以前にも書いたが、アウトプット量保存則、というのはあると思う。
もう随分昔だがブログ*1をしげく書いていた頃があった。
あの頃は、医師になり、研修医としての初任地で、ただただ田舎でもあり、自分の考えを開陳してディスカッションするという場もなかった。紙カルテに書ける量は知れていたし、自分のクリエイティビティを発揮する場はWebsiteにしかなかった。
もしあの頃に、論文を書く習慣をきちんと身につけてそちらにアウトプットできていれば、僕の人生はかなり変わっていたに違いない。
岡山に戻り、大学院へ入学し、電子カルテに診療録をかいたり、研究をまとめたり、学会発表の原稿を作ったりしていると、例えばブログ文章のようなものへの意欲がすこしずつ削がれて行くことを感じた。沢山カルテを書いた日なんかはそれに加えて文章を書く気になんて、とてもなれなかった。
満腹になるとそれ以上は食べたくならないように、1日に何度も射精できないように、自分の中のクリエイティビティは、それがどのような形で発露されるにしろ一定量しかない。著述家は限界のラインがもっと高くて限界を感じないのかもしれないが、少なくとも自分には、それがリアルに実感できる程度のラインに限界があると思いしらされた。
大学院を卒業*2し、基幹病院での診療の日々が始まり、BlogというかWebの世界からはさらに遠ざかった。なんだかんだいって一人前の消化器内科医として、もっとも仕事のボリュームが期待されるポジションであったから、診療だけでほとんどのアウトプット力を消費していたように思う。
そこからさらに数年。
現在僕は80床と小規模ながらも病院の院長で、医療法人の経営者もしている。プレイングマネージャー…といえばきこえはいいが、外来をして、入院を診て、その合間に会議に出席し、経営に関する方針決定を行ったり、面接をしたりしている。
3年前から市の医師会の理事にもなった。
プライベートでは、ジャズトロンボーンをやっているのだが、セッションに出たり、レギュラーバンドのマネジメント*3をしたり、新たな企画を立ち上げたり、他の人が立ち上げた企画に乗っかったりもしている。
とにかく忙しい。
最近は、診療録を書くことだけではなくて、病院の中のいろいろなしくみ、仕事のやり方や制度を変更したりするために「企画書」みたいなものも書いたりする。自分の考えをみなに伝えるために、ちょっとした文章を書いたりもする。院内の職員にむけて、また院外に関してもだ。よくも悪くも「自分の価値観を提示する」ことを求められる立場になったのかもしれない。
今の自分は、アウトプットとしてはめいいっぱい自分の力を使い切っていると思う。
だから、Blogを書こうという心境にはなかなかなれない。このblogもなんども卒業しようと思ったのだが、最近はBlogを書くことは敢えて継続したいと思っている。
理由はおおよそ3つある。
1つは、今までのブログ文章が、現在の仕事につながっているから。文章は才能ではなく習慣と経験で、くだらないこともくだることもブログで書き散らした過去が、今の自分につながっている。すらすらっと文章を書けると、いろいろ便利なのである。
もう1つ。文章は習慣と経験であるから、書き続けた方が文章の「燃費」とでもいいましょうか、量あたりのコストが少なく書けるし、水準を保ちやすい。
最後の1つは、リアルな世界での文筆はいろいろ気を遣うし大変だが、こういうBlog文は力を入れずに書ける。文章を書くことを嫌いにならないためには、こういうスペースって必要だと思うのだ。
と思って、今後ともBlogを継続していきたいと思うのだが、気がつくと数ヶ月経っちゃったりするのも事実なのだ。