半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

組織のパラドックス

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現在の私は、いわゆるプレイング・マネージャーです。
平日の営業時間のほとんどは、内科医としてあくせくと病院を走り回っており、理事長らしいことはできておりません。

正直、プレイングマネージャーの形がベストとは思ってはいません。
が、うちの法人には医者が十数名いますが、年齢的には僕、下から二番目なんです。
組織のヒエラルキーと、医者の年功序列って、別だったりします。
だからどんどん仕事捌くしかないじゃないですか。*1

司令部にどっしりと座り、周りに目を配り、方針を明確に立て、それを周知させ組織を動かすという経営者らしい経営者が本来的なものだと思います。
ただ、プレイング・マネージャーは、現場の肌感覚は誰よりもわかる、というメリットはありますね。*2現場の忠誠心も得やすい。

ま、この形は過渡期のスタイルです。
このスタイルが許されるのは、上杉謙信アレキサンダー大王だけで、個人の武力が抜きん出ているような人でないと討ち取られてしまいますから。

* * *
そんな「なんちゃって組織管理者」の私ですが、なんだかんだいって5年目。
それなりに様々な経験を積ませてもらいました。

最近感じることは、組織管理、組織運営の要諦って、矛盾した二項のバランスをとることじゃないかな、ということ。
パラメーターを、ちょうどよく振り分ける、そのバランス感覚こそが、管理者に必要なんだろうと思います。

標準化と属人性

現在当グループの職場の給与水準は、どんどん離職するほどは低くはなく、かといって誰一人辞めない状態ほどは高くもない、くらいの感じ。
働きやすさには注意をはらい、改善の努力の結果、ホワイト企業……とまではいいませんが、生成り企業……くらいにはなりました。
なので、募集をかけると、それなりに人は来る一方、人材流動性もそれなりに高い。

こういう職場では、業務の属人性をできるだけ廃するシステムづくりが重要。
業務を安定して継続するためには、役割分担と業務の標準化が必要です。*3
そういう組織づくりをすすめていますが、そうすると、業務が属人化されていた古くからの職員は、自分の仕事のやり方を否定されている気になるんでしょうか、やはり面白くないようですね。
お定まりの決まり文句の批判は「人は取替の効くコマではない」です。

でも、これからの仕事のあり方は、業務の標準化を前提とした組織づくりでないと、生き残れません。
仕事の足並みを揃え、業務の替えがきく状態は、チーム医療としてはとても大事なことです。

ただ、その状態を作り上げた上で、さらににじみ出てくる「その人にしかできない仕事」もあります。
これは二律背反ですが、その矛盾を飲み込んでこその経営なんだと思う。
完璧な均てん化は、むしろエクセレントな人のやる気を削ぐ。

多様性とまとまり

理事長の意見がすべて通ってしまうようなイエスマンばかりでは、理事長が状況判断を間違えば全滅してしまう。
組織には、いろんなスキルや考え方をもった人が必要です。
平時はぼんやりしているけど緊急時には人が代わったように動き始める人なんか、たまにいます。
ある特定の領域だけ、やたら得意な方っていう人もいます。
その意味では、多様性はとても大事です。
しかし、いくら多様性といったって、組織の理念や哲学に反している多様さは望ましくない。
また、いくら際立って得意な人だからって、業務をその人専用に属人化させてしまうと、そこがボトルネックになってしまう。
「多様性」と「まとまり」はトレードオフの関係にある。

冗長性と効率性

それは、組織力学的に言えば、冗長性と効率性のバランス、ということになるんでしょうね。
働き蟻の法則。アリの社会は20%の働き者、60%の普通のアリ、20%の働かないアリで構成されています。
「働かないアリ」はなんのために居るのか、という研究では、要するに、緊急事態に対応するため、ということらしい。
効率化を極限まですすめてしまうと、イレギュラーな事態に対応する余裕がなくなってしまう。

医療は、根本的にイレギュラーな事象を多分に含むものです。
ただし、このあたりは、予算的に厳しい昨今の医療制度のため、年々実現が難しくなっています。

下がることを許容できないと給料って上げられない。

これは余談ですが、給与にもパラドックスがある。
すごく頑張っている人に対して給与やボーナスで報いたいと思うのは、経営者としての本音です。
でも、給料って、なかなかあげられないんですよ。
30歳の人に、基本給(月給)を例えば 1000円上げれば、12000x35=42万を余分に支払うわけです*4
このあたりの感覚は、上げるひとともらう人で、ずいぶん違う。
たった100円でも5万弱です。
そもそも「今」の頑張りが退職まで続く保証もないので、「頑張っている」ことに対し給与アップはしづらい。
反対に能力と働きに対しては給与は上げやすい。
能力は「やる気」よりは目減りしませんから。

「今頑張っている」人には、ボーナスで報いればいいわけですが、
これまたボーナスって、固定給を補完するような形で職員には認識されているわけなんですよね*5
上げたものを下げると、皆気色ばみますねー。

その年に頑張っている分、ボーナスは上げる。
けどそんなに目立たない年には元に戻していい。

これが許されるのであれば、逆にボーナスを盛りやすいのです。
ボーナスを下げにくい(右肩あがりが当たり前の)組織風土では、頑張りに対して、増分を増やしにくい。

皆さんの会社って、ボーナスの制度どうなっていますか?

* * *

経営というのは、バランシングであり、答えがない。
そもそも経営というのは「なまもの」の企業組織を、安定して動かしてゆくことです。
一言で言えば「動的平衡」そのもの。
動的平衡そのものが、多分に二律背反をはらむものですからね。

その他のBlogの更新:

ジャズブログ:

これは、今週は更新なし。だんだん、エントリーが集積して、迷宮のようになってきました(笑)

*1:「きっついやつやん……」という感想を受ける勤務医の先生もいらっしゃると思います。実際まあまあきっつい、です。でも標準的な仕事量を自分をもって示すしかない、との思いで頑張っています

*2:逆に現場感覚がわかりすぎ、現場の都合を忖度しすぎる弊害もあるとは思いますね。

*3:そのためのマニュアル作り……というところにはまだまだ課題があります

*4:あ、こう書くと全然給料上がらないみたいなイメージを抱かせてしまいますが、当然定期昇給っつーのはありますからね。それにポジションがあがると、号が上がる、みたいなやつもある。

*5:多くの企業で、ボーナスは4ヶ月程度が暗黙の了解となっているが、これはドッジ・ラインの外貨引き上げで、日本国内の設備投資のために資金調達が必要となったときに、国民の給与所得の1/3を銀行に貯蓄させるために考案されたらしい。だから、各社横並びで、固定給に近いものになっている。