半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

著作と講演

やれやれ。

この前にこのエントリーを書いたのが12月。気がつくと二ヶ月くらい、すぐ経っちゃっている。

やれやれ。

あんなこと書いたばっかりなのにね。

* *

 最近は、いろんな人の講演を聴くことが多いわけです。

 かつて勤務医として、狭い分野のスペシャリストとして診療してたころ、医師としてあちこちの研究会や学会に参加していました。そういう時に聴いていたのは、自分の診療している領域で確たる業績を上げた先生の発表だったり講演だったりします。もちろん、話のうまい先生、下手な先生いらっしゃいますが、まあそうは言うても学術発表のフォーマットの枠組みにそって発表するわけで、講演の多くはよきにしろあしきにしろ予想の範囲内です。

 違いなんて、しれている。せいぜいMS 明朝体とヒラギノ明朝体くらいの違いしかないわけ。

 しかし最近は経営者のセミナーみたいなやつによく行きます。各界のいろんな方々に会います。

 本を出しているとか、すごく業績を伸ばした会社の方とか、そういうの。

 そういう人の講演って、型破りなやつはほんと型破りで、医者の講演の差異なんてかわいいもんだ。

 それはさておき。

 著書のある人の講演を聴いた印象では、やっぱり本って、よくできてる。本って、知りたい情報をすごく過不足なく伝えてくれるんだなあというのが、講演を聴くことで逆にわかりました。すごくよくまとまってる。

 当人による講演なんだから、本人の肉声ならわかりやすいに違いないと思うんだけど、本と同じ内容を喋っていても、また全然違った意味あいになる。というか、別のニュアンスを付与される感じだ。

 講演は、本とは違った臨場感があるし、その当人に会うのは、他の人に語れる経験でもある。その意味で、貴重な機会なんだけど、でもその人の伝えたいこと、をどれだけ正確に伝えるか、ということなら、本ってよくできてて、本にはかなわない。講演の方が本より正確であったり、理解しやすいことは今まで一度もなかった。

 ただ、演者の人となりとか、語り口調に特長があるような場合もあって、そういうのは講演の醍醐味だと思う。本を読むかぎり天使みたいな人だなあと思っていたけど、会うと、自分大好き人間という自意識と、香気を放つほどの俗物っぽさがあったり、逆に、仙人のようであったり、著作は淡々とした書きぶりなのに、茶目っ気があったりとか、皮肉屋であったりだとか、そういう性格や情意的な部分は、講演じゃないと伝わらない。

 その人のいいたいこと、ではなく、その人そのものを知るには講演のほうがいいんだろうと思う。

 多分、そういう存在だけで金がとれる人々、というのが、芸能人ってことになるんでしょうかね。