半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

ボーナスとは何か

biz-journal.jp

コロナで、大なり小なり医療機関はダメージを受けているけれども、そんな中東京女子医大ではボーナスゼロの状態になり、看護師400人が退職するとかしないとか、それに対して経営陣は「足りなければ補充するしかない」と言ってさらに火に油を注いだとか注がないとか。

Twitterの医クラでも
・そんな現場の医療職を大事にしないような病院は潰れてしまえ! という意見もあったし、
・いや、ボーナスって業績連動なの知らないの?こんだけ赤字で、ボーナスが普通にもらえるなんて考える方がおかしいんじゃない?
という、どちらかというと経営側の視点の意見もあったりして、色々かまびすしい。
正直、ポジション・トークであるような気もする。*1

実際のところ、ボーナスはいわゆる「基本給」とかと違って、法的根拠はない。
ものすごく業績が悪くて赤字の場合、ボーナスをゼロにしても、法に触れないのは事実だ。*2
(一方基本給を勝手に下げることは、禁止されている)
そもそも給与規定というのは会社と労働者の間で交わされる一種の労働契約だが、ボーナス(賞与)については、規定がないことがほとんどだ。もちろん暗黙の了解や、社内のルールはあるはずだが、法的根拠まではない。
だから業績が悪い場合にはカットされることもありうるものではあるのだ。

ただ、一方、労働者の側では、ボーナスは暗黙の了解で、1ヶ月か2ヶ月か、それとも3〜4ヶ月か支給が当たり前と考えられている。
これも事実だ。
伝統的な日本企業では「ボーナス」は給与の一部に組み込まれているも同然で、もちろん業績で上下はするものの、まあ基本的にはでるものと思われている。

どっちが本当なんだろう?

* * *

「日本 呪縛の構図」というちょっと前に話題になった本には、こうある。

世界史に詳しい方は「ドッヂ・ライン」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。
第二次世界大戦後、GHQ経済顧問のジョセフ・ドッジ(デトロイト銀行頭取)は通貨供給量を絞り、インフレを安定させる政策をとった。当時アメリカは極東における防共の砦として日本を使うかわりに、さまざまな経済支援や在日米軍の駐留(当時の日本にとっては軍事費の負担なしに防衛する意味で経済効果は大きかった)などで日本を支援したが、アメリカから日本への資金流入アメリカの財政を圧迫していたことも事実で、財政安定策は表向きの理由だが、米国政府にとっては自国益優先もあった。
通貨供給を絞り緊縮財政におちいり、インフレは抑制され物価は安定したが、産業界としては、深刻な資金不足におち入り失業や倒産が相次いだ(いわゆるドッジ・不況)。

 ここできわめて重要な役割を果たしたのが、池田勇人のような人々の創意工夫だった。彼らは財政金融システムの監督方針を通じて、日本の大手輸出企業が海外市場制覇のために必要な資金を辛抱強く捻出できるようにした。そのために、日本独特の構造的特徴を持つ金融システムを集中的に利用できるような融資調達のメカニズムを構築したのだ。
 これらの政策の多くは戦時中の資金調達方法を応用したものだった。*3一般家庭の貯蓄を預金受け入れ金融機関に預けることを強く奨励し、それらの機関に政府の発行する金融商品を購入させるという手法もその一つだ。
 国民に貯蓄を奨励するためにありとあらゆる手段が講じられた。一般世帯が子供の学費を払い、老後資金を蓄え、その上住宅を購入したければ家計を事細かに管理して定期的に貯金するしかなかった。
 一般的な企業では給与のほぼ三分の一が年に二度のボーナスとして支給されたが、これによって各家庭の主婦は給与の三分の二で家計をやりくりする方法を強制的に学ばされた。ボーナスシーズンには銀行や郵便局から宣伝や広告が殺到して国民にボーナスを貯金するように勧誘した。(『日本 呪縛の構図』第5章 高度経済成長を支えた諸制度 より)

月割りで月給がでていてもそこからまとまった額を貯蓄することは難しいが、ボーナスとしてまとまったお金がでていれば、それを貯蓄するというのはさほど難しい話ではない。
要するに、国民の給与を銀行に還流し、それを資金調達の財源として使うというスキームを誰かが考えた。日本のボーナスのシステムは、そのために作られたわけだ。
ただし、巧妙にそのシステムがつくられたので、ルールの背景はあまり知られていないし、今では裏の意味もみな知らずに制度だけが残っている。

企業の業績がいい時だけ、ご褒美に賞与として支給する。
表向きはそうなっている。法律的にもそうだ。ボーナスに法的根拠はない。
でも、実は、想定年収の 三分の一か四分の一を、年二回の賞与として支給という形で最初からデザインされている。
ドッジ不況」の時に誰かがそうすることを企み、だいたい年収の25~30%はボーナスという形に変えて支給することにした。*4
そして、もう何十年もそういう「暗黙の了解」で世の中は回っている。

「ボーナスが全額カット」と言われると、あたかも当然最初から与えられた権利を、奪われたように感じるのはそのせいだ。

* * *

実は戦後こっそりと作られたシステムを、あたかも所与のものであるかのように錯覚しているものはよくある。
僕は団塊ジュニア世代で、僕らが子供の頃は「日本人は勤勉で、貯蓄を当たり前のようにする民族だ」みたいになんか刷り込まれていたけれども、なんのことはない、戦後に作られた比較的新しい慣習にすぎない。
終身雇用だってそうだ。

* * *

今回のボーナスカットについてどうこうは思わない。これくらい業績が悪ければ「聖域」とも言える部分もカットせざるを得ないだろう。
経営者の当然の権利、とも思わないし築き上げてきた組織に大きなヒビが入ることも承知の苦渋の選択であることは想像に難くない。左手を切断するか、それとも右手を切断するか、みたいな究極の選択なのだろうとは思う。まあだからこれだけ看護師が離職するのだろう。

ただまあ、議論の中心となっている「ボーナス」の歴史について、意外にみんな知らないみたいなので紹介してみた。
これもまた、戦後の遺産だ。

うちでも、そういう事実を踏まえて、ボーナスの分は全部本給与に含めて、ボーナスという制度やめる?という提案をしたこともあったが、しかし、みんな制度を変えることにはすごく抵抗を示すもので、うまくいかなかった。
考えてみれば、貯蓄を生み出せるボーナス制度は、そう悪いものではない。
ただ、このスキームの弊害は、そうやって得られた種銭を、深く考えずに「銀行に全部預ける」という習慣が日本人に根付いてしまったことだ。日本人が個人の投資後進国になってしまった原因でもあるだろう。本当は、ボーナスで出た原資を個人投資に全部まわす、というのが、2020年のマネー・リテラシー的には正解なのだろうけど。

あ、あと「日本 呪縛の構図」はとてもいい本なので一読することをオススメします。

その他のBlogの更新:

もう一年の半分がすぎたなんて信じられないね。6/30はハーフタイムの日らしいですよ。
コロナで増えたZoomの講演会とリアルの用事ががちにぶつかって、出かけないといけないのにZoomで家に縛り付けられる…みたいなのが増えています。なんじゃそりゃ本末転倒やん。

*1:それに、ボーナスは色々我慢してきた最後の砦であり、単に一度のカットだけではやめたりしないだろう、というのも真実ではあろうとは思う。でも過去5年くらいも赤字だが、ボーナスはしっかり出ていた、というのも事実ではある。

*2:そもそもボーナスがカットされる方が会社がつぶれるよりマシだろ、という考えになる

*3:要するに、国民総動員体制で、民間人の持っている財産や貴金属を拠出させたやり方と似ている

*4:それは住宅や車を買うなど個人のまとまった消費のためにも合理的ではあった。だから給与所得者も反対しなかったのだろう。

今『人生会議』をするのは難しい

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2020, 広島
コロナウイルス(COVID-19, SARS-CoV-2)は、不気味なことにじわじわと増えるが爆発的流行にはならない。

このまま落ち着いてくれればいいが、まあそうもいかないだろう。
第二波にそなえて、厚生労働省のコロナのアプリも発表された。*1

原則多くの人がこのアプリを入れて適切に対応すれば、リスク管理がより柔軟なものになるのではないかとは思う。
まあ、やってみなければわからない。
ただ、感染者が県で数十人という非大都市地域では、コロナ感染地域第一号が判明した家は、近所づきあいの問題から、その地域にいられなくなって引っ越した人々もいるとかいないとかいう噂があるのは事実だ。

* * *

一旦は感染が収束したので、医療機関に入院していたCOVID-19の患者さんたち、おおかた退院できたみたいだ。
大都市はしらないけどね。
やっとわかってきた事実としては、コロナ感染の重症者の治療経過には、生き死にに関わらずかなり時間がかかることだ。
高度医療を提供するHCU/ICUというベッドは、それほど多く準備されているわけではない。
例えば救命救急センターとかでは多発外傷とかすごく難しい内科疾患であるとかそういう人を、こういう集中治療室で初療し、ある程度治療の目処がつくと、一般病床にうつる。疾患にもよるけれどもICUに連続して治療を受ける日数は数日、というのが原則だ。

ところが、コロナでは重症者はなかなかよくならない。とにかく時間がかかる。
ECMOも人工呼吸器も、数日で勝負がつかないようなのだ。
1〜2ヶ月HCU/ICUを占有しかねない。

これって、例えば普通の飲食店のトイレ。普通の店のトイレって1個か2個しかないことが多いけど、それでまあ普通は問題なく回っている。
でも、もしそこに、二時間完全にトイレを占有して出てこない人がいたらどうなるか?
他の人はそんなに長時間トイレを使いたいわけではないが、一人そういう人がいるだけで、漏らしちゃう人がでてくるかもしれない。

コロナによって起こる「医療崩壊」ってこういうことだ。
こうならないためには重症化への進展を防ぐ薬剤の開発が必要だが、それ以前の時点でも、ある一定期間が経ち、回復見込みのない人に対する治療の撤退が許されるなら、医療崩壊はしないだろう*2

この辺りは、本当に命の選別というか、いわゆるトロッコ問題(トロリー問題ともいう)なので、非常にデリケートな話だ。

* * *

ACP

そういう話になると、当然、アドバンスド・ケア・プランニングの話になる。
https://www.spmed.jp/14_kankei/opinion_pdf/02_op/opi_R0205.pdf
この札幌医師会の先生のオピニオンは非常に実際的な話で、僕も当初こう考えた。

しかし、実際に外来で話をしてみると、これは、今コロナという差し迫った死への恐怖があると、ACPにかなりバイアスがかかることがわかった。
80歳〜90歳の「あー僕はもう十分生きたから、これ以上しんどいことはいいよ」とかいう人は、これは延命しない、というACPの意思表示で、これは全く問題がない。
問題は、65歳から75歳くらいの方々。これくらいの方々は自分が高齢者であるという自覚は、かなり乏しい。
もしくは日常的に老いを糊塗しようとする努力でなんとか若さを保っているからか、高齢者扱いに対して微妙な反応を示す人は結構いる。

そういうくらいの年齢の人に、ACPをうながしても、はっきりいって「前熟考期」。
なんだかんだいって決断しない。なんならクレームを入れてきた人もいる。

で、今回コロナのこともありACPもうちょっとしっかりとろうかなと思ったけど、これって、遺産を狙っている若い世代が「お父さん、遺言状書いてくれませんか?」みたいな感じになってしまうのだ。
実際、「これ、延命しないって書いたら、コロナにかかっても集中治療とかしてくれないんでしょ?」と
 そのものずばりのことを呟く人もいた。

ACPによる意思表示と、トリアージは全く別の事象として語る必要があるのではないかと思う。
65歳以上のすべての高齢者がACPを意思表示をすませていて、それにそって粛々と集中治療をすべき人をピックアップ、というのは多分無理だろう。あくまで、基礎疾患の有無や年齢、要介護度など、濃厚治療に対する反応性の可否から、生還人数が最大化されるようにクールに治療対象者を選ぶべきだと思う。
できれば、治療チームと、トリアージチームはわけて、高度医療を実際に行う医療スタッフには感情的なストレスが起こらないような仕組みが必要だ。

ただ、専門家会議に対する政府・官邸の扱いをみる限り、そんな美しい役割分担は望むべくもないのかもしれない。
いずれにしろ、外来で今までACPを説明していた僕は、コロナ禍が始まって、むしろ説明をやめざるを得ないな…と嘆息している。

*1:これも一部メディアにはクソミソに叩かれもしているけど、これ以上の解決ってないよ、と思う。コロナ感染者へのバッシングが起こるのはリアルな我々が村人根性だからだ

*2:今はそこはやってないんですよね?

コロナしぐさ その2

随分前、非常事態宣言がでる直前に、「コロナしぐさ」というのを書いた。
hanjukudoctor.hatenablog.com

これ、意外に芯食ってたんじゃないか?と思う。
ここから、非常事態宣言が出て、解除されて今にいたるわけだが、今から振り返っても、そんなに間違ったことは書いていないと思う。

それで、昨日のエントリである。
hanjukudoctor.hatenablog.com

本来これは「コロナしぐさ」に引き続いて書くつもりだったんだが、今ひとつ考えがまとまらなかったので、こんな遅くになってしまった。

ただ、感染への未知の恐怖が極期であったこととマスクの入手困難のピーク時であったため、マスクについてはやや過剰すぎたかもしれない。
今はもうちょっと条件が緩和されていて、ディスポ(使い捨て)のサージカルマスクは今では潤沢に入手できる。
しかし布マスクの場合は持ち歩かなければいけない。
ポケットにいれるとウイルスが表裏満遍なく付いてしまう。やはりマスクケースは必要だと思う。

わたしの場合

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携帯コロナグッズセット

というわけで、コロナがらみで、持ち歩くものが増えたし忘れるといろいろまずいので、コロナグッズをまとめている。
意外と細かいじゃないかと思われるかもしれないが、むしろわたしは超ズボラなのでこうしておかないとえらいことになってしまうのだ。

  • ケース(右上)

ケースはなんてもいい。わたしは無印良品のナイロンポーチがサイズ的にちょうどよかったです。

  • ハンカチ(左上)

もし出先で手を洗った時にペーパータオルがない場合(しばしばある)安全に手を拭くため。
一度使うと汚染される可能性があるので、複数枚入れておくのがいいだろう。(使ったものはポーチから出して帰宅すると洗濯機に放り込む。次のを補充する)

  • マスクケース

これも無印良品のお片面クリアケース。
もし出先で忘れたらどうしよう…ということで予備のマスク入れ。
これは3月だったので使いさし(この後捨てました)マスクケース内部はエタノールを入れて乾かしてクリアランスしています。
布マスクだと、ちょっと入らないかもしれない。マスクケースはもう少し改善の余地がある。スマホが入る大きさのジップロックでもいいかも。

ウエットティッシュも一時期品薄でしたね。今はコンビニで買えるから、持ち歩かなくても大丈夫かも。

  • その他(右下)

 手指衛生。アルコールスプレー。これは職場の支給品を流用していますが、百均のスプレーボトルでいい。
 ハンドクリーム。3月から4月は消毒用アルコールで手が荒れまくっていたから。
 個人的にはバルクオムのハンドクリームがオススメ。(チューブの材質がアルミじゃなければもっといいのに)
 小さいチューブはステロイド。荒れた部分が限界を超えて痒み地獄が発生すると付けています。

こういうセットを作って「これでアスファルトジャングル東京への出張も大丈夫だぜ!」と
思っていましたが、肝心な出張がないんだな(笑)

オフタイムも感染防御をきっちりするというのは正直かなりストレスだ。
だが、防御する道具もないのに防御するのはストレス以前に恐怖でしかない。
できることはやって、正しくコロナをおそれよう。

ちなみにジャズブログでのコロナ対策、もご参考に。
jazz-zammai.hatenablog.jp
jazz-zammai.hatenablog.jp

腐海に住むこと

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2020, 庄原
コロナ(COVID-19, SARS-CoV-2)。

自粛が解けて、非常事態宣言も解除。東京アラート*1も解除。
街には喧騒がやっと戻ってきたようである。

しかし、全国規模の集まりは中止かWeb化で、かつて土日に足繁く出張して上京していたのは、しばらくなさそうだ。
新幹線のEX-ICカードも4ヶ月使っていない。楽天トラベルも使っていない。

ただ、感染は完全にゼロにもなっていないし*2医療人としては、なんらかのコントロールができる状態*3じゃないと、警戒態勢は完全に解けないと思う。

WHOがマスクの効用を認める声明をだした。
日本では昔から因習的だった考えが、ようやく認められた格好で、日本の医療従事者としては、ちょっと嬉しい。

しばらくはマスク着用は推奨されるだろう。
コロナがおさまってからも今後は、冬のインフルエンザシーズンには、マナーとしてのマスク着用が強化されるだろう。
マスクも、潤沢に供給され、おそらくこの冬マスクが枯渇することはなさそうだ。

要するに、ウィズコロナ、ポストコロナは、ウィズマスクなのである*4
外出するときは常にマスクをすることが必要とされる。
風の谷のナウシカ』の腐海のほとりの住人のように、マスクは必需品、携行品ということになる。

* * *

そうなると、一時しのぎではない、マスクのファッション化を当然検討しないといけない。

マスクのデザイン

サージカルマスクは、不織布であり、ビニール傘と同じチープさがある。
既存のファッションとの親和性は悪い。
取ってつけた感があるよね。
かといって、さまざまな柄の布マスクは服との統一感が損なわれる。
全体に無地色のファッションなのに、派手な模様の布マスクをつけているのは、派手なバンダナを頭に巻くのと同じちぐはぐさがある。

おそらく、トータルコーディネイトに抵触しないマスクのデザインは必須となるだろう。

男性用には、ネクタイ・ポケットチーフ、マスクと同柄のセット。
女性用は、マスクとスカーフが同柄のセット。
みたいなものが発売されるのではないか。

このまえセレクトショップに聞いてみたが、まだないみたいだ。
しかしそろそろでてくる秋冬にはそういうウィズコロナファッションが出てくるかも…とは言っていた。
白シャツと同じ生地のマスク、黒いスーツの生地と同じマスク、というのもありうると思う。

密閉性の高いメガネ

あとは、メガネから派生するフェイスシールドの流れ。
今までも花粉症用メガネとして、比較的密閉性の高いものはあったがハイブランドにはなかった。
しかし、このコロナをきっかけに、レンズの上部と下部のオープンな部分をカバーする新商品が出てくるんじゃないかと思う。
外気遮蔽率というパラメーターは今まではあまり注目されなかったけれども、ウィズコロナのメガネ業界では、飛沫が眼球に飛ばないことに念頭を置いた商品開発が行われているはずだ。
そして、メガネのフレームで眼球だけじゃなく顔面全体を覆うフェイスシールドを支えるモデルがアイウェアブランドからでてくると思う。

耳の競合問題

ところで、長時間マスクをしていると、マスクのゴム紐で耳が痛くなる。
これを回避するグッズはいろいろでている。
耳あてのところにかますクッションとか、紐をみみにかけずに後頭部でまとめるものとか。

こういうやつね。

ウィズマスクで、ウィズメガネであると、耳にはマスク・メガネが競合する。
これをまとめられないか。耳痛いんだよね……
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簡単にいうと、メガネのテンプル(耳にかけるツルの部分)、黄色のマルでしめした部分。
ここの外側に出っ張りがあればそこにマスクをひっかけることができる。
もしくは、メガネにつけるアタッチメントみたいな部品でもいい。
 貴金属とかで作れば、アクセサリーとしての付加価値も出せると思う。

おまけ

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ちなみに私は某レ車に乗っているのですが、ハンドルの奥に、あつらえたようにマスクをひっかけるスペースがあるのです。
いや、マスク用じゃないんですけれども、ちょっとした外出でマスクを忘れるということがなくなりました。
ま、「ありえない」とは言われますけど。

*1:E電並の言語センスだと思う

*2:現在は気候条件から、感染が起こりにくいのではと思っている

*3:おそらく、1:ワクチンが完成する、2:死亡率を下げる、重症化率を下げる、もしくは重症治療期間を短縮しうる薬剤が明らかになるというのが勝利条件だと思う

*4:ひょっとしたらフェイスシールドが進化するかもしれないが

コロナ デフレかインフレか

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2020, 三次
コロナ、コロナ……コロナウイルス(COVID-19, SARS-CoV-2)
非常事態宣言が解けて、自粛も撤回されつつある。

自粛で多大な金銭的なダメージを負ったのは、ライブハウスとかジムとかの三密の業界、および飲食業である。
真面目に取り組んでいる飲食業の人たちは(そして、日本の飲食業の人たちは総じてまじめだ)自店でコロナの感染が起こらないよう、三密を避けながら開店を模索している。
客席の間隔を空けたり、テーブルや椅子を間引いたり。営業時間も短縮したり、いろいろ工夫をしている。

ただ、この現状は果たして2〜3ヶ月の一過性のものか?
それとも年単位で続くのか?

みんな「正常化バイアス」が働いているためか、これはあくまで緊急措置で、いずれ元の業態に戻るという前提、というか希望で動いているように思えてならない。人は見たい現実しか見ないものだし。
だが、現状の営業形態は短期ならともかく中長期的には不可能だ。

簡単に言えば、飲食業は、固定費(賃料・光熱費もろもろ)を売値から原価(仕入れ値・人件費)を引いた粗利で返していく。粗利が固定費を上回れば儲け、下回れば赤字だ。

飲食はこういう収入・支出をシミュレーションしてメニューの値段を決めている。
もちろん、市場、つまり競合他社との文脈の中でも値段は決まる(高ければ客は安い店に流れる。いわゆる需要供給曲線というものがありますね)

* * *

今回の三密規制では空間を密にできないので、客数を増やせない。
強制的に「流行っていないお店モード」にさせられているようなもんだ。
客数が少なくなれば、売上は落ち、当然、赤字になる。
それでも、固定費を幾分か返すにはやらないよりはましなので、皆営業を続けるわけだ。

普通、赤字の場合は「値段を下げて儲けは少なくなってもお客さんにたくさん来てもらおう」という薄利多売モードがとれる。価格競争で客数を増やし、店の回転率をあげる作戦がとれる。
だけど今回のコロナ禍では、密にできないから、回転もあげられない。

単価をあげてはいけないのか?

素人考えなのだが、では、単価をあげてはいけないのか?
しかも単価の高いメニューを考案する、とかではなく、メニューはそのままで、単価を上げてはいけないのだろうか?

単価を上げることは、小売業にとっては、マーケットからそっぽを向かれるかも…という恐怖と裏腹でもある。
特に顧客中心主義がちょっと度を越している日本では、値段を上げることが顧客への背任につながるのではないか…とまで思っている。

ただ、例えば原材料費の高騰だと「今のままだとやってけないから」と値段を上げるのは容認されている(それでも結構批判がくるけど)。全国的な冷夏でキャベツが高騰し、お好み焼き(広島)の値段をあげざるを得ない…といって店主が冷や汗をかいていたのを思い出す。

今回のコロナでは、食品の原材料費はあまり変わらないが、店舗の土地の一人あたり使用料が高くなった(客数を減らし、人口密度を下げざるを得ないのだから)ので、店の賃料を材料費と同様に考えれば、材料費の高騰と同列に考えて、単価を上げてもいいじゃないか、と思うのだ。
存続のためなら値段を上げるしかないのだ。
逆に値段をあげることができるなら、賃料・光熱費などの固定費も払え、店も存続できる。
客数は減るので総売上は減ると思うが、店の存続ラインまで粗利率を増やすことがそれほど悪辣だとは僕には思えない。

もちろん、値段をあげることに腹が立つ顧客もいるだろう。みんなコロナで総じて貧乏になっているのだから。
普通の場合は、それで他店に流れて、値段を上げた店は潰れる。*1
だけど、今回の場合は、どの店も人口密度を増やせないから、客を他店から引っ張れないのだ。

今までの安い値段で、三密を避けて間引いた席数で満席でも店は潰れてしまう。
長い目で見ると、安いままで営業を続けると、店は潰れる(コロナ体制が思ったより終了すればなんとかなるが、1年続く場合は、どこも厳しいと思う)

高くすると、今まで月5回くらい行っていた店には2回くらいしかいけないかもしれない。
だが、それこそが、「三密」を避けることなのだ。
もちろん、テイクアウトやコンビニの食品は値上げする必要がない。
飲食店での営業を、すべてテイクアウトに置き換えることは不可能で、店舗型の飲食業が本質的にそっぽをむかれない限り、需要は残るはずだ。*2

単価をあげないとどうなるか?

我々が、店が単価を上げるという選択肢があまり提案されないのは、日本がここ最近ずっとデフレ傾向だったからだ。
20世紀に入ってからというもの、我々は質の高い食事が、安い値段で食べられるという事態に慣れすぎた。
気がつくと、日本は発展途上国なみに飲食の単価が低い国になっている。

もし、単価をあげずに踏ん張って経営を続けると、当然ながら店は潰れる。
市場原理に委ねてみよう。
従業員の減員による固定費の縮減や、余剰資金で粘るという一時しのぎで中長期がすぎると、資金力のある店は残り、ある程度の店は退場する。市場入れ替え戦が起こった挙句に生じるのは、おそらく失業の増加による賃金の低下、テナントの空きによる賃料の低下、これは最終的には土地価格の低下、地域内総資産の低下に繋がる。
もちろんここには様々なファクターが絡むので多分そんな純粋にはいかないし、どう考えても素人の考えなので抜けがあるように思う。
ただ、値段据え置きで頑張る、というのは、デフレ的な思考に毒されているのではないかと思うのだ。
世界最高峰の低価格を、これ以上踏ん張るのは、さすがに無理というものだ。

値段を上げると、数量は売らなくても店は維持できる。
従業員の給与を減らさなくてもいいし*3、賃料も払うことができる。価格下落競争に陥ることはないのではないかとは思う。スタグフレーションに陥る局面でもない。

僕は経済の専門家でもないし、こんな単純な図式で論じられるものでもないとは思う。
確かにどこか見落としている変数があるに違いない。

しかし、コロナ禍をあくまで応急処置で切りぬけようとしている飲食業界の今のやり方が、正しいとはとても思えない。

店単独で、価格を上げることは、確かに厳しいのかもしれない。
なので、やっぱりここは政策による後押しが必要なのではないかと思う。
最低でも地域内のすべての商工会とか同業組合、くらいのレベルで示し合せて増額する必要はあるかもしれない。
というか、ある期間国が決めて、その期間は値段を上げて店の存続を優先することを許可する、とか。
コロナが落ち着いて(仮に落ち着くとすればだが)必要がなくなったら宣言を解除すればすむだけだ。

もしくは、特別税という形をとって40%くらい課税する。その課税は100%翌月小売店に還付してしまうとか。
そんな乱暴な技でもいいんじゃないか。


別にそうなって欲しいわけじゃない。
今までよりも飲食の値段が上がるというのは、給与の実質低下を意味するわけだし。
どうせこんなバラマキ給付をやっていたら、増税になるのは目に見えている。
実質可処分所得は多分大幅に減るだろうし。
それでも、価格を上げるという政策の方が、痛みは少ないのではないか、となんとなく思うのだ。

なんにしろ、単価を維持して売上を下げる方針は、大きくみると縮小均衡に陥って、どえらいことになりはしないのだろうか。

どうせ、今後、LCC主体の航空会社が何社か潰れて、飛行機の運賃は多分上がる。
飲食だって、ディズニーランドだって、スポーツの試合観戦だって、上げていい。
1/5の人が観に行って、値段を5倍にすればいいと思う。

その他のBlogの更新:

ジャズブログ:

【番外編】カラオケ店での感染リスクを最小化する方法 - 半熟ドクターのジャズブログ
カラオケマニア的なカラオケ防御策を私感ですが書いています。
ジャズブログはあまり閲覧が多くはないですけども、これは読んで欲しいなー。

*1:だからこれは、常連客がどれだけ店を支えられるか、という顧客というストック勝負であるとも言える。実際潰れそうなお店にクラファンとかをやるくらいなら、単価上げてくれたらいいのにな、と思う店は結構あるのだ

*2:このように飲食店の単価が上がって被害が大きいのは、旅行者と、自炊能力のない単身者であろうと思う。まあしかしテイクアウトすればいい。

*3:総売上が減るので人員自体は減るかもしれないが

みんなもっと『三密』に感謝した方がいい。

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とりあえず、しばらく市内でコロナウイルス(COVID-19、SARS-CoV-2)の発生が見受けられないので、業務体制を通常のものに戻してゆきつつある。不要不急の内視鏡や健康診断は再開することにした。
ただし、外来では全員マスク着用にしたり、発熱患者に対して慎重な対応(屋外で診察したり)、病棟への面会制限などはやはり続ける。
どうせコロナ騒ぎは年単位のものになるとは思っているからだ。

手荒れは少し落ち着いたので、多分手洗いを行う回数は少し減っているようだ(PPEを着る頻度も下がっているしね)。
しかし、北九州の感染者数増加という不気味な第二波の情報もある。
1ヶ月経たないうちに、また外出自粛、飲食店の閉鎖という事態になる可能性だってあると思う。

* * *

こうやって、一旦緒戦に勝つと、日本人は敵をあなどる悪い癖がある。

「もともとそこまで努力しなくても大丈夫だったんじゃないか?我々は無駄な『自粛』をしていたのではないか」*1
「日本人の清潔観念は他国とは段違いに優れているので、コロナにも通用した!」*2

もうこういう言説結構でていますね。
それで油断して、後半ぼこぼこにされる。形勢がかわっても、初期の優越感というのを捨てられない。
日清日露戦争から支那事変もそう。太平洋戦争もそう。バブル経済時もそう。

安心してほしい。毎年インフルエンザはまあまあ流行しているから日本人の衛生観念が際立って諸外国よりも高すぎるということもないし、残念ながら自粛は有効で、自粛していなかったらシャレにならないことになっていた可能性は十分ある。(ただし、骨を切らせて骨も肉も断つ、式であるのは否定できないが)

以前に日本は「ハイコンテクスト社会」である。と書いた。
hanjukudoctor.hatenablog.com

自粛という自主的な行動(その背理には同調圧力もあるのだが)によって一斉に社会活動を減らすというのは、諸外国にはなかなか難しいことは確かだ。しかし自発的な行為が成功に導いたというだけじゃなくて、ハイコンテクストならでは情報伝達がかなりプラスに働いたと思う。

そのキーワードが「三密」(密集・密閉・近密)だと思う。
「三密を避けましょう」という言葉は、気がつくと、海外の「Social Distancing」から差し替えられていたことを思い出してほしい。*3
この二つはちょっと、というかだいぶ違う。
Social Distancingという言葉の意味は、かなり雑だ。要するに人々の接触をできるだけ避ける。これは三密よりさらに厳しい。
実際に中国の都市封鎖やヨーロッパのロックダウンは、我々の「三密に則った自粛行動」どころではない。中国なんか電車も飛行機も高速道路も止めた。*4 まるでサンクトペテルブルクの包囲戦のように、ひっそりと息をひそめないといけなかった。今回日本人が経験した自粛とはかなり違う。

「三密」は明らかに、Social Distancingを明らかに進化させたものだ。
これはウイルスの感染様式がなんとなく掴めつつあった初期に、それを踏まえた上で、専門家会議の西浦教授がハイリスク感染様式を避けるメッセージとして提示なさった。三密というわかりやすいキーワードに集約したことが成功の一因だったと思う。

とにかく、わかりやすいし、イメージしやすい。
なんとなくリスク評価もしやすいし、この条件に該当しない接触を過度に禁止しない点でも、このキーワードは優れている。

ハイコンテクスト社会の住人、受け手である我々もハイコンテクストに慣れているから、察して行動した点ではすばらしかったが、とにかく遂行しやすい「三密」というフレーズを考えた発信側はかなり慧眼であったと思う。

内田樹だったか鴻上尚史だったか忘れたけれど、例えば「手のひらを上にして軽く手を握って」ではなく「生まれたての雛鳥をそっともちあげるように」とか、言葉を伝わりやすくすることで、全員の動きが一瞬で変わる、みたいな事を言っていた。
今回の三密は、そういう意味でみなが遂行しやすい、伝わりやすいキーワードで、それこそが、自粛期間の生活につながったと思う。
日本国民全員がリテラシーが高いわけではなく、未知のウイルスに関して、それこそ、1910年のハレー彗星大接近の際に、タイヤのチューブがバカ売れした式の、非科学的な、ほとんど迷信に近いような行動も随所にみられた。
p-shirokuma.hatenadiary.com

それでも、軸がおおかたぶれなかったのは、「三密」のキーワードの持っている力に他ならない。
「三密を避けろ」はいわゆる軍事用語でいう「ドクトリン」に相当すると思うが、明確なドクトリンは戦術も戦略すらも内包していると思う。

今、日本が、準備不足であったり、本質的な体制の不備の割にまずまずの成果をあげたのには、「三密」という、今では当たり前すぎるようになった言葉に大きな功績があると思う。決して我々の衛生意識が超優秀だったわけでも、コロナウイルス自体が取るに足らない敵だったわけでもない。

唯一の欠点は、ジャパンオリジナルである三密を打ち出すのであるから、諸外国の規制以上に三密の淵源になる飲食店やライブハウスに負担を強いる。
そこに対する補償は、その意味ではもうちょっと別扱いで手厚くしなきゃいけなかったんじゃないか、とは思った。

*1:これはもう一度自粛を行わない(行いたくない)理由づけをしているにすぎない

*2:日本スゴイ史観というのは、連綿と受け継がれた概念で、重要な局面で日本の足元をすくう。無論、自虐史観も問題は多いわけだが

*3:さらに習近平をもじった集・近・閉というのもでたが、政治的なカラーがつくためか、わかりやすさの割には広まらなかった

*4:賭け麻雀している人のところに公安がやってきて、麻雀台を金槌でぶち抜いた映像は、黒川氏の賭け麻雀を振り返るとそこはかとない滋味がある。

コロナの幕間

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2020, 江ノ川
コロナ(COVID-19, SARS-CoV-2)、とりあえず波は去り、非常事態宣言は解除された。
まことに結構なことだ。
しかし、いわゆる自然災害がよくあるような終わりを迎えたわけではない。
というか、日本の場合、大都市を除いた多くの地域では始まってもいないとさえ思う。
いずれ、次の波はくるのかもしれない。

召集された兵士は一般に召集直後はあまり士気が高くないが、2〜3週目である程度慣れて戦力になってくる。
ただ、やはり戦時下の緊張や非日常で精神を病むので、2ヶ月以降は、士気も戦闘力もどんどん落ちてくる。
ようするに、張り詰めた状態は2ヶ月くらいで破綻してしまうのである。

だから兵站や補給がしっかりしているアメリカ軍では定期的に兵に休暇をとらせるし、そういう観点がなく、精神論で突っ切った日本軍は最終的に物量作戦に押し切られた。

その意味でも、この非常事態宣言の解除は、ちょうどいいタイミングだった。*1

* * *

日本は、様々な条件が重なり、想定以上の軽微な被害ですんだ。
専門家会議の見積もりや戦略もよかったし、市民一人一人の自主的な自粛というのも、濃淡はあれど素晴らしいものであった。

官僚機構は、現状の組織の限界の中で相当頑張ったと思う。
時事刻々と変わる情勢の中で、通常の日本で当然とされる意思決定をはるかに短縮することができた。

このような有事にはローマの独裁官(ディクタトール)のように、決裁権限を集約してトップダウンで決めるのが本来のやり方だ。
日本はこの手のトップダウン体制に歴史的にアレルギーがある。
安倍総理は演説が下手で、かゆいところに手は届かない答弁には隔靴掻痒感甚だしいが、独裁者ではない。
(国民の多くが侮りをこめた感情で眺めている人間を、独裁者とは呼ばない)*2

三月始めの学校の休校宣言は世論はむしろ批判的だった。フライング気味でさえあったが、が、結果的にはよかったと思う。
非常事態宣言も今でこそ「遅すぎる」と言われていたが、そこまでタイミングは遅くはなかった。
そもそもアウトカムである死者数が少ないので、結果オーライだったのだ。
大都市への「自衛隊の出動」というカードを残し、自主的な自粛までで事態を終息させることができたのはすごいことだと思う。

ただ、ここまでの成功はこれからの成功を保証しない。
まだ終わってもいないし、ここからがさらに難しい舵取りが要求されると思う。

しかし安倍政権どこまで保つのかね。
間違いないのは、この戦時下で政権交代することは、効率性を犠牲にする。
ピッチャーも交代したら直後に打ち込まれたりする。
次の首相が人格・能力的に安倍総理よりもはるかに優れていたとしても、政権交代による様々な人事の刷新から立ち上がりは、どうしてもスピードが鈍る。3ヶ月くらいはかかる。*3

その意味では次の波がくる前に…おっと誰か来たようだ。

* * *

私は内科。コロナの治療施設じゃない街場の中小病院で、いわば「銃後の守り」というか閑散とした戦区の歩哨任務のようなものだった*4。しかし元同僚達は基幹病院で奮闘していたし、医師会は医師会でオンライン発熱外来や、PCR検査所を立てたり地域ぐるみでコロナと戦っていたと思う。
運動会は見学していたけどクラスが優勝したらお相伴にあずかって嬉しい、みたいな心情だ。

幸い自分の診ている患者さんにコロナに感染した人はいなかったけれど……
1:生活習慣病の人たちは大体体重が増えた。Stay Home!
2:80歳以上の方々はテレビのワイドショーに怯え、外出を不必要に控えすぎたために、下肢筋力を減らした。
3:中国市場の縮小で、自動車産業の下請けはラインがとまっていたりして、これからが大変そう……
4:アルコール依存症の方は、総じて酒量が増えていた。
5:喫煙者の方で喫煙をやめた人は、残念ながら5%もいなかった。

高齢者にとっては筋肉量が大事だ。
高齢者には「老後の財産は、年金や預金通帳も大事ですけど、本当に大事なのは筋肉やで〜」と以前から言っていた。
若い世代の、例えば飲食とかフリーランスの友人は資金を取り崩してこのステイホームを耐えたが、高齢者は自分の資産=筋肉をかなり取り崩した(乗り切れていない人も残念ながらでている)。

みんなテレビでコロナの惨禍をみているから、怖いんでしょうね。
我が街に人混みなんて大してない。
屋外で散歩などをして筋肉を維持してほしかったなあ、と思う。

テレビは不安を煽って視聴率を稼ぐが、不安は適切な方向にも不適切な方向にも視聴者を導く。
ステイホームが守られ感染の終息には、マスコミが不安を煽ったことも一助あるのは間違いない。
ただ、高齢者のサルコペニアは進行し、結果、健康寿命を削ったり、一部の易怒性の性格の人間に「自粛警察」などの口実を与えたりもした点では、罪が重いと思うが、まあこれも、震災の上空に飛ぶ報道のヘリみたいなもんで、抗う力など我々にはないのだ。

*1:もちろんこれは意図的にそうしたわけではないので、第二波第三波でも同じ終息があるわけではないと思う。COVID-19診療施設で、そのような休暇を作り出せるか…という話だが、そういうレベルでの議論はないないのは皆も知っている通りだ。このままだとみんなやられるぞ…

*2:では安倍総理がなんなのか、政権の基盤はなんなのか、と問われると難しいものがある。

*3:その意味では健康上の理由で総理が退陣し現閣僚から首相を繰り上げるのがベター

*4:発熱患者は診察するのだが、コロナの院内持ち込みをできるだけ減らすために屋外で診察したりしていた。