通にうまいよね。
話す内容は、事前に構成はある程度決めていたとは思う。が、祝辞としては、いささか推敲の足りなさが気になった。
もともとの芸人=話し上手、というポテンシャルにたよりすぎではないかと思う。原稿がないことは別にいい。だが、早口すぎて詰め込みすぎてるように聞こえるし、重要な言葉を放つ時に、本来必要なタメがない。
ジャズのアドリブでいえば、いささか休符が少なすぎるソロだ。
肝心のラストあたりの時計のたとえを用いた「うまいこという話」であるが、これは別にいいんじゃないか?
そもそも卒業式の祝辞に、そんな凄い話なんてないよ。平均のクオリティよりはずっと上でしょう。
短時間ですっと理解できて多くの人が「ふーん」と思うようなたとえ話。
卒業式の祝辞としては、心に残りやすい。
もし卒業生が、社会人になってうまくいかなくて「あー」って思っている時にこの言葉を思い出し「もうちょっとがんばろ」という人が一人でもいたら、十分なんじゃないかと思う。
メッセージは明確。
- 挑戦することをおそれるな。
- 挑戦には、しんどい時間はかならずあるけど、それは必ず終わるから。
これから社会にでる若者に向けるべきまっとうでシンプルなメッセージだと思う。
格好としては、黒のモノトーンで、オーバーサイズ気味のロングコートみたいなやつ。ちょっと落合陽一的な。
まあ今時の流行りをおさえている。
でもこれ、ひと昔前のドレスコードやったらあかんやつよな。
もっと昔でいったら、『眠りの森の美女』で大広間で王に謁見するマレフィセントだよ。
記号的には。トリックスター感はない。
でもこれこそが現代のトリックスターなのかもしれない。
* * *
ただまあ、やたら早口で出口が見えない話し方といい、格好といい、基本的に西野氏は「若者に」向けた話をしようという意が強すぎたんじゃないか、とも思う。
基本的には大学生って、同年代との交流が多く「大人」との交流が少ない*1。今から社会に出て、全年代と交流しようとしている卒業生に、特定の年代にしか的をしぼり指向性をせばめた言葉を放つ、のは、あまりいいとは思わない。
それに卒業式は、卒業生だけのものでもない。
父兄や来賓、先生にも響く言葉だと、いうことなし。
というより、西野氏自身がまだ彼のライフステージの中で、すべての年代の、すべての層にひびく言葉をまだ操れていないのではないかと思う*2。
今の世の中これじゃあいかんのじゃないか、とか思っている人には氏の言葉は届くけど、マジョリティを動かすには、彼の言葉は鋭すぎるのだ。
少しエッジを削ってでも、言葉は大多数に届かせた方がいい。
これは大学生の時の自分と今の自分をみくらべて、今思うことだ。
昔の方が僕も尖ったことを言えてた。
けれども、尖った言葉は、聴き手を選ぶ。
要するに、西野氏の演説、大学生に向けたもの、と考えれば、全然オッケー。
ただ、デイ0の社会人に向けたもの、と考えれば、すこし疑問符。
社会人の見本として、あの話し方は、あまりよくない。
西野氏、ディズニーに勝つつもりなら、やらなきゃいけないことがあるんじゃないですか?
動員数では勝てないんじゃないですか?
と、動画を観ながら僕が感じたことだ。
* * *
西野氏はネットなどでも好感度が低いので、西野のことが嫌いであれば、なんかまた目立ちやがってと腹が立つのだろう。
でも、まあいいこと言っていると思う。
完成度が高い、とは思わないけど、卒業式への祝辞っていうのは、無条件の善意と応援の言葉なのだから。
僕もいろんなところでしゃべったりするけど、やっぱりそれなりの人数を前にして喋るときは、原稿かっちりでなくていいから予演をしておくべきだと思ったな。