半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

建て替え話 その4

というわけで、病院の建て替え計画では、

・あまり新規なことは考えない。

・床面積の問題もあるので斬新な意匠とか考えない

と考えたわけです。

んー。ちょう消極的…

 これって「全く何も考えなくて既定路線を継承する」と同じっちゃあ同じなんですけれども、一応「敢えて」そうした、と言っておきたいです。

正直にいえば、今後医療業界は衰退局面に入るのは明白なのだから、分不相応な規模拡大など笑止、と思ってはいました。

ただ、新しくしなければ次の20年は戦えない。だから新しくする。

でも、でもでも堅実に。

たとえば、車買い換える時に、検討段階ではいろいろ夢をみます。ベンツ、フェラーリ

でも新しい病院は、ベンツじゃないんだ、カローラなんだ。カローラからカローラに買い換えるんだ。

だけど、カローラだって、フルモデルチェンジしたやつは、結構いいはずなんだよ。

こういう風に念じて、新しい病院のプランを練ったわけです。

* *

新しいですから、かなり綺麗になりましたよ。今の時代の「当たり前」は、患者さん用のスペースは広く、それを守る限り、かなり快適な感じにはなります。

だけど、公的病院だったら、玄関ロビーとかそういうところに意匠を凝らしたスペースがあったりします。

元職場の市民病院は高台で土地が潤沢にあるので、まるで美術館のようなエントランスで、ロビーもゆとりのある空間。壁面も全面ガラス張り。

ドアも立派なのがついてます。

大きく開放的な空間や、全面ガラス張りとかは、そういうのが、建築の「格」ってもんだと思うんですが、めっちゃコストがかかる。

だから、そういう部分では極力見栄をはらず、窓の大きさはフツー、ドアの大きさもフツー。過度に贅沢しないように心がけはしました。与えられた空間と選択肢のなかで、最大限広くに見えるようにはしましたけれど。

意匠性も、あまりエッジを狙いすぎないようにしました。今回、病院のデザインは、クリーム色とか木目を活かしたやわらかい感じにしてますけど、これ実は10年前のトレンドで、ここ最近は病院の意匠は変化しつつあります。

その流行にのってもよかったんですが、まあ無難に5年前の流行に、あえてあわせてます。

まるでゆるふわ女子が、プチプラファッションで、男に迎合するようにだな(笑)

* *

ただ、そのまま「中小企業やで」的な病院を建てても、夢もなく、面白みもないので、一応頑張ったところはあります。電装系というか、院内インフラとしての事務環境は、割と頑張りました。

 これはこれでべらぼうに金がかかりましたけど。

「何をしたいの?」―建てかえばなし その3

どうも、半熟です。

 4月から肩書だけは微妙に出世しましたが、いろいろ諸手続きが必要なので市役所に印鑑登録に行ったんです。そしたら15年前くらいに別の印鑑登録してて、これいつ使ったやつだったっけ?とキツネにつままれた気分で廃印、そして改印してきました。

 だいたいあたしはこういう実際的なことが苦手なんですよね。他人任せにしがちなのが悪癖です。ここ最近は、一応最低限の線は自分でなんとかするようにしてます。*1

 ま、なんか由緒正しいところ*2で印鑑を作ってるんですが、間にあわなかったんですよね。…この印鑑も暫定的なものなんですわ。

* *

 病院建て替えの話の続きです。

そもそも、建て替えて病院事業を承継する、という話には、当然今後の事業計画がついてまわるわけ。

 建物よりもまず「何をすべきか」を論じないといけない。

 新しい病院を建てて、次世代も医療を続けるならね。

 君は何がしたいの?

 ……僕は何がしたいんだろう??

* *

 父が創業した病院は、非常に専門に特化した医療体制でした。「あの病気だったらあそこの病院にいっとけば間違いない」というのが強みだったんです。ただ、それは逆に「俺はあの病気じゃないからあの病院は関係ない」ということでもあるわけです。

 特定の分野に強いことは、もちろん強みではありますが、今後の命運を特定の分野に依存することは大変なリスクでもあります。

これが職員10人くらいの個人開業ならいいんですが、社会的な要請に従い、拡大した結果、今ではそこそこの規模の企業体になっている。個人の一存で閉院するわけにはいかんのです。

 創業者の父とは私は少し別の道を歩んでいるわけですが、私が今やっている内科(肝臓内科)という領域は、基幹病院での業務こそ向いているものの、中小病院に向いていない。また、そもそも肝臓内科という領域が今後20年の大計とはしにくい。B型肝炎C型肝炎も治療法が発達して「治る病気」になりましたし、新規患者が増えるわけでもない先細りの分野だと思います。

 だから、「自分の得意分野は成長分野です。これをマーケットに乗せたら間違いないですよ!」とは言えないわけです。

 私は今、一般内科という名の生活習慣病の管理や老年内科の領域に近いようなことをやっています。老年内科にしろ、内科の全分野というのは深くやれば深みがあり、面白いんですけれども、「これが本当に自分がやりたくて選んだスペシャリティーである」という風には言えない。

 実に受動的な仕事の仕方だよなあ、と思うときもあります*3

* *

 ただ、医療っつーのは、本質的に受動的なものではないかと、実は昔から思っていました。

 よく「ゴッドハンド」とかいうスーパーなドクターがドキュメントでテレビ出てたりするじゃないですか。

でも、患者さんがいて、病気があって、医者がいる。その中で、誰が主役かっつーたら、僕は患者さんが主役だと思うんですよね。でもスーパードクターの場合、なにしろスーパーなもんだから、患者さんは頭を垂れ、列をなしてその先生の診療を切望するわけで、まあスーパーだから、その先生が主役となって素晴らしい治療をする。もちろん素晴らしい治療は素晴らしいんで、それはいいんだけど、その診療関係って、本当にあるべき姿なんだろうか、と思う。

 病気っつーのは火事みたいなもんなんで、医者は消防士みたいなもんです。あくまで、火事があって、それを消すのが仕事です。

 つまりは、先手をとるべき仕事じゃないということ。後の先、というか、いかにおかれた状況の中でふわりと適応するのか、というものが優れた医療のエッセンスには含まれるのではないかと思う。その意味でいうと、治療にはある種のアノニマス・デザインが求められると僕は思う。*4

 そういうことを考えると、一般内科というのは、それほど悪くはない選択なんです。専門科とのコラボレーションは必要ですが、一般内科としてのレベルを上げると、意外に使えるカードは多いような気がします。

 一例を挙げますと、私は長らく基幹病院で肝不全の治療も沢山しているのですが、たとえば他疾患でOpをしたあと、リハビリなど回復期になった時に、肝不全や腎不全のシビアなものがあると、回復期リハ格の病院は、しり込みをするんですよね。そういう患者さんを事もなげに連携で引き取ると、こっちが思っている以上にありがたいようです。

 とりえが、ないようで、ある。

* *

 いずれにしろ、今後15年で、おそらく地域の医療機関は半分になります。多分。

 その時に生き残ることができるのか。

 条件はいろいろあると思いますが、その一つには存否を問われる際に、多くの人に「この病院なくなったら困るなあ」と思われる病院であること、だと思います。

 特定の疾患に対する強みを担保しつつ、地域包括ケア病床としての普遍性を付与し、地域の方々のマジョリティを顧客とする。これが次の戦略の要諦ではないか、と考えています。

 まあ、書けば当たり前の話なんですけれどもね。国の方向性に完全に追従しているしね。

 なので、今は自分の「やりたい仕事」というのを、「何科」というレベルでは考えてはおりません。ニーズのある医療を、満足のゆくクォリティで提供する、というのが、僕のやりたいことです。

 だから、新病院設計は、現在の延長線上で考えました。

 僻地ではありませんから、最先端の医療機器は基幹病院にちゃんとあります。それを上回る重厚な設備を身にまとっても、採算がとれる保証もない。活かすべきは、人。ソフトパワーを如何に活用するか、ということです。

* *

 必然的に、これはプライマリ・ケア的な発想です。

 だから当然プライマリケア連合学会には参加しましたが、総合診療専門医をとるのは今からセルフメイドではなかなか難しいことだなあ、と思っています。

 成り行きと、枝道の多い人生で、どうもキャリアパスを定めるにおいておっちょこちょいだなあ、というのが僕の反省点です。

 まあ、これも考え様で、どっちにしろ自分ひとりでは事業が完結しない規模なんですから、自分にないものを持っている人とうまく協力していくことが、自分にとって必須である、ということです。

 ビタミンCの産生が失われても、霊長類が進化を続けられたように、自分に欠落したものがあっても、(もちろんうまくやる必要はありますが)補完することはできるはずです。

*1:それまでは、ルーズでね。主たる給与が入ってくる通帳を完全に他の人の手元においていて数年来見たことがなかった、とか、そういうのでした。ははは。悪意ある第三者というものを最低限想定するように、最近はしてます。

*2:両親が開業の時に印鑑を作ってもらったところ

*3:でもね、実は肝臓内科も成り行きっちゃあ成り行きだったんだよね。

*4:もちろんこれは質が保証される限りにおいて、という条件があり、それが難しいからこそ患者さんは名の通ったところに行きたがる。そして、あまりに抵抗なくスムースすぎる診療は感動を呼ばないことも事実です。それなりの評判を得るためには、ファミレスでわざわざ客前でステーキのソースをかけてジュワーといわす的な演出が必要なんじゃないかと思うときもあります

建て替えの話(その2)

さて、病院を建て替えましょう、という話の続きですよ。

 続いたね。よかったよかった。

* *

 普通、新しく家建てましょうとか、そういうのって、夢ふくらむじゃないっすか。

 あれしよう、これしよう…

 大きな窓と、小さなドアーと、部屋には古い暖炉があって、真っ赤なバラと白いパンジー

 てなもんですよ。*1

 しかし、お金とか土地とか、そういう「ゲンジツ」と向き合ってみると、そういう夢的な要素って、結構しぼんじゃうもんです。

* *

 病院も同じで、おおざっぱに考えている時には、意匠を凝らした概観とか、めちゃ綺麗なロビーとか、そういうのを夢想しましたけれども、そういう安易な考えは、結構すぐ吹き飛びました。

 旧病院の隣にある駐車場の敷地に建てよう、という話になったんですけれども、まずこの用地が足りない。旧病院よりは床面積はとれるけれども、同じ病床数で展開したとすると、今は患者さん一人当たりの面積が広くなっていますから、病床が案外かさばるんですよね。

 昔の病院って、ベッドと詰所くらいしかなかったですけれど、今は早期の離床を促すために、患者さんがご飯を食べたり、座っていろいろ過ごすためのデイルームとかもあるし。

 うーん、たとえば、初代「ゴルフ」って、室内の大きさって、現在の同じくVWの1サイズ小さい「ポロ」と同じくらいなんですよね。それと同様に、この一世代でアメニティに対する要求の平均の水準がだいぶ上がってるんです。

 そうこう、それぞれに部門に必要な床面積を計上してゆくと、斬新な意匠性とか、そういうのを考えるどころではなくって。ま、早い話が「トウフみたいな建物」になります。なんっの面白みもない、四角の建物。

 もう狭小建築みたいな話です。柱と柱の間(スパン)を6mにするか6m30cmにするか、とか、そんなんで図面を引きなおしたり、いろいろしました。涙ぐましい努力を。

* *

 もちろん、個室率をどうするか、という話もでました。

 旧病院は導線も悪いし、患者さんのための場所も少ないし、古い作りで人気がなかったのですが、個室が少ない、というのも常に不満の上位を占めていたからです。

 個室が増えると、当然床面積は増えます。その分患者さんの満足度は高くなる。

 ただ、東京のたとえば聖路加のようなハイエンドな病院であれば全室個室が当然で、高い個室料も皆文句もいわず払ってくれます。でも中小地方都市で亜急性期の病床という当院のポジショニングの場合、個室を設定したところで、それを払える患者さんがどれだけいるだろうか…ということも考えなければいけなくて。

 今後10年~20年のこの日本経済下降局面では、この地方の顧客が今よりも裕福になるとはちょっと考えにくい。かといって、全室個室、差額ベッド代は無料、みたいな夢みたいな話ができればいいけど、そんなうまい話にできるわけもなく。

割と冷徹なそろばん勘定が要求されるところではあります。うちの両親は「今までここで長年事業させてもらった恩返しみたいなもんで、そんなに負担にならない病院、っていう方がいいよね。お金がなくても気軽に入れる病院っていうのが地域に対していいんじゃないかなあ」といって当初個室率はかなりおさえめにしていたんです。

 が、たとえば自分が入院する…と考えたときに、個室入りたい状態なのに個室入れないのはやっぱりストレスだろうな…と思うし。

やっぱり個室か否か、という問題は大きいよな、と思うわけです。

 

 それにMRSAノロウイルスなどの院内での感染が危惧される病気が発生すると、隔離が必要なんですが、旧病院では、そういう部屋にすら事欠くありさまで、4人部屋を無理やり隔離に使ったりして、効率がわるかったんですよね。

 そういうわけで、部屋を減らしてでも個室を確保した方がいいという話になりまして、結局92床から10床へらし、個室率30%というところに落ち着きました。熟考した割には大したことない個室率ですが、敷地面積的には本当にギリギリの妥協の産物ではあります。もちろん大部屋でもパーソナルスペースが侵害されないような工夫はしました。

 しかし郊外に建っている公立病院がうらやましいです。広さって、最大の武器であることを痛感しました。

 僕個人的には隅っこが好きな人ではあるんですが。

* *

 可能なら全室個室にしたいところではありますが、まあそれはかなわぬ夢でした。

 面積的にね。

 ゲンジツと折り合いをつけたわけです。


 

*1小坂明子「あなた」ですけど、青いじゅうたんを敷いて真っ赤なバラと白いパンジーを活けて……趣味悪っ!そんなお水っぽいセンスだから男に逃げられるんや、と思います。

建て替えの話 (その1かも)

新病院の建築、そして引越しがようやく終わりました。

正確には旧病棟の取り壊しと駐車場の整備の工程が残っていますが、その4ヶ月が過ぎれば、計画段階からいうと足掛け三年にわたるプロジェクトが成就することになります。

のんきそうにこういうブログを書いてるんですけれども(あんまり書けてもないけど)、実は2013年から親の経営している90床の病院にて勤務し、2014年から院長、今年の4月から医療法人の理事長に就任するんです。まったく分不相応なことです。

恐縮です。今後ともよろしくっす。

んで、建て替えの話をば。

約30年前にうちの父が創業した病院ですが、現在の基準では耐震基準を満たさないし、今の水準ではやはり狭くて快適ではなかったんです。また改築に次ぐ改築を繰り返していたので動線も悪く、使い勝手が悪いというのもありました。そんなわけで、建て替えをしないでだましだましやってく、というのに限界が来ていました。これでは次の世代は生き抜けない。

正直、タイミングとしてはやや悪かったんです。東北の大震災、そしてオリンピック需要もあって、建築費は高騰している時期でしたから。公共事業の入札不調がニュースがひところ話題になりましたね。

では建築費が落ち着くまで待つ……というのも難しい選択肢でした。そもそも建築費の高騰が落ち着く目がありません。それに医療業界はこれから大きく冷え込むことが予想されてるわけです。待てば待つほど条件は悪くなる。

2010年頃から「大きな設備投資は2018年までにしておけ」というのが医療経営コンサルタントの共通認識になっていました。2018年は医療と介護の同時改定なんですけれども、ここがターニングポイントであるとかなり昔から予想されていたし厚生労働省も提示している。

約二年後に迫った今は、まさにその思いを強くしています。

なので建て替えのチャンスは、今のタイミングしかありませんでした。本当はもう三年前くらいが外部条件的にはベストかと思いますが、これは、基幹病院に滞留していた自分が悪いのです。

そんなこんなで、建て替え計画が始まりました。

続く(続かないかも)。

アルコール依存症臨床医研修のこと

(これは別の場所に書いたものを転載したものです)

 県医師会広報に募集があったので、軽い気持ちで、昨年の11月にアルコール依存症の施設として有名な『久里浜医療センター』のアルコール依存症臨床医研修をうけてきました。

 漫画家の西原理恵子さんの旦那さん(鴨志田さん)が治療をうけたことでご存知な方も多いんじゃないかと思います。

* *

 私は肝臓内科ですので、基幹病院に勤務していた時代からアルコール性の肝疾患炎を沢山診ています*1。診るのは肝障害ですけれども、その背景には当然アルコール依存があります。内臓を壊してもまだ飲み続けているのですから当然です。

静脈瘤による吐血、重症アルコール肝炎、急性膵炎…まあ重病です、全部。

こうしたきっつい病気で基幹病院に入院する場合、さすがにみな命が惜しいらしく、入院でアルコールは一時的に抜けます。ここまではそう難しくはありません(たまにそれすら難しい依存症の方はいます。一時外出で飲んだり、ペットボトルに酒を詰めてベッドで飲んだり…こうなるともう自他共に認める依存ですね)。問題は退院してからの再飲酒で、これを阻むのは非常に難しい。

依存の人、つまりアルコールに強く魂を掴まれている人は、口頭で指導などしたところであまり効果がなく、強く言いすぎると来なくなる、言わなければどんどん飲酒する。最近来ないな…と思ったら吐血で運ばれてきた、なんてよくあります。あと、後悔して本心からお酒やめようと思っていても、今までの生活パターンが変わらない限り、退院後三ヶ月くらいのところに『壁』があって、結構再飲酒してしまいます。難しいんです。*2

そういう現状に問題を感じており、研修を受けたわけです。ずっと講義ばっかりだったんですけれども、面白いトピックばかりで、四日間有意義な時間を過ごすことができました。

* *

 研修を受けて、先進的な地域では地域での取り組みが非常にしっかりしているということを知りました。

 依存症ってやつ精神科のアプローチが絶対に必要ですが、本人は絶対に受診したがらないこと請け合いです。通院の継続はさらに難しい。

 また精神科特有のアクセスの悪さも逆風になります。面倒くさがる患者はアクセスが悪い場所へ受診してくれませんし、街場の診療所は大抵飽和していて予約がとれず、時間的な面でアクセスに問題があります。

精神科を挟まずにアルコール診療は不可能ですが、精神科だけでは患者を捕捉できない。

この二律背反を解消するためにプライマリ・ケアでの拾い上げと連携が必要なんですけれども、例えば僕の住んでいる地域ではそれがうまくいっているとは言えません。

* *

そもそも加療を受けているアルコール依存症患者は全国推計でも10%に過ぎません。アルコール依存は最も治療が行き届いていない診療領域の一つだと思います。

 現状の解決のために平成25年12月にアルコール健康障害対策基本法が成立し、翌年6月施行されています。法令に基づき、基本計画を策定し、アルコールの健康障害対策を推進するとされています。県のレベルで現在計画策定中かと思うのですが、一般診療のレベルには下りておらず、待望しています。

点(精神科の専門診療)が線(診療連携)になり、最終的には面(地域ぐるみの対策)として機能するように協力することが必要です。

プライマリ・ケアのレベルでの協力が必要であるということを改めて強く実感しました。

そう思って、「プレアルコーリズム外来」をやろうと去年くらいから計画していましたが、昨日あまりにもアルコールがらみの患者さんに振り回されたので、ちょっと足踏みしていたのでした。

* *

しかし。

三浦半島の太平洋側に面して、暴力的なほどに何もない海と。

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実習は大変おもしろく有意義だったのですが、久里浜医療センターは日本で一番有名なアルコール依存施設なのに、あまりにも古くボロボロな建物……、

おまけに赤字なんだってさ。

これからどんどんアルコール関連の診療をがんばって行こう、という気分に水を差すには十分な清貧ぶりでした。

*1:今も結構診てます

*2:多分二回目の出所後の田代まさしはきっとそうです

インフルエンザ

2月も前半だというのに、ひどくなまあたたかい。変な気候です。

今日なんか、夜になっても15℃くらいあった。信じられないですね。

今日は雨も降っていて、じんわりと身体があたたかい霧をまとっているようでした。

* *

 今年は暖冬という触れ込みのとおりで、12月に入っても暖かい気候が続いていた。

 冬季は調子を崩す高齢者の方が多く、病棟はそういった方で充満する。感冒・肺炎・気管支炎などもあるし、脳梗塞心筋梗塞などの血管イベントも多い(循環器内科にとっては冬は繁忙期であるし、内科も基本的に冬忙しい。)。

 ただ今年は暖冬のせいか、12月に入っても例年のような患者の動きがなく、病棟も不気味なほどに静かな状態が続いた。12月に入っても病棟が空いているなんて…

 医師としてはこういう暇なの大歓迎なんですけれども、経営者としてはちょっと頭がいたいよなあ…と思っていました。近くの開業医の先生と食事している時にも「今年風邪の人全然来ないよねー。正月の餅も買えないかもねー(笑)」とか言ってたんですよ。

* *

 ところが、1月半ばに皆さん御存知の通りひどい寒波がおとずれました。

 そうすると、慢性疾患のある高齢者の方(透析とか肝不全とか)が調子を崩したり、例年のごとくに感冒・肺炎の高齢者が続々と運び込まれて、あっという間に病棟は一杯になってしまいました。気候がいかに人の身体に影響を及ぼすかということを改めてみせつけれられましたね。

* *

 ただ、インフルエンザはその時期にも流行ってなくて、そのあとになってインフルエンザの流行がやってきました。

 私のいる街(広島県)では1月末くらいから2月にかけてじわじわっとインフルエンザが増えてきました。例年よりもちょっと遅い流行ですし、すでに寒波は過ぎ去っていますから妙になまあたたかい中、インフルエンザとパラインフルエンザ的な感冒が微妙に流行ってます。今ちょっとだけ忙しいですね。

 例年だと、12月末から1月にかけて超忙しくてだんだん病棟に余裕ができてくる…だいたいピークは一峰性なんですけれども、今年は12月ひま→1月どーんと忙しいけどすぐひまになり今またちょっとだけ忙しい、みたいに、なんというか、ダラダラしています。

* *

 インフルエンザについては、ここ十数年は全世界的な社会実験を繰り返しているようなものだと思っています。

 治療に関しては人間側の防御手段(ワクチンもそうだけど、タミフルとかの治療介入手段も増えたわけで)に対する、インフルエンザ側の変化、それが毎年繰り返された挙句、もうなんかよくわからないところに来ています。その間に色々なトンデモがありましたね、タミフル脳症説とか。

 あと、LCCの普及とかそういうのもあって、世界的に人口流動性が高まっているのも、おそらく感染形態に大きな影響を及ぼしているんじゃないかと思うんです。以前はインフルエンザの流行っていうのは、世界的にみると桜前線みたいに順次波及してゆくさまがみてとれたわけですが、それって、閉鎖された系に外部から持ち込まれたインフルエンザがその系の中で急速に流行して…というモデルでして、各地域でそれがドミノ式で生じているのが、割とはっきりしてました。これって、人口流動性がある閾値を超えると、動態が全くかわってくるはず。

 20世紀のインフルエンザは、お風呂をかき混ぜないで沸かしていたようなもので、21世紀のインフルエンザはお風呂をかき混ぜながら沸かしているようなもんだと思います。

DNAR(蘇生処置希望せず)について。

80床くらいの病院で、普通の内科一般診療をやっていますと、すごく若い人が難病に苦しんでいる…なんていう、ドラマになりそうな診療に出くわすことは少なくて。「病」なのか「老」なのかよくわからない全身状態の下降しつつある高齢者の方を診ることが多いわけです。

例えば高齢の方の肺炎。60歳の元気な方は肺炎で亡くなるなんてほとんどなくて、あればイマドキの医療水準では問題になりかねないくらいなんですが*1、90歳の方が肺炎にかかったら、これは生き延びることは難しいし、もし元気で歩いていた方であれば、元通りの生活レベルを維持することも難しい。

たかが肺炎だけれども、高齢者の方は肺炎で亡くなってしまう。亡くならないにしてもすぐ弱る。

そうした延長線上に「死」というものがあるわけですけれども。

* *

例えば、治療にも関わらず、病状が好転しない…という膠着状態が続けば、いずれ体力の限界をむかえ、亡くなります*2。もちろんそういった徐々に迎える死もあるし、急激な状態の変化で突発的に亡くなるのもあります(心筋梗塞とかね)。

で、「亡くなりそう」な状態。そのままだと亡くなりますよ…という状態。

死のとば口に立っているのがいわゆる心肺停止状態ですが、医学的にはそこで「心肺蘇生術」をやるかどうか、という選択肢があるわけです。



シンプルに聞くと「『死にそうな状態』の時に『死にそうじゃなくする』ことをする…わけですよね?そんなのに選択肢とかつけるの?するのが当然なんじゃないの?」という風に思われるかもしれません。

ただ、医療従事者があえて選択肢を聞くっつーのは聞くだけの理由があるんで。

そういう時、はっきり言っちゃうと「心肺蘇生術にはあまり意味がないでっせ」ということなんですよね。

* *

そもそも心肺蘇生「術」という言葉が、期待感を含みすぎなようにも思う。

「心肺蘇生術」というと、すんごい万能な「術」に思われますけども(そう、ドラクエでいうザオリクのようなね)心配蘇生術、全然万能ではないです。

おまけに体にもダメージは大きい。

心肺蘇生「術」というものは、具体的にいうと「気道確保」「胸骨圧迫マッサージ(いわゆる心臓マッサージ、めんどくさいので以下「心マ」)」「除細動」です。*3これらの一連の手技を心肺蘇生術と総称しているわけなんですけれども。

* *

しかし、最近改めて考えると、「気道確保」と「心マ」ってテクノロジーのレベル的には全然ちゃう。

「気道確保」はバルブバックマスクで酸素を送り込みつつ、喉頭鏡を挿入し気管挿管を行い、人工呼吸器につないで100%酸素で強制換気を行います。

これは、かなりのテクノロジーを要する治療行為で、現代医療の結晶の一つともいえるものです。例えば100年前には今の気道確保は世界で一番進んでいた病院でさえも受けることはできなかった。

また生体はせいぜい大気圧の20%の酸素しか使えないが、人工呼吸で代替した場合は100%の酸素が供給出来る。5倍界王拳という事になります。

対して、心マ。

一般的な心マのやり方はこのようなものなんですが→(http://www.hokkaido.med.or.jp/firstaid/sosei/t007kyokotsu.html)基本的な技術は固い背板と手。知識がないから行われていませんでしたが、別に2000年前でも、やろうと思えばできる手技です。ちょうローテク。*4

しかも本来ある心臓の拍動の力を100とすれば、心マで得られる心拍動力はせいぜい20程度です。当然ですよね、外から押すんですもん。シューマイ弁当を蓋の上から押して中の醤油入れ押せますか?いう話です。

* *

内科で高齢の方、亡くなりそうな方を入院で診療していますと、やがて死を迎えることが予想される場合なんてよくあります。

その時にこの「蘇生術を行うかどうかどうしますか?」という説明をご家族にするわけなんですけれども。

口頭でインフォームド・コンセント用紙に書きながら説明している時にはあまり気にしなかったんですが、最近、「心肺蘇生術」ってどうやるの?というパワーポイントのスライドを使って家族の方に説明させていただいているんですけれども、そうすると、この2つの手技って、全然ちゃうよなーと改めて思ったわけです。

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というわけで、高齢の方で、いろいろ治療を尽くしたあとに体が限界を迎えて治りそうにない…という局面で起こる心肺停止は、基本的には心臓が限界をむかえてるんで、心マも効かへんし、つまりは心肺蘇生術も効かへん、ということなんだと思っています。

* *

んで、心マってやつはローテクな上に、めっちゃ疲れるんですわ。

全力でポンピングすると、本気でやれば5分保たない。

基本的に心臓を外表面から押すっていうのは無理筋なので、肋骨のポキポキ折れる音が、何十分もやっていると手のひらのしたから感じられます。

10分やってダメなら、無理なんですけどね。*5

だけど、患者さんの家族で「家族が揃うまでは蘇生をしてほしい」みたいなこと言う人結構いるんです。

これ、うーん…っていつも思います。

蘇生術を行うかどうかは家族の希望を聞くべきかと、僕は思っていますが、蘇生がもはや有効でない場合に、中止するかどうかは、医療者側に決定権があるとは思いますけれど。

まあ、気ぃ悪くされるとアレなんで、最近の僕は、今書いたようなことをインフォームド・コンセントの時に言っちゃってます。いやぁ、心マはホント効果ない上にお体も痛めますんでね~、と。

あと、よくいうのが、

「心肺蘇生術は、将棋を指している時に、『待った』をかけるようなもんです。

 例えばバイクで事故った少年、これは、将棋で言えば序盤戦でごっつうしょぼい手を指して王手をかけられたようなもんで、この局面さえ『待った』でなしにできれば、また長い人生に戻ることができます。

 だけどね、癌の末期とか、ご高齢の老人とかは、将棋で言えば、王さん以外ほとんど敵にとられたような状態です。こんなところで『待った』かけたって、どうせすぐ詰んでしまうんですよ」

 とか。これはICの相手が男の人の時にしか使いませんけれども。

んー。女性に説明するときには、

「この末期の状態で、最後の最後の心肺蘇生術するってのはね、…例えば。

旦那が飲む打つ買うの三拍子でどうしようもない、今までなんどもそういうのやめるように言ったけど聞いちゃくれない。

ついにもう心が折れて、離婚届を持ち出したら、ちょっとそれは困る待ってくれ、みたいなこと言い出すみたいなもんです。そういう段階の前で最大限の努力をすべきであって、もういよいよやっとれん、みたいな状態であがいたって、どうしようもないわけですよ」

とか言ったこともあるなあ。しかしこの例えだと、「じゃあ心肺蘇生術してください」って言う人いるかもしれない。

*1:もちろん患者さんが難しい病気をもともと持っているとか、そういう場合は別ね

*2:その期間にはかなり個人差があります

*3:もちろん救急救命センターでの心肺蘇生術は、循環動態の安定化他もろもろの手技を含みますが、病棟ですでに点滴などが入っている方に関して、それまでの治療に新たに付け加わるのはこの3つでしょうか

*4:もちろん生体に対する理解が乏しい時代にはたとえ手技として可能であったとしても技術として定着はしていない。これは心肺蘇生術は、その後の医療行為のための時間稼ぎであり、単独ではあまり意味がないということの間接的な証左ともいえます。

*5:低温環境下で溺水の方とかはまた話は別ですけど